(今日の写真は5月1日、松代尾根を登っている私を相棒のTさんが写したものである。右岸尾根への取り付き場所を探しながら登っているところである。この後、右に降りて、沢を詰めて大白沢源頭、絶壁頂部に向かった。)
(承前)
…百沢、岳と過ぎて、見える風景からある予感を持った。そして、それは登山口に到着して、現実のものとなった。それは「スキーは使用出来ない」ということだった。
登山口には「積雪」は全くなかった。それだけではない。そこから始まる「登山道」もはっきりと「土と砕石、朽ちた草や葉、それに緑のフキノトウ」を見せていたのである。
4月に、自然観察会などで4回も「山」に出かけてはいたが、1回も岩木山に足が向かなかったし、登らなかった。
これが失敗の始まりだ。スキーは持参したが、結局は自動車に置いていくことになってしまった。紹介が遅くなったが今回も相棒がいた。いつものTさんである。
出発したのは8時である。雪のない水道施設の前の道を行く。そこから左に逸れて、かなり急勾配なアスファルトで舗装された道を登る。ムシカリやタムシバが淡い緑葉を背景に鮮やかに点在している。
この道には中央に「側溝」が1本だけある。妙だといえば妙なのだが、よく考えると「経済的」であり、「機能的」なのである。そもそも、道路の脇にあるから「側溝」なのであって、中央にあるから「側溝」とは呼べない。これだと、「溝」である。
「側溝」は一般的には、道路の両側2本である。2本よりは1本の方が「コスト」的には安上がりだ。しかも、「側溝」を敷設する際に「自然」を壊すことが半減する。
道路中央に向けて傾斜を持たせると、雨水は道路の脇には流れず、中央の溝に流れ込んで流下するので、路肩の破損もほぼ起きないなどのメリットが考えられる。
登山や山菜採りなどでここを歩く人にとっても、道の脇を使用すれば「中央の溝」は別に苦にならないし、ましてや、「4本足」の自動車であれば、道幅を均衡に使って走行する以上は絶対に「溝」に脱輪することはない。車の腹(底面)は「溝」に落ちようがないのだ。一般道路もこれに倣って何の不都合があろうか。
こんなことを考えながら登って行く。ただし、調子よくこの妙な「道」をそのまま登っていくと、登山道からは遠のいてしまうのだから、注意が必要だ。
初めて、この登山道を登る人には、この「道」から登山道に入る分岐点はよく分からないだろう。急な登りをしながら、右に大きくカーブをしてから100mほど登ったら、直進しないで、左に入るのである。そこが分岐点だ。しかし、標識も何もない。(帰りに木の枝に赤い「送り(幅1cm、長さ20cmの赤布)」を着けてきた)
ようやく登山道に入った。だがそこも、やはり、積雪は少ない。殆ど「ない」状態である。間もなく、落葉松が植林されたブナの伐採地が出てくる。落葉松の淡い緑が目に優しい。そこはブナ林の林縁でもあったが、そこもほぼ積雪はないのである。
目を上げて眼前のブナ林を、そして、その梢を見る。すでに「若葉」が出ている。樹頂の梢部分だけでなく、枝という枝の先端には「若葉」が芽吹きを終えて、繁茂しているではないか。5月1日だというのに、ああ、季節は夏か。たしかに、旧暦だと皐月は夏だ。いつの間に「季節」は太陽暦から陰暦に変わったのだろう。人間がもたらした「地球温暖化」が私たちに「太陰暦」の使用を強いているのではないのか。恐ろしい話しである。
ブナ林の中に入った。積雪は斑(むら)消え状態である。真っ直ぐ辿ることが出来ない。
積雪が林床を覆い尽くしていれば、磁石で方位を東に採って登っていけばいいのだが、右往左往の繰り返しなので、そうはいかない。あまり、方角をずれたくないので、ブナの幹に塗布されている赤いペンキ跡を探しながら進む。だがこれも「古く」なっていて、運がよければ見える程度まで「微かに」残っている状態だから、探すのが大変だ。この赤いペンキによるマーキングもすでに40年以上は経過しているだろう。
ブナの若葉に覆われた林中はわずかではあるが暗い。小さな羽虫が出ている皮膚に集中してくる。「蚋(ブヨ・ブユ)」である。交尾し産卵して子孫を残すために「ほ乳類の生き血」が必要なのである。私たちの生き血を吸うためにまとわりついて離れない。
だが、この「蚋」も本来は夏の虫、しかも、暑い盛りの真夏に森の中で出会う虫なのである。ああ、今日5月1日は真夏か。「蚋」が活動しているということは、標高500m辺りの森の中、気温は20℃を越えているということなのである。
ようやく、斑消え状態の積雪地帯を抜けて、直進出来るほどに「堆積」した雪の斜面、ブナ林内に入った。歩きやすいのでどんどんと高度を稼ぐ。ブナの枝々から若葉が消え、梢も芽出し直前の「赤い」色に変わってきた。気温と日射しは夏なのだが、標高の高さが「ブナの梢」をまだ「早春」にしているということなのだ。
その尾根を直登して、それが切れる手前で右岸尾根に取り付かないと、大白沢源頭の絶壁頂部に出てしまうので、その取り付き場所を確認しながら、「軽快」に登っていく。軽快なのは、私ではなく同行・相棒のTさんのことである。私は暑さと体力のなさから、すでにバテかかっていて「喘いで」登っていた。
右岸尾根に取り付くために右手の沢に降りた。その時、私の「サービス精神」が突如として頭をもたげたのである。「よし、Tさんに大白沢源頭、絶壁頂部からの眺望を楽しんでもらおう」というわけである。
そこで、右の尾根には登らないで、その沢を詰めることにした。(明日に続く)
(承前)
…百沢、岳と過ぎて、見える風景からある予感を持った。そして、それは登山口に到着して、現実のものとなった。それは「スキーは使用出来ない」ということだった。
登山口には「積雪」は全くなかった。それだけではない。そこから始まる「登山道」もはっきりと「土と砕石、朽ちた草や葉、それに緑のフキノトウ」を見せていたのである。
4月に、自然観察会などで4回も「山」に出かけてはいたが、1回も岩木山に足が向かなかったし、登らなかった。
これが失敗の始まりだ。スキーは持参したが、結局は自動車に置いていくことになってしまった。紹介が遅くなったが今回も相棒がいた。いつものTさんである。
出発したのは8時である。雪のない水道施設の前の道を行く。そこから左に逸れて、かなり急勾配なアスファルトで舗装された道を登る。ムシカリやタムシバが淡い緑葉を背景に鮮やかに点在している。
この道には中央に「側溝」が1本だけある。妙だといえば妙なのだが、よく考えると「経済的」であり、「機能的」なのである。そもそも、道路の脇にあるから「側溝」なのであって、中央にあるから「側溝」とは呼べない。これだと、「溝」である。
「側溝」は一般的には、道路の両側2本である。2本よりは1本の方が「コスト」的には安上がりだ。しかも、「側溝」を敷設する際に「自然」を壊すことが半減する。
道路中央に向けて傾斜を持たせると、雨水は道路の脇には流れず、中央の溝に流れ込んで流下するので、路肩の破損もほぼ起きないなどのメリットが考えられる。
登山や山菜採りなどでここを歩く人にとっても、道の脇を使用すれば「中央の溝」は別に苦にならないし、ましてや、「4本足」の自動車であれば、道幅を均衡に使って走行する以上は絶対に「溝」に脱輪することはない。車の腹(底面)は「溝」に落ちようがないのだ。一般道路もこれに倣って何の不都合があろうか。
こんなことを考えながら登って行く。ただし、調子よくこの妙な「道」をそのまま登っていくと、登山道からは遠のいてしまうのだから、注意が必要だ。
初めて、この登山道を登る人には、この「道」から登山道に入る分岐点はよく分からないだろう。急な登りをしながら、右に大きくカーブをしてから100mほど登ったら、直進しないで、左に入るのである。そこが分岐点だ。しかし、標識も何もない。(帰りに木の枝に赤い「送り(幅1cm、長さ20cmの赤布)」を着けてきた)
ようやく登山道に入った。だがそこも、やはり、積雪は少ない。殆ど「ない」状態である。間もなく、落葉松が植林されたブナの伐採地が出てくる。落葉松の淡い緑が目に優しい。そこはブナ林の林縁でもあったが、そこもほぼ積雪はないのである。
目を上げて眼前のブナ林を、そして、その梢を見る。すでに「若葉」が出ている。樹頂の梢部分だけでなく、枝という枝の先端には「若葉」が芽吹きを終えて、繁茂しているではないか。5月1日だというのに、ああ、季節は夏か。たしかに、旧暦だと皐月は夏だ。いつの間に「季節」は太陽暦から陰暦に変わったのだろう。人間がもたらした「地球温暖化」が私たちに「太陰暦」の使用を強いているのではないのか。恐ろしい話しである。
ブナ林の中に入った。積雪は斑(むら)消え状態である。真っ直ぐ辿ることが出来ない。
積雪が林床を覆い尽くしていれば、磁石で方位を東に採って登っていけばいいのだが、右往左往の繰り返しなので、そうはいかない。あまり、方角をずれたくないので、ブナの幹に塗布されている赤いペンキ跡を探しながら進む。だがこれも「古く」なっていて、運がよければ見える程度まで「微かに」残っている状態だから、探すのが大変だ。この赤いペンキによるマーキングもすでに40年以上は経過しているだろう。
ブナの若葉に覆われた林中はわずかではあるが暗い。小さな羽虫が出ている皮膚に集中してくる。「蚋(ブヨ・ブユ)」である。交尾し産卵して子孫を残すために「ほ乳類の生き血」が必要なのである。私たちの生き血を吸うためにまとわりついて離れない。
だが、この「蚋」も本来は夏の虫、しかも、暑い盛りの真夏に森の中で出会う虫なのである。ああ、今日5月1日は真夏か。「蚋」が活動しているということは、標高500m辺りの森の中、気温は20℃を越えているということなのである。
ようやく、斑消え状態の積雪地帯を抜けて、直進出来るほどに「堆積」した雪の斜面、ブナ林内に入った。歩きやすいのでどんどんと高度を稼ぐ。ブナの枝々から若葉が消え、梢も芽出し直前の「赤い」色に変わってきた。気温と日射しは夏なのだが、標高の高さが「ブナの梢」をまだ「早春」にしているということなのだ。
その尾根を直登して、それが切れる手前で右岸尾根に取り付かないと、大白沢源頭の絶壁頂部に出てしまうので、その取り付き場所を確認しながら、「軽快」に登っていく。軽快なのは、私ではなく同行・相棒のTさんのことである。私は暑さと体力のなさから、すでにバテかかっていて「喘いで」登っていた。
右岸尾根に取り付くために右手の沢に降りた。その時、私の「サービス精神」が突如として頭をもたげたのである。「よし、Tさんに大白沢源頭、絶壁頂部からの眺望を楽しんでもらおう」というわけである。
そこで、右の尾根には登らないで、その沢を詰めることにした。(明日に続く)