岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日から開催「岩木山の花」写真展、展示設営と会場造りに4時間

2008-08-29 05:29:30 | Weblog
 (今日の写真は昨年開催した「岩木山の花々」写真展の展示風景である。)
今年は写真の下に文章の貼付はない。カタカナ書きと漢字表記による「花名」、「科名と属名」「キャプション」「花名の由来」だけの書かれた解説票「ハガキ大」を貼付してある。
 昨年はその「写真の下に掲げられた文章」を丁寧に読みながら、「写真」を鑑賞して2時間以上もかけた来場者が何名もいたように記憶している。
 今年は、それを割愛したので、比較的短時間で鑑賞出来るのではないかと考えている。
 さて、昨日の展示場の設営のことだが、昨日のブログに書いた竹谷さん、斉藤さんの他に、本会幹事の飛鳥さん、工藤さんがお手伝いに来てくれた。驚くくらい嬉しかった。本当に有り難うございました。
 工藤さんには私の自宅から会場まで数十枚の額縁を運んでもらった。先日から約束していた竹谷さんにも額縁数十枚とコンピュータやモニターなどを運んでもらった。
 工藤さんと飛鳥さんは、昨日と一昨日の「ブログ」で…、

…『今日の10時から、展示と設営作業が始まる。約120点と数が多いので手間がかかる作業となるだろう。今のところ、斉藤幹事と竹谷幹事が手伝いに来てくれるという情報を得ている。非常に有り難くもあり、心強い。』

…『展示写真の会場への搬入は28日の10時です。枚数が多いので「展示準備」にはかなりの時間と手間がかかります。その日に「お手すき」でお手伝いの出来る会員の方がおられましたら、協力をお願いしたいとお思います。』  
ということを読んで、ちょうど「手もあいて」いたので来たと話してくれた。
 お手伝いに来てくれたことも嬉しいが「ブログ」に眼をとおしてくれていることも嬉しい。

 本会では毎年、「私の岩木山」写真展を、この会場で開催している。今年度は来年の1月になる。昨日お手伝いをしてくれた方々は、その「設営と会場」造りに毎年参加している人たちなので「手慣れて」いる。しかも、飛鳥さんは第1回の「私の岩木山」写真展からチーフを務めているベテランである。
 その、ベテランや「手慣れた人たち」、それに私を加えた5人がかりで、何と昼食を挟んでだが、10時から始めて、午後の2時まで4時間もかかったのだ。

 昨日は大変蒸し暑い日だった。ギャラリー内は写真に光を当てるようなライト構成になっていて大変に暑い。その暑さと蒸し暑さが加わって、汗だくの作業が続いた。
 数も多いのだが、額縁を吊すワイヤーの長さが一定でないことも、作業効率を低くした要因である。その他には、写真を2段構成で展示するために「台」を用いたが、その台の高さが一定でないこと、「アイウエオ」順による展示という規制なども挙げられるかも知れない。
 
 ところが、4時間という汗だくの作業というプロセスは「展示」には見えない。今日10時までには会場に行くが、きっとそこには何事もなかったように「展示された写真」と「会場」が「ひっそり」とあるだろう。
 「展示」されてあるものを見るということは、「結果」を見ているのである。だが、その「結果」だけを見ていては、その「結果」に至るプロセスを見ていないことになる。一般的に何事も「鑑賞」するということはそういうものだろう。写真展も同じだ。だが、それだけではもの足らなくないだろうか。
 せっかく、鑑賞のために「足を運んで下さる」のならば、目の前に並ぶ、「写真」と「展示会場」全体に至るまでの「プロセス」にも「眼」を向けて欲しいものである。
 「絵画の展覧会」に出品される作品一つ一つには画家たちの、その作品を完成させるまでの「苦悩」とか「歓喜」とか「懐疑」とかいう心的な微妙な動きが描き込まれているのではないのだろうか。
 ミレーが描く数々の農村風景や農民の姿には、それぞれ微妙な色彩の違いがある。これは、現実が示す「色彩」というよりも、ミレーのその時その時の心の「襞」から生じたものではなかろうか。「心の襞」もまた、絵画完成までのプロセスに違いない。

 …岩木山に出かける。花に出会う。その花を撮影する。その花に関する文章を書く。それを「写真」にする。その「写真」から、花名、科・属を特定する。その「写真」を「展示用」の大きさにプリントする。「(花名、科・属名)、キャプション、名前の由来」を書いた「解説票」を作る。「写真」を額縁に入れる。額縁を入れる箱に花名を記入する。展示会場に貼付するさまざまなポスター類の作成をする。「写真」以外の展示物の整理と準備をする。…
 ここまでが、私個人の「写真展示」までの「プロセス」である。だが、ここまででも、私の「心の襞」は出てこない。今回発行した「カラーガイド 岩木山・花の山旅」に書き連ねてある文章の部分に、この「心の襞」が書かれてある。そう企図して私は書いたつもりだ。
 さらに、「写真展示」までは既に述べたような作業という物理的なプロセスを経ている。1枚の写真が人目に触れるまでには、多くの、しかも多様なプロセスがあるのだ。あなたが見るその写真は、きっと、その「プロセス」を語ってくれるだろう。
 私はそのことを期待する。来場される方々も、1枚1枚の写真が語ってくれる「プロセス」に期待して欲しいものである。

 私の「カラーガイド 岩木山・花の山旅」は写真集ではない。ある山の会報に「写真集」として紹介されていた。前書きや後書きで再三、「写真集」ではないと書いているのに、読んでくれなかったのだろうか。
 私は「写真集」を出すほどの「写真技術」を持っていないのだ。これは、自身を持って言えるのである。