http://www.asahi.com/politics/update/1208/TKY200712080226.html
北京で1日に開かれた日中ハイレベル経済対話でまとめられたプレスコミュニケ(報道文書)を中国側が一方的に書き換えて公表し、これに日本側が外交ルートを通じて抗議、訂正を求めていることがわかった。中国側が公表した文面からは、人民元の為替レート上昇に日本が期待を表明した部分などが削除されている。日本側は独自の中国語版の作成と公表を検討するなど異例の展開を見せ、福田首相の訪中を控える中で、中国側の対応次第では日中間の新たな火種にもなりそうだ。
いったん合意したプレスコミュニケの文面を一方的に変えて発表するのは極めて異例のことだ。
同経済対話は北京の人民大会堂に日本の閣僚6人、中国の副首相と7閣僚が集まり、経済問題を包括的に議論。翌2日には日本の5閣僚が中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相と会見し、「非常に成功した」と対話の成果を評価した温首相に、高村外相は「共同文書の発表ができて成功だった」と応じた。
複数の日中関係筋によると、コミュニケは対話と並行して双方の実務者が検討し、各分野の表現を担当閣僚が了承、完成した。日本側は1日夜、北京で記者団に日本語版の全文を発表した。
中国側は新華社通信が3日、中国語版を伝え、翌日付の人民日報や商務省のウェブサイトに掲載された。ところが、日中双方の閣僚らが1日の対話で合意した当初の文面から、中国側が人民元の為替レートの上昇に向けて努力することに日本側が期待を表明した部分と、エネルギー憲章条約への中国の参加の意義を日本側が指摘した部分が削除されている。
人民元の為替レートは、中国人民銀行(中央銀行)の市場介入で低く抑えられているとして、巨額の対中貿易赤字を抱える米国や欧州から批判が根強い。また、エネルギーに関する貿易の自由化や投資の保護について定めた国際ルールであるエネルギー憲章条約については、中国は署名せず、オブザーバー国にとどまっている。
中国側が削除した部分は、いずれも日本が中国に努力を促すくだり。日本政府当局者は「中国側はコミュニケの作成自体に消極的だった。文書化したうえ、言われたくないことを明記することへの抵抗感が強かったのだろう」と見る。日本側からは「副首相はじめ担当閣僚が合意しておきなら、無断で変更を加える行為は両国の信頼関係を傷つける」「外交上やってはいけない暴挙」などの声が上がっている。
日中関係者は「中国共産党指導部が注文をつけたとしか考えられない」と指摘するが、中国側が文面に変更を加えた意図や背景は不明だ。中国外務省報道局は8日夜の段階で、朝日新聞の問い合わせに答えていない。
各紙がとりあげているなか、朝日の記事が一番分かりやすい。
人民元を切上したくなかったのか、小日本人に意見されたのが業腹だったのかは不明だが、とにかく「合意した内容を勝手になかった事にしてしまった」ようだ。外交上というか、現代日本人を含めた近代資本主義社会の感覚からすると、社会人としてやってもいいけど確実に信用をなくす行為。
他人の嫌がることはしないと言い切った男が首相をしている、小日本相手だから何をしてもいいと考えているのは確かなのだが。清末から現在までの支那人の振る舞いを見直すと、いっそそういう民族性なのだと考えたくなる。
600枚の写真が、甲午(日清)戦争悲歌を再現【中文/北京日報】
http://news.xinhuanet.com/photo/2007-12/10/content_7224900.htm
なんとなく彼等のメンタリティが理解できたセンテンス。↓
「日清戦争は110年前に終わったが、戦争の惨敗は国民の中に永遠に痛みとなって残る。」
先日紹介した「そうりゅう」へのイチャモンも大概しつこいと思ったが。要するに彼等(何国民か知らないが、恐らく 中華人民共和国=中華民国=清国 なのだろう)にとって日本人は「不倶戴天」なのである。
よく考えたら、清国を侵略した他の列強についてはここまでしつこい嫌がらせをしていないので、やっぱり「小日本だから」な気がする。
そういう発想が、清末から文革終了までの混乱の原因だと、筆者などは思うのだが、小日本人のいうことなど聞く耳もたないに違いない。