岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

東奥日報掲載写真・ミチノクコザクラに関すること / 自転車で…走る・天気の予想(その7)

2008-08-04 05:50:59 | Weblog
(今日の写真は数年前に自転車で小泊から竜飛方面に向けて走行した途中、十三湖の湖岸から写した岩木山である。
 この時に使用した自転車はロードレーサーであり、最近乗っているMTBよりも軽量で、中心動輪部にあたる歯車も大きいので、スピードが出る。ただし、2段変速なので坂道では「すごく、重く負荷」が大きい。
 ここから見える岩木山は裾野を東端に沈めてしまい平野に同化するが、西には白神山地とつらなり、脈々と屹立している。その連山の端に立つ孤峰である。)

 ※東奥日報掲載写真・ミチノクコザクラに関すること※ 

 先日、T町のSを名乗る人から、先月の下旬に東奥日報に掲載された写真・ミチノクコザクラに関しての問い合わせが、電話であった。
 それは、「あまりにも美しいので、実物の写真で眺めたくなった。是非、写真を譲ってくれないか」ということだった。何千枚、何百枚、何十枚もというのであれば、これは応じられないが、1、2枚というのであれば、それはそれでいいのだが…次の一言が気になった。
 「汽車で弘前駅まで行きますから、その時間に駅まで届けてくれませんか。」これには私もカチンと来た。敢えて恩を売るつもりはない。だけれど、これは、常識的に「譲って欲しい」という人の態度や思考形態ではないだろう。
 電話を切りたくなったが「失礼」になるだろうと考えて、「私の住所をいいますから、あなたの宛先を書いて切手を貼った封筒を私に送って下さい。」と言って、「宛名の確認」を再度してから、電話を切った。
 2日後に「封筒」が送られてきた。直ぐに返信したから今日辺り、配達されるのでなかろうか。
 常識とは「常に変わる識見」という意味であったのだろうか。悲しい。

     自転車で…走る・天気の予想(その7)

 実は昨日、相棒のTさんとその仲間であるMさん、それに私の3人で自転車ツアーに出かける計画をしていた。リーダーはTさんである。
 昨日の青森地方気象台が出した天気予報は「大雨、洪水、雷」である。まさに荒天・悪天の予報であった。リーダーというものは一般的には「慎重」になるものである。
 前日の午後に、Tさんから次のようなメールが届いた。…

 「明日の予想天気図を見ると前線が青森県の上に止まっており、どうみても雨は避けられませんね。ということで、ツアーは中止せざるを得ませんかね。ぱらぱら雨くらいだったら可能ですけど。」…

 私はTさんの、その「メールアドレス」あてに…次のように「返信」をした。…

『無理のようですが、一応、出発時間(集合時間)を遅らせて様子をみたらいかがですか。8時ぐらいの天気と天気図で判断をして、よければ9時集合でどうでしょうか。10時でもいいと思います。天気さえ回復すれば、距離を短くして走るという手もありますよ。判断・決定、それにコースはすべてあなたに一任します。』…
 このようなメールを送った理由は、私なりの「次第によくなる、または降雨の一時的な中断」があるという天気予報から割り出した判断であった。
 100%このような「雨天」ではない天気になるとは「予報」出来なかったが、希望的な観測を含んで「こうなる」だろうという確信めいたものはあったのである。
 ところが、Tさんからはこれに対する返信メールがなかなか、来ないのである。そして、昨日の早朝…Tさんから…
「今日のツアーは中止ということになりますかね~天候はやはり雨ですよね。どうでしょう。」というメールが届いた。
 私はそれに答えてTさんの自宅あてに「そうしましょう。残念ですが天気には勝てません。」という返事を送った。
 本当はこの段階で「あること」に気づくべきであったのである。それは、Tさんは「私からの最初の返信を読んでいない」「受信していない、受信出来ない状態にある」ということであった。つまり、Tさんはメールアドレスを2つ持っていて、最初の返信メールは会社でないと見られず、朝に送ったアドレスだと両方で見られるという訳なのである。本当に、文明の象徴「メール」は不便だ。便利なものほど不便を伴うということは真実だろう。

 ところが、昨日の午後7時近くになってようやく、雨が降った。朝の9時近くから、日射しがあったりするものの「降雨」はまったくなかった。
 そろそろ降るかも知れないと思っていたが、何と7時近くまで、私のところでは、この10時間、降雨なしだった。
 ツアー予定のコース、弘前から弥生、長平、鰺ヶ沢、赤石川河口まで行って帰ってくるには十分な時間であった。
 気象庁の天気予報(青森地方気象台発表のものも含む)は外れた。よくあることだ。いわゆる「地域の気象予報」は自分ですることが何よりだ。
 しかし、先月の岩木山登山の時の、朝方の雨ですら、「雨の中の登山」という覚悟を持ったメンバーがいたし、そのメンバーが今回のツアーにも参加するというので、「妙な不安を与えてはいけない」と考えて、私の判断を強いることを止めたのである。
 天気は大変微妙なものである。大体、気象庁が発表する天気予報にケチをつけることは憚られることであろう。だから、誰もが極めて常識的に、その「予報」を信じてしまうはずだ。これは常識的な行為であって、別におかしいことではない。
 しかし、40数年、登山を続けてきて、「天気予報」を信じたばかりに、数えられないほどの「痛い目」に遭っている「私」からすると、「気象情報」を参考にして、自分なりの「天気予報」をするという習性が身についてしまっている。
 気象庁や地方の気象台が発表する予報は、あくまでも「概略的」であって、ファジーなものだ。「気圧や前線の動きや風向の予想は自分でする」ことが大事であろう。そして、その動きに従い「自分の居住地域」や「移動する目的地」のこれから何時間後の天気はどうなるのかを推測する。
 私は気象庁の出す「気象情報」は大切にしている。なぜならば、「情報」がなければ、天気予報は出来ないからである。「天気予報」は殆どあてにしてはいない。

 いずれにせよ、ツアーに出かけなかったことが、この蒸し暑さの中ではベターであったと思うのだ。昨日、午後2時に拙宅の湿度計は1台は68%、もう1台は70%を示していた。風向きも南寄りで「暑く湿った空気」がどんどんと流れ込んでいたのである。決して、爽快な風を感じて走るというサイクリングツアーにはならなかったであろうと考えている。(明日に続く。)