たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ちひろ美術館に行ってきました

2014年08月30日 22時15分26秒 | いわさきちひろさん
東京のちひろ美術館に、たぶん18年ぶりぐらいで行ってきました。
事前に申し込んでいた閉館後のイベントにも参加してきました。

名称が「いわさきちひろ絵本美術館」から「ちひろ美術館・東京」へと変わり、
3階建てだった建物が2階建てに変わっていました。

2階の展示室には、ちひろさんが愛用されたというソファが置かれていました。
沈むようにそこに坐り、グラフィックデザイナーの佐藤卓さんが選ばれたちひろさんの
絵に包まれながら、いろいろと思いを巡らしていると涙がにじんできました。
なつかしい心の場所に帰ってきたような心持ちでした。


『万葉のうた』『宮沢賢治花の童話集』『たけくらべ』『赤い蝋燭と人魚』
手元に持っている本から何点も展示されていました。


ちひろさんの絵がもつ力強さ、悲しみ、慈しみ・・・、
ようやくわかってきたのかもしれません。


ちいろさんが亡くなられてから40年、東京にちひろ美術館が開館してから37年、
当初自宅の半分を壊して建てられた小さな美術館は、ちひろさんが残したものも全部使い果てしてきつい状況だったそうですが、増改築を繰り返しながら今も続いている、ちひろさんの絵が今も生き続けているのは、子守唄と同じようにその思いを感じる人たちが伝え続けてきているからではないかーちひろさんの長男で、ちひろ美術館常任顧問の松本猛さんがイベントでそんなことを話されました。


なんだかおかしいなあという社会は、あらためてちひろさんの絵を必要としているように思います。


ちひろさんは20歳の時に意にそぐわない結婚をされ、大連に渡って旦那さんが亡くなったことにより帰国、25歳の時に再び満州開拓団の花嫁たちの習字の先生ということで渡り、数ヵ月後戦況悪化に伴い帰国されました。26歳で東京大空襲にあい長野県松本市に疎開。
27歳で上京されています。


先日、満州で終戦を迎えたたくさんの方々が日本に帰ることができずに命を落とされたという史実に基づいたドラマが放送されました。今になって理解できる歴史のことも学び直したいと思います。


こどものしあわせを願い続けたちひろさんは、今の社会をどんな思いでごらんになっていらっしゃるでしょう。いろいろと考えさせられます。

まだまだ書きたいことがありますが今はここまでです。



夜携帯で撮ったので見づらいですが、入り口の看板。
佐藤卓さんはちひろ美術館のシンボルマークをデザインされました。




庭を眺められるカフェでいただいたケーキセット。
(ささやかな自分へのご褒美、感謝しながらいただきました。)




ちひろさんが愛したお庭。




ちひろさんの絵の前に佐藤卓さんがオブジェを置いたものが箱に収まっているという、
企画展示をやっていました。どう受け取るかは鑑賞する人の想像力次第。
わたしの大好きな『ゆきのひのたんじょうび』の表紙の絵+オブジェです。