たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

祈りの日

2017年01月17日 22時38分23秒 | 日記




「1995年1月17日午前5時46分から

 最初の一撃は神の振ったサイコロであった。多くの死は最初の五秒間で起こった圧死だという。行政の対応が遅れた理由は簡単である。幹部は、多くは郊外の自宅にいて眠っていた。つまり一私人であった。私もそうであった。昼間に起こっていたら公務員は持ち場にいてシナリオは多少変わっていたであろう。しかし、都市活動が始まるほぼ30分前に起こった幸運には代えがたいかもしれない。後に私は何度もこのことを頭の中で反芻することになる。博多行き「ひかり」の初発は6時12分に新大阪を発車していたはずであった。現場通過は6時20何分かである。」

(中井久夫著『災害がほんとうに襲った時-阪神淡路大震災50日間の記録』みすず書房、2011年4月3日発行より)

 今日は阪神淡路大震災から22年目、祈りの日でしたね。わたしにとっては妹との突然のお別れからわずか4か月の頃。ニュースをみながら多くの御霊が召されたことをどう受けとめていいのか全くわかりませんでした。新装なったばかりの宝塚大劇場も被災したというのがわたしの中では大ニュース。シャンデリアが全部落下、スプリンクラーが回ったので水浸しになったということでした。大劇場公演ができなくなり、天海さん率いる月組がバウホールで『Beautiful tomorrow』という歌とダンスの公演やりました。被災から復帰して最初の公演が麻路さきさんの星組トップお披露目の『国境のない地図』でした。麻路さんんに大きな息子さんがいらっしゃるんだから、歳月はたちました。わたしの中でも長い時が流れました。色々な想いはあふれてきますが就労日に書けるのはここまで。

 今日もわたしはわたしの役割に務めました。ばたばたとやっているとあっという間にまた一日が終わっていました。電話に出るだけでもほんとに色々なことがあって難しいです。色々なことがあり過ぎてきりがなく目の前にあることをやっていくしかありません。詳細は書けませんが考え方がなかなかに難しくて悩ましいなと思いました。わたし大丈夫ですかね。何十回もやっていると自然におぼえますよと言ってくれました。今までいずこのカイシャに行ってもそうやって仕事をおぼえて働いてきたわけなので同じようにやれますかね。4月末までの契約なのに、こうして丁寧におしえてもらっていいのかなあ。おしえてもらわないと全くやれないのでおしえてもらわないわけにはいかないのですが、数か月やってはいさようならっていう内容のことじゃないし、慣れた頃に終わりとなりそうなのはなんとも勿体ない感じがします。わたしがこんなこと言うものヘンですが、組織体の仕組みがなかなかに悩ましいです。お昼休みに出かける所がないのつらいので、今日も不慣れなSafaceでインターネットラジオを聴いたり、プリンス・エドワード島の写真をみたりしながら喫茶室でお昼を食べました。ちょっと高いですがカフェオレもいただいてランチセット。気分転換代。あったかくなってきたらわずかな時間でも外を散歩できますが、今はすごく寒いのできびしいですね。毎日毎日晴れて空気が澄んでいるせいか、青空がすごくきれい。執務室の窓からプリンターのところに行ったときちらっとみえた夕焼けの空もすごくきれいでした。この空がプリンス・エドワード島とつながっているんだと思うと嬉しいです。いつかこの世にいる間にまたプリンス・エドワード島に行きたいな、行けるかな。

 あれこれ気になることはあれど明日のためには時間切れとなりました。今日も一日よくがんばりました。人からみたらヘンなおばさんかもしれませんが、働いているわたしはそんなことないはずだし、大切なのは人からどう思われるかではなく自分がどうしたいかってことだって清史郎君パブロがおしえてくれました。ここまで立ち直ってきたわたしはどう考えてもほんとうにえらいので自分をほめてあげながら眠りにつくとしましょう。自分が生きていくこと。それしかありませんからね。おやすみなさい。