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【雑感】旧日本軍による南京大虐殺、西側諸国の利益も侵害 【和文/中国国際放送局】

http://japanese.cri.cn/151/2007/12/14/1@108981.htm

 中国江蘇省社会科学研究院歴史研究所の崔巍研究員助手は14日南京で、「中国を侵略した旧日本軍は、南京大虐殺期間中、南京に滞在していたアメリカやイギリス、ドイツなど西側諸国の国民と機関に対し、人権侵害や略奪行為を行い、西側諸国の利益をも大きく侵害した」と述べました。

 崔巍研究員助手は南京で行われている南京大虐殺歴史事実シンポジウムで、「旧日本軍は南京に攻め込んだ期間中、他の国の国民と機関の安全に注意を払わず、南京の外国大使館や一部の外国企業は常に、爆撃を受けた。この他、旧日本軍は、南京にいた外国人に対して人権侵害などを行った」と語りました。


 日本の歴史認識がおかしい、と首相が靖国参拝をしなくなってからも、時にはキチガイ扱いしてまで、事あるごとに言い続ける当の中国の歴史認識。

「南京に滞在していたアメリカやイギリス、ドイツなど西側諸国の国民と機関に対し、人権侵害や略奪行為を行い、西側諸国の利益をも大きく侵害した」

 省の社会科学研究院歴史研究所研究員助手と言えば、それなりに歴史の専門家だと思うのだが。その歴史専門家が、こともあろうに「南京大虐殺歴史「事実」シンポジウム」において、冷戦時代の概念である「西側諸国」を、1930年代に適応する発言をし、国家管理のマスコミが海外向けに報道する国。
「中国」という単語を、民国はおろか歴代王朝まで拡大して適用するのと同じ発想だとは思うが、研究者にしては随分と主観的、非科学的、事実に反する認識である。


<<参考>>
ソ連のドイツ占領:1945年
中支派遣軍の南京占領:1937年 


 自己暗示が行くところまでいったというべきか、自家中毒がまわりきったというべきか。70周忌とは言え、今年の南京関係の抗日報道は、どこかタガが外れたかのような観があり、2005年を連想させる。
 もしこれが中共内部の問題を抗日でそらせようというのなら、現政権が危ういとでもいうような、大きな問題だろう。
 

南京大虐殺生存者:歴史は記憶すべきだが「仇恨」は忘れなければならない【青年報】
http://news.xinhuanet.com/politics/2007-12/14/content_7246302.htm

 胡錦涛御用紙、青年報が火消しをはかろうとしているようにも見えるが。

南京大虐殺: 歴史を記憶するか、それとも「仇恨」を記憶するか【環球網】
http://news.xinhuanet.com/world/2007-12/14/content_7247440.htm

 抗日新聞、環球時報が「一方日本は歴史すら忘れようとしている」という論調で、同じテーマを逆手にとっている。
 下の中国新聞網も論調は同じ。

日本右翼は歴史から目を背ける 一部のマスコミは南京大虐殺を虚構と伝える【中国新聞網】
http://news.xinhuanet.com/world/2007-12/14/content_7247820.htm


 筆者は福田首相の宥和政策には批判的なのだが、アメリカを訪問しただけ、他には本当になにもしていないのに、ここまで中国を自爆に追い込むとは、実は前、前々首相以上の釣り師なのではなかろうかと思い始めた。
 もっとも、このまま中国で民族主義が先鋭化し、抗日の動きが強くなれば、当然日本国内の中国に対する姿勢も厳しくなり、最終的には戦争になりかねないのでそれは認識しておかなければならない。

12/15追記
 1930年代の出来事を、「西側」という冷戦の発想で解釈しようとする姿勢について、 主観的、非科学的、事実に反する認識、だと述べたが。
 よく考えてみると現在も表看板は共産主義であり、「唯物史観」でそれこそ原始時代まで解釈している国なので特に驚くことでもなかった。
 おそらくは、体制が変わる度ごとに前体制を全否定してきた歴史が原因だと思われるが、支那においては現在の価値観で過去を解釈するのが中華人民共和国以前から、それこそ数千年繰り返されてきた。
 もっともあくまでも支那内部の事情であり、それを外国に押し付けられても苦笑するしかない。

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【妄言】南京事件70年―数字の争いを超えたい【和文/朝日社説】

http://www.asahi.com/paper/editorial20071215.html#syasetu1

 70年前の12月、中国を侵略していた日本軍は、直前まで国民党政府の首都だった大都市、南京を陥落させた。日本軍は中国兵士を捜し回り、その過程で多数の捕虜や一般市民も殺した。

 南京事件である。南京大虐殺とも呼ばれる。その様子を記録し、展示する現地の大虐殺記念館が2年がかりで改装され、一般に公開された。

 大幅に拡張された展示スペースには、従来の約6倍にあたる3500枚もの写真が掲げられたという。むごい写真に驚きの声が上がり、目をそむける人々も、食い入るように見る人々もいた。

 今年は、日中が全面戦争に突入した1937年から70周年にあたる。中国ではさまざまな記念の催しが計画され、南京大虐殺についても多くの映画が制作されると伝えられた。反日感情の再燃が心配されていた。

 だが、中国当局もそれを意識していたのだろう。それらの映画は公開されず、記念館の開館式典にも、党や政府の大物指導者は顔を見せなかった。

 新しい記念館の壁などには「30万人」という犠牲者数が書き込まれている。中国での戦犯裁判で確定した数字、というのが中国側の公式見解だ。しかし、これにはさまざまな見方があり、日中間の感情的な対立も招いている。

 日本の専門家の間では、数万人説や「十数万から二十万人」説などがある。私たちも30万人はいくらなんでも多すぎると思う。だが、一部では虐殺自体を否定する暴論まで語られている。新記念館に掲げられた数字は、そうした日本の論議への怒りを表してもいるようだ。

 事件から70年を経たが、日中相互の反発やわだかまりは縮まらない。和解へ歩み出すことの難しさを痛感する。

 殺戮(さつりく)の状況は、現場にいた日本軍の兵士らも日記などに書き残している。日本政府も「南京入城後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない」と認めている。

 数字の探求は専門家に任せるべきだ。実は中国の学者の間にも、一つの数字にこだわらず、より実証的な研究を求める声がある。冷静な学術研究を通じて、いずれ数字は変わっていくのではないか。

 両国の政治にとっていま大事なのは、この事件を日中間の障害とせず、和解に向けて手立てを講じていくことだ。

 過去にも、そんな取り組みはあった。村山、小泉首相は盧溝橋を、橋本首相は旧満州の瀋陽を訪ね、歴史を直視する姿勢を見せようとした。橋本氏は南京訪問すら検討し、下見も行われたが、実現しなかった。中国側の数字を正式に認める形になるのを懸念したのだろう。中国政府にはそうした実情も理解してほしい。

 このまま放置するわけにはいかない。福田首相は70年の節目に、追悼と和解への思いを語ることはできるはずだ。そうした積み重ねが、やがて数字の壁を越え、和解への扉を開くに違いない。


 要旨:
 30万人は多すぎると朝日新聞も思うが、虐殺があったのは事実で数の問題ではない。中国の意向に沿う形で、日本はこの問題を解決せよ。
 とりあえず、福田は橋本が断念した南京訪問を実現し、現地で和解の為に追悼しろ。


『数字の壁』とはまた、ノーベル文学賞作家の法廷証言のような文学的表現で、論説委員の議論を煙に巻きたい気持ちがありありと出ている。
 その「冷静な学術研究を通じて、いずれ数字は変わっていくのではないか。」と論説委員が弁護している数字、確かに中国報道でも変わって来ているようだ。

南京大虐殺9万の遭難兵士名も「嘆きの壁」に追記の望み【中文/新京報】
http://news.xinhuanet.com/mil/2007-12/14/content_7247582.htm

 30万が39万に増えるかもしれない、とのこと。冷静な学術研究かどうかは不明。

 筆者は30万には便衣兵も含まれていたと思っていたのだが、別計算だったようだ。

訂正:
記事を読み直したら「現在12000名の名前が刻まれているが、それに90000名の軍人の名前を追加」という内容だった。
 39万に増えるではなく、1万2千が10万2千に増える、という事らしい。
 軍人を入れても、名前がはっきりしているのが10万ちょっとでは、確かに数字を問題にされたら痛い。
 


 和解の為にこそ、冷静な学術研究として今月に第三回の共同研究会合があるのだが、その動きを忘れたかのように政治的決着を提案している社説はずれているといわざるを得ない。
 もっとも、「靖国参拝を止めれば日中関係はよくなる」といっていた朝日の主張が、これまで見事に中国から裏切られているのを見ても、朝日新聞の主張を受け入れ、もし福田が融和的姿勢を示しても無駄。

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