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【雑感】日本に必要なのは研究ではない、治療だ【中文/新華網】

http://news.xinhuanet.com/comments/2007-12/13/content_7236934.htm

南京事件については、筆者もようやっと資料を漁り始めている段階なので、個人の意見はないのだが。日中共同歴史研究では揉めるだろう、程度は理解している。


<<記事>>
南京、10時に遭難同胞記念の防空警報【中文/中新網】
http://news.xinhuanet.com/politics/2007-12/13/content_7239368.htm
70年間、日本は南京大虐殺を正視してこなかった【中文/新華網】
http://news.xinhuanet.com/world/2007-12/13/content_7240880.htm
日本紙:「南京大虐殺」鉄証如山 歴史真相抹殺を許さず【中文/新華網】(訳註:日本紙は赤旗のこと)
http://news.xinhuanet.com/world/2007-12/13/content_7240673.htm

<<特集>>
図集:南京大虐殺70周忌:屠城血証
http://news.xinhuanet.com/photo/2007-12/13/content_7230654.htm
南京大虐殺70周忌:忘れられない為の記念
http://news.xinhuanet.com/politics/2007-12/13/content_7236129.htm


 先日から、筆者は意図的に「支那」という用語を使い始めた。
 中国側を見ていると、10年ほど前までは「清朝」「中華民国」「中華人民共和国」を厳密に使い分けていたのが、最近全て「中国」を使用し始めている。
 同様に、他民族国家である建前にも関わらず、「中国人」でウイグル人もチベット人も、「華人」でアメリカ人もドイツ人もひっくるめてしまっている。
「大中国化」というか、民族主義の高揚から、意図的に同一視しようというバイアスをかけているものと思われる。もともと、周辺の民族を同化するのが中華思想ともいえる。

 筆者個人としては、歴史的な体制、民族区分、は厳密に区別しないと理論がなりたたない、とはいえ元の概念を引用する必要もあるため、中国側がいう「中国、中国人」に対して「支那、支那人」を使用するようにした。


 前置きが長くなったが、支那において法事は10年毎に大きくする。更にその場合、故人に仇がある(と子孫が思い込んでいる)場合、字義字通り肉を喰らい血を啜り、字義通り墓を暴いて死体に鞭打つ、ことが歴史的に一番道徳的だとされている。
 文革の頃それらは因習だとして排除されたはずが、ここ最近復活してきた。
 さらには「他人の嫌がることはしない」と名言した男が首相をしている。

 結論として、安倍訪中以降、押さえつけられていた抗日報道が、いっぺんに花開いたありさま。
 3つほど個人的に興味を覚えた記事を抜粋してみた。

1.追悼:南京大虐殺70周年:日本戦敗の史実
http://news.xinhuanet.com/video/2007-12/12/content_7233483.htm

 TVシリーズのインターネット配信、南京事件を強調するあまり、日本軍の戦果を強調、逆に支那軍の脆弱ぶりがあぶりだされる結果になることに気がついたようだ。
 少し前なら「あれは蒋介石軍であり、紅軍は勝っていた」と抗弁できたのだが、上記したような「大中国化」もともない蒋介石軍も紅軍もひっくるめて「中国軍」と呼称し始めたのでこのようなことになっている。(もっとも紅軍も、30年代に2~3回兵站破壊をした程度で、以後は兵力を温存している)
 あわてて、日本軍がボロ負けした映像を編集したらしい。

2.母親は鬼子に強姦された 家仇国恨は言わないわけにはいかない【中文/先駆導報】
http://news.xinhuanet.com/world/2007-12/13/content_7240955.htm

 家仇国恨:「家の仇、国の恨み」とでも読むのだろうか。中国側人民意識におけるこの問題の本質をいいあらわした四字熟語。
「不倶戴天」を止めて「家仇国恨」を使おうかとも思ったが、日本語にした時に意味が見て分からないのでやめた。


3.日本に必要なのは研究ではない、治療だ【中文/新華網】
http://news.xinhuanet.com/comments/2007-12/13/content_7236934.htm

 筆者が一番衝撃を受けた内容。
 研究を拒否し、のみならず日本は精神病だとする。

 支那人の発想から考えたら、いくら認識の違いが国際問題化していても、いくら研究しても事実は事実であり、事実を疑うものは精神病患者なのだろう。
 それにしても国家に治療が必要、という言い回しが洒落になっていない。

 つまり共同歴史研究はやめて、武力で決着するつもりなのだろうか?
 それとも共同歴史研究の結果が、自分たちの思うようにはならないと分かりだしだか。

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