岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

今日の写真は古い道の「道しるべ松」だ。

2008-08-24 06:35:40 | Weblog
  ■今日の写真は古い道の「道しるべ松」だ。

 この松の樹齢はどのくらいだろう。50年いやそれよりも多いと思う。登山道沿いにも松を植えて道しるべにしていたところが岩木山には「あった」。
 現在もその「松」だけは残っているが、その登山道は「スキー場ゲレンデ」となって「道」は消えた。「あった」という訳はそのことを指している。百沢スキー場の上部左岸にまだ「松」はある。 
 写真に見えるように、松の手前は草藪である。見た眼には道は見えない。道は消えている。しかし、この松を目当てに進むと、松の下には人が一人通れる暗いの踏み跡が現れる。この松から先は「樹林帯」を進むことになる。
 樹木が伐られて日当たりのいいところには、この写真が示すようにススキなどが蔓延(はびこ)る。そして、道を覆い尽くして「消して」しまう。ススキは伐採されたり、表土が剥がされたりした場所にいち早く侵入してくる植物である。その意味からススキは「荒れ地」であることを示す「指標」植物でもある。
 この松の右下から樹林帯に入ると様相は一変する。先ずは薄暗い。この日は曇天だったのでなおさらである。太陽の日射しが入ってこないから「植物」の生育は遅く、しかも生える草などの種類も少ない。
 というわけで「道」は草藪に覆われることは殆どない。このような低地でもそうだから、これよりも高度のある「ブナ林帯」ではなおさらである。ブナ林帯につけられた「踏み跡」は数十年経っても消えることはない。
 二子沼から「大ノ平」登山道に出る踏み跡がある。ブナ林の中の踏み跡は今でも辿ることが出来るが、ブナを伐採して「杉」を植えてあるところやその周辺では「道(踏み跡)」は完全に消えている。
 林野庁の「植林事業」は旧来の「道」を岩木山の山肌から剥ぎ取っていると言えるだろう。少なくとも、そのような踏み跡を示す何かを設置するような配慮が欲しかったと、つくづく思うのである。
 この樹林帯の中には人が一人歩けるような道が続いている。藪をかき分けなくてもはっきりと視認が出来る。現在は県道30号線(環状線)が枯木平と松代を繋いでいる。松代地区に人が入植した頃は、環状線は敷設されていなかった。その当時から枯木平の人と松代の人たちはこの道を使って行き来していたのである。
 この道を辿ると、松代登山道から二子沼、さらには長平に出ることが出来るのだ。昔の人たちは山奥の地から日本海の港町、鰺ヶ沢町に通ずる「道」を、しかも最短距離で、疲れの少ない「道」を持っていたのである。
 時間があると本当にそれを辿って鰺ヶ沢町まで歩いて行ってみたい気になった。
私は「とおして」ではないが小分けにして、この道を辿って「鰺ヶ沢町」まで歩いた経験はあるのだ。
 昔の人たちが辿った道を歩いていると「時代」がそこまでさかのぼって、歩く私自身も「昔の人」になってしまったような気分になるのである。これはとても贅沢なことのように思える。
 みなさんもこの「タイムマシン」に是非乗ってみてはいかがだろう。