岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

秋明菊が咲き出した / Mさんの「岩木山・花の山旅」に対する「書評」

2008-09-16 05:28:02 | Weblog
■ 秋明菊が咲き出した ■

 (今日の写真は金鳳花(キンポウゲ)科イチリンソウ属 の「秋明菊」である。
学名はAnemone hupehensis var. japonicaで、Anemone「ネモネ」はイチリンソウ属を意味して、hupehensisは「中国の湖北省産で」、japonicaは「日本の産のものである」を意味している。このとおり中国原産であって、かなり昔に日本に渡来したものである。)

 漢名は「秋牡丹」だ。また、濃いピンク色の花は別名で「貴船菊(きぶねぎく)」という。これは京都の貴船地方に多いことによるものだそうだ。
最近ではJapanese anemone「日本のアネモネ」とも呼ばれているらしい。しかし、そのように呼ぶと「秋」という風情が消えてしまい、春先に咲く仲間と混同してしまいそうだ。
Anemone(アネモネ) は、ギリシャ語の「風」が語源であり、「風の花」を意味するらしい。そう言われると、秋風に靡くたおやかな姿態は、秋の風にすごくマッチするし、風を眼に見せてくれる。
 コスモスなどもそのような「風」を感じさせてくれる花である。花名の由来は「秋に明るく菊に似た花を咲かせること」による。菊と呼ばれているが菊の仲間ではない。
 アネモネの仲間であるから、花びらに見えるところは「萼」であり、花は中央の黄色い部分である。花は下から咲き出して、秋遅くには茎頂のものが咲き出す。これも、サワギキョウと同じように出来るだけ遠くに倒れて「種子」を運ぶ工夫かも知れない。
 この花は一昨日、9月14日の誕生花であり、花言葉は「忍耐」である。かなりの荒れ地にも耐えて咲き出すし、少しでも根が残っていると、そこから増えていく強靱な生命力を持っている。それが分かると花言葉が意味することも理解が可能になるだろう。

■ Mさんの「岩木山・花の山旅」に対する「書評」についての感想 ■

 その「感想」を書く前にこのことを書きたい。このことを書かないと先に進めない気分なのだ。
 大崎市鳴子温泉で開かれた「東北自然保護の集い」会場に「カラーガイド 岩木山・花の山旅」を10冊持って行った。地元でないので恐らく、そんなに買ってはもらえないだろうと考えていた。
 結果からいうと8冊も買ってもらえた。購入してくれた人は6人が女性で、残りが男性である。
 慌ただしい日程の中で、買って直ぐに全部を見たり読んだりすることは出来ない。しかも、ちらりと見ただけで「書評」まがいのことを「口」にすることは「憚られる」ことだと理解している人が多かったのだろう。
 だから、購入者からの直接的な「書評」的な反応は翌日までなかった。しかし、購入した人の「もの」を見たという男性が、「懇親会」を兼ねた夕食時に、私のところにやって来て「使用写真のピントがあまい。リバーサルフィルムではないですね。」と言ったのである。
 そのとおりである。掲載写真の殆どはASA400の普通のフイルムで写したものの「プリント」である。図鑑を意識したものではないから、私はそれでいいと思っているから、「すみません」という「言葉」は言わず、ただ、「そうです。あまいのです」とだけ言って、後は何も言わなかった。

 翌朝、全体会議が始まる前にある女性が「カラーガイド 岩木山・花の山旅」を持って私のところにやって来た。そして次のように言ったのだ。
 …『98ページにあるエゾノチャルメルソウ(蝦夷の哨吶草)のキャプション「淡い緑にえんじの手足可愛い子蜘蛛」がいいですね。それから、本文の「あっ、小さな蜘蛛が何匹も…と思った。蜘蛛にしては整然としている。清楚で淡い緑の体に、可愛い臙脂の手足で子蜘蛛たちが木登りをしていると私には映った」というところ、あの感性には驚きました。私などには「思いつかない」感性的な表現です。あなたの観察力の鋭さ、発想力の旺盛さを思い知らされた気分になりました。』
 このようなところに「感動」してくれる人もいる。この人の場合、「写真」は「感動」の補助手段でしかないのである。私はこのようなことを意識して、この本を書いたのである。
 これは、十分にMさんの「書評」に通ずるものだろう。その女性にサインを求められて、妙に恐縮し緊張しながら本の中扉に署名をしたのである。 

 昨日の午後、岳にある「スポーツセンター」で3日間開催された、日本自然保護協会主催の「自然観察指導員」講習会の事務局を務めたTさんが「疲れ切った顔」に加えて「本当に申し訳ない」という表情をしてやって来たのだ。
 私はTさんにその講習会会場に、A3用紙縦半分の「カラーガイド 岩木山・花の山旅」宣伝用ポスターを掲示して、見本の「カラーガイド 岩木山・花の山旅」を、その傍に1冊置いて欲しいと依頼していたのだ。
 出来るならば講習会「開催地」である岩木山に咲く花々に関心を持つことも「自然観察指導員」の資質の一助になるだろうから、というようなこともアナウンスして欲しいとも頼んだのだ。
 そして、その場で「売ること」は、他の書籍販売と競合したり、現金の収受は煩わしいだろうから購入したい人に、注文書に「氏名・住所」を書いてもらい、後日私が発送するという形を取ったのである。だが、注文書は空欄であった。

 Tさんの「申し訳のなさそうな表情」は希望者がなかったことを言っていたのである。Tさん、決して、あなたが「申し訳ない」と思うことはありませんよ。私の「無理なお願い」のために受けた心労は大変なものだっただろうと思う。申し訳ないことをしたのは私の方である。
 ただ、正直なところ、30数名の参加者だったそうだが、少なくとも「自然観察指導員」になろうと考える人たちの、この「岩木山の花」に対する事実で、私の「自尊心」はひどく傷つけられたことは否めなかったのである。
 (明日はこのことと関連ずけた感想や分析、「自然観察指導員」にとって「感性的な観察」がどれほど重要なことなのかについての意見を書くつもりでいます。それに、Mさん、ごめんなさい。いろいろと不協和音が入ってきて、なかなかあなたの「書評」に、辿り着けないでいます。)