たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『マリー・アントワネット展』に行ってきました

2017年01月02日 22時30分03秒 | 美術館めぐり
 年明け、無職なってから呑気に行くつもりだった、ヴェルサイユ宮殿監修『マリー・アントワネット展』になんとか行ってきました。六本木ヒルズ森タワー52階。あのような大都会の、広くて複雑な超高層ビルとショッピングビルはは苦手、二度目ですが相変わらず迷子になっていました。なかなかに疲れますが、飛行機に10時間余りのってフランスにいってもお目にかかることができないものばかりで、『1789バスティーユの恋人たち』の観劇日記に書き連ねていることを実感して、胸が熱くなりました。こういう品々が海を渡ってよく日本に貸し出されたもんだと関心しました。音声ガイドのアントワネット役が花ちゃんというのも贅沢でした。フェルゼン役の平川さんの声も素敵でした。アントワネットと長女、長男の肖像画あたりから涙。37年という時間を、毅然として生き抜いた一人の女性の波乱に満ちた生涯をたどった感でした。

 国王一家と運命を共にし、アントワネットが心から信頼を寄せていたルイ16世の妹エリザベートの肖像画。たおやかな、優しさに満ちた表情でした。エリザベートのもとに届くことはなかった処刑される数時間前にアントワネットがエリザベートに宛てて書いた遺書。この手紙はロベスピエールの家で発見されたものだそうです。亡くなる二年前ぐらいにふたりがチュイルリー宮で作成したと思われる大きな大きな絨毯。フランス語なのでちゃんとは読めませんでしたが縁に王妃アントワネットと国王の妹エリザベートと、二人の名前が並んで刻まれていました。ヴァレンヌの逃亡に失敗して捕らえられたアントワネットがフェルゼン宛に書いた手紙。2016年1月黒く塗りつぶされた部分が解読されたそうです。フェルゼンの暗号を使った手紙。誰がこれらの手紙の橋渡しをしていたんでしょうね。アントワネットが断頭台にのぼる際に脱げ落ちたとされる靴の片方。小さいサイズでした。靴の中敷きに、たしかに人がはいていた足跡を感じて生々しかったです。囚われていたアントワネットが身に着けていたシュミーズと使用していた化粧水の瓶。贅沢の限りを尽くした宮廷生活を送っていた王妃の日用品としてはあまりにも質素。ルイ16世は一人の愛人も持たなかったことがアントワネットを不幸にしたかもしれないという音声ガイドの解説。それまでは王の愛人が憎悪の対象となっていたのが、そういう対象がいなかったために王妃が憎悪の対象となってしまったという内容でした。ヴェルサイユ宮殿の、寝室の冬用、夏用のタペストリーやら、王妃がコレクションした日本製の食器やら調度品やら、センスがよく贅を尽くしたものばかり。ヴェルサイユ宮殿で確かにみたなあと記憶がある王妃の寝室の写真。ヴェルサイユ宮殿は広すぎて見学者が多すぎて、お手洗いが少なすぎて大変でゆっくりと見学できた実感は皆無でしたが贅沢すぎるという実感は持てたと思いますが、食器までみることはできませんでした。今回展示されていた食器の一部だけでもほんとに贅沢。国庫が破綻していったのも無理からぬこと。アントワネットは自然を好む人だったのに、嫁いだばかりの頃、宮廷の贅沢にとりつかれてしまったのは心の隙間を埋めるためだったのでしょうか。本来の王妃を役割にアントワネットが目覚めたときはすで革命という火花が彼女を呑み込もうとしていました。いろいろな想いは、『1789~』の観劇日記に綴っているとおりです。

 トップの写真は、帝国劇場で上演された『1789バスティーユの恋人たち』のマリー・アントワネット。


 下記の写真はすべて、『マリー・アントワネット展』公式HPから転用しています。

ヴェルサイユ宮殿



1755年のオーストリア皇帝マリア・テレジア一家。真ん中のゆりかごにいるのが末娘のアントワネット。
 



大盛装したアントワネット。奇抜な羽飾りと衣装。すでにモード誌が発行されていたパリのファッションリーダーでした。宝塚の衣装ですっかりお馴染みになっていますが冷静にみるとやはりすごいですね。




解読された1792年1月4日付のフェルゼンに宛てた手紙。




 余談ですが『黒執事』に出演されていた方とそっくりな方を入口付近で見かけたのですが違う人かな・・・? 

 明日で休みは終わり。次の通勤経路と通勤場所を再確認に行かないと4日に出勤することができません。10日ぐらいやすみたいなあ。つらいなり・・・。