岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「薄紫の花、林床樹間の恋人」ではない白い花弁のシラネアオイ(白根葵)

2008-05-27 05:08:45 | Weblog
(今日の写真は23日にブナ林内で出会ったキンポウゲ科(別にシラネアオイ科)シラネアオイ属の多年草の「シラネアオイ」である。私は、シラネアオイを「たおやかな肢体に薄紫の花、林床樹間の恋人」と呼んでいるがその日出会ったものは「白花」であった。
 花名の由来は白根山に多く、花がタチアオイ「立葵」に似ていることによるのである。これは本当にひっそりと一輪だけ咲いていた。)

 学術や植生学からはほど遠い素人(しろうと)的見地からだが、花というものは生えている場所の地質的な違いと浴びる陽光の多い場所、つまり太陽を思い切り浴びて咲くもの、少ない場所、地衣類は別として林中や林縁という比較的日の当たらない陰地に咲くものと大きく分けてもいいようだ。
 見た目には、日当たりで咲く花が圧倒的に多いのだが、まるで日当たりを盗むかのようにひっそりと陰地で咲くものも結構ある。今回登場するシラネアオイ(白根葵)、ヒメゴヨウイチゴ(姫五葉苺)、ヤマシャクヤク(山芍薬)、コケイラン(小蘭)は、いずれも本質的には日当たりの少ないところに生育しているものであるように思う。
 山を登っていて、そのような生育条件にマッチした場所で咲いている花に出会うとほっとする。

 ところが、どうしてこのような場所に育ち咲いているのだろうと首を傾げ、要因を推理し納得するに及んでは、そうでない場合もある。
 その時の心情は、その人為的な要因をもたらした加害者の一員としての自責と、それにもめげず必死に生きている植物の強さや健気(けなげ)さ、それに生命を伝えていくという植物の業(ごう)のようなものが見えて非常に複雑である。

山は好みから言うと、残雪期が楽しい。この花はこの時季に咲くのである。
 尾根道には高さを増すにつれて低い雑木(ぞうき)が現れる。東の斜面を登っているので日ざしに汗ばむ。ミズナラ、サワグルミなどが次々と出てくるとやがて林間の道となる。日射(ひざ)しが新緑に遮(さえぎ)られると急な登りになったとしてもほっとする。やがてブナが混在する林間になる。ちょうどそのような場所で…淡く透き通る木漏れ日の中、樹間の草々のうちに出会う花。シラネアオイは太陽の直射を避けながら薄紫の花をゆったりとたおやかな肢体に委ねて、ひっそりと林床に咲いているのだ。
 たおやかな肢体に薄紫の花、林床樹間の恋人、登山者のだれもが優しく迎えられていると思える風情がそれにはある。歩みを止め、愛(め)でて語らい、出会えたことの至福(しふく)にひたって休み、そして次の出会いを約束して別れを告げるのである。そのような花がシラネアオイであろう。白根葵はもともとブナ林縁に咲く陰性の花である。

 五月、凱風(がいふう)が心地よい残雪を辿っての下山。耳成岩の西側を捲いて、急斜面なのだが鍋底のようになっている後長根沢の倉窓上部に着く。さらに大沢から蔵助沢の左岸の細い稜線を通り、ブナ林を辿って雪の消えたスキー場尾根の上部に出る。
 間もなく広い尾根の両端に僅かながらブナを残す岩木山百沢スキー場のゲレンデに入る。地に立つ樹木はなく、ひこばえも伐られて根株だけを残している。そこは裸地同然のゲレンデだ。

 前方を見て驚いた。そこには陰性の花であるにもかかわらず、太陽を全身に浴び、花弁をどぎつい紫色に変色させて咲いているシラネアオイが群落をなしていたのだ。
 人が自然の総体的な生命のバランスを崩してしまった結果の変異であるに違いない。ブナ林中や林縁に移動できない彼女たちは、本来の自分を変質させながらもそこでしか生きられない。私はとても愛でることが出来ず、歩みを止めずにその場を離れた。
このような白根葵に会うのは何もここだけではない。
 鰺ヶ沢スキー場のゴンドラ終着駅のすぐ下からのゲレンデには、特に西側の林縁に多いのだが太陽を浴びてどぎつい紫色で咲いているものがある。
 ここのものには茎頂に二輪や三輪の花をつけたり、白花のものもある。珍しいものだから貴重だと考える前にどうしても本来のシラネアオイを思うのである。
 太陽の直射を避けながら薄紫の花をゆったりとたおやかな肢体(したい)に委ねて、ひっそりと林床に咲いているのがシラネアオイなのだ。とすれば明らかにこれらは伐採という人工的な行為による変異であろう。

 *お知らせ*

 24日と昨日に、このブログに掲載したミチノクコザクラとコメバツガザクラの写真が東奥日報に掲載される。今日の夕刊か明日以降の紙面になりそうである。乞うご期待というところである。
 今季は里のすべての花々が早く咲き出したにもかかわらず、標高の高い場所の花であるこの2種は、例年に比べると、逆に約3週間も遅い開花となっていることに私は驚きを持って注目した。そのようなことを紙面から多くの人々が認識して、気象に対する植物の「有り様」と「地球温暖化」との関連性などについて考えてもらえるといいなと思っている。