岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山白狐沢下流域山麓に広がる「牧草地」 / 廃れる登山道、観光と伝統文化

2008-09-22 05:48:35 | Weblog
■ 岩木山白狐沢下流域山麓に広がる「牧草地」■

(今日の写真は岩木山白狐沢下流域山麓に広がる「牧草地」だ。昨日はNHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」の野外観察であった。自動車から下車したのは、まず、この場所の近くであった。
 降りたとたんに受講者は全員「歓声」をあげた。それは、あまりにも「変容」した岩木山を見たからである。
 それでは、私たちはどこにいたのだろうか。それは五所川原市と直線的に結ぶ「線上」にいたのだ。五所川原市から見える岩木山は鋭角的で厳しく屹立している。もっとも男性的で荒々しい山容、まるでマッターホルンのように見える。ところが、同じ直線上にいながらも、目の前にある岩木山は「立ちはだかって」はいるものの、気高く鋭く立っている山ではなかった。広がりはあるが低い。峰を連ねてはいるが、その連なり方も何となく「優しい」。
 ただ、赤倉沢や白狐沢の深い谷を見せているだけであった。この「変貌」を為す理由は、見ている場所の「高さ」と「距離」にある。見ている場所の標高は350mほどである。山頂までの直線距離は2km程度だろうか。
 私たちのものの見え方は「遠近法」によっている。「遠くのもの小さく暗く、近いものは大きく明るく」見えるのだ。対象から遠く、「低く」なるとその全体が見える。しかし、高くなり、距離が近づくと「山頂」などはその手前にある山の陰になってしまい「見え」なくなる。まさに、そのような位置関係で「岩木山」を見ているわけだから、その「変貌」には驚くのである。
 しかも、受講者の大半が見慣れている「岩木山」は「弘前」から見ているものだったし、中には生まれが五所川原という人もいたので、なおさらなのである。)
 
 昨日もまた「雨」とは関係のない観察日和であった。
 たまたま偶然が重なっているだけなのだろうが、毎回「晴天」に恵まれている。よほど、受講者の「人柄」がいいからだろう。
 それに、昨日は受講者全員の参加、すなわち、「休講」する者がいなかったし、講師陣に阿部会長も加わり「密度」が高く、「幅」の広い観察内容となった。
 観察内容については明日掲載することにしよう。(明日に続く。)

 ■ 観光と伝統文化 ■

 かつては、ここの脇を通って山頂に行く道があった。昨日に続けて今日も、「廃道」になってしまう「登山道」のことについて書きたい。

 ところで、ひと頃、盛んに「文化観光立県」ということが喧伝されていたことがある。バスの中などいたるところで「文化観光立県」というポスターを目にしたものだ。最近では、弘前市も「攻めの観光」などといって観光に力を入れている。
 観光が経済効率を上げて、事業として成り立つためには大勢の観光客を集め収容して、金を使わせなければいけない。
 人を集めるために非常に効率のいいのが、交通網や交通手段の整備である。ところが、それが地域の有形・無形の伝統的な文化を潰すことになりかねないのだから皮肉だ。
 この典型として「スカイライン」を挙げることは可能であろう。これによって岩木山への登山客(観光客)は等比級数的に増えた。
 おそらく、スカイラインが出来る前、つまり有史以来岩木山に登った人の数を関数的に越えているだろう。
 そして、そのことが伝統的な地域文化としての岩木山に関わる信仰登山とその形態を喪失させ、人々の心から「お岩木様」への畏敬の気持ちを奪ってしまったのである。その結果として、登山道の荒廃がどんどん進行しているのだ。

 観光だけに力点を置くと伝統文化は衰退する。地域の特性ある伝統的な文化を保持し、それを育てていくことによって、それが個性ある観光資源となる。
 無個性、無顔貌な日本のどこに行っても出会えるような「文化」は本来観光となじむものではないだろう。文化を優先させないところに「観光立県や観光立市」などはあり得ないはずだ。

 京都や奈良には悠久の伝統文化が、しかも有形として存在しており、地域の人たちが、守り育てているという誇り(これを無形の文化と呼んでもいいだろう)を持って観光客を迎えている。だからこそ、そこに優しい「思いやり」などのマナーも生じてくる。そして、観光が成り立っている。
 伝承文化を衰退させておいて、観念的な歓迎のための「思いやり」だけで、形なき実体を補い、経済効率を生むなどと考えるのはまさに絵に描いた餅に等しいだろう。それよりも先に伝承文化の地域的な保存と継承、そのための人材の育成・資金的な援助が必要であるはずだ。
 津軽富士に委ねられた敬虔で素朴な信仰と信仰心からくる歴史的な登山形態は、自然を利用・支配してやまない主義によって、ゆがめられすっかり希薄になっている。岩木山の歴史的な個性も伝統も剥奪された。

 自然に対する畏敬の念の減退や自動車道路利用という安易・安直な登山はますます岩木山を無顔貌なものにしていくだろう。頂上に立つ人は今や岩木山そのものを見ていない。
「岩木山」とはこの津軽の地で営々と人々が築いてきたすべてのものの象徴であるとも言えるのである。