(今日の写真は昨日写したミチノクコザクラだ。5月4日にはまだ花茎もなく赤い斑点のようなつぼみが根生葉の中心に小さくあっただけだったが、昨日は咲いていた。あれから21日経ったのだが、まだ満開ではないし、中には4日と同じ状態の株が多数あった。ミチノクコザクラの開花はいつもの年より20日以上は遅れている。)
◆岩木山の南麓に立つ「森山」入山禁止・自然観察会の場所、やむを得ず変更(6)◆
(承前)
昼食予定地の林道終点到着は予定よりも20分ほど早かったので、「昼食」まで各人で散策や観察と山菜採りをしてもらった。
その場所は直ぐ近くに滝ノ沢が流れ、広さはないが地形が結構入り組んでいるので「迷う」心配は少しあったが、姿が見える範囲、声が聞こえる範囲での山菜採りなどをしてもらったのである。
そのうちにぽつりぽつりと参加者が、山菜の入ったビニール袋を提げて戻ってきたので、予定行動の昼食タイムにした。阿部会長や会員のAさん、Sさんが自分で採ってきたものをみんなの前の地面に並べる。Tさんは、この場所に着いて直ぐに「山菜採り」の服装に着替えて出かけていた。
私たちは「山菜採りのプロまがい」Tさんを待ちながら昼食休憩に入った。碇ヶ関在住のKさんが「ポリ容器」にいっぱい「ミズ」の水物をつくって持ってきて振る舞ってくれた。「Kさん、これ碇ヶ関のミズですか」「そうです」「岩木山で碇ヶ関のミズを食べるなんておつですね」「おいしい」という声が和気藹々の中に交わされた。
そうこうしているうちに、Tさんが戻ってきた。その戻ってきた方向にみんなは驚いた。Tさんは確かに北側の「岩木山」方向に向かって藪の中に入って行ったのである。その姿をみんなは見ている。だから当然、山側から戻ってくるものと考えていたのだろう。そう思うことは常識的には「おかしく」ない。
だが、「山菜を探して採る」という行動には「登っていった場所をそのまま降りてくる」ということは合理的ではない。「採った跡」では山菜は採れない。ぐるりと回って往きと復路が重ならないようにすることが当然なのだ。
参加者は北に向かったはずのTさんが南のしかも、みんなが通って来た林道に姿を現したことに驚いたのだが、当のTさんのとっては「いつもの行動パターン」だったので、その驚きの意味がよく分からないのだろう。怪訝そうな顔をしている。
Tさんの遅い昼食が終わるのを待って、「山菜」の採り方、その一として、「食べられる蕗の採り方」について阿部会長が話した。「蕗本体の脇に出ているもので、切ったときの空洞の形がコの字型になっいるもの」を採ることが大切だと言う。
Aさんが大きくなった「独活(ウド)」のおいしい食べ方を、Tさんが「薊(アザミ)」についてなどを「専門的な見地(?)」で話しをした。
みんなの前に並べられた山菜は「独活」「蕗」「蕨(ワラビ)」「薊」「ボンナ」などであった。ひととおり「講義」が終わったところで「欲しい」人に均等に分配して、「山菜」の講座は終わった。
今度は「野鳥博士」の登場である。出発してここに来るまでに、鳴き声を聴いたり姿を確認した野鳥についての話しをBさんにお願いした。
何と14種だそうである。すでに、南から「夏鳥」が渡ってきている。視認できた橙色と黄色、それに黒をまじえた美しいキビタキや瑠璃色のコルリなどであるそうだ。それに、ヤマガラ、ヒガラ、コガラなどの「カラ」類などである。これらの鳥の鳴き声に迎えられた観察会となったのである。
だが、この野鳥と同じように自己主張して「鳴く」ものが他にもいたのである。結果的には「野鳥の声」に耳を傾ける私たちにとって、それは「妨害」となった。だからといって、彼らを責めることは筋違いというものだ。木で鼻をくくるに等しい暴論である。だから、私たちは「彼らエゾハルゼミの声の中で、野鳥の声を聴く」というふうにシフトして耳をセッテイングした。
エゾハルゼミは小さな蝉である。だが、声は大きくて強く響く。数匹が鳴くと森全体に響き渡り、微かなコガラなどの鳴き声はかき消されてしまう。何故そのような「音響」で鳴くことが可能なのだろう。それは「小さな体全体が大きな音響装置」となっているからである。
BOSEというアメリカの音響メーカーがある。私もその音質と音響効果が抜群にいいのでラジオを持っているが、開発したボーズ博士はこの「エゾハルゼミ」の体の造りにヒントを得たのではないかと「エゾハルゼミ」の身体構造を見た時に思ったくらいだ。
簡単に言うと、体の生命維持装置を除いた部分はすべて「空洞」であるということだ。この空洞が音響発振器と羽の微動に、速やかに「共鳴」するのである。つまり、体全体が木管や金管楽器の役割をしている訳だから「大きな」音を出すことが可能なのだ。
「エゾハルゼミ」も「キビタキ」も対等に存在して春を主張している生きものなのである。私たち人も対等に存在している自然の生きものの一つなのだ。
野鳥の声に誘われて森を見ると、そこには、白い花のムシカリやウワミズザクラが咲いていた。足許にはチゴユリ、ノジスミレ、クルマバソウ、ノビネチドリ、アオイスミレ、ヒトリシズカがこれまた静かに歓迎してくれた。
帰路、Bさんの解説を聞きながら、野鳥の声を楽しみながら「まとまって」移動しましょうと提案して出発した。しかし、グループが2つに分かれてしまい、Bさんの解説と野鳥の声を今一度楽しんだ人は少なかった。今度はちゃんとまとまって「歩く」ことに留意しなければいけない。
翌日の19日に「どうしました」という心配げな、岩木山神社禰宜・須藤廣志氏からの電話があった。
そして、「噂ですが、あの人(入山禁止として綱を張り、施錠した人)は、あちこちにあのような山を持っていて、そのすべてに綱を張り、施錠して入山を禁止しているそうです」とも言う。
「やはり問題ですね。近々開かれる岩木山環境保全協議会に報告しましょうか」「そうしましょう」ということで私との話しは終わった。
(「入山禁止」に関わることの問題点は明日に続く)
◆岩木山の南麓に立つ「森山」入山禁止・自然観察会の場所、やむを得ず変更(6)◆
(承前)
昼食予定地の林道終点到着は予定よりも20分ほど早かったので、「昼食」まで各人で散策や観察と山菜採りをしてもらった。
その場所は直ぐ近くに滝ノ沢が流れ、広さはないが地形が結構入り組んでいるので「迷う」心配は少しあったが、姿が見える範囲、声が聞こえる範囲での山菜採りなどをしてもらったのである。
そのうちにぽつりぽつりと参加者が、山菜の入ったビニール袋を提げて戻ってきたので、予定行動の昼食タイムにした。阿部会長や会員のAさん、Sさんが自分で採ってきたものをみんなの前の地面に並べる。Tさんは、この場所に着いて直ぐに「山菜採り」の服装に着替えて出かけていた。
私たちは「山菜採りのプロまがい」Tさんを待ちながら昼食休憩に入った。碇ヶ関在住のKさんが「ポリ容器」にいっぱい「ミズ」の水物をつくって持ってきて振る舞ってくれた。「Kさん、これ碇ヶ関のミズですか」「そうです」「岩木山で碇ヶ関のミズを食べるなんておつですね」「おいしい」という声が和気藹々の中に交わされた。
そうこうしているうちに、Tさんが戻ってきた。その戻ってきた方向にみんなは驚いた。Tさんは確かに北側の「岩木山」方向に向かって藪の中に入って行ったのである。その姿をみんなは見ている。だから当然、山側から戻ってくるものと考えていたのだろう。そう思うことは常識的には「おかしく」ない。
だが、「山菜を探して採る」という行動には「登っていった場所をそのまま降りてくる」ということは合理的ではない。「採った跡」では山菜は採れない。ぐるりと回って往きと復路が重ならないようにすることが当然なのだ。
参加者は北に向かったはずのTさんが南のしかも、みんなが通って来た林道に姿を現したことに驚いたのだが、当のTさんのとっては「いつもの行動パターン」だったので、その驚きの意味がよく分からないのだろう。怪訝そうな顔をしている。
Tさんの遅い昼食が終わるのを待って、「山菜」の採り方、その一として、「食べられる蕗の採り方」について阿部会長が話した。「蕗本体の脇に出ているもので、切ったときの空洞の形がコの字型になっいるもの」を採ることが大切だと言う。
Aさんが大きくなった「独活(ウド)」のおいしい食べ方を、Tさんが「薊(アザミ)」についてなどを「専門的な見地(?)」で話しをした。
みんなの前に並べられた山菜は「独活」「蕗」「蕨(ワラビ)」「薊」「ボンナ」などであった。ひととおり「講義」が終わったところで「欲しい」人に均等に分配して、「山菜」の講座は終わった。
今度は「野鳥博士」の登場である。出発してここに来るまでに、鳴き声を聴いたり姿を確認した野鳥についての話しをBさんにお願いした。
何と14種だそうである。すでに、南から「夏鳥」が渡ってきている。視認できた橙色と黄色、それに黒をまじえた美しいキビタキや瑠璃色のコルリなどであるそうだ。それに、ヤマガラ、ヒガラ、コガラなどの「カラ」類などである。これらの鳥の鳴き声に迎えられた観察会となったのである。
だが、この野鳥と同じように自己主張して「鳴く」ものが他にもいたのである。結果的には「野鳥の声」に耳を傾ける私たちにとって、それは「妨害」となった。だからといって、彼らを責めることは筋違いというものだ。木で鼻をくくるに等しい暴論である。だから、私たちは「彼らエゾハルゼミの声の中で、野鳥の声を聴く」というふうにシフトして耳をセッテイングした。
エゾハルゼミは小さな蝉である。だが、声は大きくて強く響く。数匹が鳴くと森全体に響き渡り、微かなコガラなどの鳴き声はかき消されてしまう。何故そのような「音響」で鳴くことが可能なのだろう。それは「小さな体全体が大きな音響装置」となっているからである。
BOSEというアメリカの音響メーカーがある。私もその音質と音響効果が抜群にいいのでラジオを持っているが、開発したボーズ博士はこの「エゾハルゼミ」の体の造りにヒントを得たのではないかと「エゾハルゼミ」の身体構造を見た時に思ったくらいだ。
簡単に言うと、体の生命維持装置を除いた部分はすべて「空洞」であるということだ。この空洞が音響発振器と羽の微動に、速やかに「共鳴」するのである。つまり、体全体が木管や金管楽器の役割をしている訳だから「大きな」音を出すことが可能なのだ。
「エゾハルゼミ」も「キビタキ」も対等に存在して春を主張している生きものなのである。私たち人も対等に存在している自然の生きものの一つなのだ。
野鳥の声に誘われて森を見ると、そこには、白い花のムシカリやウワミズザクラが咲いていた。足許にはチゴユリ、ノジスミレ、クルマバソウ、ノビネチドリ、アオイスミレ、ヒトリシズカがこれまた静かに歓迎してくれた。
帰路、Bさんの解説を聞きながら、野鳥の声を楽しみながら「まとまって」移動しましょうと提案して出発した。しかし、グループが2つに分かれてしまい、Bさんの解説と野鳥の声を今一度楽しんだ人は少なかった。今度はちゃんとまとまって「歩く」ことに留意しなければいけない。
翌日の19日に「どうしました」という心配げな、岩木山神社禰宜・須藤廣志氏からの電話があった。
そして、「噂ですが、あの人(入山禁止として綱を張り、施錠した人)は、あちこちにあのような山を持っていて、そのすべてに綱を張り、施錠して入山を禁止しているそうです」とも言う。
「やはり問題ですね。近々開かれる岩木山環境保全協議会に報告しましょうか」「そうしましょう」ということで私との話しは終わった。
(「入山禁止」に関わることの問題点は明日に続く)