たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『木靴の樹』シナリオ(14)

2017年01月22日 19時33分09秒 | 映画『木靴の樹』
(フランス映画社発行のパンフレットより引用しています。)

・ルンクの後家さんの家・台所(夜)

 食事の支度をしているルンクの後家さん。アンセルモと子供達が暖炉を囲んでいる。製粉場からペピーノが戻ってくる。

ペピーノ「今夜は寒い・・・星がいっぱいだ」

ルンクの後家さん「お湯がわいているよ」

アンセルモ「(子供達に)火を消すな。おき火で寝床を温める」

ルンクの後家さん「(みんなに)冷めないうちにおあがり」

 めいめい皿を手に、暖炉の周りで食事をはじめるアンセルモと子供達。

ベッティーナ「じいちゃん、火の粉をとばしてよ」

アンセルモ「火の粉は地獄からぬけ出す悪魔じゃ」

アネッタ「なぜ地獄からぬけ出すの?」

アンセルモ「人間の魂をとりにくる」

アネッタ「なぜ暖炉の中に?」

アンセルモ「違うよ、悪魔が暖炉の中にひそんでいて、煙突から屋根に出て、魂をつかまえて、地獄におとすのだよ」

アネッタ「(暖炉をのぞき)悪魔は善人が怖いんだね」

アンセルモ「悪魔は正直な人間やよい子に出会うと、逃げ出すのだ」

アネッタ「(十字を切って)十字も怖いのね」

アンセルモ「お祈りをしているかい?」

アネッタ「してるわ」

アンセルモ「では怖くない、火を動かすと、悪魔の逃げていくのが見える。(火の粉を飛ばし)悪魔、出ていけ!出ていけ!悪い子はここにいない」




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大寒の夜

2017年01月21日 23時45分48秒 | 日記
 これから2月の半ばぐらいまでが一年で一番寒い頃ですね。母が逝ってしまったのはこんな季節だったことを想い出します。極寒の日でした。寒いし、学生は試験前の時期、カフェがいっぱいで買い物のあとお茶できないまま帰ってきました。年賀状いただいた方へ葉書書いたりしたかったですが何もできませんでした。ブログを書こうともしていたのですが何もできませんでした。夜は『スマイルマーメイド』をニコニコ動画で観ました。大阪千穐楽、一幕。明日は二幕とカーテンコールを観ます。二幕を知ってみると切なくなって涙がでます。歌も芝居もダンスもいいです。現実を忘れて気分転換ね・・・。

 12月分の給料が振り込まれているはずと思って通帳を付け足ししてみたら、7万5千円しかないの。18日稼働したはずなので、もともと安いとはいえなんでこんなに少ないの??って混乱してしまいました。慌ててお仲間だった人にメール。帰ってきてポストを開けたら、去年の就労場所からようやく契約終了に伴う書類が届いており、給与明細書も入っていました。ハケンの感覚で考えてしまっていましたが、10日締めでした。だから間違っていない、こんだけしかありません。今の就労場所はアルバイトで、契約書をみると月末締めの20日ごろ支払いとなっているので、今月いっぱい稼働した分が一か月後に入ってくるということ。もとは同じ大きな組織体なのに、雇用形態も就労先も変わったせいか、締日の都合で年末年始の休みがあったとはいえこうならざるを得ないということに気がつきました。1月1日から3日までは国保加入になって(面倒なのでもう手続きしませんが)、同じ事業所名なのに健康保険証の番号も変わっているし、継続した方がお互い手間も少なくてすむのになんでかなあ。不思議なり。今までの感覚では全くわからない不思議なところはあります。おおもとは同じ組織体に雇用されているので転職になるのかどうかわかりませんが、こうやって変わるのって大変。今月すでに10日以上稼働したし、資格を持っていることで時給換算では去年より少しながら高くなるのであと一か月辛抱するしかありません。忙しいのでたぶんあっという間です。なかなか大変ですがこうして働ける場所があることは大切なのであきらめるとしましょう。

 清史郎君のパブロと、原田優一さんのドーフィンのガブローシュコンビは何度見てもいいです。原田さんさすがの声量と美声。パブロは可愛くてかっこいい。癒されます。

普通がいちばんなり

2017年01月20日 23時16分06秒 | 日記
 最高気温5度の寒い一日。雪がちらつきそうな空の下、はじめて自分が担当となったところへ行ってきました。トレーナーの方が同行してくれました。詳細を書くことはできませんが、普通に生活していたら行くことがない所、こんな所へ行ってはいけない、こんな所へ行くようになってはいけないというような場所ですが、仕事なのでね、行ってきました。健康な人は拒絶反応しか起こらないような所。決して正とはいえませんが、当たり前みないな生活が叶わず、今の仕組みの中ではここしかないという人がいるという現実をどう考えればいいのやら・・・。普通がいちばんむずかしいです、普通がいちばんなんです、ほんとに。心の底からそう思わざるを得ません。比べて考えるのはよくないですが、わたしの父と母は子どもに最期をみとられてお葬式を出してもらうことができて、まだ幸せだったんだとわかりました。こうして娘であるわたしが想い出している、想い出してくれる人がいる、それだけで十分すぎるぐらいに幸せなことなんだとわかりました。

 こうして社会に戻ることができて、こうしてどうにか働く場所がある、日中の居場所があるわたしも十分に幸せ。ミュージカルを観劇して楽しい時間を持つことが過ごすこともできるなんて、なお幸せ。ほんとにありがたいことです。自分で働いて、自分で家賃を払って、自分にご飯を食べさせる、こんな当たり前みたいなことがなんとかやれているだけで十分すぎるぐらいにわたしってえらいです、ほんとに。

 昨日は麗しの王子様のプロマイド買っちゃったし、パソコンを開けば動画の中には、かわいいイケメン王子もいるので、休日は忘れて気分転換します。現実逃避して、美しいもので心を潤す時間は大切。

 何を書いているのかわかんなくなってきました。さっさと寝ろよって感じですね。休日は観劇日記やらあれやこれやと書けるといいなと思います。断捨離も少しずつね。よくがんばった一日でした、ほんとにえらいよ、わたし!!

 

『ロミオ&ジュリエット』_1月19日

2017年01月19日 22時51分30秒 | ミュージカル・舞台・映画
 昼の部13時30分開演を観劇してきました。アフタートークショー付き。平日に赤坂なんていう大都会、帰宅時はラッシュに遭遇で疲れましたが、日常を忘れて美しものにふれる時間がないともたないのでね、必要です、こういう時間。いろいろとありますが、想い出すままに断片的に。

Wキャスト
ロミオ:古川雄大
ジュリエット:生田絵梨花
ベンヴォ―リオ:馬場徹
マーキューシオ:小野賢章
ティボルト:広瀬友祐
死:大貫勇輔

シングルキャスト
 キャピレット夫人:香寿たつき
 乳母:シルビア・グラブ
 ロレンス神父:坂元健児
 モンタギュー卿:阿部裕
 モンタギュー夫人:秋園美緒
 パリス:川久保拓司
 ヴェローナ大公:岸祐二
 キャピレット卿:岡幸二郎  

 幕開けは、死のダンサー大貫勇輔さんのダンスと街が空爆によって瓦礫と化していく映像。愚かな人間同士による悪戯(いたずら)な争いは、哀しみしか生まないという作品からのメッセージなのか。絶望からの幕開け。ロック調の音楽にのって、ダンスで表現していく場面の連続。『1789バスティーユの恋人たち』や『エリザベート』でトートダンサーだった方が何人もいらして身体能力の高いダンスの達人ばかり。ダンスシーンみるだけでも価値はあるなあと思えるぐらいでした。

 携帯電話とメールを登場させる演出なので現代という設定なのでしょうが、キャピレット家とモンタギュー家が何百年も争い続けている理由は全く出てこないあたりは抽象的で、シェイクスピアの作品はいつの時代にも自由自在に演出を変えて演じることができる普遍性をもっているんだとあらためて思いました。

 古川さんロミオに死の影が忍び寄るように、大貫さんが古川さんにぴったり寄り添って踊り古川さんを持ち上げて回す場面が二度ほどあったのですが、大貫さんは軽々と持ち上げているようにみえ、持ち上げられる古川さんはほとんど体重を感じさせないように持ち上げられているようにみえてどちらもすごいなと思いました。古川さん細いとはいえ、背があるのでそれなりに体重はあると思うのですごいです。大貫さんのダンスの表現力、全編を通して素晴らしかったです。

 古川さんロミオ、長い脚と小さい顔に衣装とブーツがお似合い。長い髪を後ろで留めているのが可愛くてよく似合っていたと思います。最初から死の影があるような、たよりなーい、ほそーい、儚い感じのロミオでした。3年ぶりだそうですが実年齢的にはロミオを演じるにはぎりぎりかな。ミュージカル初の生田絵梨花さんとミュージカルでキャリアを重ねてきた古川さんとのバランスがどうかなーという感じもなきにしもあらずな感じでした。ジュリエットをみつめるまなざしはいとしげではかなげで優しかったです。ティボルトにマキューシオを殺されてしまったのに逆上してとっさにティボルトを刺してしまい、後悔にうずくまって小さくなる場面や、ジュリエットが仮死状態だと知らずにジュリエットが横たわるそばで、この世になにも未練などないと言って毒薬を飲み干す場面の美しさなどルドルフを思い起こしました。ほんとにもうなんにも望まない、ただジュリエットのそばにいたいだけという想いがよくでていたと思います。あと亡骸になったあとの、いのちの鼓動を全く感じさせない亡骸っぷりもすごくよかったです。美しく儚く、若い二人を追いつめてしまった大人たちの愚かさをより深く感じさせます。古川さんの、倒れたマキューシオとか相手の顔を手で包むような仕草、独特ですね。

 キャピレット夫人のタータン(香寿タツキさん)、ほんの二週間ぐらい前ルドルフを歌で演じていたのが嘘のよう。歌は上手だし、甥であるティボルトとなさぬ仲になっていて、ジュリエットは夫の娘ではないという衝撃の告白。色気のある役のタータンははじめてみたと思います。愛のない結婚をした苦悩がよく出ていたかな。モンタギュー夫人の秋園美緒さんとの歌対決は、歌うま同士で聴きごたえ十分。さすがでございました。秋園さん出番は少ないですが息子ロミオへの愛をよく表現されていました。

 広瀬祐介さんのティボルト、色っぽかったです。愚かで切ない役どころ。

 ベンヴォ―リオの馬場徹さん、立ち位置がなかなかに難しい役どころだと思いますが歌もうまいし、柔軟性のある感じでよかったと思います。清史郎君の劇団の先輩ね。

 若者たちのエネルギーが爆発する「世界の王」がテーマ曲かな。絶望的な内容の作品に明るさを吹き込む曲。あと二回聴くことができます。古川さんほんとに歌が上手くなりました。まだ歌がおぼつかない感じの時のはかなさと細さもそれはそれでよかったですけどね。

 また書くと思いますが走り書きで綴ってみました。明日はまた出勤。大変なのでね、ちょっとのんびりした時間はこれで終わりです。アフタートークショーのことはまた後日、書ければ書くかな・・・。







普通がいちばんむずかしい

2017年01月18日 23時29分08秒 | 日記
 

 乾燥した日が続きます。今日も青空、寒い一日でしたね。お昼休憩に食堂から見上げた空と雲はほんとうにきれいでした。プリンス・エドワード島でドライブしているとき、遠く遠く流れていく雲をみながらわけもなく幸せだったことを思い出しました。また行けるかな。この世にいる間にもう一度いきたいです。三回いってますけど、また行きたいです。昨年12月に『クロスハート』、観てよかったっていう記事を書きたくてたまらないのですが就労日は無理ですね。明日休むので書けるかな、きびしいかな。

 何回も同じことを書いているような気がしますが、色々なケースに出会いながら、普通に生きることが一番むずかしいんだなあって、ほんとうにしみじみと思いました。健康で文化的な普通の生活をすることは至難の技。なにかを成し遂げて名を馳せるとか、特別なことよりも、誰もがやっているようにみえる、当たり前の日常生活を続けることの方がはるかに難しいと思います。誰にでもできるようで実はできない。わたしも、そのカイシャにずっといたかったかどうかは別にして、何の補償もなく使い捨てというかたちで労働権と日中の居場所を失くして日常生活が崩れました。もちろん収入も突然途絶えました。そう考えるとカイシャはやっぱり罪深い。なんでせっせと働いてきた自分がわりを喰ったんだろうと思ってしまいます。わたし、いつまでたっても、いつでも使い捨てにできるハケンだったから仕方なかったですけどね、なんだかね、すり減るだけすり減ったところからこうして当たり前の生活を取り戻すまでの時間と道のりを思うと、人のこといってられない、自分も紙一重。運とタイミングで拾われなかったら、ずっと収入が途絶えたまま社会から孤立し続けていたであろうことを思うと、心の底からぞっとします。こうして日中の居場所があることはありがたいことです。だからね、大変ですがふんばってみるしかないなあと思っています。

 今日も一日は早かったです。電話の件数がハンパないし、内容も色々にむずかしいので、その対応がなんとかやれているだけでも十分役に立っているみたいです。常に事務所内に人がいるわけではなく出たり入ったりしている状況は大変ですが、前々職のカイシャとおんなじでわたしの性分にあっているんですね。わたし自身も時々外に出ることができます。お昼を食べるところが近くにないのは辛いですが、先のことは全くわかりませんが、せっかくの機会。やれるところまでやってみるしかありません。どうやらわたし以外にも契約ベースの雇用形態の人は何人もいて、みんな4月末までの契約になっているみたいです。みんなが契約終了でさようならということはあり得ないように思うのですがどうなんでしょうか。全くわかりません。まずは一日、一日。明日はロミジュリ観劇のためにお休み。年明け早々から仕事があるとは全く思わなかった昨年、呑気に平日のチケットを取ってしまいました。休む分お給料は減りますが、10日あまり出勤して頭ぱんぱんの息抜きのタイミングかな。楽しみたいです。あれやこれやとありますがまた明日以降に・・・。

 このようなブログへの訪問、ありがとうございました。
 

祈りの日

2017年01月17日 22時38分23秒 | 日記




「1995年1月17日午前5時46分から

 最初の一撃は神の振ったサイコロであった。多くの死は最初の五秒間で起こった圧死だという。行政の対応が遅れた理由は簡単である。幹部は、多くは郊外の自宅にいて眠っていた。つまり一私人であった。私もそうであった。昼間に起こっていたら公務員は持ち場にいてシナリオは多少変わっていたであろう。しかし、都市活動が始まるほぼ30分前に起こった幸運には代えがたいかもしれない。後に私は何度もこのことを頭の中で反芻することになる。博多行き「ひかり」の初発は6時12分に新大阪を発車していたはずであった。現場通過は6時20何分かである。」

(中井久夫著『災害がほんとうに襲った時-阪神淡路大震災50日間の記録』みすず書房、2011年4月3日発行より)

 今日は阪神淡路大震災から22年目、祈りの日でしたね。わたしにとっては妹との突然のお別れからわずか4か月の頃。ニュースをみながら多くの御霊が召されたことをどう受けとめていいのか全くわかりませんでした。新装なったばかりの宝塚大劇場も被災したというのがわたしの中では大ニュース。シャンデリアが全部落下、スプリンクラーが回ったので水浸しになったということでした。大劇場公演ができなくなり、天海さん率いる月組がバウホールで『Beautiful tomorrow』という歌とダンスの公演やりました。被災から復帰して最初の公演が麻路さきさんの星組トップお披露目の『国境のない地図』でした。麻路さんんに大きな息子さんがいらっしゃるんだから、歳月はたちました。わたしの中でも長い時が流れました。色々な想いはあふれてきますが就労日に書けるのはここまで。

 今日もわたしはわたしの役割に務めました。ばたばたとやっているとあっという間にまた一日が終わっていました。電話に出るだけでもほんとに色々なことがあって難しいです。色々なことがあり過ぎてきりがなく目の前にあることをやっていくしかありません。詳細は書けませんが考え方がなかなかに難しくて悩ましいなと思いました。わたし大丈夫ですかね。何十回もやっていると自然におぼえますよと言ってくれました。今までいずこのカイシャに行ってもそうやって仕事をおぼえて働いてきたわけなので同じようにやれますかね。4月末までの契約なのに、こうして丁寧におしえてもらっていいのかなあ。おしえてもらわないと全くやれないのでおしえてもらわないわけにはいかないのですが、数か月やってはいさようならっていう内容のことじゃないし、慣れた頃に終わりとなりそうなのはなんとも勿体ない感じがします。わたしがこんなこと言うものヘンですが、組織体の仕組みがなかなかに悩ましいです。お昼休みに出かける所がないのつらいので、今日も不慣れなSafaceでインターネットラジオを聴いたり、プリンス・エドワード島の写真をみたりしながら喫茶室でお昼を食べました。ちょっと高いですがカフェオレもいただいてランチセット。気分転換代。あったかくなってきたらわずかな時間でも外を散歩できますが、今はすごく寒いのできびしいですね。毎日毎日晴れて空気が澄んでいるせいか、青空がすごくきれい。執務室の窓からプリンターのところに行ったときちらっとみえた夕焼けの空もすごくきれいでした。この空がプリンス・エドワード島とつながっているんだと思うと嬉しいです。いつかこの世にいる間にまたプリンス・エドワード島に行きたいな、行けるかな。

 あれこれ気になることはあれど明日のためには時間切れとなりました。今日も一日よくがんばりました。人からみたらヘンなおばさんかもしれませんが、働いているわたしはそんなことないはずだし、大切なのは人からどう思われるかではなく自分がどうしたいかってことだって清史郎君パブロがおしえてくれました。ここまで立ち直ってきたわたしはどう考えてもほんとうにえらいので自分をほめてあげながら眠りにつくとしましょう。自分が生きていくこと。それしかありませんからね。おやすみなさい。

あっという間の一日でした

2017年01月16日 22時48分25秒 | 日記
 寒さと乾燥が一番厳しい季節、エアコンの風、本当は好きじゃないですが仕方ないですね。夏はつけずに我慢できても、冷え込む時はどうしようもありません。洗濯物をせっせと干してなんとかしのいでいます。以前住んでいた部屋よりも畳一畳分ぐらいせまいこの部屋、モノが多いのでほんとにせまいんですね。少しずつ減らしてはいますがまだまだ。でも休みの日にやるには限界があり、平日はほとんどなにもできずで仕方ないですね。焦るなかれ。間違いなく減ってきてはいるのでね、少しずつ、少しずつ。空が澄んで美しい帰り道。少し陽が長くなってきている気配。マンションがみえてくる坂道を下りながら、空を見上げて祈りました。「Mちゃん(妹)、また会う時まであと30年ぐらい姉ちゃんに時間をちょうだい、精一杯生きる時間をちょうだい」って。

 昨日の閲覧8位だった2013年10月2日の記事「小さな花」、自分でも読み返しました。

http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/bf62a7393a3bfc2ef16305ddee1a3c5c?fm=entry_awp


 結果的にハケンだったがために使い捨てにされたカイシャで、まだストレスにまみれどうにかなってしまいそうなのを家賃あるので必死にこらえながら働いていた頃でした。完全に形骸化していた、書類上の雇用主に過ぎなかったハケン会社の営業担当とやらがたまにやってきても違和感あるばっかりでなにも心は動きませんでした。わたしたちが働いて稼ぐ時給のあがりから給料もらってるハケン会社がカイシャに対して、わたしの名前を呼び捨てで連呼するのをきくのがいやでたまりませんでした。ハケン会社にとってカイシャはあがりをちょうだいできるありがたいお客様様ですからね、平身低頭のペコペコ。受付の電話機でわたしを呼び出すとき、「たんぽぽがいつもお世話になっております」って連呼しやがりました。所属部署の役職者と顔を合わせると「たんぽぽがお世話になっております」って連呼しやがりました。そのたびになんだかすごく悔しかったです。ハケン会社を移籍してまでやっていたわたしには応えました。

 ボタンの掛け違えのような日々はどこかで精算されなければなりませんでした。自分から辞めるとは言えなかったので使い捨てになりました。結果的にわたしは、ふたつの大会社にとってモノでしかありませんでした。こうして働いている今だから思えることですが、年齢を考えると3年前にこんな日々から抜け出すことができてよかったと思います。損害賠償を求めた労働紛争の実りはほんのわずかでしたが、あれ以上追いかけなくて正解でした。もし裁判までいってしまったらさらに人生の時間台無し。再スタートに間に合わなかったと思います。結果的に運とタイミングで再スタートに間に合いました。今日もいろいろと考えさせられることがあり、あんなカイシャで、ヘンな仕組みの中で、我慢に我慢、さらに我慢を重ねて、働き続けおまけに国家試験にも合格した自分は心の底から、えらいなあと思いました。辛抱し続けることだけが正解ではありませんが、あまりにも堪え性がない人も世の中にはいるんですね。働くということは単に収入を得るということのみならず、いろいろな意味があるんだなあと思います。自分で稼いで、家賃払って、ごはん食べて好きなことも楽しむ。当たり前のようなことが実はすごく難しい。いろいろと批判もしたい組織体に拾われなかったらたぶんわたしはまだ社会から孤立したままどうしようもなかったと思います。紙一重。そう思うとぞっとします。こうして日中の居場所があるということは、必要とされるということはありがたいことなのだとあらためて実感したしだいです。拾われていなかったら、と思うとほんとにぞっとするんです、運とタイミングとしか言いようがありません。

 仕事としてはきついです。アルバイトなので多くは求められませんが、朝から電話を取るだけでもあれやこれやと色々にむずかしく、担当となった方々と少しばかり面談していたり、情報を整理していたりしたらあっという間に一日が終わりました。どこまでやれるかわかりません。お昼を食べるところが近くにないので食堂か喫茶室を利用。外に出ないので
気分転換をうまくしないときついなと感じています。ようやくSafaceでインターネットラジオを聴いたり、清史郎君のお写真眺めたり、『赤毛のアン』の英語を読んだりしながら過ごすお昼休み。今週の木曜日は、ロミジュリなのでね。こうしてやっていい人がいるとなれば、人は常に足りないので声はかかるそうな。ただ就労形態の安定はむずかしいようですが次へと道はつながっていくみたいなのでなんとかやれるといいなあと思います。もうお風呂入ってやすまねばですね。また明日。ブログを書くことは大切な息抜き、気持ちを吐露できるひととき。明日またこうして無事にブログを開くことができますように・・・。

第三章_日本的経営と女性労働_その歴史の概観④低成長期の第三次産業従事者増加とパート労働

2017年01月15日 15時47分02秒 | 卒業論文
 続いて激しい構造変化に見まわれた低成長時代がおとずれる。1970年代に入り、高度成長を支えた諸条件が破綻し始め、73年の第一次石油ショックを契機に、世界経済は深刻な同時不況に突入した。日本の産業の中でとりわけ強い影響を受けたのは、石油・石油化学工業等の素材型産業であった。それとは対照的に、電子及び電子機械工業はME技術革新を主導し、自動車、電気機械等も輸出に支えられ、総じて機械工業だけは著しく生産を拡大した。他方、政府の「経済のサービス化」の主導の下、第三次産業も拡大し、「高度情報化社会」に向けた産業構造の転換が進められた。

 第一次石油ショックを契機とした「構造不況」は先ず女性雇用に影響し、74‐75年には製造業で43万人の純減を見た。1) 高度経済成長期以来、初めて減少傾向に転じたのである。続く78年の第二次石油危機を経験して、日本経済は年平均成長率が高度経済成長期の半分になった。1970年代後半から80年代前半にかけての10年間は低成長時代といわれる。原油価格が四倍にはねあがり、原油供給量は半減という第一次オイルショックに直面した企業は、①エネルギー省力化投資、②他のコスト節減、という二つの対策で応じた。②の他のコスト節減上、最も大きな効果をあげたのは人件費節約である。そのため、大幅なロボット投入と雇用調整のしやすい常用労働者以外の採用を積極的に行った。この時期には、常用雇用の男性でさえ雇用調整の対象となった。さらに、賃金上昇率は高度成長期の年率十数パーセントから一挙に半減した。2)  こうした中で女性労働者は先には減少したのが、76年以降は反転して急増し女性労働者は増加率のみならず、増加数においても男性労働者を上回った(その差は75-89年で実に132万人)。高度経済成長期にも戦時経済化にもみられなかった新たな現象である。3)

 増加した女性労働者は第三次産業へと吸収されていった。産業別女子雇用者構成比を見ると、第三次産業の著しい伸びが目立つ。(図3-1) 70年代前後に女性就業者産業別割合は第一次産業から第三次産業へとその主要部分を転じている。(図3-2)これは「サービス経済化」といわれ、全産業に占める第三次産業の就業者比率や国民総生産における比率が過半数を超えることが指標とされる。 4) 第三次産業従事者が増加したしたということは、製造業に直接携わるのではない労働の増加を意味する。

 70年代の産業構造の転換は製造業領域だけでなく、OA化・ME化が進行した進行した事務部門でも情報化を推し進め、新たに多様な事務所サービスを生んだ。同時に求められる労働力も専門知識・技能など質的なものが重視されるようになり、従来の流れ作業・反復作業中心の労働から各々のニーズに応じたサービスの提供が主となった。女性の事務従事者が1977年以降男性を上回り(89年には差は145万人)、さらに技術者・科学研究者・音楽家・舞台芸術化・文芸家・記者・編集者など、専門的・技術的職業従事者が大幅に増加したことも特徴的である。

 労働力の質の向上に伴い、女性労働者の学歴も大卒(但し短大中心)が急増し、新規学卒者に占める割合が4割(88年)に達した。さらに、勤続年数も目覚しい伸びを示し、平均勤続年数は89年には7.2年になったほか、30歳代ならびに20歳代後半の若い層でも勤続年数が伸び、勤続年数10以上の層が26%に拡大した。 5) こうした傾向は、女性社員の教育を、単に対象の助成社員に限定して考えず、女性社員の職場環境を形成する男性社員の意識変革や、特に管理職者の管理方法の見直しを迫った。

 第三次産業のうちでも卸売・小売り・サービスなどでは圧倒的にパート労働者が占めている。76年以降の女性労働者の急増は雇用形態の悪化を伴った。常用雇用者は74-77年にかけて26万人(2%)しか伸びていないのに、パート労働者は、101万5千人(17.9%)の増加を示している。6) 背景としては、石油ショックを契機とする雇用調整では、まず女性労働者の排除が実施されたが全般的な労働条件の悪化は家計の収入が伸び悩をもたらし、その結果家計補助のために男性の補助的労働に甘んじていた女性の労働参加が積極的になったこと、この時期を堺に高齢化社会への対応が手薄であることが宣伝され、老後への備えから女性の就労が顕著になったこと、さらにモノを作る産業での省力化が一段と進む半面、販売やサービス業でもパートタイム・ジョブという形態の需要が増大したことが挙げられる。 7)

 大量解雇から一転しての「非正規従業員」を含みつつの雇用労働者増大という雇用の変化は、人件費の削減を意図する企業の期待と家事に差し支えない程度にほどほどに働きたい主婦の意向とがマッチした結果であり、女性労働者が相変わらず景気・生産量調節弁的機能を担わされていることを示している。日本型企業社会は、フレキシブルな労働供給である女性のパートタイム・ジョブに依存する傾向をますます強めた。

 これまでにもパート労働について繰り返し記述してきたが、それはパートタイム・ジョブという雇用形態が、日本の女性労働の特殊性を集中的に含みもっているからである。日本のパート労働は欧米型の時間の長短だけの差を表した雇用形態ではない。パート労働者という存在こそ、日本型企業社会における性別職務分離の結合環であり、第一章で見たような労働市場における垂直的及び水平的な職種等の分離が集中的に表れやすいと言える。先に女性労働者の学歴向上は88年時点で短大卒が中心であることを記したが、男性は4年制大卒が圧倒的に多いことと比べて女性はいずれ結婚して家庭に入るのだから男性と同等の4年間の教育をする必要がないという性差の現われだと考えられる。女性は家庭に入り男性に扶養される。主婦がパートタイム・ジョブを選ぶことができるのは、「主婦としての経済的基盤」があるからである。「パートとフルタイムの間には大きな差がある、時間の長さの差ではない。労働に対する重さの違いだ。家計の足しのために働くのと、自分という一人の人間を食わせるために働くのでは、同じ労働でも重さが違う。その重さに耐えられず、「結婚」に逃げ道を求める人はたくさんいる。」8) と 松原惇子は言っている。

 ここでも女性自身のジェンダーシステムの内面化という問題に少し触れたい。パートタイム労働者の条件は、正社員との賃金格差のほかに、雇用年金、健康保険、厚生年金などの社会保険を適用しない企業や賞与や退職金を出さない企業もあるなど、劣悪である。これほどひどい条件であるにもかかわらず既婚女性はパートタイム・ジョブを選ぶ。女性は好んでパートタイム・ジョブを選択するのではなく、選択せざるを得ない状況におかれていることを第2章に記した。たしかに、中高年の女性の就職条件は極めて悪い。再就職しようとすると正社員ではなくパートタイマーにしかなれない場合が多い。が、一方で「女性たちが主体的に差別はされているけれども自由な非正社員の道を主体的に選択し始めている」という考え方がある。藤井治枝が熊沢誠の記述を引用して述べているところによれば、「パートタイマーや90年代に急増する派遣社員は保障がない代わりに企業に全身をのめりこませることもない。そういう人たちが日本の労働階級の一角に輩出していると考えられる」が、この「自由」の前提には「主婦としての経済的基盤」が不可欠であり、家庭における不平等や家事労働の専業を甘受しないかぎり、企業における自由は獲得できない。また、この「自由」が実は女性からいつでも労働権を奪うことのできる最大の要件でもあることが見過ごされている。 9)

 したがって、ME化における労働の二極化は、一方に中核男子労働を、他の直に中高年女子編辺を配置することで成立している。そして、さらに女性労働における二極分化がやがて進行することになるが、70年代においてはこの傾向はいまだそれほどに顕著とはいえない。ただ、女性労働者も、その未婚期においては短時間にフル回転すべき中核労働者としてそれなりの教育や労務管理的配慮が行われつつあった。 10) 被差別者の自由を享受する一般職のノンエリート層とキャリア展開を目指す総合職との二極化は、男女雇用機会均等法施行後に顕著になってくる。

 なお、パート労働者の劣悪な労働条件を改善するために、1993年「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律」(パートタイム労働法)が成立したが、違反企業に対する罰則がないなどの点で実行性が危ぶまれている。総務庁統計局『労総力調査特別調査』では、パート労働とは「企業がそう呼んでいるもの」と定義している11) が、この法律では短時間労働者とは、1週間の労働時間が通常の労働者より短い労働者を言うと定義している。

 したがって、パートと呼ばれている労働者以外に、アルバイト、嘱託、準社員その他多様な呼び方をされている労働者でも、通常の労働者より短い労働時間で働く場合は、この法律でいう「短時間労働者」にあたる。このようにパート労働者とは、労働時間が通常の労働者より短いという以外に他の労働者と変わらないので、労基法はもちろん、労働安全衛生法、最低賃金法、均等法、育児・介護休業法等はすべて適用され、雇用保険や社会保険も一定の条件があれば適用される。この点を明確にするため、1999年パートタイム労働指針が改正された。12)


引用文献


1)竹中恵美子編『新・女子労働論』100頁、有斐閣選書、1991年。

2)篠塚英子『女性が働く社会』19-20頁、1995年。

3)竹中恵美子編、前掲書、85頁。

4)井上輝子・江原由美子編『女性のデータブック[第3版]』101頁、有斐閣、1999年。

5) 竹中恵美子編、前掲書、86-87頁。

6) 藤井治枝『日本型企業社会と女性労働』165-166頁、ミネルヴァ書房、1995年。

7)篠塚英子、前掲書、19-20頁。

8)松原惇子『クロワッサン症候群 その後』87頁、文芸春秋、1998年。

9)久場嬉子は主婦のパートタイム労働を正規のフルタイム労働とは異なった特殊な「不自由な賃金労働」と定義している。その理由として①労働条件の安定や低賃金などに対する意義申し立ての機会を失ったままであること、②に自らの労働力の生産と再生産の物質的基盤をもっぱら夫の賃金に依存したままであり、その存在は家族の中の再生産労働をめぐる家父長制的関係にしっかりと縛られている、その意味でまさに「不自由」であると述べている。(竹中恵美子編『新・女子労働論』18頁)

10)藤井治枝、前掲書、166-168頁。

11)篠塚英子、前掲書、37頁。

12)東京都産業労働局『働く女性と労働法 2003年版』152-153頁、2003年。

もう安易にモノは買いません

2017年01月15日 14時59分50秒 | 日記
 7日の土曜日にメーカーの個人向けサポートセンターらしきところに電話をしても埒があかなかった電気バケツ。昨日自治体の粗大ごみ受付センターに再度電話して、流れを説明しまたメーカーに電話をするだけの気力はもうないと伝えたら、メーカーに確認してくれました。家電リサイクル法の対象外、高さ50cm未満なので燃えるゴミ扱いということがわかり、早速マンションのごみ置き場に出したらその日のうちに収集されました。なんだかまたひとつすっきり。安易にモノを買ってはいけないとあらためて深く反省した次第です。量販店をうろうろしていて目に入った時には、すっごく可愛くみえたし、あったら便利かなあって思ってポイントがたまっていたので購入してしまいましたが実際にはあまり使い手がありませんでした。ただ狭い部屋の場所をとる荷物が増えただけ。なかなか捨てるに捨てられずにいましたがようやくお別れ。断捨離していると、今となってはどうしてこんなものを買ってしまったんだろうというものだらけ。その時は必要、ほしいと思って買ったはずなんですけどね。金額にしたら数十万になるモノたちをせっせとはいまはお別れしていく作業中。まだまだあるんですねー、どうやってお別れしていいのかわからないまま、捨てるに捨てられずにいるもの。少しずつやっていくしかありません。休日にこんなことしてたら疲れちゃいますけどね、これから身軽に生きていくためにはやるしかないんです。それにしても、日本一有名な誰でも知っている某大手家電メーカーのサポートセンターで、家電リサイクル法の話をしても通じなかったって、わたしの質問の仕方がまずかったとは思えず、業務委託でそこまで仕事の質が下がっているという理解にたどり着かざるを得ないのですがどうなんでしょうか。

 ネットが不安定だったのはプロバイダに電話したら丁寧に説明してくれたので、理由がわかりました。無線LANを開始してから二年が過ぎ、無制限に使えるキャンペーン期間が終了したので速度制限がかかっているということでした。ややこしい。ちゃんと理解しないまま使っていた自分がいけなかったんですけどね。ルーターを携帯電話の回線を利用するモードに切り替えたので、少し遅いですがまた無事にネットを再開できました。ブログの更新できないとかなりつらいので、理由がわかってほっとしました。こちらはプロの仕事でした。安心しました。

 というわけでこうしてまた、グチやら観劇日記やら、あれやこれやとブログを綴ることができるようになりました。一安心。

 

『黒執事』_11月22日(3)

2017年01月14日 15時56分54秒 | ミュージカル・舞台・映画
 わたし自身のための備忘録。思い出し。昨年の観劇日記の続きです。シエル坊ちゃんを演じた内川蓮生君、カーテンコールではけるとき、下手バルコニー方面に向かって両手で双眼鏡をつくってから指を差して手を振っていました。可愛かったなあ。それを見送った古川さんセバスチャンも同じ方向に向かって双眼鏡を作って指を差してはけていきました。家族とか友達とか、親しい人が観劇していたんでしょうかね。

 内川君、二回目のカーテンコールでは、お辞儀したあとに笑顔全開でステージ前方に駆けてきて目の前の客席に手を振ってはけていきました。これまた可愛く、見守る感じるの古川さんのまなざしもあたたかい笑顔。

 ライブビューイングで観劇した千秋楽では、内川君、キャストのみなさんが順番に挨拶している間に涙を流していました。二回目か三回目のカーテンコールでは、古川さんに思わず抱き着いていましたね。それだけシエル坊ちゃんを演じるというのは大変なことだったんでしょう。抱き着いた内川君を古川さんは抱き返しませんでした。一人前の役者として内川君を認めたやさしさかな。

 シエル坊ちゃん、舞台の終盤、丘の上にいって廃墟となった孤児院の跡をみたときの、人間の愚かさ、むなしさに打ちのめされたところから希望を感じさせるまので、気持ちが移り変わっていくときの演技が特に印象的でした。坊ちゃんに付き従い、見守る古川さんセバスチャンの佇まいも素敵でした。

 ドールを演じた設楽銀河君。千穐楽の挨拶では、泣きながら書いてきた手紙を読み上げていました。声変わり前の一瞬しか演じることができなかった役。サーカス団の部屋にこっそり忍び込んできたシエル坊ちゃんの嘘を信じて心を開いてしまい、でもシエル坊ちゃんと友達になることはできなかったドールが切なかったです。最期は、あからさまには描かれてはいませんでしたがシエル坊ちゃんとセバスチャンの正体を知りセバスチャンを消そうとして逆に消されてしまったんでしょうね。

 子役ふたりの演技が素晴らしかったです。

 あと個人的には猛獣使いのビーストに、古川さんセバスチャンがせまっていく場面。古川さんトートと蘭ちゃんシシィでこういう場面があるといいのに、と思ってしまいました。

 たくさんのキャラクターが登場し、サーカス団の面々もそれぞれにキャラの心情を体現されていました。スーツ(死神)、葬儀屋、スネークと面白いキャラクターだと思いましたが、とりわけ印象的だったのは前回書いた三浦さんジョーカーと、設楽君ドールかな。欲を言えばですが、役者さんの名前を知らなかったのでわかりませんが、ケルビン男爵がもう少しかな・・・。歌でぐっと演技できる方だとさらによかったかな。わかりませんが・・・。
 

 『1789バスティーユの恋人たち』のCDをようやく聴いて、古川さんの声がいいのと、はじめてルドルフを演じた時より歌がすごく上手くなっているのにあらためて感激。次は『ロミオ&ジュリエット』のロミオ。来週の木曜日に観劇予定なので楽しみです。


『黒執事』の観劇日記はこれぐらいかな。



サーカス団(シアターガイドから転用しています。)




設楽君ドール(シアターガイドから転用しています。)




一幕ラスト(イープラスより転用しています。)




三浦さんジョーカー率いるサーカス団(エンステージより転用しています。)




内川君シエルと古川さんセバスチャン(オモシィより転用しています。)




三浦さんジョーカーと田野さんビースト(シアターガイドより転用しています。)




三津谷さんダガーと田野さんビースト(シアターガイドより転用しています。)




三浦さんジョーカー(シアターガイドより転用しています。)




サーカス団(シアターガイドより転用しています。)




東京ドームシティホール