若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

栃木県佐野市で日光例幣使街道の宿場町を見て歩く

2016年03月02日 | ドライブ


2月28日(日)妻と二人で愛車プリウスに乗って栃木県佐野市の「日光例幣使街道」の宿場町を中心に見て歩きました。

日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、徳川家康の没後、東照宮に神前の供物を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道のことだそうです。

厄除け、方位除けにと、年間を通じて参拝者が絶えない「佐野厄除け大師(惣宗寺)」の無料駐車場に車を置いて、参拝してからのスタートです。



厄除け大師から東へ200mほどの信号を左折して江戸街道(現:大和通り)を北へ歩くと左に見えてくるのが江戸時代末期に建てられた「太田邸」です。

2階建て蔵造りの典型的な店だな形式で、外壁は黒漆喰、呉服商の旧店舗です。



前方右に見えてきたお洒落な洋館が昭和2年築の「小島邸」です。

佐野屈指の綿糸商の店舗兼住宅で、洋館部分外壁は、スクラッチタイル貼り、屋根に腰折れ風の屋根を架け、軒周りを植物模様で装飾しています。



次の信号を左折して仲町通りに入ると、昭和3年築の「寺岡邸」(旧労働金庫)です。

糸問屋として建てられた大規模な商家で最近まで労働金庫の店舗として使われていました。

6年の歳月と関東一円の木材を使い宮大工が建てたものだそうです。



江戸街道に戻り本町交差点で「日光例幣使街道」と交差します。

この街道では、江戸後期から明治に建てられた見世蔵造りや、「うだつ(防火壁)」と言った歴史の重みを感じさせる瓦屋根の商店を見ることが出来ます。

本町交差点を左折すると右手に「旧土佐薬局」(現:味噌まんじゅう新井屋)です。

明治3年築で10年ほど前まで薬局でした。

隣家との間に立派な「うだつ」があります。

「うだつ」とは裕福な家の象徴だそうです。



花より団子を自認する我が妻は早速新井屋の店内に入り、昭和4年創業以来の看板商品である味噌まんじゅうを買い込みました。

黒糖に味噌を加えた皮と北海道十勝産の餡がマッチして最高です。



本町交差点を右折すると、右手に「大坂屋」です。

見世蔵造りの建物で弘化元年(1844)創業の和菓子店です。

佐野が誇る文化財の天明鋳物から、「天明釜」「梵鐘」「六角釣灯篭」「銅鳥居の唐獅子」を表現し、地元産の小豆と氷糖で特製した「天明最中」(てんみょうもなか)が有名です。



「大坂屋」の向かい側には「小沼呉服店」。

明治21年に建てられた蔵造りの店舗です。

正面に「うだつ」を揚げた呉服店の建物で、江戸の名残をとどめている懐かしい店です。



万町交差点を左に折れて殿町通りを北に進むと見えてきたのが出桁(だしげた)造りの商家です。

町家の伝統を引き継ぐ建築様式で、梁を差し出して出桁で軒の垂木を支える構造です。

軒の立派さが商店の格を示しており、構造的に優れているため、明治以降民家や商家に採用されたそうです。



殿町通りから昇栄通りを東に歩いて佐野駅の「駅前交流プラザぱるぽーと」でトイレ休憩。

館内の「ラーメンミニ博物館」には、現在、28店舗の「佐野らーめん」フィギュアが展示がされています。

らーめんフィギュアを入れている器は、各らーめん店で使用している丼を使用し、自慢の「佐野らーめん」を全て精巧に本物そっくりに作成しています。

また、各店の住所や定休日、駐車場の台数、めんの特徴、スープの内容、具材などが書かれた資料カードも設置し、らーめん店選びの参考になります。



駅前通りを南下して金屋仲町の鋳物師の街並みを見ます。

かつては佐野鋳造所として、約700坪の敷地内で鋳物工場を営んでいた「佐野鋳造所跡(鐵館)」です。

現在は、明治時代に建てられたレンガ造りのキューポラが見られる市内でただ一つの工場跡となっています。

天明鋳物の伝統の技は若い職人に受け継がれ、併設の鋳物販売店鐡館で見ることが出来ます。



佐野鋳造所跡の近くにある、この古い洋館は「旧影澤医院」です。

旧影澤医院は明治44年ごろ、近代医療施設として建てられた2階建ての木造洋風建築です。

横板張りの外壁に上げ下げ窓が並び、ポーチのある玄関上部にベランダを備え、「KS」のイニシャルと「影澤外科院」の文字もあしらわれています。

医院として長年診療を続けてきましたが、2013年7月に閉院。

14年5月からNPO法人「日本クリケット協会」事務局として使われています。



佐野鋳造所跡の目の前にあるのが昭和9年に建てられた「日本基督教団佐野教会」です。

木造2階建、切妻造、外装下見板張で、1階が幼稚園舎、2階が礼拝堂という形式をとっています。

正面には丸窓と左右対称に配置された尖頭アーチ型の窓があり、ゴシック風の造りとなっています。



本日の「見て歩き」の最後は秋山川に架けられていた「旧佐野大橋跡」です。

私たちが愛車を預けてきた佐野厄除け大師の無料駐車場のすぐ近くにありました。

現在の大橋(昭和3年に開通した県道桐生岩舟線に架かる橋)と中橋(大橋の南に架かる橋)の間に、かつては橋があったのです。

江戸時代から昭和初期まで利用されたこの橋は佐野大橋(猿橋)と呼ばれ、日光例幣使街道も通っていたのです。

秋山川は万葉集にも詠まれています。

記念碑があると聞いていたのですが・・・残念ながら見つかりませんでした。



(追記) あとでストリートビューで調べたら記念碑は川の向こう岸にありました。(汗)

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             <Google ストリートビューより>



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