たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『ミス・サイゴン』(1)

2014年08月13日 23時04分16秒 | ミュージカル・舞台・映画
夜の部、観劇しました。

一幕の終盤、難民となってタムを抱きエンジニアと共に国境を越えようとするキム、
昆夏美さんキムの「命をあげよう」を聴きながら、涙が流れていました。
本田美奈子さんを思い出したり、徒然にいろいろな思いが心の中をめぐりました。
ミュージカル女優さんらしく、キムの人生を生き切られていたと思います。
終演後に昆さんによる観客のお見送りイベントがありました。
間近で拝見すると、小柄でかなり可愛い方でした。


市村正親さんの降板で、急きょエンジニアを務めることになった筧利夫さん。
稽古はたったの2日間だったそうですが、したたかに生きる、ちんぴらないやらしい感じがよく出ていて、筧さんワールドになっていたと思います。
夢の遊民社以来、何年ぶりに拝見したでしょうか。


ドラゴンダンサーやアメリカン・ドリームの群舞の場面、レミゼの時にも思いましたが、
アンサンブルの方々のレベルが本当に高くて、この舞台に立つということは、すごく
ハードルの高いことですね。


キムがタムを守るために自らの命をかけて舞台は幕を降ろします。
なんともやり切れない感が残ります。
争いは誰も幸せにしない、せつなく悲しいばかりです。
眼をそむけちゃいけない現実はたくさんあります。
為政者の方々が心で感じてくれたらいいのにと思わずにはいられません。


中途半端ですが、今日はここまで。
7月にも一度観劇しているので、また後日あらためて書ければと思います。
『レディ・ベス』のこともまだ書けていない、と勝手に焦っています。



写真は、帝国劇場前、市村さんエンジニアがアメリカン・ドリームを歌う場面です。













切なくてきりないですが・・・

2014年08月13日 10時33分46秒 | 祈り
台風11号が通過した後少し涼しくなりました。
今年はこのまま秋が早く訪れるのでしょうか。
なんだか天気がおかしくて落ち着きません。
手帳をみると、8月7日が立秋。
お盆で夏休み中の方を平日たくさんお見かけします。コミュニティハウスも夏休み中。
私自身は去年までずっと長い間、お盆休みのない職場で働き続けてきたのでとても
ヘンな居心地のまま過ごし続けています。
国家試験を受験した年は、有給休暇を使い果たしてしまっていたので、休むとお給料が減ってしまうため、疲れ果てた体に鞭打ってひたすらカレンダー通りに出勤していました。
学生さんたちが夏休みで観光バスに乗って出かける光景を横目で見ながら、駅までの道のりを必死に毎朝通ったことをこの時期は思い出します。

古いノートをまた整理していて高校生の頃の自分に出会いました。
今さら過去を振り返ってもどうしようもありませんが、過去の自分と出会うのは疲れますが、
前に進んでいくために少しだけ・・・。


高校生の私は、高野悦子さんの日記を本にまとめた『二十歳の原点』に出会ってから、バイブルのように繰り返し繰り返し読んで、ハードカバーのあとで、文庫本も購入して、高野さんの写真を切り抜き、手帳にはさんでいつも持ち歩いていました。
『二十歳の原点ノート』『二十歳の原点序章』も読みました。
母には、高野さんの本を繰り返し読んでいることをたびたび叱られました。


古いノートを読み返すと、こんなことを感じている私がいました。

自分が平凡なありふれた家庭に育ってきたことへの嫌悪感。
これまで正しいと人から教えられて来たことが必ずしも正しくはないこと。
全て自分の目で見て確かめ判断しなければならないこと。
両親のもとでぬくぬくと甘えている自分が許せなくなってきたこと。
中学生の頃はやたらと暗いと言われ続けて、高校生になると明るくならなくちゃとがんばった、でも消極的であることに変わりはなく人に自分から話しかけることはできなかった。
話しかけられればよくおしゃべりした。
ただ人が右と言えば自分は左だと思っていても、YESだといってしまような、流されてしまうところが自分で許せなくなっていた。
母に対して生まれた嫌悪感、こんな自分は嫌だと思うところが母とそっくりで母が嫌でたまらなくなっていた。

こんな思春期を、本ばかり読んで過ごしていました。

自分から人に積極的に話しかけることが苦手なのは、今でも変わらないと言えばかわらないのかもしれません。
平凡であることがいちばんむずかしく、普通の生活を営めることがかけがえのないものであることを高校生の私が知るはずなどありませんでした。
両親に守られていたのだから当然といえば当然かもしれません。

今となってはただ全てが切なくてたまらないです。

そういえば、今はがりがりですが10代の頃はぽっちゃり、まるまると太っていました。
スポーツが苦手で体育の成績はいつも悪かった。いつも劣等感をもっていました。
そんな自分を好きになることができませんでした。

そういえば、高校を卒業して銀行に就職した18歳の夏、まだ高校生だった妹と、中学生だった弟と三人で清里に二泊三日だったと思いますが、小旅行に出かけました。
言いだしっぺはわたしだったでしょうか。小海線に乗って、ユースホステルに泊まりました。
妹が部屋に入る度に几帳面にドアをノックしていたことを思い出します。
三人でいった一回きりの小旅行、今となっては大切な思い出の一頁、その数年後にのたうちまわるような苦しみの日が訪れようなど想像できようはずもありませんでした。


20年前の今ごろの私は、小さな編集プロダクションに間違って採用されてしまい、かなり情けない状況でした。でも今考えると本当にかなりきつい頃でそうやって動けただけでもすごいことだったと今は思います。
ソフトコンタクトレンズを着けた眼がからからにかわいてはりついてしまい、無理にはがしたら眼がほとんど見えなくなってしまった、そんな情けない頃のわたしです。大家さんに付き添ってもらって眼科に行った記憶があります。

「1995年7月22日(土)

今週は、火曜日からずっと仕事を休んでしまった。コンタクトによる眼の炎症が原因である。まだ、ちょっとぼんやりしているが、ようやく落ち着いてきた。なんにもみえなくて、不自由な思いをして疲れてしまった。しかし、神経がそこに集中していたので、ふだん考えていることを考えることがなくてよかった。よほど、疲れていたのか、眠っても眠っても横になると眠ってしまった。仕事を続けられる自信はないし、どうしようという思いがまた頭をよぎっている。書きたいことがあるだろうに、書けない。
またぼんやりと眠いまま今日も一日が過ぎた。
そろそろ、(大学の通信教育の)レポートの一本も書きたいけど、仕事には慣れなくて、神経ばかり疲れてたし、医者通いが続いたりで、なかなか思うようにいかない。
とにかく疲れやすくなった。
明るく、のんびりと乗り切りたいけどね。
早く梅雨が明けて、普通の夏よやって来い。
そろそろ、カウンセリングルームにいく必要がありそうだ。Mちゃんのことを考えた時の、
両親への複雑な思い。
わたし自身はなんぞや。
自分の中でどうしていいかわからなくて、どうしようもないものがある。
人にいえない分、つらいものがある。
親は関係ない。自分だけをみつめて、マイナス的な考えはぬぐい去って、前に進むことだけ考えよう。己との戦いは続いている。」


ひょんなつながりから知り合った事件遺族の方がこのブログを読んで、自分のことを正直に書いているのでとても励まされるとおっしゃってくださいました。同じような立場の方は励まされるのでは、とおっしゃってくださいました。
ささやかですが、これからも少しずつ色々と書いていこうと思います。

落ち着いたら10年前に書いた卒業論文も載せていきたいと思います。
よろしかったら引き続き訪問してください。