(今日の写真はモウセンゴケ科モウセンゴケ属の多年草「食虫植物」の「モウセンゴケ(毛氈苔)」である。花名の由来は、葉に真っ赤な線毛が密生していて、毛氈を敷いたように見えることによる。)
・優しさを虫に撃つ生命の白い昇華・
近年、特に山麓を含めて岩木山では、人為的な要因から湿地や湿原が少なくなっている。また、高層湿原は岩木山の生成条件から絶対的に少ないのである。僅かに北面の標高千メートル付近に、狭い上に貧弱なものがあるだけである。
その年は積雪が多かった。山頂から雪消えを確認出来たのは六月中旬。その足で直ぐに湿原に下った。
実は、前年の初冬十一月中旬にも訪れていた。その時、湿原は凍結して三日月草が黄葉し、来春のために滋養を貯えた水芭蕉(ミズバショウ)が太めの芽を少しだけ出していて、全体が乾いて淡泊な草紅葉であったのだ。それはどうなっているのだろう。
早く見たい。積雪によって撓(たわ)められて低くなっている籔を必死にくぐり抜けて、湿原に着いた。そこにはようやく春が訪れて、一面が丈の低い小さな満開のミズバショウに覆われていた。初冬に芽出しをしていた彼女たちは、七ヶ月間を雪の下で過ごし、命の限りに咲き誇っていた。
一日おいてまた、彼女たちの命に会いに出かけた。さらに二週間後に三度目の訪問だ。対岸の池塘にはミツガシワが群生していた。
そして七月の中旬。その年四度目の「貧弱な湿原」訪問となった。縁を巡る。足許には蛙菅(カワズスゲ)の林、ミズゴケが林床を成している。その中に赤みがかった触手葉で捕虫しているものが見える。その脇に緑の一条、米粒ほどの白い花。優しさを虫に撃つ生命の昇華(しょうか)、モウセンゴケの花だ。
<メモ>
「高層湿原」:低温・過湿のため植物の枯死体が分解されにくく、泥炭堆積が発達し泥炭化が進み、低養分に耐えるミズゴケ類が厚く繁茂しているような湿原のこと。
「昇華 」:混沌とした状態から純粋なものに高められること。
・狂気の沙汰か、暖冬・温暖化、松代尾根登山(その6・最終回)
その非効率な「雪渓」跨ぎと横切り登高を繰り返してようやく西法寺森の鞍部手前に辿り着いたのだが、そこで、これまで細々と九十九折(つづらお)れ状につながっていた「雪渓」は完全に途切れてしまった。そして、目前には2、3mを越す根曲り竹の密生地が現れたのである。
山頂を目指そうとすれば、この根曲り竹の「藪こぎ」をしなければいけない。その日は2人とも「藪こぎ」の準備はしていなかった。「藪こぎ」には、それなりの「出で立ち」が必要なのである。
まずは「装備」全体がスリムであることが望まれる。竹や枝に「引っかかった」り「からみつく」ような形のザックであってならないし、ザックの外側に「突起物」を付けたり、ぶら下げたりしてはいけないである。
私のザックは両側にポケットのついたワイド型なのでこれは藪こぎに適さない。Tさんのものは70リットルの大型ザックであり、満杯にものを入れていないので、いびつにひしゃがれていて、竹や枝に引っかかりやすい。
さらに2人ともザックにワカンを着けていた。これも引っかかる「物」である。雪渓の登りや下りでは役立つピッケルも「藪こぎ」では邪魔なものだ。手に持っていては竹をかき分ける時に邪魔だし、ザックに着けては引っかかってしまいこれまた邪魔なのである。つまり、2人の「装備」は「藪こぎ」行為には完全に適さないものだったのだ。
そこから長平登山道の出合までは、猛烈な「藪こぎ」が強いられるのである。藪の中からは空も見えない。「竹格子の檻」に入れられているも同然なのだ。どこにいるのかも、もちろん解らなくなってしまうことが往々なのである。しかも、斜面がきつい。これだと竹を「かき分けて」というよりも、竹を支えに、竹に掴まり、へばり付くように登るしかない。ものすごい全身運動を強いられるのである。
私たちは「藪こぎ」を断念した。それは、必然的に「登頂」を断念したことを意味した。
下りは、登りに着けた踏み跡を丹念に辿った。雪が消えてしまった「登山道」に取り付くまでは、迷いたくなかったからだ。山の麓は「末広がり」だ。中腹部でのルートの取り違いは、とんでもない「山麓」に出てしまう。しかも、雪がないのだから山麓部原野や山麓雑木林での「藪こぎ」まですることになる。そんなことはしたくないし、真直ぐ「自動車」を置いてある場所に出たかったからだ。
しかし、日中の「高温」は「踏み跡」をとかしてしまい、何度も「踏み跡」を見失いながら、ようやく「登山口」に戻って来たのである。そこで、気温を確認した24℃であった。標高が400mで24℃だから、弘前市内では27℃ぐらいまで上がっていたはずである。
5月1日、気温27℃、異常な高温、異常な少雪、この時季ではあり得ない「藪こぎ」、ブナ林内では「蚋」に悩ませられた山行も終わった。(この稿は終わり)
・優しさを虫に撃つ生命の白い昇華・
近年、特に山麓を含めて岩木山では、人為的な要因から湿地や湿原が少なくなっている。また、高層湿原は岩木山の生成条件から絶対的に少ないのである。僅かに北面の標高千メートル付近に、狭い上に貧弱なものがあるだけである。
その年は積雪が多かった。山頂から雪消えを確認出来たのは六月中旬。その足で直ぐに湿原に下った。
実は、前年の初冬十一月中旬にも訪れていた。その時、湿原は凍結して三日月草が黄葉し、来春のために滋養を貯えた水芭蕉(ミズバショウ)が太めの芽を少しだけ出していて、全体が乾いて淡泊な草紅葉であったのだ。それはどうなっているのだろう。
早く見たい。積雪によって撓(たわ)められて低くなっている籔を必死にくぐり抜けて、湿原に着いた。そこにはようやく春が訪れて、一面が丈の低い小さな満開のミズバショウに覆われていた。初冬に芽出しをしていた彼女たちは、七ヶ月間を雪の下で過ごし、命の限りに咲き誇っていた。
一日おいてまた、彼女たちの命に会いに出かけた。さらに二週間後に三度目の訪問だ。対岸の池塘にはミツガシワが群生していた。
そして七月の中旬。その年四度目の「貧弱な湿原」訪問となった。縁を巡る。足許には蛙菅(カワズスゲ)の林、ミズゴケが林床を成している。その中に赤みがかった触手葉で捕虫しているものが見える。その脇に緑の一条、米粒ほどの白い花。優しさを虫に撃つ生命の昇華(しょうか)、モウセンゴケの花だ。
<メモ>
「高層湿原」:低温・過湿のため植物の枯死体が分解されにくく、泥炭堆積が発達し泥炭化が進み、低養分に耐えるミズゴケ類が厚く繁茂しているような湿原のこと。
「昇華 」:混沌とした状態から純粋なものに高められること。
・狂気の沙汰か、暖冬・温暖化、松代尾根登山(その6・最終回)
その非効率な「雪渓」跨ぎと横切り登高を繰り返してようやく西法寺森の鞍部手前に辿り着いたのだが、そこで、これまで細々と九十九折(つづらお)れ状につながっていた「雪渓」は完全に途切れてしまった。そして、目前には2、3mを越す根曲り竹の密生地が現れたのである。
山頂を目指そうとすれば、この根曲り竹の「藪こぎ」をしなければいけない。その日は2人とも「藪こぎ」の準備はしていなかった。「藪こぎ」には、それなりの「出で立ち」が必要なのである。
まずは「装備」全体がスリムであることが望まれる。竹や枝に「引っかかった」り「からみつく」ような形のザックであってならないし、ザックの外側に「突起物」を付けたり、ぶら下げたりしてはいけないである。
私のザックは両側にポケットのついたワイド型なのでこれは藪こぎに適さない。Tさんのものは70リットルの大型ザックであり、満杯にものを入れていないので、いびつにひしゃがれていて、竹や枝に引っかかりやすい。
さらに2人ともザックにワカンを着けていた。これも引っかかる「物」である。雪渓の登りや下りでは役立つピッケルも「藪こぎ」では邪魔なものだ。手に持っていては竹をかき分ける時に邪魔だし、ザックに着けては引っかかってしまいこれまた邪魔なのである。つまり、2人の「装備」は「藪こぎ」行為には完全に適さないものだったのだ。
そこから長平登山道の出合までは、猛烈な「藪こぎ」が強いられるのである。藪の中からは空も見えない。「竹格子の檻」に入れられているも同然なのだ。どこにいるのかも、もちろん解らなくなってしまうことが往々なのである。しかも、斜面がきつい。これだと竹を「かき分けて」というよりも、竹を支えに、竹に掴まり、へばり付くように登るしかない。ものすごい全身運動を強いられるのである。
私たちは「藪こぎ」を断念した。それは、必然的に「登頂」を断念したことを意味した。
下りは、登りに着けた踏み跡を丹念に辿った。雪が消えてしまった「登山道」に取り付くまでは、迷いたくなかったからだ。山の麓は「末広がり」だ。中腹部でのルートの取り違いは、とんでもない「山麓」に出てしまう。しかも、雪がないのだから山麓部原野や山麓雑木林での「藪こぎ」まですることになる。そんなことはしたくないし、真直ぐ「自動車」を置いてある場所に出たかったからだ。
しかし、日中の「高温」は「踏み跡」をとかしてしまい、何度も「踏み跡」を見失いながら、ようやく「登山口」に戻って来たのである。そこで、気温を確認した24℃であった。標高が400mで24℃だから、弘前市内では27℃ぐらいまで上がっていたはずである。
5月1日、気温27℃、異常な高温、異常な少雪、この時季ではあり得ない「藪こぎ」、ブナ林内では「蚋」に悩ませられた山行も終わった。(この稿は終わり)