岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山・赤倉登山道の石仏「観音像」のこと

2008-05-29 07:52:05 | Weblog
(今日の写真は赤倉登山道のブナ林の中に立つ第九番石仏である。5月23日に撮ったものだ。名前を不空羂索「ふくうけんじゃく(または、けんさく)」観音という。
 不空とは、願いが空しくないという意味であり、羂索とは戦いや狩猟に用いる環のついた投網のことだ。菩薩の網で、もれなく苦悩するすべての人々を救いとる観音様とされている。立っている場所が「狩猟」の対象である獣が棲んでいる森の中であることは、この観音の救いの意味を考えて建立されていることを私たちに教えてくれる。)
 赤倉登山道には標高560mの場所から標高1450mの間に33体の観音さまの石像がならび立っている。私は最初、この33体の石仏が世に言う「三十三観音」であり、名前の違う33体の石仏が一つずつ並んでいるのだろうと推測したが、全く違っていた。この33体の石仏は「六観音」を中心にしたものだった。
 六観音は、基本形である聖(しょう)観音をはじめ、十一面観音・如意輪(にょいりん)観音・馬頭(ばとう)観音・准胝(じゅんてい)観音・千手千眼観音の六つである。時に、これに不空羂索(ふくうけんじゃく)観音をくわえて七観音とする場合もある。
 だが、この三十三番までの石仏には、私が見たところでは「馬頭(ばとう)観音」が出てこないし、「三十三観音」の「岩戸観音」や「竜頭観音」が祀られていたりする。
 人々の願い事と救いを求める中身は多様である。それに応えるためには厳密的な「縛り」は不要であろう。ファジーであることが大切なのである。
 観音さまというのは日本では恐らく一番信仰を集めている仏であろう。この仏様は慈悲の心により、救いを求めている人があったらすぐにそこへ行って彼らを救済をすると言われており、如来様ほど恐れ多い存在でもないところから、庶民から人気を集めたのではないかと思われる。
 観音は衆生(人々)を救済に現れる時、色々な姿を示すと言われている。いわゆる六観音の他に、竜頭・滝見・威徳などを入れた三十三観音という数え方もあるが、その中にも「子安観音」等は入っていないから、観音の姿は全部で幾つくらいあるか見当がつかない。
 本当に千本の手が彫られている千手観音としては、奈良の唐招提寺のものなどが知られている。

 序でだから今日は岩木山の石仏を案内する。

 …神社を出てすぐ赤倉沢にかかる橋を渡り、ミズナラ林の道を行く。ブナが目立ちはじめると両側に社屋が数軒見えてくる。近くに湧き水もある。
 標高560mの稜線に出ると石仏の一番だ。「如意輪観音」である。全国の山でも滅多に味わえない宗教的色彩の強い石仏の道が始まる。
 しばらくは石仏の並ぶ稜線を登る。稜線を南に入っていくとブナ林帯となり斜度が増してくる。この林内の道に六、七、八番の石仏がある。登りきるあたりに不空羂索「ふくうけんじゃく」観音の石仏九番が出てきて、間もなく尾根の稜線に出る。
 そこから十数分で伯母石に着く。ここには石仏十番が立っている。岩稜左岸の道に入ると直ぐに十一番石仏がある。次いで十二番から十三番までが並んでいる。
 岩稜左岸の道を出ると、稜線の広くなった道に出る。石仏十四番、十五番を追いながら登って行く。
 コメツガが現れ、突然視界が開けるとそこが鬼ノ土俵である。そこには石仏十六番から十九番までがまとまって並んでいる。どのような造山運動でほぼ円形で平らな地形になったのか不思議なことだが、そこを「鬼の土俵」と呼んだ昔の人の発想の豊かさには驚くばかりだ。祠のひとつには鬼の像が祀ってある。
 標高は既に1000mを越えている。右手に赤倉沢を見ながら進むと植生が変わってきて、コメツガのトンネルが現れてくる。
 コメツガのトンネルは他では見ることのできない風景だ。天然記念物級のコメツガのトンネルを十分味わいながら、石仏二十番、二十一番を辿ることになる。
 間もなく、石仏二十二番、二十三番、二十四番が三つ並んでいるところに着く。そこを大開と呼ぶ。そこから赤倉沢を覗いてみよう。沢の深さと大きさが実感出来るはずだ。
 ますます、急な登りになる。石仏二十五番(倒れている)、石仏二十六番を辿りきると視界が開けてくる。あと一息で石仏二十七番だ。祠のある赤倉御殿に到着する。三百六十度の展望が開ける。
 ここから巌鬼山まではほぼ平坦な道だ。南に石仏二十八番を目ざす。二十九番、三十番、三十一番と続くが、この辺りは風衝地なので風が強く、石仏も風で削がれている。
 いよいよ最後の石仏、三十二番、三十三番だ。これは2体が並んで立っている。そこから少し進むと「聖観音」がある。