岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

己の緑葉を褥にして輝く白砂の群れ / 狂気の沙汰か、暖冬・温暖化、松代尾根登山(その5)

2008-05-06 06:58:14 | Weblog
(今日の写真は1日に松代尾根を登った時に、同行のTさんが写したスイカズラ科ムシカリ属の落葉低木「ムシカリ(虫狩)」である。
花名の由来は虫が好んで葉を食べる、つまり「虫が葉を刈る」ということによる。別名を大亀の木(オオカメノキ)という。こちらは卵円形の葉の形を、亀の甲羅に見立てたことによる。

      ・己の緑葉を褥(しとね)にして輝く白砂(はくしゃ)の群れ・

 春は直接地面からだけやって来るものではない。山道を登っているのだから足許に注意がいくのは当然である。
 だから、その道の地表や傍らに芽を出す草々や咲き出す花々がよく見え、出会いが必然的に生まれてくる。そこで地面や道端に最初の春を見つけた気になる。
 ところが、山道を登る時の視線は微妙なもので、勾配がきつくなると次第に、眼と水平な所に集まるし、腰にかかる負担を和らげようと背を伸ばすとより高い方に移動する。そんな時に「春を地表より高い所に発見する」ことがある。
 ムシカリは発見される第一人者である。しかも、結構咲いている期間が長いので春の息吹と名残りや初夏の雰囲気までを堪能させてくれる有り難い花なのだ。
 この年は春の到来が遅れたようだ。ムシカリを遠くに眺め、今年も咲いたかとほっと安堵する。風が動き、白砂の群れは大きく揺れた。だが、その震幅は強くなく、ゆったりとしたものであった。安堵が大きく膨らんだ。それに誘われてまた登り出した。

     ・狂気の沙汰か、暖冬・温暖化、松代尾根登山(その5)

 それでも、私たちは登っていった。そのルートの取り方は非常に非効率的なものとなった。「雪渓」が山頂に向かって、いわば「縦」に走っていれば、それを辿って「直進」(厳密な意味ではない、概略的な表現でのことだが)することが可能である。だから、距離は短くなるし時間もかからない。
 ただし、急な斜面を登り降りることになるので、それ相応の体力と技術は必要になる。同行のTさんは経験は少ないがこれまで、この雪渓の登下行に関する訓練を十分積んできたし、体力に関しては私の倍はありそうである。だから心配はない。私は体力的に「不安」だが、何とか経験と技術でその不足をカバー出来そうである。
 そのような2人の「客観的な条件」を今年の自然は許してくれないのであった。「藪こぎ」を避けて登るとすれば、赤沢側に流れ込んでいる雪渓を斜めに降りては、また斜めに登っては横切りながら、次に横たわっている「雪渓に乗る」ことを繰り返さなければいけないのであった。
 これは大きな「ジグザグ」進行であって効率的ではない。目の前に「西法寺森」の鞍部が迫っているのにもかかわらず、私たちはなかなかそこに到達することが出来ないでいたのである。
 私は雪渓を辿りながら山頂に行くことが可能なルートを把握していた。そのルートを追子森の山頂から眼下や眼上の景観を眺めた時に、「あそこを行って、あれに取り付いて、山頂に行く」というイメージとしてはっきりとらえていた。それは、眼下に見える「赤沢」まで、一気に降りて、その沢を山頂まで直登するというものだった。
 しかし、西法寺森鞍部、西法寺平、山頂という夏道に沿ったルートを辿るのだと決めていた。その理由は、30数年前の5月3日の早朝に起きた滑落事故にあった。その日、私がリーダーで山頂直下の赤沢源頭部で、ピッケルワークとザイルワークの雪上訓練をしていた。その時、若い女性が800m滑落して、「全身擦過傷」という大けがをしたのである。このことがあったので、どうしても赤沢に降りて行く気にはならなかったのである。
 この事故については拙著「おお悲し、泣くはみちのく岩木山」の「第1話・遭難に想い死を悼む・ページ20、その四私がリーダーの時」を参照されたい。(明日に続く)