(今日の写真は5月23日に赤倉登山道沿いの岩稜で撮ったツツジ科コメバツガザクラ属の常緑性低木である「コメバツガザクラ(米葉栂桜)」である。私はこれを「深緑の褥に眠る白き産着の赤ん坊」と呼んで愛おしんでいる。
花名の由来は葉の形が米粒のような米葉で栂(ツガ)のような針金状の葉ではないことによるものだ。)
五月中旬、山岳部にとってはその年に入ってから三度目の山行となった。三月の久渡寺山、四月の弥生尾根、そして、その日の赤倉尾根登りである。
雪の多い年だった。祠屋群を抜けて取り付いた尾根の左側には雪庇状の積雪帯がどこまでも続く。石仏も二、三が頭を出している程度で大半は雪に埋もれている。部長を先頭に、最後尾が私という七人パーティはひたすらその積雪帯を辿った。群青色の空は春だったが、足許に限られる視界はまだ冬。
ようやく風衝地、赤倉御殿に到着。この辺りは大鳴沢に向かって雪はまったくない。少し早いが昼食を兼ねた大休止だ。その間に、私は古い踏み跡を辿って赤倉のキレットまで岩を伝って降りて行った。
辿る足許と手元に白い小粒が揺れる。それは深緑の褥(しとね)に白い産着をまとって眠る赤子たち。途中かすかに覗かせていた石仏の顔を彷彿させる優しく穏やかな風情が漂う。コメバツガザクラだ。
大鳴沢上部から西に伸びながら急な斜面に貼り付いている雪渓をアンザイレンをしながら登る。太陽をあまり浴びない北や西の斜面の表層はざらついているが、その下層は厚い固氷となっていて下端部で装着したアイゼンに助けられる所もあった。
花を咲かせることは草や樹木にとってはものすごいエネルギーを使うものらしい。それは精魂と生気を使い果たすほどのものであるようだ。
「春のはかない命」といわれる福寿草や菊咲き一輪草などは、花を咲かせて種をつけると枯れてしまう。これは新しい生命の誕生に全身全霊を賭けるからだろう。まさに命がけなのである。
花の美しさには「全身全霊を賭ける」ということが潜んでいるように思える。それゆえに花は美しいのである。子供を産む女性はたおやかであり、力強く、逞しく、そして、美しい。花はすべて、その生命を産み出す女性の優しさと暖かさ、それに強靱さに通じているように思える。
花名の由来は葉の形が米粒のような米葉で栂(ツガ)のような針金状の葉ではないことによるものだ。)
五月中旬、山岳部にとってはその年に入ってから三度目の山行となった。三月の久渡寺山、四月の弥生尾根、そして、その日の赤倉尾根登りである。
雪の多い年だった。祠屋群を抜けて取り付いた尾根の左側には雪庇状の積雪帯がどこまでも続く。石仏も二、三が頭を出している程度で大半は雪に埋もれている。部長を先頭に、最後尾が私という七人パーティはひたすらその積雪帯を辿った。群青色の空は春だったが、足許に限られる視界はまだ冬。
ようやく風衝地、赤倉御殿に到着。この辺りは大鳴沢に向かって雪はまったくない。少し早いが昼食を兼ねた大休止だ。その間に、私は古い踏み跡を辿って赤倉のキレットまで岩を伝って降りて行った。
辿る足許と手元に白い小粒が揺れる。それは深緑の褥(しとね)に白い産着をまとって眠る赤子たち。途中かすかに覗かせていた石仏の顔を彷彿させる優しく穏やかな風情が漂う。コメバツガザクラだ。
大鳴沢上部から西に伸びながら急な斜面に貼り付いている雪渓をアンザイレンをしながら登る。太陽をあまり浴びない北や西の斜面の表層はざらついているが、その下層は厚い固氷となっていて下端部で装着したアイゼンに助けられる所もあった。
花を咲かせることは草や樹木にとってはものすごいエネルギーを使うものらしい。それは精魂と生気を使い果たすほどのものであるようだ。
「春のはかない命」といわれる福寿草や菊咲き一輪草などは、花を咲かせて種をつけると枯れてしまう。これは新しい生命の誕生に全身全霊を賭けるからだろう。まさに命がけなのである。
花の美しさには「全身全霊を賭ける」ということが潜んでいるように思える。それゆえに花は美しいのである。子供を産む女性はたおやかであり、力強く、逞しく、そして、美しい。花はすべて、その生命を産み出す女性の優しさと暖かさ、それに強靱さに通じているように思える。