第二幕ストーリーのラストをプログラム(平成7年5月19日、東宝株式会社発行)より引用します。
「卒業式。校長の挨拶に続いて、来賓のドクター・セルドンの祝辞が始まった。
何故か、ドクター・セルドンはスター・キーパーによく似ている。
「君たちのことはよく知っている。みんな私が取り上げ、面倒を見た。だから、この先は私が面倒を見て良かったと思えるような大人になってもらいたい。しかし、確実に幸せになる道を教えることはできない。君たちは自分でそれを見つけるのだ。親の成功に寄りかかってはいけない。親の挫折にめげてはいけない。自分の二本の足でしっかりと歩んでいけばいい。」
ルイーズの耳もとで「よく聞いて、そのとおりなんだ」とビリーがそっと囁いた。するとルイーズは顔を上げ、その瞳は輝いた。
そして、ジュリーの傍らに立ったビリーは、彼女に語りかける。「愛していたんだ、ジュリー。わかってくれ。おれは、おまえを愛していた」。生きている時には、決して言うことができなかったこの一言が伝えたかった。ジュリーはずっと信じていたビリーの心に触れ、瞳に明るさが戻る。そう、人生は決してひとりではない。天国の友がビリーを呼んでいる。時間がきたのだ。静かに去って行くふたり。」
ジュリーも娘のルイーズも、姿はみえなくてもビリーがいつもそばにいて見守っていてくれることをちゃんとわかっているんですね。希望のある幕切れになっています。
プログラムによると、原作はハンガリーの劇作家で小説家でもあるフェレンツ・モルナールの戯曲『リリオム』。前半が台詞を含めて原作にかなり忠実ですが、後半と幕切れが違っているそうです。
また引用します。
「原作ではリリオム(ミュージカルではビリー)は、天国の判事に、自分は罪を悔いないと言いはり、煉獄で懲役16年の判決をうける。
そして服役後、罪のつぐないをするために、天国の巡査二人につきそわれ、一日だけ地上にもどされる。リリオムは乞食に身をやつし、盗んだ星をもって娘を訪れるが、すげなく追いかえされる。怒った彼は、娘に平手打ちをくらわし、とぼとぼと去って行くーというのが『リリオム』の結末である。おそらく彼は、天国の門はくぐれまい。
ロジャースとハマースタインは、これではミュージカルとして、あまりにも暗すぎると考えた。そこで<天国の判事>を<星の番人>に、<天国の巡査>を<天国の友>に変え、卒業式の場面を加え、医師のセルドン先生に「信念と勇気をもって自分の二本の足で人生を歩いてゆけ」と語らせ、「人生ひとりではない」の歌で幕にした。こういう明るい人間観や人生観は、彼らのその後の作品『南太平洋』『王様と私』『サウンド・オブ・ミュージック』にも一貫して流れている。」
自分の二本の足でしっかりと歩いていけばいい、人生ひとりではない-20年前の私は心のエネルギーをもらって、なんとか人生を立て直し、自分の足で歩いていこうと必死にもがいていました。今また新たな生き直しの局面を迎えています。まだ終わりがわからないので、緊張は続いており、不安先走りですが、こうして過去の自分を振り返って区切りをつけていくことで、少しずつあたらな一歩へと踏み出していければと思います。
今色々なものと少しずつお別れをしていますが、大きなプログラムとお別れてしていくのは、ちょっと大変そうです。
20年が過ぎて、ジュリーを演じた涼風真世さん、ビリーを演じた石川禅さんが『レディ・ベス』で、スケールの大きな舞台をしっかりと支えていたのは感慨深いものがありました。
「卒業式。校長の挨拶に続いて、来賓のドクター・セルドンの祝辞が始まった。
何故か、ドクター・セルドンはスター・キーパーによく似ている。
「君たちのことはよく知っている。みんな私が取り上げ、面倒を見た。だから、この先は私が面倒を見て良かったと思えるような大人になってもらいたい。しかし、確実に幸せになる道を教えることはできない。君たちは自分でそれを見つけるのだ。親の成功に寄りかかってはいけない。親の挫折にめげてはいけない。自分の二本の足でしっかりと歩んでいけばいい。」
ルイーズの耳もとで「よく聞いて、そのとおりなんだ」とビリーがそっと囁いた。するとルイーズは顔を上げ、その瞳は輝いた。
そして、ジュリーの傍らに立ったビリーは、彼女に語りかける。「愛していたんだ、ジュリー。わかってくれ。おれは、おまえを愛していた」。生きている時には、決して言うことができなかったこの一言が伝えたかった。ジュリーはずっと信じていたビリーの心に触れ、瞳に明るさが戻る。そう、人生は決してひとりではない。天国の友がビリーを呼んでいる。時間がきたのだ。静かに去って行くふたり。」
ジュリーも娘のルイーズも、姿はみえなくてもビリーがいつもそばにいて見守っていてくれることをちゃんとわかっているんですね。希望のある幕切れになっています。
プログラムによると、原作はハンガリーの劇作家で小説家でもあるフェレンツ・モルナールの戯曲『リリオム』。前半が台詞を含めて原作にかなり忠実ですが、後半と幕切れが違っているそうです。
また引用します。
「原作ではリリオム(ミュージカルではビリー)は、天国の判事に、自分は罪を悔いないと言いはり、煉獄で懲役16年の判決をうける。
そして服役後、罪のつぐないをするために、天国の巡査二人につきそわれ、一日だけ地上にもどされる。リリオムは乞食に身をやつし、盗んだ星をもって娘を訪れるが、すげなく追いかえされる。怒った彼は、娘に平手打ちをくらわし、とぼとぼと去って行くーというのが『リリオム』の結末である。おそらく彼は、天国の門はくぐれまい。
ロジャースとハマースタインは、これではミュージカルとして、あまりにも暗すぎると考えた。そこで<天国の判事>を<星の番人>に、<天国の巡査>を<天国の友>に変え、卒業式の場面を加え、医師のセルドン先生に「信念と勇気をもって自分の二本の足で人生を歩いてゆけ」と語らせ、「人生ひとりではない」の歌で幕にした。こういう明るい人間観や人生観は、彼らのその後の作品『南太平洋』『王様と私』『サウンド・オブ・ミュージック』にも一貫して流れている。」
自分の二本の足でしっかりと歩いていけばいい、人生ひとりではない-20年前の私は心のエネルギーをもらって、なんとか人生を立て直し、自分の足で歩いていこうと必死にもがいていました。今また新たな生き直しの局面を迎えています。まだ終わりがわからないので、緊張は続いており、不安先走りですが、こうして過去の自分を振り返って区切りをつけていくことで、少しずつあたらな一歩へと踏み出していければと思います。
今色々なものと少しずつお別れをしていますが、大きなプログラムとお別れてしていくのは、ちょっと大変そうです。
20年が過ぎて、ジュリーを演じた涼風真世さん、ビリーを演じた石川禅さんが『レディ・ベス』で、スケールの大きな舞台をしっかりと支えていたのは感慨深いものがありました。