■ 幹事会の報告(2)■
予 定:(8月5日以降の活動・行事等について)
1. NHK弘前文化センター講座について
通算第41回 8月24日 (担当:阿部 東・斉藤真人・三浦章男)
主題: 岩木山の西麓を歩く (枯木平から石倉間の林道の散策)(野外観察)
この下見は斉藤真人・三浦章男で8月中旬に実施する。
通算第42回 9月21日 (担当:阿部 東・斉藤真人・三浦章男)
主題: 岩木山の北東麓に初秋を訪ねる(白狐沢の遠望と手前に広がる草原) (野外観察)
2. お山参詣監視要員の派遣依頼
8月30(土)~31日(日)希望者は8月20日まで事務局に連絡を。
3.第29回東北自然保護の集いについて
・テーマ「国有林の現状と未来を考える」・講演「栗駒山と世界谷地の自然」「国有林の再生と循環」
・9月13日(土)~14日(日)宮城県鳴子温泉「なかやま山荘」 詳しくはホームページを見て下さい。参加希望者は8月25日まで事務局に連絡。
4. 県民大学講座(あおもり県民カレッジ)
9月17日(水)「岩木山の自然」五所川原市中央公民館 ・三浦章男担当
5. 写真展「私の岩木山」
開催日は09年1月23~25日。場所はNHK弘前放送局ギャラリー。
6. 会報47号の発行
原稿印刷完了・発送予定は8月11~12日。
7.秋季の自然観察会(第42回自然観察会)
10月の中旬に実施。
なお、近いうちに、活動計画の一環として次のことをする。
1.「ナクア白神ホテル&リゾート」への申し入れ
2.岩木山と関係ある弘前市の農林部りんご農産課 、商工観光部観光物産課、市民環境部環境保全課などに対する申し入れ
注:
会報は印刷原稿を昨日のうちに書き終えて、印刷所に持って行った。早ければ明日の夕方には刷り上がるという。順調にいけば月曜日(11日)には発送が可能である。今回は8ページだてとなっている。
■今日の写真■
はて、今日の写真はどこだろう。岩木山には山頂まで行くことが出来る登山道が5本あるが、この景色には、それらの登山道を辿っても、決して会えない。
これは、湯ノ沢のほぼ上端部である。かつて岳登山道は「この場所」を通り、写真上部を詰めて沢に入り、それを遡上する。
ただし、最近は殆どだれも登らなくなった。沢登りの好きな人でも最後の藪こぎがしんどいので利用しなくなったのである。
だが、一部の山菜採りが、この沢を詰めて「竹の子」を採るために、両岸の「濃い」根曲り竹の藪に入っている。時々、岳登山道を登っていると、ターミナル下部辺りの左岸の竹藪から「藪こぎ」をしている物音が聞こえる。
何回も出会っているから「山菜採り」であることが分かるが、最初の出会いの時は、思わず「クマかな」と一瞬身構えたものだ。
この写真は初秋である。岩稜上部の緑はナナカマドであり、既に実は「赤く」なっている。10月に入ると、この大きな岩が造り出す「陰影」と赤く色づいたナナカマドの葉や果実、それに他の木々の紅葉とのコントラストが美しい。
■自転車で…走る・風向きのこと(その10)■
(承前)
何回も言うが、風は文明という「人間の技術的・物質的所産」ではない。それは、自然の、いわば野蛮な力だ。だけれども、先人たちは、畏怖した。
いにしえの人たちは「台風」を「野分」と呼んだ。毎年、秋になるとやって来るその大風や強風、大雨を拒否せずに受け入れて「野分」と呼んだのである。
野分に関わる記述は「平安古典作品」に頻出する。もちろん、台風を人力で拒否することは出来ない。受け入れるしかないのだ。
そこで、「野分」という語を与えて、紫式部や清少納言たちは「文学的」に昇華させたのである。
かつて、映画「ゴジラ」が作られた。多くの日本人は、日本に上陸しては大暴れをする、その「恐ろしいゴジラ」に恐怖を持ったが「忌み嫌う」という反応は示さなかった。「愛すべきもの」として、受け入れたのである。
さて、「ゴジラ」はどこから来たか、どこで生まれたのか。それはただ漠然と「遠い南の海」としか説明されない。
「遠い南の海」からやって来て、日本に上陸しては毎年のように大暴れするものは、この「ゴジラ」以外に何があるだろう。それは「台風」である。
実は、数年前に「ゴジラは台風を象徴化したものだ」ということを何かで、読んだのだが、それが何だったかは今では思い出せない。
…だが、最近の台風は、すっかり「異常」に変質している。「野分」や「ゴジラ」として愛でることは出来ないほどに異常性を強くして、まるで、「人類を破滅させる」兵器のような暴れ方で破壊を続ける。
台風だけではない。これと同質の発生要因のもとで生まれるインド洋の「サイクロン」も、メキシコ湾の「ハリケーン」も、年を追って「強大」になって、その地域に暮らす人々に過酷な生活を強いているのだ。
このように、異常な強大さを「台風」や「サイクロン」、「ハリケーン」に与えたものは「文明」なのである。「文明」が自然の異常性に拍車をかけている。「文明」が必要とするエネルギーは必ず「汚物」をはき出す。
「クリーン」という言葉を使う企業は「汚物をはき出している」ことを、自ら認めているようなものなのだ。企業だけではない。政府も自治体も然りである。(明日に続く。)
予 定:(8月5日以降の活動・行事等について)
1. NHK弘前文化センター講座について
通算第41回 8月24日 (担当:阿部 東・斉藤真人・三浦章男)
主題: 岩木山の西麓を歩く (枯木平から石倉間の林道の散策)(野外観察)
この下見は斉藤真人・三浦章男で8月中旬に実施する。
通算第42回 9月21日 (担当:阿部 東・斉藤真人・三浦章男)
主題: 岩木山の北東麓に初秋を訪ねる(白狐沢の遠望と手前に広がる草原) (野外観察)
2. お山参詣監視要員の派遣依頼
8月30(土)~31日(日)希望者は8月20日まで事務局に連絡を。
3.第29回東北自然保護の集いについて
・テーマ「国有林の現状と未来を考える」・講演「栗駒山と世界谷地の自然」「国有林の再生と循環」
・9月13日(土)~14日(日)宮城県鳴子温泉「なかやま山荘」 詳しくはホームページを見て下さい。参加希望者は8月25日まで事務局に連絡。
4. 県民大学講座(あおもり県民カレッジ)
9月17日(水)「岩木山の自然」五所川原市中央公民館 ・三浦章男担当
5. 写真展「私の岩木山」
開催日は09年1月23~25日。場所はNHK弘前放送局ギャラリー。
6. 会報47号の発行
原稿印刷完了・発送予定は8月11~12日。
7.秋季の自然観察会(第42回自然観察会)
10月の中旬に実施。
なお、近いうちに、活動計画の一環として次のことをする。
1.「ナクア白神ホテル&リゾート」への申し入れ
2.岩木山と関係ある弘前市の農林部りんご農産課 、商工観光部観光物産課、市民環境部環境保全課などに対する申し入れ
注:
会報は印刷原稿を昨日のうちに書き終えて、印刷所に持って行った。早ければ明日の夕方には刷り上がるという。順調にいけば月曜日(11日)には発送が可能である。今回は8ページだてとなっている。
■今日の写真■
はて、今日の写真はどこだろう。岩木山には山頂まで行くことが出来る登山道が5本あるが、この景色には、それらの登山道を辿っても、決して会えない。
これは、湯ノ沢のほぼ上端部である。かつて岳登山道は「この場所」を通り、写真上部を詰めて沢に入り、それを遡上する。
ただし、最近は殆どだれも登らなくなった。沢登りの好きな人でも最後の藪こぎがしんどいので利用しなくなったのである。
だが、一部の山菜採りが、この沢を詰めて「竹の子」を採るために、両岸の「濃い」根曲り竹の藪に入っている。時々、岳登山道を登っていると、ターミナル下部辺りの左岸の竹藪から「藪こぎ」をしている物音が聞こえる。
何回も出会っているから「山菜採り」であることが分かるが、最初の出会いの時は、思わず「クマかな」と一瞬身構えたものだ。
この写真は初秋である。岩稜上部の緑はナナカマドであり、既に実は「赤く」なっている。10月に入ると、この大きな岩が造り出す「陰影」と赤く色づいたナナカマドの葉や果実、それに他の木々の紅葉とのコントラストが美しい。
■自転車で…走る・風向きのこと(その10)■
(承前)
何回も言うが、風は文明という「人間の技術的・物質的所産」ではない。それは、自然の、いわば野蛮な力だ。だけれども、先人たちは、畏怖した。
いにしえの人たちは「台風」を「野分」と呼んだ。毎年、秋になるとやって来るその大風や強風、大雨を拒否せずに受け入れて「野分」と呼んだのである。
野分に関わる記述は「平安古典作品」に頻出する。もちろん、台風を人力で拒否することは出来ない。受け入れるしかないのだ。
そこで、「野分」という語を与えて、紫式部や清少納言たちは「文学的」に昇華させたのである。
かつて、映画「ゴジラ」が作られた。多くの日本人は、日本に上陸しては大暴れをする、その「恐ろしいゴジラ」に恐怖を持ったが「忌み嫌う」という反応は示さなかった。「愛すべきもの」として、受け入れたのである。
さて、「ゴジラ」はどこから来たか、どこで生まれたのか。それはただ漠然と「遠い南の海」としか説明されない。
「遠い南の海」からやって来て、日本に上陸しては毎年のように大暴れするものは、この「ゴジラ」以外に何があるだろう。それは「台風」である。
実は、数年前に「ゴジラは台風を象徴化したものだ」ということを何かで、読んだのだが、それが何だったかは今では思い出せない。
…だが、最近の台風は、すっかり「異常」に変質している。「野分」や「ゴジラ」として愛でることは出来ないほどに異常性を強くして、まるで、「人類を破滅させる」兵器のような暴れ方で破壊を続ける。
台風だけではない。これと同質の発生要因のもとで生まれるインド洋の「サイクロン」も、メキシコ湾の「ハリケーン」も、年を追って「強大」になって、その地域に暮らす人々に過酷な生活を強いているのだ。
このように、異常な強大さを「台風」や「サイクロン」、「ハリケーン」に与えたものは「文明」なのである。「文明」が自然の異常性に拍車をかけている。「文明」が必要とするエネルギーは必ず「汚物」をはき出す。
「クリーン」という言葉を使う企業は「汚物をはき出している」ことを、自ら認めているようなものなのだ。企業だけではない。政府も自治体も然りである。(明日に続く。)