たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

心にしみる言葉

2016年04月02日 22時04分47秒 | 日記
若松英輔 ‏@yomutokaku · 4月1日

正しい事を求めるのはよい。だが、その正しさが、矛盾を包含していないとしたら、生きて行く上ではほとんど役に立たない。机の上ではつじつまが合うだろうが、人生はむしろ、矛盾に満ちているからだ。耐えがたい悲しみの経験が、いつしか希望に変わって行く。それが、生きることの秘義だと私は思う。





桜の花びらが舞い散る季節

2016年04月02日 14時54分29秒 | 日記
 昨日、一昨日とお昼の公園は桜の花びらが風に吹かれて舞い散り、葉桜となっていく美しく、同時に哀しさがどこかにある風景がひろがっていました。私は信号を渡って目の前にあるコンビニで冷やし中華とおでんを買って公園のベンチでいただく日々を送っています。毎日ほど同じメニュー。同じでないとなぜか落ち着きません。くもり空のもとで今住まいの窓の外では桜の花が満開です。季節は移ろい昨日は4月1日。昨日はびっくらぽんの人事異動を間近でみて驚きました。たとえば昨日まで土木課の課長だった人が突然福祉課の課長となってやってくるというような話をカウンセリングスクールの事例検討で聞いたことがありますが、そんな類です。色んな意味でこれは大変なことだと感じました。ご本人はもちろんこと、周囲も大変です。これが社会の現実。どうなんでしょうか。考えてしまいます。

 一年前の自分はどうだったのかと振り返ってみるとこんな私がいました。

 http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/dcb5e6b71a8b285460b297caa2e17017

 http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/47059d58db41c649e6a6af29317c5bef

 一年余りの闘いの末ボロボロになって疲弊し、悔し涙があふれるばかりでした。自分の中に吹きだまった怒りと悔しさのマグマを鎮静化していくには書くことしかありませんでした。通信教育で卒論の指導をしていただいた先生の薦めもあり、その後3カ月余り私はひたすら書き続けました。書くしかありませんでした。この時から一年が過ぎ、一昨日のブログに書いたように、どうやら私は新しい世界に踏み出していく最初のヤマを超えることができたようです。ここにたどり着くまでの二年間、社会から孤立した孤独な日々の中で自分の感性を信じて進んでいきました。それは間違っていなかったと思います。私が真面目に一生懸命にやってしまうのをいいことに働かせるだけ働かせた挙げ句のモノ扱い。会社に対して何もモノ申すことなく引きさがってしまうのでは自分が可哀想すぎでした。会社のやり方はあんまりだと思いました。結果的に会社の責任はなしということになりましたが、逃げ切ったように見えてもここまできたら私の勝ちだという気がします。社会の仕組みは会社に責任なしで間違っていないので、もちろんかたちのうえでは私の負けですがそういうことではなく、なんというか私は負けなかったんだと思います。たくさんの人が同じような事態に遭遇したとき何も言わないままあきらめると散々言われてきました。なにか言う人は社会にとっては迷惑で邪魔くさい存在。別に社会活動家じゃない、ただの一般人なのでそんなすごいことをするつもりなんて全くありませんでした。そんなすごいことになっていくなって全く思っていませんでした。気がついたらすごいところまで進んでいました。よくやったと思います。会社にいた頃も体重は40キロを切っていきましたが、闘いになっていくとさらに体重は落ちていき、38キロを切ったこともありました。この小さい体でふらふらになりながらも気力でふんばっていました。そんな日々に比べると平日は生活時間帯が朝にずれた分だけ少しマシかもしれません。2時に就寝して7時に起きるのと、12時半に就寝して5時半に目が覚めてしまうのとでは同じ5時間睡眠でも疲労度が違います。現在の状況、慣れてきて少しずつ落ち着きつつあるし、作業自体はほんとにつまらないですがものすごく勉強になることがあります。毎日そんなこと知らなかったということに遭遇します。こんな機会はめったに訪れないのでやれるところまでやってみようと思います。最新の経歴を前職の13年、派遣で諸々の一般事務やってましたから、現在の職務に塗り替えていくにはもう少し続けるしかありません。半年やれば塗り替えることができます。そこまで行くことを目指すしかないという気持ちにようやくなることができました。もう少し時給が高いといいなあ。望むべくもありませんが・・・。

 前職で毎年新入社員が入ってくるたびに諸々の社内手続きを教えていました。社員向けの勤怠表システムや出張精算システムの操作方法、通勤費の請求方法などなど、そのほかにもあれやこれやと社員じゃない私がだれよりも社内手続きを熟知するようになっていました。あの日々は私にとっていったいなんだったのか。そういえば近年はやらなくなっていましたが、花見大会もやっていました。いやでもこの頃になると思い出してしまいます。さすがにそれを手伝うことは求められませんでしたが、なにかとケータリングやビールの手配などもよくやっていました。最初の頃はむしろ会社にいくことが楽しかったのに、社会の流れの変化と共にどんどん息苦しくなっていき、いつしか能面でいないと出社できないようになっていました。今思い出しても辛い日々でした。好きでそうしていたわけではありません。いつしかそうしないと会社で坐っていることができなくなっていました。少しつず忘れて行って新しい場所でとりあえずほどほどに一生懸命やります。詳しく書けませんが現在の職務でご一緒している方の中に、3年間派遣で働いた会社に「ここで社員にしてくれなかった私は辞める」と言ったら社員となり15年以上働いたという方がいらっしゃいます。働いてきた人から提訴された実績のある誰でも知っている大きな会社です。15年以上働いたので退職金はそこそこだったそうです。その方は当時20代半ばぐらいだったというのも大きかったと思いますが、そこまで言い切ることもできないままずるずると続けてしまった私との差は、退職金があるかないかで歴然としています。そんな話をきいてしまうと悔しさがまたよみがえってきますがもう考えても仕方ありませんね。

「2011年12月1日(木)雨

やっとこの時期らしく雨で寒い。
中はバカみたいに暑かったりするので具合が悪くなりそうだ。

『赤毛のアンのお料理ブック』が届いた。アンセミナーのランチタイムにおしえてもらった。ちょうどなんと吉村さんのブログにこの本のことがでていてびっくり。
写真がすごくきれい。

Still face(能面)はいやだ。
自分でもこわい。
でも仕方ない。
自分は認めてあげよう。」


無事に金曜の夜・・・

2016年04月02日 00時00分27秒 | 日記
 FBを読んだり書いたり、ツィッターをみたりしていたので今日はかんたんですが、無事に金曜の夜を迎えています。疲れました。早く休もうと思いながら記事を書いているうちにおそくなってしまいました。明日と明後日連休です。わーい。日曜は世界乳幼児精神保健学会のセミナーに申し込んでいます。忘れるところでしたがちゃんと思い出しました。きっとこれからはいいことだってあるさって思える寒い春の夜。桜の花がきれいですね。また明日・・・。