岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山白狐沢下流域山麓に咲くワレモコウ / 登山道の復活と継承はなされるか 

2008-09-23 05:05:55 | Weblog
 ■ 岩木山白狐沢下流域山麓に咲くワレモコウ ■ 
 (「牧草地」の中を進む。「採草地(原野)」の表土を剥いで平坦にしたのであろう。だが、所詮「山」である。凸凹地形は当たり前だ。赤土が至るところにむき出しで出ている。雨水や雪解け水が流れ、凹地に入れた「表土」までを運び出してしまったのだろう。ここ数日来の晴天で、その赤土地帯はすっかり乾燥している。
 わずかに根付いた稲科の植物の群がりの中からは「エンマコオロギ」を中心とした直翅類のなき声が聞こえていた。)

 私たちは上部を目指してゆっくりとした歩調で「観察」をしながら歩いていた。時々、立ち止まり、丸く輪になって「観察物」や「観察動体」を注視し、「メモ」をとっては、あるものはカメラで撮影した。
 その日の行動は、この放牧地と原野、笹藪、雑木林を抜けて白狐沢を渡って古い登山道の取り付きまで行くものだった。
 堅い稲科の植物とシダ植物「ワラビ」がまばらに生えている場所を抜けると、目の前には猛烈な「根曲がり竹」の藪が現れた。その奥は雑木林である。藪の深さは約15m、くぐり抜けることが出来ないというわけではない。
 受講者は、これまでの野外観察で「藪こぎ」を経験してはいなかった。彼らに「初体験」をしてもらおう。
 「手でかき分けて歩くというよりも、潜って歩くという気持ちになって下さい」と私が言う。そして、先頭で「藪中の道」のような「踏み跡」を先に進んだ。
 そこは「獣道(けものみち)」のようだった。おそらく受講者の目には、そのようには「見えない」はずである。
 藪の中は歩きづらい。これは上背のある人間だけではない。体高の低い「四つ足獣」にとっては人間ほどではないだろうが、やはり歩きづらいのだ。そして、出来るだけ歩きやすい「通路」を色々な獣が通うのである。
 そうしているうちに、藪の下に、「獣」が易々と往来できるような道が出来てしまうのである。これを「獣道(けものみち)」というわけである。
 藪が「薄く」まばらになったと思ったら、そこは雑木林の縁だった。雑木林の中は細い沢になっている。その沢を渡り、対岸の高いところで、後ろを来た受講者を待っている。
 みな、一様にほっとした顔をしているが、その中には、初めての「藪こぎの興奮と感興」を浮かべていた。
 「なぜこんなに違うの」「歩きやすい」「空間がいっぱい」などなど、受講者は思い思いに話す。
 林縁手前の草がほとんどない荒れた原野、猛烈に密生した竹藪、そして、空間がいっぱいの林間など、この「変化」の連続を「感じ取る」ことも「野外観察」の目的であり、学習なのである。(明日に続く。)
 
 ■ 登山道の復活と継承は可能か ■

 今日もまた「廃道」と化した登山道についての話しである。

 さて、荒廃している登山道を復活させるためにはどうすればいいのだろうか。
まずは、その道を確認して、そこを歩き、登ることである。
 私はこれまでに、それを自分なりにやってきた。しかし、移動手段としてバスと自転車と自分の足しか持たない者の「守備範囲」は時間的にも距離的にも狭いものである。だからタクシーを利用することも多く、登るよりも下山時に調査をすることも稀ではなかった。                
 頻繁に行けるのは岳から百沢、弥生、大石までが限度である。その結果、岩木山の北を中心とした「三分の一」がこれまでの踏査では手薄となっている。

 道なき道の確認には、下草の出ない雪解けの直後か、下草が枯れたり小木の葉が落ちた降雪前が時期としては最適となる。だから、それはかなり限定された時になってしまう。
 しかも、それらの道は時を待たないでどんどん荒廃している。今年はかろうじて判別のつく踏み跡も、来年は消えるかも知れない。一人では、この二つの「時」に追いつかない。
 追いつくためには、地域の山岳会員や一般登山愛好者など、とにかく多人数ではない複数で登ることであろう。そして、出来るだけ早い時期に地図を作製しなければいけない。
 地図にはただ単に実線を書き込むだけでなく、目標になるものとしては、目に見えて確固とした判断物となる通年的・四季的な植生、地形、遠望物との角度など、距離としては歩数、分単位の時間などを詳細に記入する必要があるだろう。
 それは道なきところを初めて歩く者でも歩けるように、伝承していく作業だからである。
 標識等は、登山口には確実に設置するほかは、最少の数にとどめ、赤布をつける程度にする。木の幹や岩肌へのマーキングは的確性を重視し、なるべく少量で小さくすること、色は自然や背景とマッチするようにして統一することなども必要であろう。      

 岩木山を毎日仰ぎ見るこの土地に発足してから、数十年になろうとしている一、二の地域山岳会が弘前を中心に存在している。
 これらの山岳会には、登山道を継承していく「責務」があるのではないかと考えるがどうだろう。
 私が所属する「山岳会」でも、スカイラインが敷設され、開通したころにはこれによる「自然破壊の監視と調査」などが話題に上ったこともあった。ところが、いつのまにかこれも、登山道のように廃れてしまったかのように見える。
 だが、その根っこは登山者の精神の中に脈々と生き続けているものと信じている。その証として、登山道の継承に取り組むことは意義のあることなのである。
 
 岩木山の消失した道、地図から消えてしまった歴史的な道に愛着を持ち、それを探し、踏み跡を辿る登山、これも、現代のアルピニズムの一端だろう。