http://www.asahi.com/paper/editorial20071205.html#syasetu2
インド洋での海上自衛隊の給油活動を再開するための、新法の審議が参院で始まった。民主党が参院の主導権を握る「逆転国会」でこの問題にどう決着をつけるか。いよいよ与野党の綱引きがヤマ場を迎えた。
国会の会期は15日までだが、政府・与党はこれを延長するのか、衆院の3分の2以上による再議決に踏み切るのか。すでに、法案審議の出口をめぐる観測が盛んに語られている。
展開次第では衆院の解散・総選挙の可能性が絡む。来年度予算案の編成も迫っている。福田首相や民主党の出方に注目が集まるのは仕方ない。
だが、野党が「逆転」の真価を発揮できるのはこれからである。数の力を振り回されるのはご免だが、与党主導の衆院審議とはひと味もふた味も違う論戦を見せなければならない。
給油再開こそ国際責任を果たす道だ。政府はこの主張一本やりだが、もっと全体像を踏まえた議論がないと、国民も判断に苦しむ。朝日新聞の世論調査で自衛隊の給油活動再開への賛否が44%と同数だったのも、その表れだろう。
タリバーン政権の崩壊からすでに6年。なのにアフガン情勢はむしろ悪化している。現地に部隊を出している国々では、民間のアフガン人や自軍兵士の犠牲が増えるにつれ、このままでいいのかという真剣な議論が行われている。
日本の自衛隊撤収は、部隊派遣を続けたい各国政府にとって国内世論を説得するうえで打撃かもしれない。自衛隊がいなくなったあとの給油の穴を埋める不便さもあろう。だが、アフガン支援の手法と目的、効果を再考量すべき時期に来ているのは間違いないのではないか。
民主党も新法に反対だと言うなら、日本はどのような貢献をすべきなのか、対案を法案として出すべきだ。
もうひとつ、給油新法の審議とも絡んで終盤国会の大きな課題がある。守屋武昌・前事務次官らの贈収賄事件をはじめ、防衛行政をめぐる腐敗、疑惑の構造をただすことだ。
刑事事件としては東京地検が捜査しているが、国会にも役割がある。政治家や官僚、自衛官OBが装備品の調達や工事の入札、天下りなどで税金をむさぼっていたとすれば、その実態を明らかにする。再発防止のための仕組みをつくる。文民統制の主役は国会であることの責任をきちんと果たしてもらいたい。
防衛行政全般に対する国民の信頼が揺らいでいる。政府・与党は防衛疑惑の解明と給油再開は別問題だと主張するが、そうとは言い切れまい。3分の2の再議決で新法を強行したとしても、信頼の問題を棚上げする形で海外に送られる自衛隊員たちは気の毒だ。
民主党は、政局への思惑で審議を引き延ばすようなことがあってはならない。逆転参院に期待する有権者に応えるためにも、精力的に審議を進めるべきだ。
「給油再開こそ国際責任を果たす道だ。政府はこの主張一本やりだが、もっと全体像を踏まえた議論がないと、国民も判断に苦しむ。」
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「だが、アフガン支援の手法と目的、効果を再考量すべき時期に来ているのは間違いないのではないか」
相変わらず、OEF-MIOの目的を、「アフガン支援」へとずらして印象づけようとしている。事象の全体像を「対テロ」から「アフガン支援」へ歪めて把握したら、それは判断に苦しむのも当然だろう。
勝手に国民全体も自分と同じ(特殊な)認識をしているに違いない、と思い込める精神構造は理解できないが、おそらく病的なものに違いない。
まあ、初めの方で与野党双方に議論を展開する責任があるような書き方をしておいて、突然「民主党も新法に反対だと言うなら、日本はどのような貢献をすべきなのか、対案を法案として出すべきだ」と、野党が対案を出してこない、という議論が進まない本題の本質を放り出すように書かれたのでは、論理的に読んでいる読者は混乱するばかりだ。
一点だけ褒めたい。
昨日の社説では「文民統制」と「政治による統制」を使い分け、これらをあたかも別々の概念であるかのように書いていたが、今日の社説では「文民統制の主役は国会である」と至極正確な認識を披露している。
是非この認識をゆがめないで欲しいものだ。