11月24日、靴の修理をしてもらうために隣町の熊谷市にあるニットーモールまで妻と車で出かけました。
修理が終わるまで1時間ほどかかると言うので、車をニットーモールの駐車場に預けて、二人で熊谷市内を歩くことにしました。
JR熊谷駅前には熊谷次郎直実の銅像がありました。
熊谷の先覚者として先ず第一番に挙げられるのがこの熊谷次郎直実です。
平安時代末期から鎌倉時代初めにかけて活躍した熊谷郷の武士です。
源平の合戦での活躍が有名で、源頼朝をして「日本一の剛の者」と称えられました。
熊谷駅から星川沿いを歩きました。
星川は元和9年(1623)の荒川の氾濫によりできた「玉の池」(現・星渓園)からわき出る清流を源としていました。
水がことのほか清く、昔は、染物を洗ったり、子供たちが水遊びをしたといいます。
昭和20年(1945)8月14日に熊谷は米軍の空襲を受けて、星川でも多くの犠牲者がでたそうです。
星川2丁目の交差点を右折して市役所方面に歩くと、ほどなく左手に高城神社が見えてきました。
神話の神・高皇産霊尊(たかむすびのみこと)を祀っている神社です。
天正18年(1590)の兵火で焼失したのを、忍城主・阿部正能が再建しました。
毎年6月30日に「胎内くぐり」、12月8日に「酉の市」が行われます。
市役所から北大通りを西に歩き、県道341号を北に行くと、「県北の雄」熊谷高校が見えて来ます。
熊谷高校は南の浦和・西の川越・東の春日部と並び称される埼玉県を代表する文武両道の進学校です。
校風は質実剛健にして明朗闊達。
1895(明治28)年に旧制熊谷中学として創立されました。
以来、100有余年、三万余の卒業生は、日本はもとより世界を舞台に活躍しています。
熊谷高校から、県道341号を八木橋方面に戻ると熊谷寺(ゆうこくじ)に着きます。
晩年、熊谷に戻った熊谷次郎直実が念仏を唱えるために建てた草庵が、現在の熊谷寺の始まりと言われています。
お隣の八木橋デパートでトイレ休憩。
八木橋デパートは地元では老舗として絶対的な存在です。
八木橋デパートから国道17号を渡るとほどなく星渓園が見えて来ます。
星渓園は回遊式庭園で、熊谷の発展に数々の偉業を成した竹井澹如(たけいたんじょ)翁によってつくられたそうです。
元和9年(1623)、荒川の洪水により土手が切れて池が生じ、その池は清らかな水が湧き出るので「玉の池」と呼ばれ、この湧き水が、星川の源となりました。
澹如翁が、ここに別邸を設け、「玉の池」を中心に竹木を植え、名石を集めて庭園としたそうです。
星渓園を出て、再び星川沿いを熊谷駅方面に戻ります。
水が本当に綺麗で、塵ひとつ落ちていません。
熊谷駅ビル周辺も整備されて綺麗になりました。
今日の散策で感じたのですが、熊谷市は近年、道路が整備され、電柱が街中から姿を消し、街全体が本当に綺麗で住みやすくなったように思われます。
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修理が終わるまで1時間ほどかかると言うので、車をニットーモールの駐車場に預けて、二人で熊谷市内を歩くことにしました。
JR熊谷駅前には熊谷次郎直実の銅像がありました。
熊谷の先覚者として先ず第一番に挙げられるのがこの熊谷次郎直実です。
平安時代末期から鎌倉時代初めにかけて活躍した熊谷郷の武士です。
源平の合戦での活躍が有名で、源頼朝をして「日本一の剛の者」と称えられました。
熊谷駅から星川沿いを歩きました。
星川は元和9年(1623)の荒川の氾濫によりできた「玉の池」(現・星渓園)からわき出る清流を源としていました。
水がことのほか清く、昔は、染物を洗ったり、子供たちが水遊びをしたといいます。
昭和20年(1945)8月14日に熊谷は米軍の空襲を受けて、星川でも多くの犠牲者がでたそうです。
星川2丁目の交差点を右折して市役所方面に歩くと、ほどなく左手に高城神社が見えてきました。
神話の神・高皇産霊尊(たかむすびのみこと)を祀っている神社です。
天正18年(1590)の兵火で焼失したのを、忍城主・阿部正能が再建しました。
毎年6月30日に「胎内くぐり」、12月8日に「酉の市」が行われます。
市役所から北大通りを西に歩き、県道341号を北に行くと、「県北の雄」熊谷高校が見えて来ます。
熊谷高校は南の浦和・西の川越・東の春日部と並び称される埼玉県を代表する文武両道の進学校です。
校風は質実剛健にして明朗闊達。
1895(明治28)年に旧制熊谷中学として創立されました。
以来、100有余年、三万余の卒業生は、日本はもとより世界を舞台に活躍しています。
熊谷高校から、県道341号を八木橋方面に戻ると熊谷寺(ゆうこくじ)に着きます。
晩年、熊谷に戻った熊谷次郎直実が念仏を唱えるために建てた草庵が、現在の熊谷寺の始まりと言われています。
お隣の八木橋デパートでトイレ休憩。
八木橋デパートは地元では老舗として絶対的な存在です。
八木橋デパートから国道17号を渡るとほどなく星渓園が見えて来ます。
星渓園は回遊式庭園で、熊谷の発展に数々の偉業を成した竹井澹如(たけいたんじょ)翁によってつくられたそうです。
元和9年(1623)、荒川の洪水により土手が切れて池が生じ、その池は清らかな水が湧き出るので「玉の池」と呼ばれ、この湧き水が、星川の源となりました。
澹如翁が、ここに別邸を設け、「玉の池」を中心に竹木を植え、名石を集めて庭園としたそうです。
星渓園を出て、再び星川沿いを熊谷駅方面に戻ります。
水が本当に綺麗で、塵ひとつ落ちていません。
熊谷駅ビル周辺も整備されて綺麗になりました。
今日の散策で感じたのですが、熊谷市は近年、道路が整備され、電柱が街中から姿を消し、街全体が本当に綺麗で住みやすくなったように思われます。
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