岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

8月15日を忘れない・東条英機の手記

2008-08-17 05:58:19 | Weblog
(夏の岩木山の写真を探していた。チョット、古いものだがちょうどいいものが見つかった。1997年5月、初夏の頃に撮した「ヘール・ポップス彗星」と宵の岩木山である。
 快晴の初夏の空、太陽が岩木山の影に沈んでも、その余光が赤く輝き、岩木山を背後から包み込んでいる。その岩木山はまだ残雪を戴いている。
 南西の空に大きな尾を引いて輝く星が「ヘール・ポップス彗星」である。それよりも左斜め下の南の空でひときわ赤く輝いているのが「アンタレス」であろうか。「アンタレス」の「アン」は「アンチ」であり、「タレス」とは「火星」のことだ。つまり、火星と対向して輝く星という意味である。火星もこの星の周囲で輝く。
 岩木山はおおむね西の空の「端」に位置している。山頂のずっと上、ほぼ真上で赤と緑に点滅しているように輝いている星は「ボルックス」だろう。)

 ■8月15日を忘れない・東条英機の手記

 毎日新聞電子版「余録」では「終戦記念日」と題して一昨日、「東条英機の手記」に関することを載せた。そのことから、このシリーズで取り上げている「国のリーダー」の資質と責任について少し考えてみたい。

 先ごろ見つかった東条英機元首相の終戦間際の手記の一節の…
「もろくも敵の脅威に脅(おび)え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりし」とあるそうだ。
 「余録」子は、これに続く「これに基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感ずる」に対して、首をかしげたくなると言い、
…では何に対し「責任」を感じたというのだろうと続ける。
 天皇に「責任」を感じてというなら、非難している戦争終結の決断をしたのは天皇であったから、これはすじが通らない。
 国民を総じて「無気魂」と決めつけていることが、私には許されない。「一寸の虫にも五分の魂」ということすら、この「東条英機」には分かっていない。
 国民は虫けら以下であったのだ。だから、開戦当時には、何ら、「国民」に責任は感じていなかった。感じていないから「死にゆく道具」として「国民」を使った。そして、「完膚無きまでの敗戦」を知った時には、その責任を「無気魂」と決めつけていた国民に押しつけるのである。これが、当時の「首相」なのである。

「余録」子は続ける。…「文脈を見れば戦没者に対してとも思えない。何か観念的な国家を思い浮かべたにせよ、国民がダメなのを知らずに開戦した責任をわびねばならぬ国家とは何なのか」

 戦記作家の伊藤桂一さんは、「東条英機」が陸相当時に示達した「戦陣訓」を陸軍の一兵卒として一読し、「辛酸と出血を重ねる戦場の兵に何の同情も理解もなく、高みから督戦するだけ」の文章に感じたのは羞恥(しゅうち)であり、すぐ破り捨てたそうだ。
 「戦陣訓」は生身の兵士が守れもしない空文を羅列するだけで、人間的なものを欠いている。それを得々と配る指導者の愚かさと、その下でも力戦する兵の衷情を思い、激しい嫌悪にとらわれたのである。
 「空文を羅列するだけ」の「国政」の指導者が続いている。その空文にパフォーマンスが加わって、それを視覚マスコミが演出して国民の目を欺く。そんな日々がここ何年も続いている。
 国民の暮らしは一向によくならない。「美しい国」「安心の国」日本と口にはするが、はっきり言って「国政」の指導者には国民に対する責任という自覚はない。「国民に対する責任・責務」などを考えたこともない人たちが、「国政」の指導者然として座しているに過ぎない。あるのは自分の頭の蝿を追い払うことだけである。
 「余録」子は「…では人の運命をのみ込む巨大機構のとんでもない無責任や非人間性は、今日の私たちに無縁か。戦争で落命した300万以上の同胞と、それを大きく上回る他国民の魂の平安を祈る日に、改めて胸に手をあて考えたい。」で、結んでいる。

 「国政」指導者の無責任や非人間性は、今日の私たちに無縁ではないのだ。
今年も「国政」指導者たちが「靖国神社」に参拝した。「靖国神社」に祀られている人はかつての「国政指導者」であり、戦争で落命した「軍人」やその関係者である。「英霊」と称される人たちだけである。
 表面的、図式的には、「靖国神社」に参拝した「国政」指導者たちの胸中には「戦争で落命した英霊と称されない数百万以上の同胞と、それを大きく上回る他国民の魂の平安を祈るということ」はないのである。