岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

・標高1396mのピーク(無名峰)を目ざして・温暖化といっても早く咲き出さない花もある7

2008-05-15 06:37:03 | Weblog
(今日の写真は標高1396mピークから稜線に沿って下降していく先を写したものだ。少し古いものだが1997年5月23日に撮影している。その日は弥生から登り、赤倉御殿を経て、Tさんと一緒に「行動」しているこのルートを辿って、赤倉尾根の左岸「登山道のある尾根の対岸尾根」に降りたのである。中腹部では残雪は消えていたが、写真からも分かるように、残雪伝いで登行と下降が出来たのである。23日である。しかし、今回の「5月4日」は、「残雪の一欠片」も見られなかった。
 写真中央部のコメツガの下に「赤い」ものが見えるだろう。これは小さな祠「ほこら」である。この辺りからコメツガ林の中に入っていく。この林の中の様子は明日写真で紹介しよう。)

(承前)

 キレットというのは登山用語で「鞍部」のことだ。「鞍部」といっても「馬」や「乗馬」に関係のない人にとっては「ピン」とこないだろう。
 「鞍」とは乗馬するときに馬の背中に取り付けるものである。鞍(くら)である。馬の背中の、この鞍を「載せる」部分はなだらかにへこんでいる。そのような地形を擬えて「鞍部」というのである。
 ところが、実際は「馬の背中のようになだらかな鞍部」はない。この赤倉沢源頭部のキレットも下降と登行する部分は急峻である。その上脆い。
 赤倉沢源頭部のキレットは遠目では「一カ所」のように見えるが、実際は二カ所になっている。
 一カ所は赤倉御殿方向から下降して直ぐの部分であり、崖頭に低木が張り出している。私たちはその最初のキレット部分をようやく渡った。
 今度はいくらか平坦な部分になるが、そこは、樹木の張り出しもなく、崖頭から小さな岩や土石が崖下に崩れ落ちている部分になる。
 このような場所は崖頭に近づかないに越したことはない。私たちは大きく大鳴沢寄りに膨らむようにルートを採った。
 今度は少し下る。第二の鞍部である。目の前に赤倉沢源頭部の外輪北端ピークがそそり立つ。その外輪北端ピークは南側が深く抉られていてハング状になっているのだ。喩えて言えば「天狗の鼻」のようになっているのである。これは、ピークの下が内部から崩壊して、赤倉沢の底に落ちていったことと現在も「落下」し続けていることを示しているものである。
 ふと、この瞬間に「崩落」が始まったら…という思いが過(よ)ぎる。少し足が竦んだ。
 ようやく鞍部からの脱出だ。大した距離でもないのに、ずいぶんと長い時間をかけてここまで来たように思えた。
 今度は登りだ。南側内部が崩落しているそのピークの左側を少し「巻く」ようにしながら登る。脆い岩と土石の急斜面である。後ろに続くTさんに「落石」を与えないように「不用意」に浮き出している岩を転がさないように気をつけながら登る。
 何とか、その頂部に到達した。そこは頂部といっても「鋭角的」な地形ではない。狭い吊り尾根状の脆い岩と土石の稜線なのである。
 崩落を防いでいるものは稜線の両側に生えている低木帯であった。このような場所の低木の存在は大きい。長い長い時間をかけて、樹木たちは「山」が崩れることを防いできたのである。
 私たちは、標高1396mピークに達した。だが、そこにはピークを表示するものは何もない。三角点も標識もないのである。もちろん、「花」の一輪も咲いていないし、その「気配」を示すものが何一つないのであった。
 数年前の6月にここを訪れた時には「イワツツジ」が群落をなして咲いていたはずなのに、「あれはまぼろし」だったのかと、ふと思った。
 そのまま進むと今日の写真のような場所に出るのだが、もちろん「積雪」は全くない。「積雪」があれば辿って、Tさんに祠をみてもらいたいとも思ったが、「藪こぎ」の難儀を思うと、その元気と「Tさんへのサービス精神」も萎えてしまった。
 これだと、Tさんの「ミチノクコザクラもコメバツガザクラも咲いていないという無念さやショック」を取り除いてやることは出来ないだろうと、私もどこかで悔しい思いに駆られていた。