たんぽぽの心の旅のアルバム

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第三章_日本的経営と女性労働_その歴史の概観④低成長期の第三次産業従事者増加とパート労働

2017年01月15日 15時47分02秒 | 卒業論文
 続いて激しい構造変化に見まわれた低成長時代がおとずれる。1970年代に入り、高度成長を支えた諸条件が破綻し始め、73年の第一次石油ショックを契機に、世界経済は深刻な同時不況に突入した。日本の産業の中でとりわけ強い影響を受けたのは、石油・石油化学工業等の素材型産業であった。それとは対照的に、電子及び電子機械工業はME技術革新を主導し、自動車、電気機械等も輸出に支えられ、総じて機械工業だけは著しく生産を拡大した。他方、政府の「経済のサービス化」の主導の下、第三次産業も拡大し、「高度情報化社会」に向けた産業構造の転換が進められた。

 第一次石油ショックを契機とした「構造不況」は先ず女性雇用に影響し、74‐75年には製造業で43万人の純減を見た。1) 高度経済成長期以来、初めて減少傾向に転じたのである。続く78年の第二次石油危機を経験して、日本経済は年平均成長率が高度経済成長期の半分になった。1970年代後半から80年代前半にかけての10年間は低成長時代といわれる。原油価格が四倍にはねあがり、原油供給量は半減という第一次オイルショックに直面した企業は、①エネルギー省力化投資、②他のコスト節減、という二つの対策で応じた。②の他のコスト節減上、最も大きな効果をあげたのは人件費節約である。そのため、大幅なロボット投入と雇用調整のしやすい常用労働者以外の採用を積極的に行った。この時期には、常用雇用の男性でさえ雇用調整の対象となった。さらに、賃金上昇率は高度成長期の年率十数パーセントから一挙に半減した。2)  こうした中で女性労働者は先には減少したのが、76年以降は反転して急増し女性労働者は増加率のみならず、増加数においても男性労働者を上回った(その差は75-89年で実に132万人)。高度経済成長期にも戦時経済化にもみられなかった新たな現象である。3)

 増加した女性労働者は第三次産業へと吸収されていった。産業別女子雇用者構成比を見ると、第三次産業の著しい伸びが目立つ。(図3-1) 70年代前後に女性就業者産業別割合は第一次産業から第三次産業へとその主要部分を転じている。(図3-2)これは「サービス経済化」といわれ、全産業に占める第三次産業の就業者比率や国民総生産における比率が過半数を超えることが指標とされる。 4) 第三次産業従事者が増加したしたということは、製造業に直接携わるのではない労働の増加を意味する。

 70年代の産業構造の転換は製造業領域だけでなく、OA化・ME化が進行した進行した事務部門でも情報化を推し進め、新たに多様な事務所サービスを生んだ。同時に求められる労働力も専門知識・技能など質的なものが重視されるようになり、従来の流れ作業・反復作業中心の労働から各々のニーズに応じたサービスの提供が主となった。女性の事務従事者が1977年以降男性を上回り(89年には差は145万人)、さらに技術者・科学研究者・音楽家・舞台芸術化・文芸家・記者・編集者など、専門的・技術的職業従事者が大幅に増加したことも特徴的である。

 労働力の質の向上に伴い、女性労働者の学歴も大卒(但し短大中心)が急増し、新規学卒者に占める割合が4割(88年)に達した。さらに、勤続年数も目覚しい伸びを示し、平均勤続年数は89年には7.2年になったほか、30歳代ならびに20歳代後半の若い層でも勤続年数が伸び、勤続年数10以上の層が26%に拡大した。 5) こうした傾向は、女性社員の教育を、単に対象の助成社員に限定して考えず、女性社員の職場環境を形成する男性社員の意識変革や、特に管理職者の管理方法の見直しを迫った。

 第三次産業のうちでも卸売・小売り・サービスなどでは圧倒的にパート労働者が占めている。76年以降の女性労働者の急増は雇用形態の悪化を伴った。常用雇用者は74-77年にかけて26万人(2%)しか伸びていないのに、パート労働者は、101万5千人(17.9%)の増加を示している。6) 背景としては、石油ショックを契機とする雇用調整では、まず女性労働者の排除が実施されたが全般的な労働条件の悪化は家計の収入が伸び悩をもたらし、その結果家計補助のために男性の補助的労働に甘んじていた女性の労働参加が積極的になったこと、この時期を堺に高齢化社会への対応が手薄であることが宣伝され、老後への備えから女性の就労が顕著になったこと、さらにモノを作る産業での省力化が一段と進む半面、販売やサービス業でもパートタイム・ジョブという形態の需要が増大したことが挙げられる。 7)

 大量解雇から一転しての「非正規従業員」を含みつつの雇用労働者増大という雇用の変化は、人件費の削減を意図する企業の期待と家事に差し支えない程度にほどほどに働きたい主婦の意向とがマッチした結果であり、女性労働者が相変わらず景気・生産量調節弁的機能を担わされていることを示している。日本型企業社会は、フレキシブルな労働供給である女性のパートタイム・ジョブに依存する傾向をますます強めた。

 これまでにもパート労働について繰り返し記述してきたが、それはパートタイム・ジョブという雇用形態が、日本の女性労働の特殊性を集中的に含みもっているからである。日本のパート労働は欧米型の時間の長短だけの差を表した雇用形態ではない。パート労働者という存在こそ、日本型企業社会における性別職務分離の結合環であり、第一章で見たような労働市場における垂直的及び水平的な職種等の分離が集中的に表れやすいと言える。先に女性労働者の学歴向上は88年時点で短大卒が中心であることを記したが、男性は4年制大卒が圧倒的に多いことと比べて女性はいずれ結婚して家庭に入るのだから男性と同等の4年間の教育をする必要がないという性差の現われだと考えられる。女性は家庭に入り男性に扶養される。主婦がパートタイム・ジョブを選ぶことができるのは、「主婦としての経済的基盤」があるからである。「パートとフルタイムの間には大きな差がある、時間の長さの差ではない。労働に対する重さの違いだ。家計の足しのために働くのと、自分という一人の人間を食わせるために働くのでは、同じ労働でも重さが違う。その重さに耐えられず、「結婚」に逃げ道を求める人はたくさんいる。」8) と 松原惇子は言っている。

 ここでも女性自身のジェンダーシステムの内面化という問題に少し触れたい。パートタイム労働者の条件は、正社員との賃金格差のほかに、雇用年金、健康保険、厚生年金などの社会保険を適用しない企業や賞与や退職金を出さない企業もあるなど、劣悪である。これほどひどい条件であるにもかかわらず既婚女性はパートタイム・ジョブを選ぶ。女性は好んでパートタイム・ジョブを選択するのではなく、選択せざるを得ない状況におかれていることを第2章に記した。たしかに、中高年の女性の就職条件は極めて悪い。再就職しようとすると正社員ではなくパートタイマーにしかなれない場合が多い。が、一方で「女性たちが主体的に差別はされているけれども自由な非正社員の道を主体的に選択し始めている」という考え方がある。藤井治枝が熊沢誠の記述を引用して述べているところによれば、「パートタイマーや90年代に急増する派遣社員は保障がない代わりに企業に全身をのめりこませることもない。そういう人たちが日本の労働階級の一角に輩出していると考えられる」が、この「自由」の前提には「主婦としての経済的基盤」が不可欠であり、家庭における不平等や家事労働の専業を甘受しないかぎり、企業における自由は獲得できない。また、この「自由」が実は女性からいつでも労働権を奪うことのできる最大の要件でもあることが見過ごされている。 9)

 したがって、ME化における労働の二極化は、一方に中核男子労働を、他の直に中高年女子編辺を配置することで成立している。そして、さらに女性労働における二極分化がやがて進行することになるが、70年代においてはこの傾向はいまだそれほどに顕著とはいえない。ただ、女性労働者も、その未婚期においては短時間にフル回転すべき中核労働者としてそれなりの教育や労務管理的配慮が行われつつあった。 10) 被差別者の自由を享受する一般職のノンエリート層とキャリア展開を目指す総合職との二極化は、男女雇用機会均等法施行後に顕著になってくる。

 なお、パート労働者の劣悪な労働条件を改善するために、1993年「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律」(パートタイム労働法)が成立したが、違反企業に対する罰則がないなどの点で実行性が危ぶまれている。総務庁統計局『労総力調査特別調査』では、パート労働とは「企業がそう呼んでいるもの」と定義している11) が、この法律では短時間労働者とは、1週間の労働時間が通常の労働者より短い労働者を言うと定義している。

 したがって、パートと呼ばれている労働者以外に、アルバイト、嘱託、準社員その他多様な呼び方をされている労働者でも、通常の労働者より短い労働時間で働く場合は、この法律でいう「短時間労働者」にあたる。このようにパート労働者とは、労働時間が通常の労働者より短いという以外に他の労働者と変わらないので、労基法はもちろん、労働安全衛生法、最低賃金法、均等法、育児・介護休業法等はすべて適用され、雇用保険や社会保険も一定の条件があれば適用される。この点を明確にするため、1999年パートタイム労働指針が改正された。12)


引用文献


1)竹中恵美子編『新・女子労働論』100頁、有斐閣選書、1991年。

2)篠塚英子『女性が働く社会』19-20頁、1995年。

3)竹中恵美子編、前掲書、85頁。

4)井上輝子・江原由美子編『女性のデータブック[第3版]』101頁、有斐閣、1999年。

5) 竹中恵美子編、前掲書、86-87頁。

6) 藤井治枝『日本型企業社会と女性労働』165-166頁、ミネルヴァ書房、1995年。

7)篠塚英子、前掲書、19-20頁。

8)松原惇子『クロワッサン症候群 その後』87頁、文芸春秋、1998年。

9)久場嬉子は主婦のパートタイム労働を正規のフルタイム労働とは異なった特殊な「不自由な賃金労働」と定義している。その理由として①労働条件の安定や低賃金などに対する意義申し立ての機会を失ったままであること、②に自らの労働力の生産と再生産の物質的基盤をもっぱら夫の賃金に依存したままであり、その存在は家族の中の再生産労働をめぐる家父長制的関係にしっかりと縛られている、その意味でまさに「不自由」であると述べている。(竹中恵美子編『新・女子労働論』18頁)

10)藤井治枝、前掲書、166-168頁。

11)篠塚英子、前掲書、37頁。

12)東京都産業労働局『働く女性と労働法 2003年版』152-153頁、2003年。

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