たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出写真_凱旋門(2)

2019年04月08日 19時14分09秒 | パリから世界遺産を訪ねて


2018年雪組『凱旋門』東京公演プログラムより、2000年初演時の柴田俊治氏寄稿文

歴史の証人「凱旋門」より引用します。


 1989年、ベルリンの壁が崩壊した。

 大戦後の世界を分断していた冷戦時代は終わる。

 つぎに来る時代は、欧州連合(EU‗15か国)を基盤にする統合の時代である。2002年には、各国のお金は消え、ユーロという単一通貨の新時代が来る。

 ラヴィックたち亡命者を、あんなに苦しめた国境やパスポートは、形だけのものになってしまう。域内のひとびとは、もう夜になるまぎれたりせず、真昼に堂々と、なんの警戒心ももたずに国境をこえている。

 凱旋門は、ナポレオン軍の戦勝を記念して、1830年代に完成した。

 全長約2キロのシャンゼリゼ大通りは、コンコルド広場から凱旋門のあるシャルル・ドゴール広場まで、歩いても気づかないほどのわずかな勾配で上りになっている。

 だから、コンコルド広場の端に立っても、車道とおなじほど広い歩道をぶらぶらしていても、いつも真っ直ぐに延びる大通りの全部が見通せる。中央をひしめいて上り下りするクルマ、背の高い並木、散策する人の群れ、キャフェの軒、デザインを均質化した建物‐それらが弓の弦の上にのったようにせりあがって尽きるその先に、凱旋門がある。

 角張った角型のアーチの下には、無名戦士を悼む火が、昼も夜も、青白い炎となってちろちろ燃えている。

 パリがドイツ軍に占領された時代も、連合軍に解放された日も、凱旋門はそこに立っていた。毎年7月14日の革命記念日(パリ祭)のように、パレードが催されるときは、いつも凱旋門が出発点か到着点になる。

 ラヴィックたち避難民、亡命者たちの苦難の日々も、凱旋門は黙ってみつめていた。

 霧と雨の季節には、凱旋門の頂上は灰色にかくれて見えなくなる。そんなとき、凱旋門は歴史の証人の役に疲れるのか、重苦しく、沈鬱な表情にみえる。

 冬の晴れた日、空の位置の低い夕陽が、セーヌをこえてさっと射し込むと、巨大な門が、一瞬、バラ色に燃えあがる。

 このときの凱旋門は美しい。







 たしかにシャンゼリゼ大通りを凱旋門に向って歩いた道は、かすかにゆるやかな上り坂でした。凱旋門の前に立つシャンゼリゼ大通りを見渡すことができました。

 イギリスのEU離脱は、あらたな欧州統合時代の夢がついえたということになるのでしょうか。時は流れました。世界は動き続けています。パリで英語が話せないのでタクシーの運転手にぼったくられたり、地下鉄の駅をたずねたパリジェンヌに笑われたり、間抜けなことだらけですがまた旅に出て世界を、大陸を感じたいです。遠い夢・・・。

今日も朝からがんばりました

2019年04月08日 09時23分01秒 | 日記
 朝から自転車でご近所の神社前の資源ごみ集積場を4往復。金物類、陶器類、鉄製の鳥の置物など出して、まだまだありますがある程度すっきり。自治会のお当番の方々が、こんなにゴミってあるのかこんなに出すのかっていう雰囲気だったし、体力的にもこれ以上は無理。金具がついた裁縫箱などは木製なので燃えるゴミとのこと。金具があるので燃えないゴミかと思ったのですが、分類ってむずかしいですね。わたしだけがわかっていないだけ?また弟に𠮟られてしまいそうです。

 とにもかくにも、いくらかでも風通しがよくなったでしょうか。必要ないモノをため込んんだままなのは喧嘩のもと、澱みのもと、いいことはなにひとつありません。風通しよくして循環させないとです。車を運転できればこうして自治体の収集日に出さずともゴミステーションにまとめて持ち込むことができて、大量の布や古着もまとめて処分できるのですが、自分にはできないのがつらいところ。弟が協力してくれるといいですがそこはたぶん無理かな。平成の大合併で近所の市町村が変わっていることも、一週間前に同級生からきくまで知らなくって浦島太郎状態。郷里のさびれようにあらためて言葉をなくしました。

 朝一時間に一本のバスに乗ったとしても、なんとか間に合いそうなので今週中に書類を出そうとしている隣県の大きな事業体、あらためて路線を調べてみると通勤1時間20分ほど。ライブビューイングのため映画館に行くのに1時間半ほどかかって遠いなあと思いますがそんな感覚。涙が出そうになりました。たぶんこのまま家にいながら車社会ではない所に居場所を求めていくのは無理っぽい。通勤に時間かかってもいいっていう覚悟ができればだけど、駅まで遠いし朝のラッシュ時でも電車の間隔が10分以上あいているので1本逃すとおそろしい。都心とのあまりの落差に自分が追いつきません。まあその前に居場所が決まればの話ですけど、そもそも通勤大丈夫ですか?って言われてしまう可能性もあり。どこにどんな縁が生まれるかわからないので気力を持ち直して、記入の仕方のよくわからないところを問い合わせて、書類を出すだけ出しましょうかね。家にいるともう考えたくないあれやこれやを考えてしまうし、人生の半分以上離れていた郷里は自分の場所ではないのかな。荷物にある程度カタがついたらまたどこかへ行くのかなあとなんとなく思います。家賃は大きいし、このまま賃貸でいくのか買った方がいいのかもわからないし、どこへ行くのか全くわかりません。とにかく今はひたすら荷物を減らしたいです。

 頭がくらくらするし、足腰が痛いですね。今日も朝からがんばりました。

 ここにいると宝塚大劇場日帰りツアーにいけるので、紅ゆずるさんと明日海りおさんの退団公演を見届けるまではここにいたい。あとはもういいのかもしれません。そこかよ!ってか。

 午前中はあとレコードの集荷。これでまた少しすっきりできます。


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美輪明宏bot

https://twitter.com/_miwa_akihiro

人生がうまくいかない「停滞の時間」は、
将来に備える内面の「仕込みの時間」です。


口を開けば、愚痴、悪口、陰口、不平不満ばかりの人は、そのエネルギーに自分自身が包まれて、一生、不幸不遇のままです。


「天知る、地知る、子知る、我知る」たとえ誰も見ていないにしても、天の神様や地の精霊が、そして誰よりもあなた自身が、見て、知っている。あなたは、あなた自身のために、カッコよくあらねばならない。それが「誇りを持つ」ということなのです。


人からしてほしい優しさを、あなた自身が実行してごらんなさい。優しさはこだまのように、あなたのところに返ってきます。場合によってはブーメランのように、思いがけない方向から戻ってくるかもしれません。


良いことにせよ悪いことにせよ、昔のことをいつまでも抱え込んでいては、先に進めません。経験値だけを胸に残して、それ以外のことはすっきり忘れてしまうことです。


ずっと幸せでいる方法がたったひとつあるとしたら、それは感謝する心を忘れないことです。食事がおいしくいただけること、好きな人に会えること、生きていられること。なんでもよいから、感謝する心があれば、自前でいつでも、いくらでも幸せを調達できます。


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〇〇弁護士のような、お金のためなら自分の権力をかさに弱い立場の人間を貶めることを平気でする人間に会うという経験をしたあとだと、そんなこと言われてもって思ってしまうところもありますが肝に銘じたいことも・・・。

まだ根に持ってますね、〇〇弁護士はいつか神様が罰してくださるはず・・・。