たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

春霞の日の想い

2016年04月10日 18時59分23秒 | 日記
 「主要企業の集中回答日を16日迎えた2016春闘は、景気の先行き不安が濃い影を落とした。3年連続のベースアップを実現した企業もあるが、それも小幅。賃上げの恩恵に浴することのできない中小企業で働く社員や、非正規労働者からは「厳しい」「賃上げを訴えても・・・」と冷めた声も漏れた。

(略)

 関東地方に住む女性は、派遣社員として10年以上働いてきた。賃上げを求めたこともあったが、派遣元企業の担当者は「時給を1円上げるだけでも難しい。
 派遣先の労組が交渉で休日増を勝ち取ったことがあった。しかし、時給で働く女性は出勤日が減り、給料が下がった。「月給で働く人と一枚岩になるのは難しい」とこぼし、こう続けた。「派遣元は派遣先の味方で、孤立無援だった。権利を主張するすべもない」」

(2016年3月17日千葉日報紙面より引用しています。)

 
 窓の外はさくらの花が大きくさきほこり新緑とあいまって美しいコントラストをかもしだしている霞がかった春の日。紙面を読みながら、心の血を流しながら会社で働き続けた10年以上の日々と、最後はモノ扱いされることとなり損害賠償を求めたら争いとならざるを得ず茨の道を歩むことになった2年の日々があらためて思い返されました。繰り返し書いているような気がしますが、10年以上の日々は人生の中で占める比重がやはり大きく、やっていたことを頭がもう忘れようとしていても体がおぼえてしまっており抜け出していくのは容易ではありません。現在(いま)、全く陽があたることのない、評価もほとんどされることのない地味でつまらない仕事ながら社会の中で必要とされる場にまた立つことができているというのは私にとって大変なことです。争いになってしまってからここまでたどり着く道のりはほんとに長く、出口の見えないトンネルの中に迷い込んでしまったようでした。やっとなんとか抜け出しました。

 会社の数字のために二人分働かなければならなかった7年あまりにわたる完全オーバーワークは、今思い出しても吐き気がしそうなほどに辛い日々でした。派遣で働いていてあまりに大変で苦しいと時給10円でもいいからあげてほしいという気持ちになりました。ためしに一度だけ大嫌いな派遣元のスタッフフォローという名目で定期巡回にやってくるお姉さんにたずねてみたことがありました。そうしたら派遣元が私に払う時給を10円あげるためには、派遣先に上積みした金額を請求することになるので派遣先と交渉しなければならなくなる。時給を1円あげるだけでも難しいって言われました。派遣元は私の味方ではないのだと確認して、それ以来一度も賃上げの話に触れたことはありませんでした。

 働き始めた頃は年末の休暇が12月29日からだったのが数年前28日からになってしまいました。会社の労働組合が交渉した結果休暇を一日多く勝ち取りました、ということでしたが、時給で働く私にとっては給料が減ることを意味しました。派遣元の有給休暇は会社の稼働日しか使うことができず会社がやすみになってしまえばどれだけ有給休暇がたまっていても消化することはできません。5月1日がメーデーとして公休日となってしまった時も同様でした。固定給でボーナスもあった特定派遣から登録型派遣へと移籍してまで同じ会社で働き続けてしまった私は社会に対する認識が甘すぎました。法に触れるようなこんなばかなことはすべきではありませんでした。私一人で勝手に移籍したわけではなく、会社の当時の上司がすすめたことですが会社には責任なく、私の自己責任として争いは帰結しました。一応派遣元が泥を少しかぶるかたちでしたが実態とはあまりにも大きくかけ離れた結末でした。

 昨日の若松英輔さんのお話の中に、「エラクなると人は人生からの問いかけを見逃してしまう」という言葉がありました。キリストの弟子たちは最後の食事の時にも、だれが一番エライかということをお互いに言い合っていたのだそうです。知りませんでした。人の世の愚かさは一世紀から変わっていないのでしょうか。目の前の数字にとりつかれたエライ人たちが組織の意思決定を担っている日本という船の行き先が心配です。どこへ流れ着いていこうとしているのでしょうか。私がエライ人になることなど無論ありえません。人生からの問いかけに耳をかたむけながらひっそりと誠実に妹の分までこれからも歩いていきたいと思っています。

楽しみ

2016年04月10日 15時22分34秒 | ミュージカル・舞台・映画
『1789バスティーユの恋人たち』。帝国劇場で開幕しました。ツィッターなどあれこれみていると今までの帝劇にはないミュージカルに仕上がっているようで楽しみです。明日初日のチケットをもっていましたが、繰り上げ採用となってしまったのでなくなく弟に譲り、火曜日が初観劇です。小池ロナン二回、加藤ロナン一回観劇予定です。アントワネットは花ちゃん、オランプは気がついたら三回とも沙也加ちゃんです。『ベルサイユのばら』でアントワネットを演じた花ちゃんがどんなアントワネットを魅せてくれるのか楽しみ。沙也加ちゃんは見事に母から自立していつの間にかミュージカル女優になっていますね。昨年夏のエリザ以来の帝国劇場。久しぶりの心のエネルギー補充です。こういう息抜きの時間もないと自分がこわれてしまうのでお給料が減りますが休みを取って観劇します。

 2014年4月-5月は茨の道を歩み始めた頃、花ちゃんがWキャストで主演の『レディベス』を3回観劇しました。団体交渉にのぞむ前に帝劇によってチケットを購入し、自分へのご褒美を用意してのぞんだりしていました。私を誹謗中傷し全人格を否定してくるような権力との闘いの始まり。全くそんなつもりではなかったんですけどね、そうなってしまいました。ご褒美を用意しないと乗り切ることなどとうていできない困難の連続でした。深い想いがあれこれとめぐる中で、帝劇の舞台をみつめ、心のエネルギーをもらっていました。

 2015年6月-8月はズタズタになり疲弊してしまった自分から立ち直っていこうともがきながら『エリザベート』を7回観劇しました。観劇日記はなんどもこのブログに書いていますが、妹と自死によってお別れしていることもあり、深い想いがあれこれとめぐる中で帝劇の舞台を見つめ、心のエネルギーをもらっていました。はなちゃんシシィはすごかったし、舞台全体がクオリティ高く素晴らしかったです。

 そして今地味で全く陽のあたらない、評価もされない、時給も安い仕事ながら社会の中でまた必要とされる場と出会い、どうにかこうにかやっています。ずいぶんと心が元気になりました。疲れますが体重が増えたおかげか今のところなんとか乗り切ることができています。こんな私で観劇します。ミュージカル役者と共に歩む人生の道のり。その時々の自分と出会いながらの観劇はやめられません。楽しみ・・・。

写真は東宝の公式ツィッターから転用しています。
劇場内の巨大パネルですね。

第1章性別職務分離の状況_⑨根強い性差別

2016年04月10日 13時05分02秒 | 卒業論文
 私の会社には、年に一回、上司に自己申告表の提出と面談がありました。
私はそれを自己深刻表と呼んでました。だって年を重ねるごとに、だんだん上司もこっちも深刻な顔つきになってゆくんだもの。
現在の仕事に不満はないか。やりたいと思ってる仕事はないか。会社への要望。問題点。名目上はそんな感じだったけど、上司が知りたいのはもっと別なことです。知りたいっていうより、お願いしたいって感じかもしれない。
つまり「結婚の予定は?」ということ。でも、さすがにそれを露骨には口にできないらしく、遠回しに、
「来年度に一身上の都合はないかね」とか、
「もし補充人員が必要な場合、早めに人事に言わなければならないから今のうちに言ってくれ」
なんてことを言うのです。早い話が肩たたきです。
「そろそろ考えたらどうなの、君。もう25だろう」
と言っているのがミエミエなのです。 1)

 ここに紹介したのは、今から25年ほど前、短大卒業後地方銀行に就職した作家唯川恵が自らの経験を記した『OL10年やりました』の中の一節である。これまで見てきたように、根強い性別役割分業意識のもとで、労働市場において女性に対しては、男性とは異なる様々な差別が形成されている。男性が、就職面接時に、あるいは社内での上司との面接時に、結婚の予定をたずねられることはまずないだろう。男性は、結婚と仕事とは切り離して考えることができる。それに対して、女性は結婚・出産を含む私生活と仕事とが深く結びついている。近代産業社会は、男性に労働市場を女性に家事・育児を割当てる一方で、市場における生産労働を、家庭内における労働力再生産のための労働よりも、高く位置づけていた。家事・育児に専念する女性は夫に依存せざるを得ず、社会的・経済的評価も低く位置づけられる。また女性が職業の場へ進出したとしても、併せて家庭内性役割を課せられるため、職場において男性と同等の地位を獲得することはきわめて困難である。その上、職場のシステム自体が性別役割分業を再生産し、女性の性役割を低く見積もっているから、どこまでいっても男女差別はなくならない。

 1986年の男女雇用機会均等法は、雇用における男女平等の思想が定着していなかった日本の企業そして政府が、女性労働者に制度面で影響を与えるきっかけにはなった。女性が労働に参加することは、女性の経済的自立を確実に、飛躍的に高める。女性の経済的自立が高まればこれまで機能してきたその社会固有の男女の役割は大きく変わってくる。その結果、それまで構築されていた様々な私的・公的な制度は見直しが求められることになるはずである。しかし、同法の施行を契機として、導入された「コース別人事管理制度」は、実質上男女差別を残し、同法は女性に男性と同等の雇用の機会を与えるものではなかったことはこれまで見てきたとおりである。

 最近では、マスコミで女性の起業家が取り上げられるなど、なにかといっては女性の元気さが話題になり、日本経済再生の鍵になるのではとも報じられている。その一方で、少子化問題もますます深刻になりつつある。だが、働く女性が子どもを産みにくい労務政策は続いている。社会や企業に母親が働きやすい環境は依然として整っていない。産休を取った女性が、会社に出て行った時には机がなかった 2)という事例など、会社は育児に対して冷たい。保育園に子どもをあずけることもままならない。保育園数のみではなく、ゼロ歳保育、延長サービスにより受入れ児童数が限定され、保育園に入れない待機児童が全国で約4万人おり、そのうち0~2歳児が6割以上も占め、しかも大都市に集中しているのである。3)

 また、現在の日本の職場では、人員がギリギリな為一人が産休・育休を取得すれば、その分の仕事が他の社員にのしかかってくる。人員を増やすなどの根本的な解決策はとられない。その為、仕事が増えた女性の憤懣は休んだ女性へと向けられる。その上に、同じ「子どもを産める性」であるがゆえの同性への苛立ちが重なり、事態は一段と深刻である。女性が、子育てをしながら働き続けるには、保育所の増設など社会的な環境を整えると同時に、職場の制度と雰囲気を変えていかなければならない。長時間労働要員としてより、知識や創意にすぐれた人材を発掘する面からも、女性を真の意味で活用することは、ますます避けて通れなくなる。

 すでに、国際的な男女平等の考え方は、女性の働き方をこれまでの男性の働き方に合わせるのではなく、女性が働きながら安心して子供を産むことができ、さらに女性と男性が共に家庭と仕事を調和させて働いていくことができる労働条件を確保すべきだ、というものである。しかし、日本では、2002年の時点においても、就職の面接時に女性は結婚の時期を尋ねられ、採用を考慮されるのだ。4) 日本型企業社会はまだ本気で女性の潜在労働力の必要性を認識してはいない。この国が本気で女性の潜在労働力の必要性を認識しないかぎり、働く女性たちを受け入れる社会インフラは完備しないし、働く女性が結婚と向き合う有形無形のハンディはなくならない。

引用文献

1) 唯川恵『OL10年やりました』113-114頁、集英社文庫、1996年。(原著は1990年)

2)『Yomiuri Weekly 2002年10月20日号』読売新聞社。

3) NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第5版]』日本放送出版協会、2000年。

4) 幸田真音「さらりーまん生態学」、2003年3月27日付日本経済新聞。