たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

父が亡くなった翌年・東日本大震災のあった年-2011年2月

2024年06月03日 16時56分19秒 | 祈り

「2011年2月4日(金)

Yちゃんとビスタさんの壮行会に参加。」

 

「2011年2月5日(土)

サイエンスカフェ『プラナリアー性と死をみつめて』

 14時~16時;来往舎シンポジウムスペース

その後佐藤先生企画、ビデオアートのトークショー&上映会、

A井さんに会った、楽しかった。

 

PEIの時の記録や写真集を読み返したりして、しばし幸せな気持ちになることができた。」

 

「2011年2月6日(日)

川和G。だるくて体がなかなか動かなかった。休みに電車に乗るのは辛い。遺産相続のことをきいてもらって自分を肯定できた。でも人を上から目線でしかみることができないオジサンは勘弁してほしい。これも学びなのかなあ。生きてさえればきっとまたカナダに、PEIにいくことができる。吉村さんの写真集をみながら、アンを読みながら自分を励ます日々。希望をもとう。曲がり角の向うには、見えないがきっと新しい道が開けているんだ。」

 

「2011年2月7日(月)

チョコを父に供えてもらおうと思って送った。アケさんから何か届いている。どうしたものか・・・」

 

「2011年2月9日(水)

寒くなる、久しぶりに雨っぽい夜。昼間あったかいと中は冷房で寒い。夜寒くなる。いやなニュースとくだらない番組ばかりでテレビを消してしまう。」

 

「2011年2月11日(金)建国記念日

雨から雪。寒い。引きこもり。スキャンと家計簿と医療費控除がちょっとずつしか進まない。」

 

「2011年2月12日(土)

寒い。吉村さんの写真展に行こうとしていたが挫折。引きこもり。ドトールで細々とアン。」

 

「2011年2月13日(日)

整骨院40分コース¥5,050 体中ごりごりを自覚した。

アケさんから届いたのが子供服のようなインテリア、要らない、どうしよう」

 

「2011年2月14日(月)

連休中ずっとPCをみていたせいか、目がチカチカしてだるいし、なんだかネジが外れているような一日だった。夜雪、そのわりにはあたたか。

部屋の中を整理したい。物は要らない。アケさんから残る物が届いてしまった。不安神経症で家が火事になりはしないかと考えてしまう。写真と紙はできるだけ捨てたい。早くスキャナーこないかな。40代のうちにできるだけ身軽になりたい。」

 

「2011年2月15日(火)

朝ベタ雪の跡ですべる。電車は遅れる。すごく寒かった。昼間はあったかくなる。早めにコンタクトを外したらチカチカが少し楽。ドライアイがひどい。季節の変わり目。いやだね。

スキャナーの到着がまたれる。少しでも整理していきたい。」

 

「2011年2月16日(水)

毎日布団に入るのが2時頃でこんなことを続けているとそのうちこわれてしまうような気がするのにと思いながら無理を続けている。いつまで続いて、自分はどうなっていくのだろう。50歳を区切りとしたい。今は現状維持でいくしかないのかもしれない。」

 

「2011年2月18日(金)

飲み会があった。部の人たちはあたたかい。私によくやってくれているんだなというのはほんとにあるんだな。」

 

「2011年2月18日(金)

昼過ぎにやけにあったかくなるとだるい。毎日あまりねてないし、なんか自分がおかしいなあと思ったりしてしまう。会社の中で2人分ぐらい負荷を背負うために気張ってきた。その緊張感は半端なものではない。それを他の部の人達にわかってもらえず誤解されているのは辛い。決して変なつもりはないのになんだか結果そうなってしまったり。まあ職場だからいいんだけど毎日のことだし、相変わらずうまくなくって損をしている私がいる。」

 

「2011年2月20日(日)

フォーウインズセミナー 13時~17時30分ごろ、K大学病院セミナールーム

日曜日に通勤ルートをたどるのはきついが、自分の方向性とY先生との関わりを通して体の中にしみ込んでいることってまちがっていないんだとあらためて感じた。負の感情から逃げない、ごまかさない、ないもののようにしない、あるんだなときちんと認識していぅ。それは日本の風土の中ではなかなか許されないことだが、私は闘い続ける。自分も人も肯定する。希望の光を見出していく。私はこれでいいんだ。いつかセラピストになっているのかもしれない。ていねいに一歩ずつ。今の会社の中ではなかなかそんな私ではないけれどね・・・。気持ち悪いと感じているものは仕方ない。そう思う気持ちをねじふせたりしない。自分の完成を信じるのみだ。いいセラピストに出会えたこと。その瞬間から私はあらたに始まっていだんだ。」

 

「2011年2月24日(木)

日曜日の疲れを引きずりながらなんとか過ぎている。長い。休もうとしたがそれも疲れのでやめた。派遣会社が悔しいが今は現状維持でいくしかないことはわかっている。でも悔しいなあ。結局更新のメールを送れなかった。私の身体感覚が気持ち悪いと叫んでいる。ファーストフード的な、機械的なものにすごく苛立ちを感じている。」

「2011年2月26日(土)

あまり眠れていない。よくもってるよなあ。そのうち自分がこわれるかもしれない。Mちゃん手作りの洋服とアケさんから届いたインテリアらしきもの、カバンその他リユースショップに送ってしまった。スキャナーの使い方がわかってきたし、少しずつものを減らしてすっきりしたい。過去の自分の歴史がしみついたものを捨てるのは難しい。その時の自分を紙や物という媒体がおぼえている。少しずつ断ち切って次へと踏み出していくんだ。不安神経症がつらいがあせることはない。ゆっくりやればいいんだ。確定申告しなくっちゃ。がんばれ。」

「2011年2月28日(月)

きつい。不安神経症になってしまった。ガンバレ、私。NKに直接雇用してもらえる可能性があるかどうかたずねた。一緒に考えていきましょうという返事。派遣会社には更新のみ伝えた。これから具体的にどう動いていけるのか今はわからない。あまり眠れない。自分がこわれないようにしなくちゃ。2時に布団に入るのに6時とか6時半に目がさめてしまう。」

 

 


神宮外苑のイチョウ18本が守られるか-東京・港区長選、清家愛氏が初当選

2024年06月03日 16時17分06秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年6月3日東京新聞Web、

東京・港区長選、清家愛氏が初当選 6選目指した現職破る「新しいリーダー像を示して行けたら」:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

「東京都港区長選は2日、投開票され、無所属新人の元区議清家愛氏(49)が初当選した。28日に港区初の女性区長に就任予定で、東京23区の女性現職区長は7人となる。「前例、縦割り主義の古い政治を一新し、未来の港区をつくっていきたい」などと訴え、無所属現職の武井雅昭氏(71)=自民、公明推薦、無所属新人の元都議菊地正彦氏(71)を破った。(小沢慧一、奥野斐)

 

◆港区では初、東京23区の現職女性首長は7人に

 

当日有権者数は20万617人。投票率は30.62%で、前回の30.04%を0.58ポイント上回った。

当選を決めた清家氏は2日深夜、白いスーツ姿で登場。事務所に集まった支援者を前に「本当にみなさん、ありがとうございました」と深く頭を下げた。「これから新しい港区をつくっていこうという思いを共有できたと思う。期待に応えて、素晴らしい港区にしていきたい。がんばって参ります」と決意を語った。

清家氏はその後の報道陣の取材に対し、「固定化してきた区役所のかたちを、みなさんのアイデアを生かせる組織にしていきたい。福祉や教育の現場、人に対するサービスをもっと支えていきたい。区民の声が反映される区政にしたい」と述べた。

さらに「新しいリーダー像を示していけたらと思っている。今までの区長の姿とはだいぶ変わってくると思うので、新しいリーダーシップになると思う。たくさんの人の意見を聞きながら、たくさんの声が伝わるし、改善されるという区政にしたい」と続けた。

清家氏は選挙戦で「子供たちに親の働き方や障害の有無にかかわらず、質の良い保育と教育のサービスが提供できる制度をつくっていきたい。港区を世界で一番幸せな子育て・教育都市にしたい」と訴えていた。

街頭演説には隣接する品川区の森沢恭子区長が駆けつけ、共産党が自主的な支援を表明するなど、支持を多方面に広げていた。

争点の一つだった5期20年に及ぶ武井氏の区政を、組織の硬直化など多選の弊害があると批判。「コロナ禍で疲弊した産業や生活の立て直しをしたい」と区政の継続を訴える武井氏や、女性副区長の登用などを打ち出す菊地氏をかわした。」

 

また自民党・公明党が推す現職が落選しました。神宮外苑の18本のイチョウの木は守られることになるそうです。にしても投票率が30.62%とは。

Xユーザーのミド建築・都市観測所さん: 「港区長選挙にて清家あいさんが当選しました!素晴らしい!! https://t.co/7Q6xjZcWns」 / X

「港区長選挙は明日(6月2日)投票日です。じつは神宮外苑再開発で撤去される18本のイチョウ並木は港区のもので、現職の武井区長は港区の18本のイチョウがなくなることを許容しています。イチョウ並木の伐採すら認めていた人物です。明日の選挙ではイチョウ並木を守る「清家あい」さんに投票しましょう!」


2000年初演『エリザベート』プログラムより-一路真輝さん

2024年06月03日 13時18分28秒 | ミュージカル・舞台・映画

東宝初演『エリザベート』_一路さんインタビュー記事

「とうとうこの日が来てしまった!!そんな心境です。ウィーン、ハンガリー、オランダと、”エリザベート”を観た時のあの衝撃を、今でもはっきりと覚えています。あの感動を日本で、そして帝国劇場で、日本のお客様にお伝えできるのでしょうか!?

 不安と興奮の狭間の中、今、幕が上ろうとしています!!

”エリザベート皇后”の人生を、私の身体を通して皆様にお伝えしたいと思っています。」

 

「ウィーン・ミュージカル『エリザベート』とくれば、この人を抜きに語ることはできない。宝塚歌劇団在団中、タカラジェンヌとして初めて、ウィーンでフォルクス・オーパー管弦楽団とオペレッタのCDを録音してきたのを始め、宝塚バージョンとして日本初演された雪組版『エリザベート』(1996年)で、死の帝王トートを演じた。トートは、一路最後の男役で、退団公演を飾った記念すべき役柄でもあり、宝塚退団後、女優に転じた一作目の『王様と私』(96年)のアンナ約と共に、その硬軟際立った美的演技に対し、第22回菊田一夫演劇賞が贈られた。これまで、8回、ウィーンを訪れたという一路が、今回、男役でなく女優として『エリザベート』に主演することになり、「縁以上のものをウィーンには感じる」と話す所以である。しかも、ウィーンへ行くたびに街中にいるより、郊外で過ごしている時のほうが落ち着きを感じる自分自身を、「エリザベートの気持ちが胸に入り込んできているよう」と、分析する。

 演劇史上、ひとつの作品の主役を、いわば男女兼用で演じるのは、稀有なことだ。宝塚のトップスターで爆発的な人気を呼んだ初代トートから、ほぼ4年の歳月を経て、美貌の皇后エリザベートでお目見えする。「トートを忘れることからスタートして、年齢とともに成長していくシシィ(エリザベートの愛称)を素晴らしい楽曲とともに表現したい」と、語る。名古屋市出身。」

 


元騎手で調教助手の小林徹弥さんが死去 50歳 千田師「本当に急過ぎる」

2024年06月03日 00時47分38秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年6月2日ディリースポーツ

元騎手で調教助手の小林徹弥さんが死去 50歳 千田師「本当に急過ぎる」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

「元騎手で2019年に引退した後は栗東・千田厩舎で調教助手を務めていた小林徹弥さんが1日夜に亡くなったことが2日、明らかになった。50歳だった。

 モデルで妻の菜緒さんがX(旧ツイッター)で明らかにしたもの。  「突然のことで、なんとお伝えしてよいのか…と戸惑っているところではあります」とポスト。「昨日6/2(日)23:50 夫・小林徹弥が永眠いたしました。

 生前応援していただいた皆さまありがとうございます 馬とお酒が大好きな人でした。大好きなお酒を少し飲みすぎてしまったようです。皆様お身体ご自愛ください」(原文ママ)と、悲しみに暮れながらも訃報を伝えた。なお、日付はのちに訂正している。

 1993年に騎手デビューした小林さんは、19年に引退するまでにJRA383勝。2008年に単勝13番人気のヤマトマリオンで勝利した東海Sをはじめ、重賞5勝を挙げた。

 この日、京都競馬場で取材に応じた千田師は「(亡くなった日は)朝、普通に仕事をして、昼も普通に仕事をしていました。急過ぎて何も言えないですね。本当に急過ぎる。(騎手時代は)一緒に競馬に乗りましたし、北海道滞在も一緒でした。何か、寂しいね。普通に乗っていましたし、具合が悪いだとか、(仕事を)休む子でもなかったですから」と悼んだ。」

 

昨夜最寄り駅に帰り着いてから1時間弱の間に救急車のサイレンをきくこと&救急車をみかけること3回。団地に着いた時には救急車がターンしているところでした。その後サイレンはきこえなかったので戻ろうとしているところだったのかわかりませんが、とんでもないことが日々起こっているのではないでしょうか。

 

6月1日の原口一博議員のツィッタースペース、

1時間ぐらいのところで創価学会の幹部だという方が実名を名乗って、公明党はコロナワクチンが危険なものであることを知りながら推奨してきていると暴露しています。ご自身のお父さんが接種後に亡くなっているようです。

藤江さん集計によれば予防接種健康被害救済制度によるコロナワクチンの死亡認定数はすでに593名。

Xユーザーの原口 一博さん: 「https://t.co/F4lpEDhLBy」 / X