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●袴田冤罪事件…袴田巖さんや袴田秀子さんらの人生をめちゃめちゃにした《捜査機関による証拠捏造》に対して責任ある対応が求められる

2023年04月19日 00時00分10秒 | Weblog

[↑ ※《第三者は捜査機関の者である可能性が極めて高いと思われる》(『報道特集』、2023年03月18日[土])]


(20230405[])
袴田冤罪事件、「無罪」判決の次は、《「第三者がみそ漬けにした可能性がある」》《捜査機関による証拠捏造》《犯行着衣について捜査機関の捏造とまで》の問題へ。検察や警察、《捜査機関による証拠捏造》に対する責任ある対応が求められる。裁判官やメディアの責任も免れない。

   『●《読者はこうした報道を何日もシャワーのように浴びた。…裁判官たちも
         例外では》ない…袴田事件の《冤罪に加担したメディアの責任》
    《袴田事件は、代用監獄長期勾留死刑制度、再審制度など日本の
     刑事司法が抱える重大な問題の全てを孕んだ事件だが、
     マスメディアの報道のあり方についても大きな課題を突きつけている
     今なお続く犯人視報道、人権侵害報道――この事件で、袴田さんと
     同じく、人生を大きく狂わされた熊本さんが私たちに遺した大きな宿題だ

 デモクラシータイムスの映像記事【【高瀬毅のずばり!真相】再審の扉 ついに開く ~袴田さん無罪の公算~】(https://www.youtube.com/watch?v=KCeRqGXpIhM)。《57年前の1966年に静岡県で起きた一家4人殺害・放火の「袴田事件」。逮捕され、死刑判決を受けた袴田巌さんが、無罪を求めて闘ってきた裁判でついに再審開始が確定。検察が最高裁に不服申し立てをする「特別抗告」を3月20日に断念したからです。東京高裁での再審開始決定から検察の断念までを映像を中心に伝え、再審の長期化の問題を考えました。
司会:高瀬毅 (ノンフィクション作家)
ゲスト:鴨志田祐美 (弁護士)
2023年3月23日 収録》



【【高瀬毅のずばり!真相】再審の扉 ついに開く ~袴田さん無罪の公算~】
 (https://www.youtube.com/watch?v=KCeRqGXpIhM)


   『●《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん、再審開始決定…せめて
    《一刻も早く「無罪」とすべく、検察は不服を唱えるべきではない》
   『●袴田巖さん、袴田秀子さん ――― 《捜査機関による証拠捏造》とまで
     言われているのだ、検察側が特別抗告を断念するのも、当然の結果だろう
   『●袴田冤罪事件: 《「…第三者がみそ漬けにした可能性がある」》《捜査
      機関による証拠捏造》《犯行着衣について捜査機関の捏造とまで…》
   『●<コラム 筆洗>《高裁は捜査機関による証拠捏造の可能性まで踏み
     込んでいる…袴田さんをただ犯人にしたいという卑劣なトリックだろう》

 <コラム 筆洗>《▼高裁は捜査機関による証拠捏造(ねつぞう)の可能性まで踏み込んでいる震える。事実なら小説の見立て違いどころではなく、袴田さんをただ犯人にしたいという卑劣なトリックだろう》。
 検察=《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》。「証拠なんかねえよ」どころか、証拠を捏造。《真犯人なんか誰でもいい》どころか、袴田さんサイドに、袴田さんが「犯人でないのならば、真犯人は誰か?」を求めるデタラメ。司法が、真犯人を逃すという二重、三重の意味での甚大なミスをやった訳。

   『●『美談の男』読了
   『●袴田事件: いい加減に誤まりを認めるべき
   『●作られた袴田冤罪事件、理不尽極まる漸くの初の証拠開示
   『●袴田事件、48年間のそれぞれの苦難……
      袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん
   『●袴田事件: 静岡地裁は「疑わしきは被告人の利益に」を
   『●袴田事件、そして死刑執行後の『飯塚事件』再審:
                   司法の良心を示せるか?
   『●袴田事件・釈放!: 「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑い」
               「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」

   『●映画「ザ・ハリケーン」と袴田事件:「冤罪事件を「絶対に忘れるな」」
   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
    《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけには
     いかないのだ」▼袴田さんの無実を信じる人にとってはどうあっても狼に
     許されぬイソップ寓話(ぐうわ)の羊を思い出すかもしれない…
     検察と裁判所を納得させる羊の反論の旅はなおも続くのか
     ▼事件から五十二年長すぎる旅である

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…
       政権や検察に忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
    「NTVの【NNNドキュメント’18我、生還す -神となった死刑囚・
     袴田巖の52年-】…《今年6月、東京高裁が再審開始を取り消した
     「袴田事件」。前代未聞の釈放から4年半、袴田巖さんは死刑囚のまま
     姉と二人故郷浜松で暮らす》」
    「三権分立からほど遠く、法治国家として公正に法に照らした
     「司法判断」ができず、アベ様ら政権に忖度した「政治判断」乱発な、
     ニッポン国の最「低」裁に何を期待できようか…。
     《巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ」

   『●冤罪は晴れず…「自白を偏重する捜査の危うさ…
       証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」
   『●袴田秀子さん《ボクシングに対する偏見…
      チンピラだっていうイメージ…その印象以外に何の証拠もなかった》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
           耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    「週刊朝日の記事【袴田事件で「捜査機関が証拠を”捏造”」 
     弁護団が新証拠の補充書を最高裁に提出 】」
    《静岡地裁の再審開始決定を取り消した東京高裁決定から、
     1年余りが経過した。死刑が確定した元プロボクサーの
     袴田巌さん(83)は最高裁に特別抗告中だが、弁護団はこのほど
     “新証拠”を提出した》

   『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
       飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…
   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は
     《鼻には詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
   『● CD『Free Hakamada』の《ジャケットには、元プロボクサーの
          袴田さんが…名誉チャンピオンベルトを持った写真》
   『●《「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」
        と明かした元裁判官熊本典道さん》がお亡くなりになりました
    「袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん」

   『●映画『BOX 袴田事件 命とは』で熊本典道さん役…《「法廷では
     裁判官自身も裁かれている」。自分で自分を裁こうとした日々…》
   『●袴田巌さんに無罪を…《死と隣り合わせの生活が心にもたらした影響
     …暗黒の日々の長さを思わざるをえない…夜は終わったわけではない》
   『●《読者はこうした報道を何日もシャワーのように浴びた。…裁判官
     たちも例外では》ない…袴田事件の《冤罪に加担したメディアの責任》
   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
   『●袴田冤罪事件…タンパク質に糖分が触れると「メイラード反応」が
     進み、1年2カ月後には《常識的な範囲で『赤みは残らない』》はずだ
    「《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん。すぐさま、袴田巌さんに
     無罪を! マスコミももっと後押しすべきなのではないか。裁判所も
     自分たちの先輩の誤りを受け入れるべき…『●《読者はこうした報道を
     何日もシャワーのように浴びた。…裁判官たちも例外では》ない…
     袴田事件の《冤罪に加担したメディアの責任》』」

   『●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過
     ごし、検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》
   『●《「証拠は再審請求の段階でも捜査側に偏在している」…検察は
     掌中の証拠をあまねくオープン》にするよう裁判所は訴訟指揮すべきだ
   『●48年も獄中に囚われていた袴田巌さん…《検察は再収監を諦めて
     いません》って、正気なのかね? すぐさま、袴田巌さんに無罪を!
   『●日野町事件《遺族による「死後再審」の請求を認めた大津地裁の決定を
     支持…決め手は、元の公判で検察が開示していなかった実況見分の際の…》

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●袴田冤罪事件: 《「…第三者がみそ漬けにした可能性がある」》《捜査機関による証拠捏造》《犯行着衣について捜査機関の捏造とまで…》

2023年03月22日 00時00分45秒 | Weblog

(2023年03月21日[火])
《「…第三者がみそ漬けにした可能性がある」》《捜査機関による証拠捏造》《証拠を捜査機関側が捏造した可能性が極めて高い》《犯行着衣について捜査機関の捏造 (ねつぞう) とまで踏み込んだ高裁決定》とまで言われているのだ、最高裁への特別抗告を断念という当然の結果。さっさと裁判を開始し、即座に「無罪」判決を。
 それにしても、あまりに長い…。袴田巖さん、姉の袴田秀子さん、償いようのない48年。無罪判決を勝ち取り《いまも、死刑囚のまま》から脱却できても、「拘禁反応」に苦しめられる袴田巖さん。48年の月日は戻らない。《「疑わしきは被告の利益にという原則》を蔑ろにした司法の罪はあまりにも重い。

   『●《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん、再審開始決定…せめて
    《一刻も早く「無罪」とすべく、検察は不服を唱えるべきではない》
   『●袴田巖さん、袴田秀子さん ――― 《捜査機関による証拠捏造》とまで
     言われているのだ、検察側が特別抗告を断念するのも、当然の結果だろう

 小嶋麻友美太田理英子両記者による、東京新聞の記事【袴田さん再審確定 追い詰められた検察、高裁の緻密な認定覆す余地はなく…】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/239208)によると、《犯行着衣について捜査機関の捏造 (ねつぞう) とまで踏み込んだ高裁決定の後、検察側に特別抗告断念を求めるうねりが一気に高まった。支援者や研究者、法曹団体は連日、声明を出し「今回は絶対、特別抗告はされないだろうというムードができた皆さんの力が一つになって今日が迎えられた」と小川弁護士は振り返る。高齢の袴田さんに残された時間は多くない。矢村教授は「特別抗告して無益な争いをし、社会的批判に耐えられるのかという判断も働いたのでは」と語り、再審公判でも検察側の有罪立証は難しいとみる》。

   『●『美談の男』読了
   『●袴田事件: いい加減に誤まりを認めるべき
   『●作られた袴田冤罪事件、理不尽極まる漸くの初の証拠開示
   『●袴田事件、48年間のそれぞれの苦難……
      袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん
   『●袴田事件: 静岡地裁は「疑わしきは被告人の利益に」を
   『●袴田事件、そして死刑執行後の『飯塚事件』再審:
                   司法の良心を示せるか?
   『●袴田事件・釈放!: 「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑い」
               「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」

   『●映画「ザ・ハリケーン」と袴田事件:「冤罪事件を「絶対に忘れるな」」
   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
    《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけには
     いかないのだ」▼袴田さんの無実を信じる人にとってはどうあっても狼に
     許されぬイソップ寓話(ぐうわ)の羊を思い出すかもしれない…
     検察と裁判所を納得させる羊の反論の旅はなおも続くのか
     ▼事件から五十二年長すぎる旅である

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…
       政権や検察に忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
    「NTVの【NNNドキュメント’18我、生還す -神となった死刑囚・
     袴田巖の52年-】…《今年6月、東京高裁が再審開始を取り消した
     「袴田事件」。前代未聞の釈放から4年半、袴田巖さんは死刑囚のまま
     姉と二人故郷浜松で暮らす》」
    「三権分立からほど遠く、法治国家として公正に法に照らした
     「司法判断」ができず、アベ様ら政権に忖度した「政治判断」乱発な、
     ニッポン国の最「低」裁に何を期待できようか…。
     《巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ」

   『●冤罪は晴れず…「自白を偏重する捜査の危うさ…
       証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」
   『●袴田秀子さん《ボクシングに対する偏見…
      チンピラだっていうイメージ…その印象以外に何の証拠もなかった》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
           耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    「週刊朝日の記事【袴田事件で「捜査機関が証拠を”捏造”」 
     弁護団が新証拠の補充書を最高裁に提出 】」
    《静岡地裁の再審開始決定を取り消した東京高裁決定から、
     1年余りが経過した。死刑が確定した元プロボクサーの
     袴田巌さん(83)は最高裁に特別抗告中だが、弁護団はこのほど
     “新証拠”を提出した》

   『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
       飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…
   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は
     《鼻には詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
   『● CD『Free Hakamada』の《ジャケットには、元プロボクサーの
          袴田さんが…名誉チャンピオンベルトを持った写真》
   『●《「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」
        と明かした元裁判官熊本典道さん》がお亡くなりになりました
    「袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん」

   『●映画『BOX 袴田事件 命とは』で熊本典道さん役…《「法廷では
     裁判官自身も裁かれている」。自分で自分を裁こうとした日々…》
   『●袴田巌さんに無罪を…《死と隣り合わせの生活が心にもたらした影響
     …暗黒の日々の長さを思わざるをえない…夜は終わったわけではない》
   『●《読者はこうした報道を何日もシャワーのように浴びた。…裁判官
     たちも例外では》ない…袴田事件の《冤罪に加担したメディアの責任》
   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
   『●袴田冤罪事件…タンパク質に糖分が触れると「メイラード反応」が
     進み、1年2カ月後には《常識的な範囲で『赤みは残らない』》はずだ
    「《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん。すぐさま、袴田巌さんに
     無罪を! マスコミももっと後押しすべきなのではないか。裁判所も
     自分たちの先輩の誤りを受け入れるべき…『●《読者はこうした報道を
     何日もシャワーのように浴びた。…裁判官たちも例外では》ない…
     袴田事件の《冤罪に加担したメディアの責任》』」

   『●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過
     ごし、検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》
   『●《「証拠は再審請求の段階でも捜査側に偏在している」…検察は
     掌中の証拠をあまねくオープン》にするよう裁判所は訴訟指揮すべきだ
   『●48年も獄中に囚われていた袴田巌さん…《検察は再収監を諦めて
     いません》って、正気なのかね? すぐさま、袴田巌さんに無罪を!
   『●日野町事件《遺族による「死後再審」の請求を認めた大津地裁の決定を
     支持…決め手は、元の公判で検察が開示していなかった実況見分の際の…》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/239208

袴田さん再審確定 追い詰められた検察、高裁の緻密な認定覆す余地はなく…
2023年3月21日 06時00分

     (東京高検前で、最高裁への特別抗告断念を訴え座り込みを
      する袴田事件の支援者ら=20日、東京・霞が関で)

 袴田巌さん(87)の再審開始を認めた東京高裁決定について、検察当局が20日、特別抗告を断念したことで、再審無罪が大きく近づいた。もともと袴田さんを有罪とする証拠が弱かった上、審理の争点が絞られた中で、検察側に高裁の緻密な判断を覆す余地はほぼなかった。(小嶋麻友美太田理英子

【関連記事】袴田さんの再審開始が確定、無罪の公算強まる 検察側が特別抗告を断念 1966年一家殺害 死刑事件で5例目


◆難しい判断迫られた高検

 特別抗告の期限だった20日の午後4時半前。検察側の動きが見えないまま、記者会見のため東京・霞が関の司法記者クラブを訪れていた弁護団事務局長の小川秀世弁護士の携帯電話に、高検の担当検事から「断念」の一報が入った。

 高検による正式な記者会見が始まったのは、それから2時間以上後。山元裕史次席検事は「法と証拠に基づいて慎重に検討を重ねた結果、特別抗告しないことになった」と述べるばかり。再審公判でどのような立場を取るのかを問われても「この段階では差し控える」と回答を避け続けた。

 事実ではなく法律問題を審理する最高裁への特別抗告は、憲法違反か判例違反に限られる。判決から2週間の期間がある通常の裁判とは異なり、再審請求を巡る抗告の期限は休日を除きわずか5日。「(書面を)書きながら判断していかないと間に合わない。やってみて結局、どこまで書けるか」(検察幹部)という難しい判断を迫られ、最高検を交えた検討はぎりぎりまで続いたとみられる。


◆詳細、丁寧に「宿題」こなした高裁

 静岡地裁が認めた再審開始決定を高裁が一転取り消し、最高裁が差し戻すという異例の展開をたどった今回の第2次再審請求審。最高裁が高裁に課した「宿題」は、確定判決が認めた犯行着衣に関して、長期間みそ漬けされた場合の血痕の色に赤みが残るかどうかの化学的知見に基づく検証だった。

 東京高裁の大善文男裁判長は、弁護側の実験結果や専門家による鑑定の信用性を認め、検察側の主張は「化学的論拠に基づかない抽象的な反論とことごとく退けた。着衣以外の証拠も「それだけでは犯人性を推認させる力がもともと限定的か、弱いものだったと指摘。再審判断に当たって「新旧の証拠を総合的に評価すべきだ」とする1975年の最高裁「白鳥決定」を踏まえ、犯行着衣が袴田さんのものであることに疑いが生じると断じた

 元東京高裁部総括判事の矢村宏・北海学園大教授(刑事訴訟法)は「差し戻しによって争点が絞られた中で、検察は反論の余地を見つけられなかった。高裁からあれほど詳細、丁寧な事実認定と判断をされ、欠陥を見つけるのは難しかったのだろう」と指摘する。


◆特別抗告の断念求めるうねり一気に

 犯行着衣について捜査機関の捏造 (ねつぞう) とまで踏み込んだ高裁決定の後、検察側に特別抗告断念を求めるうねりが一気に高まった。支援者や研究者、法曹団体は連日、声明を出し「今回は絶対、特別抗告はされないだろうというムードができた皆さんの力が一つになって今日が迎えられた」と小川弁護士は振り返る。

 高齢の袴田さんに残された時間は多くない。矢村教授は「特別抗告して無益な争いをし、社会的批判に耐えられるのかという判断も働いたのでは」と語り、再審公判でも検察側の有罪立証は難しいとみる。
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●48年も獄中に囚われていた袴田巌さん…《検察は再収監を諦めていません》って、正気なのかね? すぐさま、袴田巌さんに無罪を!

2023年01月16日 00時00分10秒 | Weblog

(20230103[])
48年も獄中に囚われていた袴田巌さん…《検察は再収監を諦めていません》って、正気なのかね? すぐさま、袴田巌さんに無罪を!

   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
   『●袴田冤罪事件…タンパク質に糖分が触れると「メイラード反応」が
     進み、1年2カ月後には《常識的な範囲で『赤みは残らない』》はずだ
    「《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん。すぐさま、袴田巌さんに
     無罪を! マスコミももっと後押しすべきなのではないか。裁判所も
     自分たちの先輩の誤りを受け入れるべき…『●《読者はこうした報道を
     何日もシャワーのように浴びた。…裁判官たちも例外では》ない…
     袴田事件の《冤罪に加担したメディアの責任》』」

 デモクラシータイムスの映像記事【袴田事件 今度こそ再審開始へ 【The Burning Issues Vol.31】】(https://www.youtube.com/watch?v=stAjNU_w8Zw)によると、《1966年6月に、静岡県清水市(現・静岡市清水区)でおきた、一家4人殺害・放火事件「袴田事件」は、現在第2次再審の差し戻し審が東京高裁で行われています。ほぼ審理は終わり、来年3月には再審開始が決定される可能性があります。犯人とされた袴田さんは86歳。2014年に釈放され、姉の秀子さんと一緒に暮らしていますが、検察は再収監を諦めていません。半世紀を超えてもなお続く裁判。これまでの経緯と、この裁判の問題点を整理しました。来年へ向け、一人でも多くのひとたちが関心を持つことを期待しています。 司会:高瀬毅》。


【袴田事件 今度こそ再審開始へ 【The Burning Issues Vol.31】】
 (https://www.youtube.com/watch?v=stAjNU_w8Zw

 「鑑定技術の進展によって細胞が数個分あればDNAの検出は十分に可能だとされていて、鑑定の信用性を否定すべきとは思わない。犯人のものとされるシャツに付いた血痕と袴田さんのDNA型が違い、血痕は袴田さんのものではないという重大な疑いが生じる」との指摘にもかかわらず、「DNA型鑑定論争には終止符」と言われてもねぇ。

 〝味噌漬け〟により縮んだとはいえ、異常に小さすぎる衣服のサイズなど、数々の《重大な疑い》があるにもかかわらず、《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん。しかも、《B》というタグはサイズではなく、色のタグ。

 タンパク質に糖分が触れると「メイラード反応」が進み、1年2カ月後には《常識的な範囲で『赤みは残らない』》はずだ。《1年以上みそ漬けにされても「血痕の赤み」が残る》訳も無く、《弁護側は高裁段階で「メイラード反応が進行し、血痕は黒くなっていたはずだ」》は十分に《常識的》だ。《再審請求審では弁護側、検察側の双方が、血液を付けた衣類をみそに漬け込んだ実験の結果を証拠として提出。いずれも5~6カ月経過すると褐色化が進み、赤みが完全に消える結果が出》ている。
 《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん。すぐさま、袴田巌さんに無罪を! マスコミももっと後押しすべきなのではないか。裁判所も自分たちの先輩の誤りを受け入れるべき…『●《読者はこうした報道を何日もシャワーのように浴びた。…裁判官たちも例外では》ない…袴田事件の《冤罪に加担したメディアの責任》』。

   『●『美談の男』読了
   『●袴田事件: いい加減に誤まりを認めるべき
   『●作られた袴田冤罪事件、理不尽極まる漸くの初の証拠開示
   『●袴田事件、48年間のそれぞれの苦難……
      袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん
   『●袴田事件: 静岡地裁は「疑わしきは被告人の利益に」を
   『●袴田事件、そして死刑執行後の『飯塚事件』再審:
                   司法の良心を示せるか?
   『●袴田事件・釈放!: 「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑い」
               「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」

   『●映画「ザ・ハリケーン」と袴田事件:「冤罪事件を「絶対に忘れるな」」
   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
    《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけには
     いかないのだ」▼袴田さんの無実を信じる人にとってはどうあっても狼に
     許されぬイソップ寓話(ぐうわ)の羊を思い出すかもしれない…
     検察と裁判所を納得させる羊の反論の旅はなおも続くのか
     ▼事件から五十二年長すぎる旅である

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…
       政権や検察に忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
    「NTVの【NNNドキュメント’18我、生還す -神となった死刑囚・
     袴田巖の52年-】…《今年6月、東京高裁が再審開始を取り消した
     「袴田事件」。前代未聞の釈放から4年半、袴田巖さんは死刑囚のまま
     姉と二人故郷浜松で暮らす》」
    「三権分立からほど遠く、法治国家として公正に法に照らした
     「司法判断」ができず、アベ様ら政権に忖度した「政治判断」乱発な、
     ニッポン国の最「低」裁に何を期待できようか…。
     《巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ」

   『●冤罪は晴れず…「自白を偏重する捜査の危うさ…
       証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」
   『●袴田秀子さん《ボクシングに対する偏見…
      チンピラだっていうイメージ…その印象以外に何の証拠もなかった》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
           耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    「週刊朝日の記事【袴田事件で「捜査機関が証拠を”捏造”」 
     弁護団が新証拠の補充書を最高裁に提出 】」
    《静岡地裁の再審開始決定を取り消した東京高裁決定から、
     1年余りが経過した。死刑が確定した元プロボクサーの
     袴田巌さん(83)は最高裁に特別抗告中だが、弁護団はこのほど
     “新証拠”を提出した》

   『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
       飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…
   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は
     《鼻には詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
   『● CD『Free Hakamada』の《ジャケットには、元プロボクサーの
          袴田さんが…名誉チャンピオンベルトを持った写真》
   『●《「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」
        と明かした元裁判官熊本典道さん》がお亡くなりになりました
    「袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん」

   『●映画『BOX 袴田事件 命とは』で熊本典道さん役…《「法廷では
     裁判官自身も裁かれている」。自分で自分を裁こうとした日々…》
   『●袴田巌さんに無罪を…《死と隣り合わせの生活が心にもたらした影響
     …暗黒の日々の長さを思わざるをえない…夜は終わったわけではない》
   『●《読者はこうした報道を何日もシャワーのように浴びた。…裁判官
     たちも例外では》ない…袴田事件の《冤罪に加担したメディアの責任》

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●琉球新報《核兵器禁止条約の第1回締約国会議…オブザーバー参加を見送った日本政府の不在が際立った会議だった…不参加は歴史的過ち》

2022年07月10日 00時00分51秒 | Weblog

[※ 『トランクの中の日本』(聞き書き/ジェニファー・オルドリッチ 写真/ジョー・オダネル 訳/平岡豊子)(https://www.shogakukan.co.jp/books/09563013)↑]


(20220702[])
核兵器禁止条約、どの国がまずは最初に批准すべきですか? 「加害者性」を薄め、さんざん「被害者性」を前面に押し出してきのに…。独自の路線、「橋渡し役」はどうしたのですかね?
 東京新聞の記事【「核共有の肯定は誤ったメッセージ」 被爆者の思いを背負った若者、日本が加盟しない核兵器禁止条約の締約国会議に出席へ】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/180172)によると、《核兵器を違法とする核兵器禁止条約の初の締約国会議(6月21〜23日)まで約3週間。唯一の戦争被爆国でありながら、条約への加盟を否定する日本政府の姿勢に疑問を抱く被爆地出身の若者らが、会期中に開催地のオーストリア・ウィーンを訪れ、会場内外で核廃絶を訴える計画を進めている。被爆者との対話の場を設けるほか、各国の同じ世代との連携も確認する考えだ。(大野暢子我那覇圭)》。

   『●《悲願の「核なき世界」へと…被爆者たちが心血を注いだ核兵器禁止
     条約の発効から一年余》…《火事場ドロボー》どもがウヨウヨなニッポン

 《橋渡し役》どころか…《敵基地攻撃》したい、《核保有》したいと《火事場ドロボー》どもがウヨウヨ湧いてくる哀しい国・ニッポン。違憲に壊憲し、戦争できる国にしたいと喚いている。軍事費倍増だとさ。その5兆円、どこの財源を削るつもりか?

   『●軍事費倍増5兆円のために何を削るつもりか? 《赤字国債の乱発、
     社会保障のさらなる削減、消費税の大増税…》…市民生活は劣化の一途

 人殺しのための武器を輸出…悍ましいことだ。《火事場ドロボー》1号、2号、3号…を支持し、投票する人々に、壊憲して戦争する国になる自覚はあるのかね? 投票した先の未来、予想されるその結果は? 《日本が輸出した武器が紛争当事国で使われれば…》なんて、ぞっとする。
 琉球新報の【<社説>武器輸出「緩和」検討 9条の理念を裏切るな】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1526227.html)によると、《事実上の禁輸政策の転換である。政府は31日に発表した経済財政運営の指針「骨太方針」に、防衛装備品(武器)の輸出ルールを定めた「防衛装備移転三原則」や運用指針の緩和を検討することを盛り込んだ。武器輸出を拡大しようという狙いだが、周辺諸国や不戦を誓った憲法9条へ信頼を寄せる国々に不信感をもたらすだけだ日本が輸出した武器が紛争当事国で使われれば、一方の当事国からは「日本が手を貸した」と見られてもおかしくない。国際紛争を解決する手段として、武力を永久に放棄すると誓った9条の理念を裏切ってはならない》。

   『●《絶望的な内容に打ちのめされました。武器産業がいかに巧みに
     政治をコントロールし、戦争を作り、暴利を貪っているか。歴史は古い》
   『●《火事場ドロボー》1号、2号、3号…を支持し、投票する人々に、
     壊憲して戦争する国になる自覚はあるのか? 予想されるその結果は?

 豪語していたけれど、一体「橋渡し役」はどこにいったですか? それさえできない無能ぶりが哀れで、哀し過ぎる。
 琉球新報の【<社説>核禁止条約会議閉幕 不参加は歴史的過ち】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1538811.html)によると、《ウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議が3日間の日程を終え閉幕した。オブザーバー参加を見送った日本政府の不在が際立った会議だった。広島、長崎の両市長や被爆者らが出席したのに、政府は参加を見送り参加国から「唯一の戦争被爆国が参加したがらないとは驚くべきことだ」などと批判された。不参加は歴史的過ちだったと言うしかない》

 《火事場ドロボー》どもがウヨウヨなニッポン、ホントにどうかしてるよ。自公お維コミに投票できる神経が理解できないし、選挙にも行かず間接的に自公お維コミを支持していて平気なのだから、ブログ主は絶対に嫌なので、どうぞ自公お維コミ支持者の皆様方の子や孫を戦場に行かせて、人殺しに行かせればいい。
 長周新聞のコラム【核兵器禁止条約に背を向けるな/コラム 狙撃兵】(https://www.chosyu-journal.jp/column/23930)によると、《しかし、あろうことか政府としては口をつぐみ、原爆投下者であるアメリカの「核の傘」の下にたたずみ、防衛費を年間10兆円まで拡大して米軍産複合体に貢ぐとか、安倍晋三に至っては核の共有や敵中枢への先制攻撃まで叫び始める始末である。核兵器禁止を求め、平和を希求する世界的潮流から距離を置き、戦争狂いが臆面もなく物騒な振る舞いに及んでいる》。
 そうだね、《戦争狂い》だね。

 どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。でも、今のような自公政権やお維、コミが幅を利かす世の中では…。まず、そこから変えていかないと。《戦争絶滅受合法案》の制定を。


   『●戦争、環境破壊の最たるもの
    《二十世紀の初めごろ、デンマークの陸軍大将が、こんな法律があれば、
     戦争をなくせると考えて起草した法案がある。題して
     「戦争絶滅受合(うけあい)法案」▼戦争の開始から十時間以内に、
     敵の砲火が飛ぶ最前線に一兵卒を送り込む。順序はまず国家元首、
     次にその親族の男性、三番目は総理、国務大臣、各省の次官、
     そして国会議員(戦争に反対した議員を除く)、戦争に反対しなかった
     宗教界の指導者…▼妻や娘は従軍看護師として招集し、最前線
     野戦病院で働く。権力を持つ者から犠牲になるなら、自らは
     安全地帯にいてナショナリズムをあおる政治家は姿を消すだろう


   『●教育破壊: 「「ボンクラ」「嘘つき」」につける薬なし、
              そして、「戦争絶滅受合法案」の制定を!


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https://www.tokyo-np.co.jp/article/180172

「核共有の肯定は誤ったメッセージ」 被爆者の思いを背負った若者、日本が加盟しない核兵器禁止条約の締約国会議に出席へ
2022年5月28日 21時23分

 核兵器を違法とする核兵器禁止条約の初の締約国会議(6月21〜23日)まで約3週間。唯一の戦争被爆国でありながら、条約への加盟を否定する日本政府の姿勢に疑問を抱く被爆地出身の若者らが、会期中に開催地のオーストリア・ウィーンを訪れ、会場内外で核廃絶を訴える計画を進めている。被爆者との対話の場を設けるほか、各国の同じ世代との連携も確認する考えだ。(大野暢子我那覇圭

 渡航するのは核廃絶に賛同する大学生らの任意団体「KNOW NUKES TOKYO(ノー・ニュークス・トーキョー)」のメンバー。共同代表で上智大3年の中村涼香さん(21)、慶応大4年の高橋悠太さん(21)らが各国の非政府組織(NGO)に振り分けられた参加枠を使い、締約国会議にオブザーバーとして出席する。議決権はないが、首脳らの議論を聞いたり、文書で意見を表明したりできる。

     (「KNOW NUKES TOKYO」共同代表の
      (左から)中村涼香さん、高橋悠太さん)

 会場外では、新型コロナウイルス禍や資金不足などを理由に渡航を断念した日本の被爆者とオンラインで結び証言を聞く場を用意。被爆者から託された着物を着て核廃絶を訴える。

 中村さんは長崎県出身の被爆3世で、平和団体などが任命する「高校生平和大使」を務めた経験もあり、「核の禁止が世界的に議論される初めての舞台で、日本の存在感を示したい」と強調。広島県出身で、中学時代から被爆者との交流を重ねてきた高橋さんも「核廃絶や軍縮を冷静に考えるチャンス」と見据える。

 条約を巡り、日本政府は核保有国が入っていないことなどから加盟を否定。岸田文雄首相は「核軍縮はライフワーク」としながら、締約国会議への政府要員のオブザーバー参加にも消極的で、先の日米首脳会談では米国の「核の傘」を含む抑止力の強化で合意した。

 高橋さんは「首相は核廃絶を口にしながら行動が伴っていない」と批判。中村さんは「外交は政治家だけが担うものではない。締約国会議で、日本にも核廃絶を支持する声があると伝えたい」と決意している。

 高橋さんは帰国後、夏の参院選の立候補予定者に条約への見解を尋ねて公表することも検討中。「締約国会議を契機に核禁条約への賛否を選挙戦の争点にしたい」と語った。

 ロシアのウクライナ侵攻を受け自民党などで「核共有」の議論を促す動きが出たことに、高橋さんは「極端な議論を、核廃絶を目指すための議論に引き戻すため、締約国会議での学びを日本に持ち帰り、発信したい」と強調。中村さんも「核兵器の恐ろしさを経験している日本が、核の抑止力や核共有を肯定することは、国際的に誤ったメッセージになる。そうならないためにも被爆国・日本の若者として核軍縮を訴えてきたい」と誓った。

【関連記事】「不都合な事実」に言及しなかった施政方針演説 日米地位協定、辺野古の軟弱地盤、核兵器禁止条約…
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1538811.html

<社説>核禁止条約会議閉幕 不参加は歴史的過ち
2022年6月25日 05:00

 ウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議が3日間の日程を終え閉幕した。オブザーバー参加を見送った日本政府の不在が際立った会議だった。広島、長崎の両市長や被爆者らが出席したのに、政府は参加を見送り参加国から「唯一の戦争被爆国が参加したがらないとは驚くべきことだ」などと批判された。不参加は歴史的過ちだったと言うしかない。

 ロシアによるウクライナ侵攻を背景に、採択された宣言は「核兵器の使用や核による脅しは国際法違反」と強調、核保有国に「いかなる状況でも核の使用や核による威嚇をしない」ことを要求した。

 注目されたのはオブザーバー参加した国々だ。日本とともに「クアッド」を構成するオーストラリアや、核同盟の北大西洋条約機構(NATO)に加盟するドイツ、ノルウェー、オランダ、ベルギーである。ドイツ代表は、核の緊張緩和に向けて条約支持国との「自由な対話と誠実な議論」が重要だと強調した。

 共同通信の太田昌克編集委員はこれらのオブザーバー参加を「核に依存する国でも、核兵器の正統性を否定する核禁止条約への道義的支持を示せることを実証した」と評価した。そして、日本の不参加を「後世史家から『歴史的な過ち』と指弾されかねない」と批判した。

 日本政府は「核保有国の関与がなければ核軍縮は進まない」という立場で、核保有国との「橋渡し役」として「現実的な核軍縮の取り組み」を掲げる。しかしこれまで「橋渡し役」で成果はあっただろうか具体的な目標も示さず、米の「核の傘」に頼るが故に米に追随しているだけとしか見られていない

 28年連続で国連総会に提案し採択されている「核廃絶決議」もその一つだ。昨年10月の決議も「核兵器のない世界の実現へ、さまざまなアプローチが存在することと、全加盟国の信頼構築が必須であることに留意する」と、米国に配慮した表現にとどめ、核禁止条約には言及を避けた

 岸田文雄首相は、8月にニューヨークで開催される核拡散禁止条約(NPT)再検討会議に、日本の首相として初めて出席する。しかし成果は期待できない。米、英、仏、中、ロの5カ国にのみ核保有を認めるNPTを無視して核保有国は増えており、ロシアが核の威嚇をする事態も起きている。小型核兵器や核搭載可能な極超音速ミサイルの開発などで、核使用のハードルは下がっていると言われる。「使えない」「使ってはいけない」という「核のタブー」は崩壊の危機にある。

 米統治時代に1300発の核が配備され誤射事故も起きた沖縄にも、核戦争の危機は迫っている。核抑止に頼らず、核兵器による威嚇も禁止する核兵器禁止条約こそが「核廃絶」への道筋だ。歴史的な過ちを一刻も早く正すべきである
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https://www.chosyu-journal.jp/column/23930

核兵器禁止条約に背を向けるな
コラム 狙撃兵 2022年6月28日

 世界の86の国や地域が署名し、65の国や地域が批准している核兵器禁止条約(2021年1月発効)の第1回締約国会議がオーストリアの首都・ウィーンで開かれ、閉幕した。核兵器廃絶を目指すこの世界の動きのなかで、唯一の被爆国である日本は同条約に署名もせず、今回の締約国会議についても政府としてのオブザーバー出席(同条約不参加の33カ国が出席)すら見送るなど、極めて後ろ向きな姿勢をとっている。被爆地である広島選出の岸田文雄が首相でありながら、核廃絶を求める世界的潮流の旗手になるのではなく、逆にアメリカの機嫌を損ねてはならぬとばかりにダンマリを決めて背を向け、世界を落胆させているのである。

 れいわ新選組や一部政党が国会議員を送り込み、世界各国の政治家や関係者と切り結んだものの、政府としては世界で唯一人類の頭上に原爆を投げつけたアメリカに逆らってはならぬと、あろうことか原爆投下者に怯え、戦後77年を経てなお絶対服従している姿を晒しているのである。

 人類の歴史の上で、どのようなむごたらしい行為も、原子爆弾の残虐さにおよぶことはできない。それは広島と長崎に落とされた。そのことによって十数万人もの無辜の老若男女が瞬時に地上から姿をかき消され、その他の人々も、またとないむごたらしい姿に変えられて悶え苦しみ、その果てに命を失っていった。親も子も、男も女も、老人も乳飲み子も、すべての人間が無差別に殺された。それは生き残った被爆者の方々に体験を聞かせてもらうだけでも、いいあらわしようのない地獄絵図である。死者数にして20万人をこえ、生き残った人々は戦後も原爆の後遺症にさいなまれ、いわんや差別にもさらされ、塗炭の苦しみを強いられて今日に至る。77年たった今も、なおその傷痕は消すことができないものだ。

 核兵器は、広島と長崎の経験が示しているように、無辜(こ)の非戦闘員を、圧倒的に大量に殺すための兵器である。このような兵器をつくり、それを使用することは、いかなる名目をつけようと、人類の名において許すことなどできない。いかなる国であろうと、今日、このような兵器を貯え、同じ人間に投げつけるなどという行為を許すことはできない。“核兵器を禁止せよ”という世界各国の動きの高まりは、全世界の平和を求める何十億の人々に支持され、今や動かすことのできない世論になっているのである。

 このようななかで、日本人は、日本人だけが野蛮極まりない大量殺戮兵器の惨害を被った国民であるというその名において、核兵器の禁止と貯蔵の破棄について、誰よりも強く主張しなければならないし、被爆地である広島・長崎は世界に向かって発信し続けてきた。二度とあの惨劇をくり返させぬために、核兵器を地上から葬り去るために被爆者たちは叫び続けてきた。しかし、あろうことか政府としては口をつぐみ、原爆投下者であるアメリカの「核の傘」の下にたたずみ、防衛費を年間10兆円まで拡大して米軍産複合体に貢ぐとか、安倍晋三に至っては核の共有や敵中枢への先制攻撃まで叫び始める始末である。核兵器禁止を求め、平和を希求する世界的潮流から距離を置き、戦争狂いが臆面もなく物騒な振る舞いに及んでいる。平和を求めるたたかいは、平和を侵す者とのたたかいである。原爆投下者の側に身を寄せ、核共有すなわち投げつける側に身を置こうなど言語道断である。      武蔵坊五郎
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   『●「核なき世界」: 「核廃絶に向けた決議の採決で、
       唯一の被爆国の日本が反対票…日本はあまりにも鈍感」
   『●「唯一の被爆国」で原発人災も起こしたニッポンが
        「原発は『プルトニウムをつくる装置』」を理解できず…
   『●肥田舜太郎さん「せめて未来の子どもたちのために、
       放射能の心配のない日本を残していけるよう…努力」を
   『●オバマ氏の広島訪問さえも単なる選挙対策…
       …自民党は「口だけ」、選挙で同じ過ちを繰り返してはいけない
   『●サーロー節子さん「自分の国に裏切られ、
      見捨てられ続けてきたという被爆者としての思いを深くした」
   『●核兵器禁止条約…核発電「麻薬」中毒者への忠告、
       近衞忠煇氏「実際にはそれしか選択肢はないのです」
   『●室井佑月さん「安倍さん率いるこの国に、誇りが持てない」
                       …アベ様の辞書には「倫理」無し
   『●「核廃絶の訴えは政府だけの役割ではない」…
        とは言え、そこに居るべき国が居ない恥ずかしさ
   『●核兵器禁止条約不参加で、「どこの国の総理ですか」な 
          アベ様の「わが国のアプローチ」とやらは一体全体?
   『●「核なき世界」の足を引っ張る、平和を希求しないアベ様は、
                  よくノコノコと「あいさつ」に行けるモノだ…
   『●ささやかな核兵器廃絶の願い…高校生の言論封殺: 
       アベ様のメンツを守るための外務省の横やりという大愚
   『●「核兵器禁止条約」…「核なき世界」への
     その先頭を走るべきアベ様やニッポン政府は一体何をしていたの?
   『●「核の傘」の下のニッポン…オーストリア軍縮大使
         「世界で唯一の被爆国として特別な役割がある」
   『●ICAN・フィン氏、「核の傘」による核抑止は「神話だ。
          …時代遅れの政策を継続していることこそ脅威」
   『●トランプ氏「学校の先生たちを銃で武装させる」…
      アベ様は「戦争できる国」になり、「銃を持った善人」に
   『●《非核三原則や日本の憲法9条がハメネイ師から
      高い評価を受けたとの一部情報もある》…なぜ主張しないの?
   『●(マハティール首相)「日本は核兵器が使われた際の
     悲惨さを知っている」はずなのに、アベ様ときたら核兵器保有論者
   『●適菜収さん【それでもバカとは戦え】…《われわれ日本人が目指すべき
        なのは「核兵器のない世界」の前に「安倍のいない世界」である》
   『●「核兵器なき世界」は未だに………自公お維を直接的に支持している
     方々、選挙にも行かず眠り猫に徹している間接的支持者の皆さんの責任

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●袴田冤罪事件…タンパク質に糖分が触れると「メイラード反応」が進み、1年2カ月後には《常識的な範囲で『赤みは残らない』》はずだ

2021年04月14日 00時00分33秒 | Weblog

(20210331[])
山田雄之記者による、二つの東京新聞の記事【1年以上みそ漬けだった服の血痕、なぜ赤いまま? 袴田さん審理差し戻しで焦点 DNA型鑑定論争には終止符】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/76240)と、
【科学論争で審理さらに長期化の懸念 袴田さん差し戻し審で3者協議】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/93105)。

 《「もう50年以上、裁判をしている長いですよ。とにかく勝つしかない」 裁判所と検察側、弁護側の3者が非公開で協議後、袴田さんの姉秀子さん(88)は弁護団とともに東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、再審開始決定までの道のりの長さに疲れたような表情を見せた》。

 「鑑定技術の進展によって細胞が数個分あればDNAの検出は十分に可能だとされていて、鑑定の信用性を否定すべきとは思わない。犯人のものとされるシャツに付いた血痕と袴田さんのDNA型が違い、血痕は袴田さんのものではないという重大な疑いが生じる」との指摘にもかかわらず、「DNA型鑑定論争には終止符」と言われてもねぇ。

 〝味噌漬け〟により縮んだとはいえ、異常に小さすぎる衣服のサイズなど、数々の《重大な疑い》があるにもかかわらず、《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん。

 タンパク質に糖分が触れると「メイラード反応」が進み、1年2カ月後には《常識的な範囲で『赤みは残らない』》はずだ。《1年以上みそ漬けにされても「血痕の赤み」が残る》訳も無く、《弁護側は高裁段階で「メイラード反応が進行し、血痕は黒くなっていたはずだ」》は十分に《常識的》だ。《再審請求審では弁護側、検察側の双方が、血液を付けた衣類をみそに漬け込んだ実験の結果を証拠として提出。いずれも5~6カ月経過すると褐色化が進み、赤みが完全に消える結果が出》ている。
 《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん。すぐさま、袴田巌さんに無罪を! マスコミももっと後押しすべきなのではないか。裁判所も自分たちの先輩の誤りを受け入れるべき…『●《読者はこうした報道を何日もシャワーのように浴びた。…裁判官たちも例外では》ない…袴田事件の《冤罪に加担したメディアの責任》』。

   『●『美談の男』読了
   『●袴田事件: いい加減に誤まりを認めるべき
   『●作られた袴田冤罪事件、理不尽極まる漸くの初の証拠開示
   『●袴田事件、48年間のそれぞれの苦難……
      袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん
   『●袴田事件: 静岡地裁は「疑わしきは被告人の利益に」を
   『●袴田事件、そして死刑執行後の『飯塚事件』再審:
                   司法の良心を示せるか?
   『●袴田事件・釈放!: 「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑い」
               「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」

   『●映画「ザ・ハリケーン」と袴田事件:「冤罪事件を「絶対に忘れるな」」
   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
    《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけには
     いかないのだ」▼袴田さんの無実を信じる人にとってはどうあっても狼に
     許されぬイソップ寓話(ぐうわ)の羊を思い出すかもしれない…
     検察と裁判所を納得させる羊の反論の旅はなおも続くのか
     ▼事件から五十二年長すぎる旅である

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…
       政権や検察に忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
    「NTVの【NNNドキュメント’18我、生還す -神となった死刑囚・
     袴田巖の52年-】…《今年6月、東京高裁が再審開始を取り消した
     「袴田事件」。前代未聞の釈放から4年半、袴田巖さんは死刑囚のまま
     姉と二人故郷浜松で暮らす》」
    「三権分立からほど遠く、法治国家として公正に法に照らした
     「司法判断」ができず、アベ様ら政権に忖度した「政治判断」乱発な、
     ニッポン国の最「低」裁に何を期待できようか…。
     《巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ」

   『●冤罪は晴れず…「自白を偏重する捜査の危うさ…
       証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」
   『●袴田秀子さん《ボクシングに対する偏見…
      チンピラだっていうイメージ…その印象以外に何の証拠もなかった》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
           耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    「週刊朝日の記事【袴田事件で「捜査機関が証拠を”捏造”」 
     弁護団が新証拠の補充書を最高裁に提出 】」
    《静岡地裁の再審開始決定を取り消した東京高裁決定から、
     1年余りが経過した。死刑が確定した元プロボクサーの
     袴田巌さん(83)は最高裁に特別抗告中だが、弁護団はこのほど
     “新証拠”を提出した》

   『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
       飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…
   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は
     《鼻には詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
   『● CD『Free Hakamada』の《ジャケットには、元プロボクサーの
          袴田さんが…名誉チャンピオンベルトを持った写真》
   『●《「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」
        と明かした元裁判官熊本典道さん》がお亡くなりになりました
    「袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん」

   『●映画『BOX 袴田事件 命とは』で熊本典道さん役…《「法廷では
     裁判官自身も裁かれている」。自分で自分を裁こうとした日々…》
   『●袴田巌さんに無罪を…《死と隣り合わせの生活が心にもたらした影響
     …暗黒の日々の長さを思わざるをえない…夜は終わったわけではない》
   『●《読者はこうした報道を何日もシャワーのように浴びた。…裁判官
     たちも例外では》ない…袴田事件の《冤罪に加担したメディアの責任》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/76240

1年以上みそ漬けだった服の血痕、なぜ赤いまま? 袴田さん審理差し戻しで焦点 DNA型鑑定論争には終止符
2020年12月24日 05時50分

 袴田巌さん(84)の再審請求審で最高裁第3小法廷が審理を東京高裁に差し戻したのは、「なぜ1年以上もみそに漬けられた衣類の血痕に、まだ赤みが残っているのかという疑問からだった。DNA型鑑定論争には終止符を打ったが、血痕の化学反応を巡る今後の検討結果次第で、再審開始が近づく可能性がある。(山田雄之

【関連記事】袴田さん審理差し戻し 再審理認めぬ決定を最高裁が取り消す





◆5点の衣類「DNA残っても微量、劣化の可能性高い」

 「DNAが残っているとしても極めて微量で、劣化している可能性が高い。確定判決に合理的な疑いを差し挟む証拠とは言えない」

 事件から1年2カ月後にみそ工場のタンクから見つかり、犯行時の着衣とされる「5点の衣類」。その衣類に付いた血痕のDNA型が、袴田さんや被害者と一致するかが焦点となっていた第2次再審請求審で、最高裁はDNA型鑑定の証拠価値を否定した。

 弁護側が推薦した筑波大の本田克也教授が、独自の手法に基づく鑑定で「袴田さんや被害者の型と一致しないとした結論を評価し、2014年の静岡地裁は再審開始決定を導いた。一方、18年の東京高裁は「研究途上で、科学的原理や有効性には深刻な疑問がある」とし、再審開始を認めなかった

 最高裁が今回、鑑定論争に終止符を打ったことで、差し戻し審での焦点は、1年以上みそ漬けにされても「血痕の赤み」が残るのか否かに移る。


◆弁護側「血痕黒いはず」、高裁は分析や考察せず

 「5点の衣類」発見当時の実況見分調書などには、血痕は「濃赤色」「濃赤紫色」の記述がある。

 再審請求審では弁護側、検察側の双方が、血液を付けた衣類をみそに漬け込んだ実験の結果を証拠として提出。いずれも5~6カ月経過すると褐色化が進み、赤みが完全に消える結果が出た。タンパク質に糖分が触れると「メイラード反応」という化学反応が起き、タンパク質は褐色化する。血液にはタンパク質が含まれ、みそは糖分がある。

 弁護側は高裁段階で「メイラード反応が進行し、血痕は黒くなっていたはずだ」と主張したが、高裁は専門的知見に基づく分析や考察をすることなく、「メイラード反応はさほど進行していなかったはずだ」と一蹴した


◆最高裁「著しく正義に反する」と高裁非難

 最高裁は決定で、メイラード反応を巡る高裁の訴訟指揮を「審理を尽くしていない」とし、高裁決定を取り消さなければ「著しく正義に反すると非難した。「現時点では1年余りみそ漬けにされた血痕に赤みが残る可能性があるのかどうかを判断するには不十分」と指摘。「弁護側の主張通りであれば、袴田さんが犯行直後にみそタンクに衣類を入れたとすることに疑いが生じる。袴田さんの犯人性にも合理的な疑いを差し込む可能性がある」と述べた。

 さらに一歩踏み込んだのが、外交官出身の林景一裁判官と行政法学者出身の宇賀克也裁判官が述べた反対意見だ。衣類をタンクに入れたのは犯行直後ではなく発見直前と考えられ、袴田さん以外の第三者による可能性を指摘。ただちに再審を開始すべきだとした。

 最高裁の多数意見が再審でなく審理の差し戻しとしたことに、あるベテラン裁判官は「最高裁は再審開始決定も検討しただろうが、慎重に判断すべきだとの考えが勝ったのでは」と推察した。今後、東京高裁での差し戻し審では、みそと血痕のメイラード反応について、専門家らが意見を戦わせることになりそうだ。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/93105

科学論争で審理さらに長期化の懸念 袴田さん差し戻し審で3者協議
2021年3月23日 06時00分

 袴田巌さん(85)の第2次再審請求審で、最高裁が東京高裁に差し戻した審理を巡る3者協議が22日、高裁で始まった。審理の焦点は、犯行時の着衣とされた衣類の血痕の色みが不自然かどうか。1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で一家4人が殺害されてから半世紀余り。科学論争に陥るのではなく、早期に再審開始を決定すべきだとする声もある。(山田雄之


◆「50年以上も」

 「もう50年以上、裁判をしている。長いですよ。とにかく勝つしかない」

 裁判所と検察側、弁護側の3者が非公開で協議後、袴田さんの姉秀子さん(88)は弁護団とともに東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、再審開始決定までの道のりの長さに疲れたような表情を見せた。

     (「早く再審開始を」と求める袴田巌さんの姉秀子さん(左)と
            小川秀世弁護士=東京・霞が関の司法記者クラブで)

 最高裁は昨年12月、逮捕から1年以上たって、袴田さんの勤務先のみそタンクから発見された「犯行時の5点の衣類」に、赤みを帯びた血痕が残っていたことを疑問視。血液のタンパク質がみその糖分に5~6カ月触れると「メイラード反応」で褐色化するという可能性について、専門的知見に基づき十分に審理されていないなどとして、高裁に審理を差し戻した。


◆消えた赤み

 みそに漬かった血液が褐色化し、赤みが消えることが証明されれば、第三者がタンクに隠した疑いが濃くなる。

 弁護団は最高裁の決定を受け、複数の専門家に相談したものの、血とみその化学反応を調べた研究結果は見当たらず、研究に取り組んでいる専門家がいる形跡も確認できなかった。

 そこで弁護団は自ら、血液を付着させた布をみそに漬ける実験を100以上のパターンで実施。血を付けてからみそに漬けるまでの時間やみその種類をどのように条件を変えても、すべて2週間以内に血液の赤みは消え、黒や黒褐色になった

 3者協議後の会見に参加した弁護団の小川秀世弁護士は、「現段階では1年以上もみそに漬かれば、血液の赤みが消えてしまうと推認できる」と指摘。3者協議に出した意見書では、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則再審にも適用されるとして、「速やかに審理を進め、早期の再審開始決定を」と求めたという。


◆再審への道

 あるベテラン裁判官は「裁判所の指揮次第では検証実験をする可能性もある」と指摘。そうなればさらなる長期化は必至だ。最高裁決定では、2人の裁判官が「時間をかけることには反対」などとして再審を直ちに開始すべきだとの反対意見を述べている。

 白鴎大の村岡啓一教授(刑事訴訟法)は「科学論争になれば審理は長引く。いたずらに踏み込みすぎるべきではない。常識的な範囲で『赤みは残らない』と証明できれば、裁判所は再審開始を認めてもいいのではないか」と話した。

【関連記事】1年以上みそ漬けだった服の血痕、なぜ赤いまま? 袴田さん審理差し戻しで焦点 DNA型鑑定論争には終止符
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●《読者はこうした報道を何日もシャワーのように浴びた。…裁判官たちも例外では》ない…袴田事件の《冤罪に加担したメディアの責任》

2021年02月12日 00時00分32秒 | Weblog

(2021年01月24日[日])
山口正紀さんの、レイバーネットのコラム【冤罪に加担したメディアの責任も問い直したい〜「袴田事件」再審、高裁に審理差し戻し】(http://www.labornetjp.org/news/2021/0111yama)。

 《新型コロナの感染爆発、緊急事態・再宣言と気の重い年末年始、うれしい報せが12月23日に飛び込んできた。袴田事件再審の高裁決定取り消しだ。1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)の一家4人殺害事件で死刑が確定した袴田巖さん(84歳)が再審を求める袴田事件。その第2次再審請求審で、最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)は再審開始を認めなかった東京高裁決定を取り消し、審理を高裁に差し戻す決定(12月22日付)を出した。事件発生から半世紀を超え、死刑確定から40年、「これ以上、拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」と述べた静岡地裁の再審開始決定(2014年3月)からも6年9か月、東京高裁は審理を引き延ばすことなく、1日も早く再審開始を決断すべきだ。《袴田さん再審開始へ光/喜ぶ姉「何よりうれしい」》 ―24日付『朝日新聞』社会面トップの見出しだ。(山口正紀)》。

 検察という《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》…《いまも、死刑囚のまま》な袴田巖さん。すぐさま、袴田巌さんに無罪を! 《死と隣り合わせの生活が心にもたらした影響…暗黒の日々の長さを思わざるをえない…夜は終わったわけではない》。
 《読者はこうした報道を何日もシャワーのように浴びた。静岡地裁の裁判官たちも例外ではなかっただろう。タテマエは「起訴状一本主義」で裁判開始まで予断を持たないとされているが、実際には裁判官の多くが事件記事をよく読んでいるという》…山口正紀さんの仰るように《冤罪に加担したメディアの責任》も重大。そして、山口さんが以前仰っていた様に、《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》。

   『●『美談の男』読了
   『●袴田事件: いい加減に誤まりを認めるべき
   『●作られた袴田冤罪事件、理不尽極まる漸くの初の証拠開示
   『●袴田事件、48年間のそれぞれの苦難……
      袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん
   『●袴田事件: 静岡地裁は「疑わしきは被告人の利益に」を
   『●袴田事件、そして死刑執行後の『飯塚事件』再審:
                   司法の良心を示せるか?
   『●袴田事件・釈放!: 「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑い」
               「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」

   『●映画「ザ・ハリケーン」と袴田事件:「冤罪事件を「絶対に忘れるな」」
    《ルビン・カーターさんが二十日亡くなった。七十六歳…
     デンゼル・ワシントン主演の映画「ザ・ハリケーン」のモデル
     といえば、思い出すだろうか▼一九六六年六月、
     米ニュージャージー州のバーで三人が殺された。現場近くを車で
     走っていたカーターさんが逮捕された。無実を訴えたが、
     有罪の評決が下り、八五年に釈放されるまで十九年間服役した。
     冤罪事件の背景には人種差別もあった袴田事件も同じ年同じ六月
     だった。同じ元ボクサー。獄中にあった袴田巌さん(78)は
     境遇の似たカーターさんが釈放された時、手紙を書いたという。
     「万歳万歳と叫びたい」。カーターさんの返事は
     「決してあきらめてはならない」だった》

   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
    《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけには
     いかないのだ」▼袴田さんの無実を信じる人にとってはどうあっても狼に
     許されぬイソップ寓話(ぐうわ)の羊を思い出すかもしれない…
     検察と裁判所を納得させる羊の反論の旅はなおも続くのか
     ▼事件から五十二年長すぎる旅である

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…
       政権や検察に忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
    「NTVの【NNNドキュメント’18我、生還す -神となった死刑囚・
     袴田巖の52年-】…《今年6月、東京高裁が再審開始を取り消した
     「袴田事件」。前代未聞の釈放から4年半、袴田巖さんは死刑囚のまま
     姉と二人故郷浜松で暮らす》」
    「三権分立からほど遠く、法治国家として公正に法に照らした
     「司法判断」ができず、アベ様ら政権に忖度した「政治判断」乱発な、
     ニッポン国の最「低」裁に何を期待できようか…。
     《巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ」

   『●冤罪は晴れず…「自白を偏重する捜査の危うさ…
       証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」
   『●袴田秀子さん《ボクシングに対する偏見…
      チンピラだっていうイメージ…その印象以外に何の証拠もなかった》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
           耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    「週刊朝日の記事【袴田事件で「捜査機関が証拠を”捏造”」 
     弁護団が新証拠の補充書を最高裁に提出 】」
    《静岡地裁の再審開始決定を取り消した東京高裁決定から、
     1年余りが経過した。死刑が確定した元プロボクサーの
     袴田巌さん(83)は最高裁に特別抗告中だが、弁護団はこのほど
     “新証拠”を提出した》

   『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
       飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…
   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は
     《鼻には詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
   『● CD『Free Hakamada』の《ジャケットには、元プロボクサーの
          袴田さんが…名誉チャンピオンベルトを持った写真》
   『●《「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」
        と明かした元裁判官熊本典道さん》がお亡くなりになりました
    「袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん」

   『●映画『BOX 袴田事件 命とは』で熊本典道さん役…《「法廷では
     裁判官自身も裁かれている」。自分で自分を裁こうとした日々…》
   『●袴田巌さんに無罪を…《死と隣り合わせの生活が心にもたらした影響
     …暗黒の日々の長さを思わざるをえない…夜は終わったわけではない》

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http://www.labornetjp.org/news/2021/0111yama

山口正紀のコラム : 冤罪に加担したメディアの責任も問い直したい/「袴田事件」再審、高裁に審理差し戻し

山口正紀の「言いたいことは山ほどある」第9回(2021/1/11 不定期コラム)
冤罪に加担したメディアの責任も問い直したい〜「袴田事件」再審、高裁に審理差し戻し


     (*袴田巖さん(YouTubeより))

 新型コロナの感染爆発、緊急事態・再宣言と気の重い年末年始、うれしい報せが12月23日に飛び込んできた。袴田事件再審の高裁決定取り消しだ。1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)の一家4人殺害事件で死刑が確定した袴田巖さん(84歳)が再審を求める袴田事件。その第2次再審請求審で、最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)は再審開始を認めなかった東京高裁決定を取り消し、審理を高裁に差し戻す決定(12月22日付)を出した。事件発生から半世紀を超え、死刑確定から40年、「これ以上、拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」と述べた静岡地裁の再審開始決定(2014年3月)からも6年9か月、東京高裁は審理を引き延ばすことなく、1日も早く再審開始を決断すべきだ

 《袴田さん再審開始へ光/喜ぶ姉「何よりうれしい」》

――24日付『朝日新聞』社会面トップの見出しだ。紙面の中央に「記者会見で笑顔を見せる袴田秀子さん」の写真が大きく掲載され、「年なんて全然気にしていない。(来年)わたしは88歳、巖は85歳ですか。確かに高齢者ですが、がんばって参ります」と秀子さん。弟の無実を信じ、その冤罪を晴らす闘いに人生を捧げて半世紀余、まさに「不屈の高齢者」のまぶしい笑顔だ

 事件は1966年6月30日未明に発生、みそ会社専務宅が全焼し、一家4人の他殺体が見つかった。静岡県警は8月、住み込み従業員の元プロボクサー袴田巖さんを逮捕。袴田さんは連日10数時間に及ぶ苛酷な取調べで「犯行を自白させられた。公判では無実を主張したが、静岡地裁は68年に死刑判決を言い渡し、80年に最高裁で死刑が確定した。

 袴田さんは81年に第1次再審請求を申し立てたが、94年に静岡地裁が請求棄却、2008年3月に最高裁が弁護側の特別抗告を棄却した。翌4月、直ちに第2次再審請求を申し立て、14年3月に静岡地裁がようやく再審開始を決定。袴田さんは48年ぶりに釈放され、「死刑の恐怖」から解放された。しかし、検察が決定に即時抗告したため再審は開始されなかった。東京高裁は即時抗告審に4年もかけた末に18年6月、再審開始決定を取り消し、弁護側が特別抗告して最高裁で審理が続いていた。

 この第2次再審請求審の争点は、事件の1年2か月後、みそ会社のタンクから見つかったとされる「5点の衣類」の血痕。検察は「5点の衣類」を袴田さんの「犯行時の着衣」と主張してきたが、静岡地裁は衣類に付着した血痕のDNA型鑑定の結果から、「血痕は袴田さんや被害者のものではない可能性がある」として14年、再審開始を決定した。ところが東京高裁は、このDNA型鑑定を「確立した手法と言えず、信用性は乏しい」と否定し、地裁決定を取り消した。

 今回の最高裁決定も、DNA型鑑定の証拠価値を否定した。しかし、最高裁は問題の衣類がみそに1年以上も漬かっていたとされながら血痕に赤みがあったこと、弁護団の実験では、みそ漬けにすると血痕は約1か月後に黒褐色になり、赤みが消えたこと(メイラード反応の影響)に注目、「高裁決定は血痕の変色に関する専門的知見について、審理が尽くされていない」として、審理を高裁に差し戻した。

 この決定で注目すべきは、裁判官5人が全員一致で高裁決定の取り消しに賛成し、しかもそのうちの2人が「検察の即時抗告を棄却して直ちに再審開始すべきだ」として、審理の差し戻しには反対、「直ちに再審開始をすべき」との意見を述べたことだ。

 「確定判決は衣類が1年以上タンクに漬けられたことが前提になっており、実験の報告書は確定判決に合理的な疑いを生じさせる新証拠と考えられる。メイラード反応の審理のためだけに差し戻す多数意見には反対せざるを得ない」(林景一宇賀克也裁判官)

 再審に関する最高裁決定で、反対意見がついたのは極めて異例だ。袴田さんが今年3月で85歳を迎えることを思うと、これ以上審理を引き延ばすことは許されない、との思いも伝わってくる。東京高裁は、直ちに審理を始め、再審開始決定を確定させるべきだ。

 それ以上に、もっと早く再審を開始する方法がある。検察が地裁決定に対する即時抗告を取り下げることだ。そうすれば、再審開始決定は直ちに確定する。最高裁決定、とりわけ2人の裁判官の「即時再審開始」意見を踏まえれば、それが本来「公益の代表者」である検察当局の取るべき、まっとうな対応ではないか。

 にもかかわらず、最高検は最高裁決定について「主張が認められず誠に遺憾」との刑事部長コメントを発表した。安倍晋三・前首相のさまざまな疑惑(モリ・カケ・サクラ)には平気でふたをする一方、警察・検察が延々と繰り返してきた冤罪=権力犯罪にはシラを切り続ける。この国の検察には、「正義」どころか「公益」の概念すら存在しない


●無罪心証で死刑判決を書いた熊本典道さんの無念

 もし2014年の地裁決定で再審が始まり、再審無罪が出ていたら、どれほど喜んだだろうか、と思う人がいる。袴田事件の裁判で1968年、一審・静岡地裁の裁判官として意に反する死刑判決を書いた熊本典道さんだ。それがきっかけで裁判官を辞めた熊本さんは約40年後の2007年、「無罪心証で書いた死刑判決について告白し、袴田さんに謝罪した

 1日も早い再審開始を待ち望んでいた熊本さんだが、今回の最高裁決定が出る約6週間前(11月11日)、福岡市内の病院で亡くなられた。83歳だった。

 熊本さんは07年1月、袴田さんの支援団体宛てに「無罪判決を起案したが、他の2人の裁判官の反対で死刑判決を書かざるを得なかった」旨の手紙を書き、袴田さんを支援する集会などで苦しい思いを訴えた。私はそんな集会で熊本さんのお話をうかがった。

 熊本さんは事件発生から5か月後の1966年11月、静岡地裁に赴任し、12月の第2回公判から事件を担当した。供述調書などの記録を読むと、袴田さんの取調べは1日平均12時間、長い日は16時間にも及んでおり、まず自白の任意性に疑問を持ったそうだ。そうして証拠を分析すればするほど、検察側の主張について疑問が増えて行ったという。

 ①小さなクリ小刀1本で4人を殺害できるか②逃走経路とされた裏木戸は留め金がかかっていた③盗んだとされる金額より現場に残った金額の方が多く、犯行動機があいまい④犯行着衣が「パジャマ」から1年後、「5点の衣類」に変更されたのも不自然……。

 判決文の起案を担当した熊本さんは無罪判決を書いた。だが、裁判長ら他の2人は有罪を主張した。「合議」の結果、2対1の多数決で有罪。熊本さんは無罪の判決文を捨て、有罪、しかも死刑判決に書き直すことを余儀なくされた

 それでも熊本さんは出来得る限りの抵抗を試みた。袴田さんの45通の供述調書は1通を除き、証拠採用しなかった。そのうえで、「捜査官は被告人から自白を得ようと、極めて長時間にわたり被告人を取調べ、自白の獲得に汲々として、物的証拠に関する捜査を怠った」「このような捜査は、真実の発見はむろん、適正手続きの保障の見地からも厳しく批判されるべき」と判決文に「付言」した。高裁の裁判官が一審判決の矛盾に気づき、判決を見直してほしい、との思いからだったという。

 「無罪心証の死刑判決」(1969年9月)から半年後、熊本さんは裁判官を辞し、弁護士になった。だが、高裁、最高裁に託した熊本さんの思いは届かなかった。上級審の裁判官たちは熊本さんが「付言」に託した思い気づくことはなく、死刑判決は覆らなかった

 やがて熊本さんは自責の念から自暴自棄となった。酒浸りの生活で家族も離散、弁護士活動もままならなくなり、遂には自殺を考えるほど追いつめられていった……。

 07年、元担当裁判官として再審を求めた「熊本告白」は大きな反響を呼んだ。熊本さんの話で、特に私が心を動かされたのが、袴田事件におけるメディアの役割だ。熊本さんは、他の2人の裁判官が有罪心証を変えようとしなかった原因の一つとしてマスコミの犯人視報道の影響」を挙げた。その話を聞いた後、私は袴田事件支援者の協力を得て、当時の新聞報道(全国紙3紙の静岡県版と静岡新聞)を詳細にチェックした。

 事件発生から数日の間、各紙の報道は「複数犯・外部犯行・怨恨説」だった。例えば、1人で小刀だけで短時間に4人を制圧し、殺害できるのか、との疑問。裏木戸には留め金がかかっている一方、玄関のガラス戸は開いていたこと。遺体は最大15カ所も刺されるなどの惨殺。その一方、現金、宝石などは手つかずのままだったこと――。

 それが、袴田さんの事情聴取と家宅捜索が行われた7月4日以降、「単独犯・内部犯行・物盗り説」に一変する。警察が袴田さんの部屋から小さな血痕らしきもののついたパジャマを押収すると、4日付『毎日新聞』夕刊は、《従業員H浮かぶ/血染めのシャツを発見》という記事を掲載、「右手に切り傷」「アリバイなし」「金に困っていた元プロボクサー」などと報道した。以後、各紙が袴田さんを標的にした犯人視報道合戦に転じた。

 8月18日の逮捕後は、袴田さんを犯人と決めつけた報道が繰り広げられた。『毎日』は、《袴田を連行、本格取り調べ/不敵な薄笑い》《ジキルとハイドの袴田》《袴田ついに自供/ねばりの捜査/69日ぶり解決》などと連日、犯人断定報道を展開し、各紙が追随した。

 読者はこうした報道を何日もシャワーのように浴びた静岡地裁の裁判官たちも例外ではなかっただろう。タテマエは「起訴状一本主義」で裁判開始まで予断を持たないとされているが、実際には裁判官の多くが事件記事をよく読んでいるいう。

 ただ、熊本さんは例外だった。熊本さんが静岡地裁に赴任したのは、事件発生から約5か月後の66年11月。第2回公判から裁判に加わった袴田さんは、犯人視報道に汚染されず、虚心坦懐に調書を読み、証拠を調べて無罪の心証を形成したのだ。

 袴田事件は、代用監獄長期勾留死刑制度、再審制度など日本の刑事司法が抱える重大な問題の全てを孕んだ事件だが、マスメディアの報道のあり方についても大きな課題を突きつけている今なお続く犯人視報道、人権侵害報道――この事件で、袴田さんと同じく、人生を大きく狂わされた熊本さんが私たちに遺した大きな宿題だ。(了)
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●袴田巌さんに無罪を…《死と隣り合わせの生活が心にもたらした影響…暗黒の日々の長さを思わざるをえない…夜は終わったわけではない》

2021年01月15日 00時00分16秒 | Weblog

 (2020年12月27日[日])
NHKの記事【袴田事件 再審認めない決定取り消す 高裁に差し戻し 最高裁】(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201223/k10012779771000.html)。

 《今回、最高裁が東京高裁の決定を取り消したため、6年前の静岡地裁の決定に基づいて、釈放された状態が続くことになります》。

 《袴田巖さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…こんな残酷なことがあっていいのか?
 東京新聞の記事【袴田事件 最高裁が再審を認めなかった高裁決定を取り消し 裁判官2人は「再審開始すべき」と反対意見】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/76173)によると、《裁判のやり直しを認めなかった東京高裁決定を取り消し、審理を差し戻す決定をした。弁護団が「無罪とすべき新証拠として提出したDNA型鑑定信用性を否定した一方、犯行時の着衣とされた「5点の衣類」に付着した血痕の変色状況について疑問が解消されていないと指摘。高裁で改めて審理を尽くすべきだと結論付けた…第2次再審請求では、静岡地裁が2014年に再審開始を認め、併せて死刑と拘置の執行を停止した。高裁も執行停止は維持し、袴田さんは現在釈放されている。結論が確定するまで、再収監はされない見通し》。

 酷過ぎる…。袴田巌さんにすぐさま無罪を。
 西日本新聞の【社説/袴田事件の再審 いたずらに引き延ばすな】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/676745/)によると、《裁判をやり直す再審の道を維持したことは評価できる。それでも「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の大原則に照らせば、何とももどかしい決定と言わざるを得ない。…再審開始の可否に決着をつけるものではなく、袴田さんの再審請求はさらに長期化する。仮に再審が始まっても判決までにはさらに時間が必要だろう。袴田さんの年齢を考えれば、あまりに酷というほかはない》。
 東京新聞のコラム【筆洗/<目とじても片隅に咲く月見草>。劇作家寺山修司が「誰か月見…】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/76527?rct=hissen)によると、《▼その袴田さんに再審の可能性をもたらす最高裁の決定である。決定を知らされた袴田さんは、「こんなもの来るはずない」と話したという▼死と隣り合わせの生活が心にもたらした影響は、地裁の再審開始決定で六年前に釈放された後も残っているようだ。暗黒の日々の長さを思わざるをえない▼最高裁は、再審開始を認めなかった高裁の決定を取り消した。事件の一年以上も後に見つかり、有罪の最大の根拠となった衣類。血痕の変色などについて審理が尽くされていないとし、高裁に再検討を求めた▼疑わしきは被告人の利益は原則だろう。寺山が「打たれ強いボクサー」であったと記した袴田さんも八十四歳である。夜は終わったわけではない急がなければなるまい。》

 《今回の決定について、元刑事裁判官の門野博弁護士は、「…高裁でまた時間をかけて審理するのではなく、直ちに再審を認めて、やり直しの裁判の中で議論させるという判断をしてもよかったのではないか」と話しています》。それでも時間をかけ過ぎです。さっさと、(無理なことは承知ですが)無罪判決を出すべきではないのか? とことろで、《元刑事裁判官の門野博弁護士》 ――― 「とうとう、奥西勝死刑囚が亡くなった。警察や検察、裁判所は「触らぬ神にたたりなし、ということなのか」?、訴えることが出来なくなるのを待った司法の残酷さ!、を痛切に感じる。のろのろと「死」を待っている様にしか見えない。特に、裁判所の酷さ。当時の《名古屋高裁刑事第2部(門野博裁判長)》、《名古屋高裁刑事第2部(下山保男裁判長)》、《名古屋高裁刑事一部(石山容示(ようじ)裁判長)》、《最高裁第1小法廷(櫻井龍子裁判長)》ら。《冤罪と同じほど罪深い司法の自殺的行為》」…。名張ぶどう酒事件で、再審開始決定を取り消したのが門野博元裁判長。「のろのろと「死」を待っている様にしか見えない」司法の一人だ。

   『●『美談の男』読了
   『●袴田事件: いい加減に誤まりを認めるべき
   『●作られた袴田冤罪事件、理不尽極まる漸くの初の証拠開示
   『●袴田事件、48年間のそれぞれの苦難……
      袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん
   『●袴田事件: 静岡地裁は「疑わしきは被告人の利益に」を
   『●袴田事件、そして死刑執行後の『飯塚事件』再審:
                   司法の良心を示せるか?
   『●袴田事件・釈放!: 「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑い」
               「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」

   『●映画「ザ・ハリケーン」と袴田事件:「冤罪事件を「絶対に忘れるな」」
    《ルビン・カーターさんが二十日亡くなった。七十六歳…
     デンゼル・ワシントン主演の映画「ザ・ハリケーン」のモデル
     といえば、思い出すだろうか▼一九六六年六月、
     米ニュージャージー州のバーで三人が殺された。現場近くを車で
     走っていたカーターさんが逮捕された。無実を訴えたが、
     有罪の評決が下り、八五年に釈放されるまで十九年間服役した。
     冤罪事件の背景には人種差別もあった袴田事件も同じ年同じ六月
     だった。同じ元ボクサー。獄中にあった袴田巌さん(78)は
     境遇の似たカーターさんが釈放された時、手紙を書いたという。
     「万歳万歳と叫びたい」。カーターさんの返事は
     「決してあきらめてはならない」だった》

   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
    《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけには
     いかないのだ」▼袴田さんの無実を信じる人にとってはどうあっても狼に
     許されぬイソップ寓話(ぐうわ)の羊を思い出すかもしれない…
     検察と裁判所を納得させる羊の反論の旅はなおも続くのか
     ▼事件から五十二年長すぎる旅である

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…
       政権や検察に忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
    「NTVの【NNNドキュメント’18我、生還す -神となった死刑囚・
     袴田巖の52年-】…《今年6月、東京高裁が再審開始を取り消した
     「袴田事件」。前代未聞の釈放から4年半、袴田巖さんは死刑囚のまま
     姉と二人故郷浜松で暮らす》」
    「三権分立からほど遠く、法治国家として公正に法に照らした
     「司法判断」ができず、アベ様ら政権に忖度した「政治判断」乱発な、
     ニッポン国の最「低」裁に何を期待できようか…。
     《巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ」

   『●冤罪は晴れず…「自白を偏重する捜査の危うさ…
       証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」
   『●袴田秀子さん《ボクシングに対する偏見…
      チンピラだっていうイメージ…その印象以外に何の証拠もなかった》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
           耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    「週刊朝日の記事【袴田事件で「捜査機関が証拠を”捏造”」 
     弁護団が新証拠の補充書を最高裁に提出 】」
    《静岡地裁の再審開始決定を取り消した東京高裁決定から、
     1年余りが経過した。死刑が確定した元プロボクサーの
     袴田巌さん(83)は最高裁に特別抗告中だが、弁護団はこのほど
     “新証拠”を提出した》

   『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
       飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…
   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は
     《鼻には詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
   『● CD『Free Hakamada』の《ジャケットには、元プロボクサーの
          袴田さんが…名誉チャンピオンベルトを持った写真》
   『●《「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」
        と明かした元裁判官熊本典道さん》がお亡くなりになりました
    「袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん」

   『●映画『BOX 袴田事件 命とは』で熊本典道さん役…《「法廷では
     裁判官自身も裁かれている」。自分で自分を裁こうとした日々…》

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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201223/k10012779771000.html

袴田事件 再審認めない決定取り消す 高裁に差し戻し 最高裁
2020年12月23日 16時57分

 昭和41年に静岡県で一家4人が殺害されたいわゆる「袴田事件」で死刑が確定した袴田巌さんについて、最高裁判所は、再審・裁判のやり直しを認めなかった東京高等裁判所の決定を取り消し、高裁で再び審理するよう命じる決定をしました。

 袴田巌さん(84)は、昭和41年に今の静岡市清水区でみそ製造会社の役員の一家4人が殺害された事件で、死刑が確定しましたが、無実を訴えて再審を申し立てています。

 平成26年に静岡地方裁判所が、事件の1年余り後に会社のみそのタンクから見つかった犯人のものとされる衣類の血痕のDNA型が袴田さんのものとは一致しなかったという鑑定結果などをもとに再審を認める決定をした一方、おととし、東京高等裁判所は「DNA鑑定の信用性は乏しい」として再審を認めず、弁護団が特別抗告していました。

 最高裁判所第3小法廷の林道晴裁判長は、衣類の血痕のDNA鑑定について「衣類は40年以上、多くの人に触れられる機会があり、血液のDNAが残っていたとしても極めて微量で、性質が変化したり、劣化したりしている可能性が高い。鑑定には非常に困難な状況で証拠価値があるとはいえない」として、弁護側の主張を退けました

 一方で、衣類に付いた血痕の色の変化について「1年余りみそに漬け込まれた血痕に赤みが残る可能性があるのか、化学反応の影響に関する専門的な知見に基づいて審理が尽くされていない」として、23日までに再審を認めなかった東京高裁の決定を取り消し、高裁で再び審理するよう命じる決定をしました。

 一方、決定では、5人の裁判官が、3対2で意見が分かれています。

 2人の裁判官は反対意見の中で、DNA鑑定などを新証拠と認め、血痕が袴田さんのものではないという重大な疑いが生じているとして、再審を認めるべきだとしています。

 再審を求める特別抗告で裁判官の意見が割れるのは異例です。

 袴田さんは、静岡地裁で再審が認められた際に釈放されていて、今回の決定後も釈放された状態が続きます。


裁判官2人が「再審開始すべき」

 5人の裁判官のうち、林景一裁判官と宇賀克也裁判官の2人が、「再審を開始すべきだ」とする反対意見を述べました。

 反対意見ではまず、犯人のものとされる衣類に付いた血痕のDNA鑑定について、「鑑定技術の進展によって細胞が数個分あればDNAの検出は十分に可能だとされていて、鑑定の信用性を否定すべきとは思わない。犯人のものとされるシャツに付いた血痕と袴田さんのDNA型が違い、血痕は袴田さんのものではないという重大な疑いが生じる」と指摘しています。

 また、みそのタンクから見つかった衣類に赤い血痕が付いていたことについて、「みそ漬けを再現した実験では、1か月で血痕の赤みは全くなくなり、1年2か月後にはさらに黒くなって血液が付いたことすら分からない状態になっている。袴田さんが逮捕される前にみそのタンクに衣類を隠したとすれば、1年以上、漬けられていたことになるが、実験の結果は、この点に合理的な疑いを生じさせる証拠で、袴田さんが衣類を隠したことにも合理的な疑いが生じる。犯行直後ではなく、衣類の発見直前に袴田さん以外の第三者に隠された可能性が生じる」と指摘しています。

 そのうえで、DNA鑑定と、みそ漬けの再現実験の報告書はいずれも新証拠として認められると判断して再審を開始すべきだとして、高裁に審理のやり直しを命じることについて「化学反応の影響を審理するためだけに、時間をかけることには反対せざるをえない」と述べています。

 再審を求める特別抗告で裁判官の意見が割れるのは異例です。


最高検察庁刑事部長「内容精査し適切に対処」

 最高検察庁の齋藤隆博刑事部長は「検察官の主張が認められなかったことは誠に遺憾だ。決定の内容を精査し、適切に対処したい」というコメントを発表しました。


袴田巌さん「言うことはない 終わったんだ」

 袴田巌さんと姉のひで子さん(87)は、23日午後6時すぎ、浜松市の自宅で取材に応じました。

 巌さんは「言うことはない。終わったんだ、分かりきっている」などと話していました。

 ひで子さんは、巌さんに「おめでとう」と声をかけたうえで、「なんとなく表情が明るい。やっぱり分かっていると思う」と話しました。

 自宅には、知人などから電話が相次いでいて、ひで子さんは、最高裁判所から届いた書類を手に取って、主文を読み上げるなどして、笑顔で報告をしていました。

 ひで子さんは「とにかく前進してくれないと困るのでうれしい。年内に最高裁の決定が出ると思わなかったので、クリスマスプレゼントになった」と話していました。


死刑確定も釈放続く

 袴田巌さんは、刑事手続き上は死刑が確定していますが、釈放された異例の状況が当面、続きます。

 6年前、静岡地裁で再審が認められた際に刑の執行と拘置が停止されて、東京拘置所から釈放されました。

 おととしの東京高裁の決定では、再審は認められませんでしたが、「年齢や生活状況、健康状態などを考えると、再審についての決定が確定する前に、釈放を取り消すべきとは言いがたい」として釈放は取り消されず、浜松市内で家族とともに生活を続けています。

 今回、最高裁が東京高裁の決定を取り消したため、6年前の静岡地裁の決定に基づいて、釈放された状態が続くことになります。


弁護団「主張が正しく理解された」

 最高裁判所の決定を受けて袴田巌さんの弁護団が静岡市内で記者会見を開きました。

 この中で、弁護団の事務局長を務める小川秀世弁護士は「非常にうれしい決定だ。われわれの主張が正しく理解されたと思っている。論点がはっきりしたので再審開始という結論に持って行くことができるのではないかと大いに期待している」と述べました。

 一方、別の弁護士は、今後の審理について、「最高裁判所の指摘があった衣類の血痕の色の変化について、専門的に研究している人はいないので、具体的に裏付けるような資料や意見を集めることができるかどうか、弁護団にとっても高裁にとっても大きな課題になる」と話しました。


プロボクシング関係者は

 長年にわたって袴田さんの支援活動をしてきた日本プロボクシング協会の新田渉世事務局長は「心強い決定だ。裁判官の意見がわかれたことで長引く懸念があるが、大きな一歩だと思う」と話していました。

 また、プロボクシングを統括するJBC=日本ボクシングコミッションの安河内剛本部事務局長は「私たちとしては、一刻も早く真相が解明されることを祈っている」と話していました。


元刑事裁判官「再審を認めてもよかったのでは」

 今回の決定について、元刑事裁判官の門野博弁護士は、「『再審を開始すべきだ』という反対意見もあり、最高裁判所の裁判官の間でかなり時間をかけて議論が交わされたことがうかがえ、それだけ多くの謎が残されている難しい事件だということが表れている。最高裁の決定の中で、みそに漬かった衣類の色の変化についてさらに精査が必要だと判断したのであれば、差し戻しによって高裁でまた時間をかけて審理するのではなく、直ちに再審を認めて、やり直しの裁判の中で議論させるという判断をしてもよかったのではないか」と話しています。


これまでの経緯

 「袴田事件」は、有罪か無罪かが50年余りにわたって争われ続けています

 昭和41年6月、今の静岡市清水区で、みそ製造会社の専務の家が全焼し、焼け跡から一家4人が遺体で見つかりました。その年の8月に会社の従業員だった元プロボクサーの袴田巌さんが、強盗殺人などの疑いで逮捕されました。

 当初は無実を訴えましたが、19日後に取り調べでいったんは自白し、裁判では再び無実を主張して争いました。

 事件から1年余りがたち、裁判が始まった後で、みそ製造会社のタンクから血の付いたシャツなど、犯人のものとされる5点の衣類が見つかりました。昭和43年9月、静岡地方裁判所は、自白した時に作られた45通の調書のうち44通は捜査官に強要された疑いがあるとして、証拠として認めませんでしたが、衣類を有罪の証拠だとして死刑を言い渡しました。

 2審の東京高等裁判所と最高裁判所でも無罪の主張は退けられ、昭和55年に死刑が確定しました。翌年、弁護団は再審・裁判のやり直しを求めました。

 弁護団は、事件の直後の捜索でタンクから衣類が見つからなかったことや、衣類のサイズが合わないことなど不自然な点があるうえ、自白も強要されたものだと主張しましたが、静岡地裁で退けられました。

 東京高裁では衣類に付着した血痕のDNA鑑定が行われましたが、劣化が激しかったことからこの時は「鑑定不能」とされ、申し立てが退けられました。

 その後、平成20年に最高裁でも退けられ、27年に及んだ1度目の再審の申し立ては認められませんでした。2度目の申し立てで、静岡地裁は、5点の衣類のDNA鑑定を再び行うことを決めました。

 その結果、弁護側の専門家が「シャツの血痕のDNAの型は袴田さんと一致しない」と結論づけたことなどから、平成26年に再審・裁判のやり直しを認める決定を出しました。

 「捜査機関が重要な証拠をねつ造した疑いがある」と、当時の捜査を厳しく批判し、釈放も認める異例の決定でした

 東京高裁では、弁護側の専門家が行ったDNA鑑定の手法が科学的に信頼できるかどうかが争われました。おととし6月、東京高裁は「DNA鑑定の手法の科学的原理や有用性には深刻な疑問が存在している」として、地裁とは逆に、衣類は袴田さんのものだと考えて不合理な点はないという判断を示し、再審を認めませんでした。

 一方で、地裁で認められた釈放については「本人の年齢や生活状況、健康状態などに照らすと、再審についての決定が確定する前に釈放を取り消すのが相当とは言い難い」として、取り消しませんでした。

 弁護団は高裁の決定を不服として最高裁判所に特別抗告。最高裁の決定が注目されていました。
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●映画『BOX 袴田事件 命とは』で熊本典道さん役…《「法廷では裁判官自身も裁かれている」。自分で自分を裁こうとした日々…》

2021年01月14日 00時00分43秒 | Weblog

(2020年12月13日[日])
西日本新聞のコラム【春秋/袴田事件の元裁判官・熊本典道さん死去】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/670907/)。

 《▼2010年公開の映画「BOX 袴田事件 命とは」で熊本さん役は言う。「法廷では裁判官自身も裁かれている」。自分で自分を裁こうとした日々を想像する》。

   『●『美談の男』読了
   『●袴田事件: いい加減に誤まりを認めるべき
   『●作られた袴田冤罪事件、理不尽極まる漸くの初の証拠開示
   『●袴田事件、48年間のそれぞれの苦難……
      袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん
   『●袴田事件: 静岡地裁は「疑わしきは被告人の利益に」を
   『●袴田事件、そして死刑執行後の『飯塚事件』再審:
                   司法の良心を示せるか?
   『●袴田事件・釈放!: 「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑い」
               「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」

   『●映画「ザ・ハリケーン」と袴田事件:「冤罪事件を「絶対に忘れるな」」
    《ルビン・カーターさんが二十日亡くなった。七十六歳…
     デンゼル・ワシントン主演の映画「ザ・ハリケーン」のモデル
     といえば、思い出すだろうか▼一九六六年六月、
     米ニュージャージー州のバーで三人が殺された。現場近くを車で
     走っていたカーターさんが逮捕された。無実を訴えたが、
     有罪の評決が下り、八五年に釈放されるまで十九年間服役した。
     冤罪事件の背景には人種差別もあった袴田事件も同じ年同じ六月
     だった。同じ元ボクサー。獄中にあった袴田巌さん(78)は
     境遇の似たカーターさんが釈放された時、手紙を書いたという。
     「万歳万歳と叫びたい」。カーターさんの返事は
     「決してあきらめてはならない」だった》

   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
    《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけには
     いかないのだ」▼袴田さんの無実を信じる人にとってはどうあっても狼に
     許されぬイソップ寓話(ぐうわ)の羊を思い出すかもしれない…
     検察と裁判所を納得させる羊の反論の旅はなおも続くのか
     ▼事件から五十二年長すぎる旅である

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…
       政権や検察に忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
    「NTVの【NNNドキュメント’18我、生還す -神となった死刑囚・
     袴田巖の52年-】…《今年6月、東京高裁が再審開始を取り消した
     「袴田事件」。前代未聞の釈放から4年半、袴田巖さんは死刑囚のまま
     姉と二人故郷浜松で暮らす》」
    「三権分立からほど遠く、法治国家として公正に法に照らした
     「司法判断」ができず、アベ様ら政権に忖度した「政治判断」乱発な、
     ニッポン国の最「低」裁に何を期待できようか…。
     《巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ」

   『●冤罪は晴れず…「自白を偏重する捜査の危うさ…
       証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」
   『●袴田秀子さん《ボクシングに対する偏見…
      チンピラだっていうイメージ…その印象以外に何の証拠もなかった》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
           耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    「週刊朝日の記事【袴田事件で「捜査機関が証拠を”捏造”」 
     弁護団が新証拠の補充書を最高裁に提出 】」
    《静岡地裁の再審開始決定を取り消した東京高裁決定から、
     1年余りが経過した。死刑が確定した元プロボクサーの
     袴田巌さん(83)は最高裁に特別抗告中だが、弁護団はこのほど
     “新証拠”を提出した》

   『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
       飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…
   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は
     《鼻には詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
    「関連して…青木理さん。ローマ法王来日に関して、もう一つの
     注目点は「死刑制度」。明日のミサに袴田巌さんを呼ばれている
     らしい。事実上の廃止も含めて国連加盟国の7割…死刑廃止が
     世界の潮流。存置派は、先進国でアメリカの一部の州とニッポンのみ。
     昨年も13人のオウム幹部を死刑…。死刑制度を考えるきっかけに」

   『● CD『Free Hakamada』の《ジャケットには、元プロボクサーの
          袴田さんが…名誉チャンピオンベルトを持った写真》
   『●《「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」
        と明かした元裁判官熊本典道さん》がお亡くなりになりました
    「袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん」

 《いまも、死刑囚のまま》な袴田巌さんと《「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」と明かした元裁判官熊本典道さん》、そして、袴田秀子さんと。

 免田栄さんについて、清水潔さんの4つのつぶやき:

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https://twitter.com/NOSUKE0607/status/1335954617075519489

清水 潔@NOSUKE0607

確定死刑囚から一転し無罪となった免田栄さん。83年の釈放直後から何度か取材をさせてもらった。免田さんは逮捕時に木の伐採の仕事をしていた。その現場に2人で行ってみたことがある。すると彼が伐採した後に植林された杉が天に向かって延びていた。それは獄中にいた34年の間に育った大木だ。(続)

午後11:29 2020年12月7日
--- - --- -- --- -- --- - --- -- --- -- - ---
https://twitter.com/NOSUKE0607/status/1335954909091360769

清水 潔@NOSUKE0607

その木を見上げた免田さんは深いため息をついた。自身の失われた人生を見るような表情で。私は何回もカメラのシャッターを切った。34年の獄中生活で、その間いつ死刑が執行されるかわからないという恐怖。結果から見れば、それは国家の手による殺人行為になるところだったのだ。(続)

午後11:30 2020年12月7日
--- - --- -- --- -- --- - --- -- --- -- - ---
https://twitter.com/NOSUKE0607/status/1335955382737354752

清水 潔@NOSUKE0607

一方、死刑が確定したのになぜ34年もの長い間それを執行しなかったのか? それは検事が死刑執行起案書を書かなかったからだろう。無実を訴え、何度も再審請求を続ける人、証拠は脆弱。それを知っていた検事たちは執行が恐ろしかったのではないか。そんな免田さんを当局はそのまま放置したのだ。(続)

午後11:32 2020年12月7日
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https://twitter.com/NOSUKE0607/status/1335956580056006656

清水 潔@NOSUKE0607

免田さんは、釈放されてから亡くなるまで37年間生きた。34年の拘置所生活より少しだけ長く娑婆で生きることができた。それは氏にとってせめてもの救いになっただろうか。国家による殺人を自力でひっくり返し、天寿を全うした免田さんの冥福を祈りたいと思う。

午後11:37 2020年12月7日
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 西日本新聞の記事【免田栄さん死去、95歳 死刑囚で初の再審無罪】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/670852/)によると、《1948年に熊本県人吉市で一家4人が殺傷された「免田事件」で死刑が確定し、死刑囚として初めて再審無罪となった免田栄(めんだ・さかえ)さんが5日午前、老衰のため福岡県大牟田市の高齢者施設で死去した。95歳。熊本県免田町(現あさぎり町)出身》…免田さんは、2020年12月5日にお亡くなりになったそうだ。
 《それを知っていた検事たちは執行が恐ろしかったのではないか。そんな免田さんを当局はそのまま放置したのだ》《免田さんは、釈放されてから亡くなるまで37年間生きた。34年の拘置所生活より少しだけ長く娑婆で生きることができた》《国家による殺人を自力でひっくり返し、天寿を全うした免田さん》。
 一方、急ぐ様に死刑にされた飯塚事件久間三千年(くまみちとし)さん。袴田巌さんは《いまも、死刑囚のまま》だ…。

   『●飯塚事件の闇…2008年10月16日足利事件の
       再鑑定で死刑停止されるべきが、10月28日に死刑執行
   『●NNNドキュメント’13: 
      『死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”』
   『●「飯塚事件」「福岡事件」「大崎事件」
       ……に係わる弁護士たちで『九州再審弁護連絡会』発足

   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
            耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
   『●憲法《37条1項が保障する『公平な裁判所による裁判を受ける権利』が
       侵害され》ている…飯塚事件、大崎事件の裁判に「公正らしさ」は?
   『●《首相の演説にやじを飛ばしただけで、警官に排除される時代…
              こんな「表現の不自由」な社会を誰が望んだ》?

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https://www.nishinippon.co.jp/item/n/670907/

春秋
袴田事件の元裁判官・熊本典道さん死去
2020/12/6 10:40

 元裁判官の熊本典道さんが先月病気で死去した。83歳だった。2007年にメディアに大きく取り上げられた

▼1968年に主任裁判官として書いた「袴田事件」(静岡県、一家4人殺害)の一審死刑判決について「無罪の心証を持ち判決文を準備したが、合議により」と告白した時のことだ。最高裁は評議の秘密をと批判した。世論は「裁判官の良心」と拍手した

▼佐賀県出身、九州大卒。<司法試験トップ合格。判決の翌年に自責の念から退官し、民事の弁護士になって年収1億円の年もあった>が、過去の重さからか<酒におぼれ、家族を失い…>(尾形誠規著「袴田事件を裁いた男」朝日文庫)。自殺も考えた時期を経て告白に至る

▼2010年公開の映画「BOX 袴田事件 命とは」で熊本さん役は言う。「法廷では裁判官自身も裁かれている」。自分で自分を裁こうとした日々を想像する

▼告白後は袴田巌さん(1980年に死刑判決確定)の再審請求を支援してきた。14年に再審開始決定が出され、釈放された袴田さんと18年に面会を果たした。福岡市内で病床にあった元裁判官は、じっと見つめ、「巌…」と声を絞り出した

▼その数カ月後に再審開始決定は高裁で取り消され、今は最高裁に特別抗告中。熊本さんは亡くなる1週間前に袴田さんの姉秀子さんの見舞いを受けている。「しっかりしなきゃ」と言われた。最期まで一緒に闘った
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●《「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」と明かした元裁判官熊本典道さん》がお亡くなりになりました

2020年11月23日 00時00分52秒 | Weblog


熊本典道さんが亡くなられたとのこと、ご冥福をお祈りいたします。

   『●『美談の男』読了
   『●袴田事件: いい加減に誤まりを認めるべき
   『●作られた袴田冤罪事件、理不尽極まる漸くの初の証拠開示
   『●袴田事件、48年間のそれぞれの苦難……
      袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん
   『●袴田事件: 静岡地裁は「疑わしきは被告人の利益に」を
   『●袴田事件、そして死刑執行後の『飯塚事件』再審:
                   司法の良心を示せるか?
   『●袴田事件・釈放!: 「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑い」
               「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」

   『●映画「ザ・ハリケーン」と袴田事件:「冤罪事件を「絶対に忘れるな」」
    《ルビン・カーターさんが二十日亡くなった。七十六歳…
     デンゼル・ワシントン主演の映画「ザ・ハリケーン」のモデル
     といえば、思い出すだろうか▼一九六六年六月、
     米ニュージャージー州のバーで三人が殺された。現場近くを車で
     走っていたカーターさんが逮捕された。無実を訴えたが、
     有罪の評決が下り、八五年に釈放されるまで十九年間服役した。
     冤罪事件の背景には人種差別もあった袴田事件も同じ年同じ六月
     だった。同じ元ボクサー。獄中にあった袴田巌さん(78)は
     境遇の似たカーターさんが釈放された時、手紙を書いたという。
     「万歳万歳と叫びたい」。カーターさんの返事は
     「決してあきらめてはならない」だった》

   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
    《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけには
     いかないのだ」▼袴田さんの無実を信じる人にとってはどうあっても狼に
     許されぬイソップ寓話(ぐうわ)の羊を思い出すかもしれない…
     検察と裁判所を納得させる羊の反論の旅はなおも続くのか
     ▼事件から五十二年長すぎる旅である

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…
       政権や検察に忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
    「NTVの【NNNドキュメント’18我、生還す -神となった死刑囚・
     袴田巖の52年-】…《今年6月、東京高裁が再審開始を取り消した
     「袴田事件」。前代未聞の釈放から4年半、袴田巖さんは死刑囚のまま
     姉と二人故郷浜松で暮らす》」
    「三権分立からほど遠く、法治国家として公正に法に照らした
     「司法判断」ができず、アベ様ら政権に忖度した「政治判断」乱発な、
     ニッポン国の最「低」裁に何を期待できようか…。
     《巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ」

   『●冤罪は晴れず…「自白を偏重する捜査の危うさ…
       証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」
   『●袴田秀子さん《ボクシングに対する偏見…
      チンピラだっていうイメージ…その印象以外に何の証拠もなかった》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
           耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    「週刊朝日の記事【袴田事件で「捜査機関が証拠を”捏造”」 
     弁護団が新証拠の補充書を最高裁に提出 】」
    《静岡地裁の再審開始決定を取り消した東京高裁決定から、
     1年余りが経過した。死刑が確定した元プロボクサーの
     袴田巌さん(83)は最高裁に特別抗告中だが、弁護団はこのほど
     “新証拠”を提出した》

   『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
       飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…
   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は
     《鼻には詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
    「関連して…青木理さん。ローマ法王来日に関して、もう一つの
     注目点は「死刑制度」。明日のミサに袴田巌さんを呼ばれている
     らしい。事実上の廃止も含めて国連加盟国の7割…死刑廃止が
     世界の潮流。存置派は、先進国でアメリカの一部の州とニッポンのみ。
     昨年も13人のオウム幹部を死刑…。死刑制度を考えるきっかけに」

   『● CD『Free Hakamada』の《ジャケットには、元プロボクサーの
          袴田さんが…名誉チャンピオンベルトを持った写真》

 袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん。
 迂闊にも見落としていた記事。東京新聞の記事【袴田さんの姉、一審判事を見舞う 無罪の心証を告白、福岡で入院中】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/67301)によると、《1966年に静岡県で一家4人が殺害された強盗殺人事件で死刑が確定し、再審請求中の元プロボクサー袴田巌さん(84)の弁護団は9日、静岡市内で記者会見し、袴田さんの姉秀子さん(87)らが、一審静岡地裁で無罪との心証を持ちながら死刑判決を書き、福岡市内の病院に入院中の元裁判官熊本典道さん(83)を見舞ったと明らかにした。危篤状態が続く熊本さんは2007年、袴田さんが無罪との心証を持ちながら他の裁判官との合議で死刑判決を書いたと告白。14年に静岡地裁が再審開始を決定した直前にも陳述書を提出している。今月3~4日に見舞ったが、会話はできなかったという》。

 袴田巖さん「1審の裁判官の熊本」「人間、生きてりゃぁ、会えるんだね」…。
 東京新聞の【おくやみ/熊本典道さん死去 元裁判官】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/68336)によると、《熊本典道さん(くまもと・のりみち=元裁判官)11日、急性肺炎のため死去、83歳。佐賀県出身。葬儀は近親者で営む。66年に静岡県で一家4人が殺害された強盗殺人事件の一審静岡地裁で、袴田巌さんの死刑判決を書いた。判決翌年の69年に退官。自責の念から07年に無罪の心証を持っていたことを告白し、その後、再審を求める陳述書を裁判所に提出した。第2次再審請求で静岡地裁が14年、DNA型鑑定結果を新証拠と認めて再審開始を決定。18年には釈放された袴田さんと50年ぶりに面会した》。

 佐藤直子記者による、東京新聞の【特報Web/袴田事件の元裁判官 熊本典道さん死去/苦悩の半生とは?】(https://tokuho.tokyo-np.co.jp/n/nd5a61f002cc1)によると、《1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」と明かした元裁判官熊本典道さん(83)が11日、急性肺炎で死去した。判決の翌年に裁判官を退官した後は波乱に富んだ人生を送りながら、死刑確定後に釈放された袴田巌さん(84)の再審請求審の支援に力を注いだ人物だった》。

 さらに、片山夏子記者による、5月に出ていた東京新聞の記事【「デコちゃんが行く」 袴田巌さんを支える姉・秀子さんの生涯が漫画に】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/16668)によると、《一九六六年に静岡県で一家四人が殺害された強盗殺人事件で死刑が確定し、第二次再審請求中の元プロボクサー袴田巌さん(84)を支え続ける姉の秀子さん(87)の生涯を描いた漫画「デコちゃんが行く 袴田ひで子物語」が出版された。戦中を生き抜き、弟の無罪を信じて幾多の苦難にもへこたれない姿は周りの人たちを勇気づけている》。
 改めて、袴田秀子さんの凄さを感じさせられました。

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/68164

袴田事件元判事の熊本典道氏死去 無罪の心証告
2020年11月13日 09時43分 (共同通信)

     (死去した熊本典道さん)

 1966年に静岡県で一家4人が殺害された強盗殺人事件で死刑が確定し、再審請求中の袴田巌さんの一審静岡地裁判決で、無罪との心証を持ちながら死刑判決を書いたと後に告白した元裁判官熊本典道(くまもと・のりみち)さんが11日午後2時57分、急性肺炎のため福岡市の病院で死去した。83歳。佐賀県出身。葬儀は近親者で営む。

 66年に静岡県で4人を殺害したなどとして起訴された袴田さんの一審を担当。判決翌年の69年退官。自責の念から2007年、公判当時、無罪との心証を持っていたと告白。それ以降、袴田さんの再審請求審を巡り、陳述書を裁判所に提出するなど支援を続けていた。
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https://tokuho.tokyo-np.co.jp/n/nd5a61f002cc1

特報Web
袴田事件の元裁判官 熊本典道さん死去
苦悩の半生とは?

袴田事件元裁判官・熊本さん死去 判決の重さに苦悩した半生とは?
東京新聞 特報Web
2020/11/19 13:49

(2020年11月19日東京新聞に掲載)

 1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」で死刑判決を書きながら、後に「無罪の心証だった」と明かした元裁判官熊本典道さん(83)が11日、急性肺炎で死去した。判決の翌年に裁判官を退官した後は波乱に富んだ人生を送りながら、死刑確定後に釈放された袴田巌さん(84)の再審請求審の支援に力を注いだ人物だった。(佐藤直子)


[冤罪 訴え続ける5人の日常 映画「獄友」杉並と中野で上映会:東京新聞 TOKYO Web
◆きょうから5回「布川事件」桜井さんの対談も 殺人など凶悪事件の有罪判決が確定した後、釈放されて冤罪(えんざい)を訴え続け
www.tokyo-np.co.jp https://www.tokyo-np.co.jp/article/25636

[「デコちゃんが行く」 袴田巌さんを支える姉・秀子さんの生涯が漫画に:東京新聞 TOKYO Web
一九六六年に静岡県で一家四人が殺害された強盗殺人事件で死刑が確定し、第二次再審請求中の元プロボクサー袴田巌さん(84)を支援
www.tokyo-np.co.jp https://www.tokyo-np.co.jp/article/16668


▼目次
  司法試験トップ合格の裁判官
  死刑判決に悩み退官「無実の心証」明かす
  自責の念から酒におぼれ、生活保護受けた時期も
  50年越しで本人と対面「裁判官も過ちを犯す」


司法試験トップ合格の裁判官

 「『秀子だよ、分かる?』って呼びかけたら、熊本さんは口もきけなかったけど、目でうなずいた」。袴田さんの姉秀子さん(87)が、最後になった面会を振り返った。

 今月2日、熊本さんの家族から「医師に『命はあと2、3日』と告げられた」と電話があった。秀子さんは袴田さんの支援者と一緒に翌朝、福岡市の入院先に向かった。熊本さんの腕をさすりながら、「元気出しなよー」と声をかけて病室を後にした。

 佐賀県唐津市出身の熊本さんは九州大法学部を卒業後、司法試験にトップで合格。63年に任官した。静岡県清水市(現静岡市清水区)のみそ製造会社の専務一家4人を殺害、家に放火するなどしたとして起訴された袴田さんの一審静岡地裁の公判を担当し、死刑判決を書いた。


死刑判決に悩み退官「無実の心証」明かす

 判決を悔やんで半年後に裁判官を退官した後、弁護士に転身。自責の念から「公判当時、無罪との心証を持っていた」と告白し、最高裁に再審を求める上申書を提出したのは2007年のことだった。自白の信ぴょう性に疑問を抱いて無罪を主張したものの、有罪だとする裁判長ともう一人の裁判官の考えを覆せなかったと打ち明けた

     (孫の写真を眺める熊本さん。長女に連れられて今年3月、
      初めて会った=2010年6月1日、福岡市東区で)
     (生前の熊本典道さん=2010年3月、福岡市東区で)

 当時の記者会見によれば、熊本さんは控訴審で判決が否定されると期待しながらそうはならず、1980年に最高裁で死刑が確定。袴田さんの人生を台無しにしたことに耐えられなかったと、長い沈黙を破った理由を説明した。


自責の念から酒におぼれ、生活保護受けた時期も

 袴田事件の取材を続けているジャーナリストの青柳雄介さんは、初めて会ったときに話の途中で何度も嗚咽を漏らし、涙を流す熊本さんの姿が目に焼き付いている。「いちずな人だった。判決によって自分の人生も随分、曲がってしまったのでしょう」。弁護士になった後は、酒におぼれ、家族と離別。肝硬変や前立腺がんを患い、生活保護を受けながら暮らした時期もあった。

 告白後は再審開始のために支援を続けた。2014年、第2次再審請求で静岡地裁がDNA型の鑑定結果を新証拠と認めて再審開始を決定。決定理由で捜査機関の証拠の捏造にまで言及し、袴田さんの死刑と拘置を停止して釈放した

 ………。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/16668

「デコちゃんが行く」 袴田巌さんを支える姉・秀子さんの生涯が漫画に
2020年5月24日 20時31分

     (袴田厳さんの姉秀子さんの漫画「デコちゃんが行く」)

 一九六六年に静岡県で一家四人が殺害された強盗殺人事件で死刑が確定し、第二次再審請求中の元プロボクサー袴田巌さん(84)を支え続ける姉の秀子さん(87)の生涯を描いた漫画「デコちゃんが行く 袴田ひで子物語」が出版された。戦中を生き抜き、弟の無罪を信じて幾多の苦難にもへこたれない姿は周りの人たちを勇気づけている。(片山夏子)


◆支援者が自費出版

 漫画は浜松市に住む袴田さん姉弟の日常を支える「袴田さん支援クラブ」の猪野待子代表=同市=が自費出版。猪野さんが監修し、静岡市の漫画家たたらなおきさんが作画した。猪野さんは「どんな困難が襲ってきてもへこたれず、なにくそと前進する気丈な人。事件に巻き込まれた家族の暗さとは懸け離れ、会う人が皆元気をもらって帰って行く。閉塞感のある現代で生きるのに疲れてしまった人たちに届けたいと思った」と話す。

 漫画は、「デコちゃん」こと秀子さんの生涯を描く。六人兄弟の五番目で巌さんが六番目。遠州弁で何でもやってやろうを意味する「やらまいか精神」が旺盛な姉御肌で、素直でおとなしい巌さんの面倒をよくみた。だが、秀子さんが三十三歳のとき、巌さんが逮捕され、人生が激変した。

     (袴田秀子さん)

 一貫して弟の無罪を信じてきたが、世間の目は冷たく、眠れずに酒に頼った日々も。支援者に支えられ立ち直った後も、最高裁で死刑が確定し、巌さんの面会拒否が続いたり、拘禁反応が悪化したりなど試練が。秀子さんは「自分にも生きる希望が必要だ」と感じ、六十一歳のとき、巌さんと同居するためのマンションを建てた。その願いがかなったのは二十年後だ。


◆「漫画の第2部も」

 秀子さんは「こちら特報部」の取材に「過去を振り返ってもどうにもならんこと。くよくよしないの。巌は四十八年間も刑務所の中で苦労した。私の苦労なんてどうってことない」と笑う。気付いたら五十年以上闘っていたが、「無罪になるまで、命ある限り闘い続ける。百歳まで生きるから漫画の第二部も作ってほしい」と話す。

 巌さんは二〇一四年三月に釈放されたが、今も拘禁反応が続き、毎日、何時間も街中を歩く。見守り隊として同行する浜松市の清水一人さん(71)は「秀子さんは巌さんを一切否定せずに包み込み、自由にさせている。それはすごいこと」と言う。見守り隊の磐田市の自営業女性(49)は「秀子さんに笑顔じゃない時期があったなんて想像できない。会った人はその人柄にひかれまた会いたくなる」。小学三年の時に事件に興味を持って以来、支援に関わる東京都狛江市の高校一年畑山智哉さん(15)は「漫画を読み、改めて秀子さんの信念を感じた」と話した。


◆くじけぬ姿勢若い世代に

 袴田事件弁護団事務局長の小川秀世弁護士(67)は、弁護団が秀子さんに激励されてきたと説明する。「支援活動は秀子さんのけん引力があってこそ。周りが秀子さんに勇気づけられている。くじけない秀子さんの姿勢が、漫画を通じて若い世代にも伝わったら」

 ジャーナリストの大谷昭宏氏は取材で何度も秀子さんに会い、元気をもらったと語る。「長年権力に痛めつけられてきたのに、打ちひしがれるどころか、それをはね返して余りある力がある」。一四年、拘置停止の決定を出した静岡地裁で裁判長は「捏造された疑いのある証拠で死刑の恐怖の下、拘束されてきた」とし「これ以上拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」と司法を批判した。「これほど猛省を促された司法なのに決定からすでに六年。姉弟は高齢。一日も早く無罪判決を出すべきだ。漫画で秀子さんの元気をもらうと同時に、世論をもう一度高めなくては」

 漫画はA5判、千三百六十四円(税別)。全国の書店で扱っている。
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● CD『Free Hakamada』の《ジャケットには、元プロボクサーの袴田さんが…名誉チャンピオンベルトを持った写真》

2020年03月09日 00時00分43秒 | Weblog


【「冤罪事件」袴田さんを応援するCD発売 売上は支援団体へ】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/267876)。

 《一風変わったCDが、22日から発売される。…再度請求中の袴田巌さん(83)を応援するCD「Free Hakamada」だ》。

 《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ。
 CD『Free Hakamada』の《ジャケットには、元プロボクサーの袴田さんが、WBC(世界ボクシング評議会)から贈呈された名誉チャンピオンベルトを持った写真》。《日本のカーター》と呼ばれる《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ。この国の司法や行政のデタラメさに呆れるし、何が何でもの死刑制度存置〝信奉〟にも救いようのない哀しさを感じる。

   『●『美談の男』読了
   『●袴田事件: いい加減に誤まりを認めるべき
   『●作られた袴田冤罪事件、理不尽極まる漸くの初の証拠開示
   『●袴田事件、48年間のそれぞれの苦難……
      袴田巌さんと秀子さん、そして、熊本典道さん
   『●袴田事件: 静岡地裁は「疑わしきは被告人の利益に」を
   『●袴田事件、そして死刑執行後の『飯塚事件』再審:
                   司法の良心を示せるか?
   『●袴田事件・釈放!: 「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑い」
               「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」

   『●映画「ザ・ハリケーン」と袴田事件:「冤罪事件を「絶対に忘れるな」」
    《ルビン・カーターさんが二十日亡くなった。七十六歳…
     デンゼル・ワシントン主演の映画「ザ・ハリケーン」のモデル
     といえば、思い出すだろうか▼一九六六年六月、
     米ニュージャージー州のバーで三人が殺された。現場近くを車で
     走っていたカーターさんが逮捕された。無実を訴えたが、
     有罪の評決が下り、八五年に釈放されるまで十九年間服役した。
     冤罪事件の背景には人種差別もあった袴田事件も同じ年同じ六月
     だった。同じ元ボクサー。獄中にあった袴田巌さん(78)は
     境遇の似たカーターさんが釈放された時、手紙を書いたという。
     「万歳万歳と叫びたい」。カーターさんの返事は
     「決してあきらめてはならない」だった》

   『●袴田事件…検察=《狼は本音を明かす。
      「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけにはいかないのだ」》
    《狼は本音を明かす。「おまえがどんな言い訳をしても食べないわけには
     いかないのだ」▼袴田さんの無実を信じる人にとってはどうあっても狼に
     許されぬイソップ寓話(ぐうわ)の羊を思い出すかもしれない…
     検察と裁判所を納得させる羊の反論の旅はなおも続くのか
     ▼事件から五十二年長すぎる旅である

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…
       政権や検察に忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
    「NTVの【NNNドキュメント’18我、生還す -神となった死刑囚・
     袴田巖の52年-】…《今年6月、東京高裁が再審開始を取り消した
     「袴田事件」。前代未聞の釈放から4年半、袴田巖さんは死刑囚のまま
     姉と二人故郷浜松で暮らす》」
    「三権分立からほど遠く、法治国家として公正に法に照らした
     「司法判断」ができず、アベ様ら政権に忖度した「政治判断」乱発な、
     ニッポン国の最「低」裁に何を期待できようか…。
     《巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ」

   『●冤罪は晴れず…「自白を偏重する捜査の危うさ…
       証拠開示の在り方…検察が常に抗告する姿勢の問題」
   『●袴田秀子さん《ボクシングに対する偏見…
      チンピラだっていうイメージ…その印象以外に何の証拠もなかった》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
           耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    「週刊朝日の記事【袴田事件で「捜査機関が証拠を”捏造”」 
     弁護団が新証拠の補充書を最高裁に提出 】」
    《静岡地裁の再審開始決定を取り消した東京高裁決定から、
     1年余りが経過した。死刑が確定した元プロボクサーの
     袴田巌さん(83)は最高裁に特別抗告中だが、弁護団はこのほど
     “新証拠”を提出した》

   『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
       飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…
   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は
     《鼻には詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
    「関連して…青木理さん。ローマ法王来日に関して、もう一つの
     注目点は「死刑制度」。明日のミサに袴田巌さんを呼ばれている
     らしい。事実上の廃止も含めて国連加盟国の7割…死刑廃止が
     世界の潮流。存置派は、先進国でアメリカの一部の州とニッポンのみ。
     昨年も13人のオウム幹部を死刑…。死刑制度を考えるきっかけに」

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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/267876

「冤罪事件」袴田さんを応援するCD発売 売上は支援団体へ
2020/01/21 14:50

     (CD「Free Hakamada」/(C)日刊ゲンダイ)

 一風変わったCDが、22日から発売される。一家4人を殺害したとして死刑判決が確定した「袴田事件」で、一度は再審開始となったものの取り消され、再度請求中の袴田巌さん(83)を応援するCD「Free Hakamada」だ。

 ジャケットには、元プロボクサーの袴田さんが、WBC(世界ボクシング評議会)から贈呈された名誉チャンピオンベルトを持った写真。名誉チャンピオンベルトが贈られたのは、米国の冤罪事件で無罪になった元ボクサー、ルービン・カーターに次いで2人目で、ボクシング関係者に袴田さんは、「日本のカーター」と呼ばれているという。

 曲はロックのインストゥルメンタルで、アーティストは正体不明の謎のバンド「Nowhere Man」。全国のCDショップやアマゾンなどで購入・注文できる。売り上げは、袴田さんを支援する団体などに寄付される。
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●ジョー・オダネルさんは《米国で非難に耐えながら反戦を訴えた》…一方、ニッポンは《被爆国の責務から目を背け…》

2019年11月30日 00時00分58秒 | Weblog

[※ 『トランクの中の日本』(聞き書き/ジェニファー・オルドリッチ 写真/ジョー・オダネル 訳/平岡豊子)(https://www.shogakukan.co.jp/books/09563013)↑]



大門雅子さんによる、沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]米軍のカメラマンだった故ジョー・オダネル氏は…】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/502550)。

 《▼「ネガにも心にも焼き付いた悪夢を、生きていくために忘れてしまいたかった」。写真集「トランクの中の日本」で明かしている。きのこ雲の下で何が起きたのか。過去を直視し史実を伝えるのが使命だと開封を決意したのは44年後》。

   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
         アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
   『●「記憶をつなぐ」、「伝え続けるには、多くの記憶が力となる」、
                 「ただ『忘れない』ということが大切」
   『●《「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
           誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》
    《写真は長崎に原爆が投下された1945年、米軍の
     従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影。…写真に
     写った少年が原爆で亡くなった弟を背負って火葬場で順番を
     待つ姿…「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
     誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ
    「「ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本
     (小学館)は手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても
     印象に残るものの一つ」。その《「焼き場に立つ少年」の写真が
     物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》、
    《このタイミングでローマ法王が反戦、反核のメッセージを向けた
     相手は、誰がどう考えても、対北朝鮮でイケイケドンドンに
     なっているトランプ大統領と安倍首相だろう》。…《原爆投下後の
     長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を印刷したカードを
     作り、「これが戦争の結末」》…アベ様や与党自公、癒党キトお維の
     支持者の皆さんにそれが伝わるのかどうか…。」

   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は《鼻には
     詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
    「《写真を詳しく見てみると、鼻には詰め物をしています。
     このことからも、出血しやすい状態にあったとうかがえます。
     少年は、一定量の放射線を浴びたことで、骨髄が傷つき、体中が
     出血しやすくなっていた可能性があるといいます。少年がなんらかの
     形で被爆した可能性が浮かび上がってきました》。
     少年も《被爆》…考えもしませんでした」

   『●「焼き場に立つ少年」と「戦争がもたらすもの」…「核兵器の
       ない世界を実現することは可能であり必要不可欠だと確信」

 《きのこ雲の下で何が起きたのか。…非道な戦争は至る所で何人もの「少年」を生みだした》。「焼き場に立つ少年」は《なんらかの形で被爆した可能性》。
 「トランクの中の日本」のジョー・オダネルさんは《原爆正当化論が根強い米国で非難に耐えながら反戦を訴えた》…かたや、ニッポンは《被爆国の責務から目を背け…》。核兵器禁止条約に署名しないどころか、《橋渡し》さへ一切しない。ローマ教皇に対して《核廃絶》など口にできる訳もない。おまけに、アベ様は核兵器保有論者だ。アベ様ときたら、《憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね》…こんな人がニッポン国の首相。この国はあまりに恥ずかし過ぎる。《被爆国の責務》を全く認識できていない。

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/502550

[大弦小弦]米軍のカメラマンだった故ジョー・オダネル氏は…
2019年11月26日 09:30

 米軍のカメラマンだった故ジョー・オダネル氏は1945年9月から7カ月間、被爆地の長崎や広島をはじめ終戦直後の日本各地を回った。だが帰国後、300枚の写真のネガをトランクに納めて封印した

▼「ネガにも心にも焼き付いた悪夢を、生きていくために忘れてしまいたかった」。写真集「トランクの中の日本」で明かしている。きのこ雲の下で何が起きたのか過去を直視し史実を伝えるのが使命だと開封を決意したのは44年後

▼原爆や戦争の惨状を伝える写真展を米国内外で開いた。その中の1枚が「焼き場に立つ少年」。眠っているかのような死に顔の弟をおぶって直立不動で火葬の順番を待つ。泣くこともできない。非道な戦争は至る所で何人もの「少年」を生みだした

▼ローマ教皇は長崎での演説で写真のパネルを置き、核廃絶を訴えた。自国第一主義がもたらす相互不信の潮流を危惧し、核の脅威に対して団結を呼び掛ける率直な言葉に共感を覚えた

翻って唯一の戦争被爆国日本。米国の「核の傘」に依存し、国連で採択された核兵器禁止条約参加しない被爆国の責務から目を背けている

▼オダネル氏は原爆正当化論が根強い米国で非難に耐えながら反戦を訴えた。「写真を見る方がいる限り、平和のメッセージを送り続ける」。少年の姿をいま一度心に刻む。(大門雅子
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●「焼き場に立つ少年」と「戦争がもたらすもの」…「核兵器のない世界を実現することは可能であり必要不可欠だと確信」

2019年11月29日 00時00分33秒 | Weblog

[※ 『トランクの中の日本』(聞き書き/ジェニファー・オルドリッチ 写真/ジョー・オダネル 訳/平岡豊子)(https://www.shogakukan.co.jp/books/09563013)↑]



東京新聞の二つの記事【教皇傍らに「焼き場の少年」 写真家遺族も参列「平和へ思い伝わる」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019112502000228.html)と、
【ローマ教皇 長崎・広島で訴え 核なき世界の実現、可能であり不可欠】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019112502000129.html)。

 《長崎市の爆心地で核廃絶を訴えた教皇フランシスコの傍らに、亡くなった幼子を背負い、口を固く結ぶ少年の写真パネルが置かれた。原爆投下後、米軍従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影した「焼き場に立つ少年」。オダネル氏の息子タイグ氏(50)は「平和への思いが伝わり、天国の父も喜んだ」とこみ上げる思いを打ち明けた》。
 《ローマ・カトリック教会の頂点に立つ教皇(法王)フランシスコ(82)は二十四日、被爆地の長崎と広島を相次いで訪問し演説、核廃絶を訴えた。長崎では「核兵器のない世界を実現することは可能であり必要不可欠だと確信している」と強調。広島では「真の平和は非武装の平和以外にあり得ない」として、核兵器を含む大量破壊兵器の保有や核抑止も否定、被爆地訪問は自らの義務だと感じていたと述べた》。

 アベ首相らには響かない…「焼き場に立つ少年」と「戦争がもたらすもの」。
 東京新聞の記事【教皇 若者に託す平和 被爆地から世界へ警鐘】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019112502000127.html)によると、《傍らに原爆投下後の長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の大きなパネル写真が置かれた。若き日に宣教師として日本に赴くことを熱望したものの健康上の理由で果たせず、被爆地訪問は「(二〇一三年の)就任以来温めてきた夢」(周辺)だった。その教皇に訪問を最終決断させたのがこの一枚の写真だ。教皇は昨年一月、南米チリに外遊へ向かう機中、同行記者団全員に写真を印刷したカードを一枚一枚渡し「戦争がもたらすもの」との言葉を添えて世界に広めるよう呼び掛けた。この写真を教皇に送ったイエズス会修道士のアントニオ・ガルシアさん(90)は二十四日、教皇と抱き合い、頬にキスを受けて再会を喜んだ。「核兵器の悲惨さについて世界の人々に考えてもらう大きなチャンス」。十三億人超の信者を抱えるカトリック教会トップの訪問の意義をこう強調した》。

 《「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》。アベ様こそ、世界にアピールすべきこと…「核兵器のない世界を実現することは可能であり必要不可欠だと確信している」「真の平和は非武装の平和以外にあり得ない」と。

   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
         アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
   『●「記憶をつなぐ」、「伝え続けるには、多くの記憶が力となる」、
                 「ただ『忘れない』ということが大切」
   『●《「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
        誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》
    《写真は長崎に原爆が投下された1945年、米軍の
     従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影。…写真に
     写った少年が原爆で亡くなった弟を背負って火葬場で順番を
     待つ姿…「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
     誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ
    「「ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本
     (小学館)は手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても
     印象に残るものの一つ」。その《「焼き場に立つ少年」の写真が
     物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》、
    《このタイミングでローマ法王が反戦、反核のメッセージを向けた
     相手は、誰がどう考えても、対北朝鮮でイケイケドンドンに
     なっているトランプ大統領と安倍首相だろう。…《原爆投下後の
     長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を印刷したカードを
     作り、「これが戦争の結末」》…アベ様や与党自公、癒党キトお維の
     支持者の皆さんにそれが伝わるのかどうか…。」

   『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は《鼻には
     詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》
    「《写真を詳しく見てみると、鼻には詰め物をしています。
     このことからも、出血しやすい状態にあったとうかがえます。
     少年は、一定量の放射線を浴びたことで、骨髄が傷つき、体中が
     出血しやすくなっていた可能性があるといいます。少年がなんらかの
     形で被爆した可能性が浮かび上がってきました》。
     少年も《被爆》…考えもしませんでした」

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019112502000228.html

教皇傍らに「焼き場の少年」 写真家遺族も参列「平和へ思い伝わる」
2019年11月25日 夕刊

     (ローマ教皇フランシスコ(右)と言葉を交わした
      タイグ・オダネル氏(左)。奥は「焼き場に立つ少年」の
      写真パネル=24日、長崎市の爆心地公園で)

 長崎市の爆心地で核廃絶を訴えた教皇フランシスコの傍らに、亡くなった幼子を背負い、口を固く結ぶ少年の写真パネルが置かれた。原爆投下後、米軍従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影した「焼き場に立つ少年」。オダネル氏の息子タイグ氏(50)は「平和への思いが伝わり、天国の父も喜んだ」とこみ上げる思いを打ち明けた。

 「千の言葉よりも多くを語る」。教皇はこの写真を印刷したカードに「戦争がもたらすもの」という言葉を添え、世界に広めてきた。はだしで火葬の順番を待つ少年の姿は多くの人々の心を打ち、世界的に注目を集めるようになった

 タイグ氏は二十四日の爆心地での行事に参列。「父の写真を使っていただき、ありがとうございます」。核廃絶を訴える演説を終えた教皇に歩み寄り、練習した教皇の母国語スペイン語で伝えた。教皇も「こちらこそ、ありがとうございます」とにこやかに応じた。

 タイグ氏は、二十四年前に初めてこの写真を見た時のことが忘れられないという。「赤ちゃんは寝ているの?」と父親に尋ねると、「もう亡くなっているんだ」と教えられたと振り返った。

 教皇と間近で接した後、タイグ氏は「温かい気持ちだ。さまざまな人の活動のおかげで歴史的瞬間が実現した」と語った。若い世代に、「父は人生を原爆被害にささげた写真とともに平和がないと将来はないとの父の思いを受け取ってほしい」と願いを託した。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019112502000129.html

ローマ教皇 長崎・広島で訴え 核なき世界の実現、可能であり不可欠
2019年11月25日 朝刊

 ローマ・カトリック教会の頂点に立つ教皇(法王)フランシスコ(82)は二十四日、被爆地の長崎と広島を相次いで訪問し演説、核廃絶を訴えた。長崎では「核兵器のない世界を実現することは可能であり必要不可欠だと確信している」と強調。広島では「真の平和は非武装の平和以外にあり得ない」として、核兵器を含む大量破壊兵器の保有や核抑止も否定、被爆地訪問は自らの義務だと感じていたと述べた。

 教皇として故ヨハネ・パウロ二世以来、三十八年ぶり史上二度目の被爆地訪問となった。

 二十四日午前、原爆落下中心地碑がある長崎の爆心地公園に到着した教皇は、長崎について「ここは核攻撃が人道上も環境上も破滅的な結末をもたらすことの証人である町だ」と指摘した。平和実現のため「核兵器禁止条約を含む国際法の原則にのっとり飽くことなく迅速に行動していく」と強調。米国の「核の傘」に依存し、同条約に参加していない日本に対応を促す発言とみられる。

 軍拡競争は無駄遣いとして、武器の製造や維持、改良は「とてつもないテロ行為だ」と批判。来春の核拡散防止条約(NPT)再検討会議を前に核保有国と非保有国側との間にある溝が浮き彫りになっている現状を念頭に「相互不信によって兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険がある」と警鐘を鳴らした。

 午後には広島に移動。平和記念公園での集いでは、戦争のための原子力利用は「犯罪以外の何ものでもなく倫理に反する」と強調。最新鋭の兵器を製造したり、核の脅威を使って他国を威嚇したりしながら「どうして平和について話すことができるのか」と述べ、世界各国の指導者に核廃絶に向けた具体的な行動を迫った

 さらに、原爆と核実験、あらゆる紛争の犠牲者の名により「戦争はもういらないと叫ぶよう呼び掛けた

 教皇は二十三日に来日。二十六日までの滞在中、東京都内で東日本大震災被災者との交流を行い、天皇陛下との会見や安倍晋三首相との会談も予定されている。


<ローマ教皇フランシスコ> 本名ホルヘ・ベルゴリオ。1936年12月17日、アルゼンチンのブエノスアイレスでイタリア系移民の家庭に生まれる。チリやアルゼンチンで哲学などを学び、アルゼンチンの大学で文学などを教えた後、69年に司祭叙階。98年にブエノスアイレス大司教、2001年に枢機卿。13年3月13日、中南米から初の教皇に選出され、第266代教皇に19日就任、ローマ・カトリック教会の頂点に立った。イエズス会出身。 (共同)
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●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は《鼻には詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》

2019年11月27日 00時00分56秒 | Weblog

[※ 『トランクの中の日本』(聞き書き/ジェニファー・オルドリッチ 写真/ジョー・オダネル 訳/平岡豊子)(https://www.shogakukan.co.jp/books/09563013)↑]



NHK『おはよう日本』の「けさのクローズアップ」でのニュース【“焼き場に立つ少年”をさがして】(https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/08/0809.html)。
同じく、富田良記者によるWEB特集の記事【お母さんに会えたのかい 原爆の地に立つ少年】(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190814/k10012033921000.html)。

 《原爆が投下されてから74年となる長崎で、改めて注目されている写真があります。被爆後の長崎で、アメリカの従軍カメラマンが撮影したモノクロ写真「焼き場に立つ少年」です。少年が背負っているのは亡くなった弟。その火葬の順番を待つ姿を捉えたものです。ことし11月に来日予定のローマ法王が「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて、おととし、世界中に発信。改めて注目されているのです》。
 《ある日「焼き場に立つ少年」の写真を目撃したとき、被爆当時の記憶が一気によみがえったといいます》。

   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
          アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
   『●「記憶をつなぐ」、「伝え続けるには、多くの記憶が力となる」、
               「ただ『忘れない』ということが大切」
   『●《「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
         誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》
    《写真は長崎に原爆が投下された1945年、米軍の
     従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影。…写真に
     写った少年が原爆で亡くなった弟を背負って火葬場で順番を
     待つ姿…「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
     誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身
    「「ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本
     (小学館)は手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても
     印象に残るものの一つ」。その《「焼き場に立つ少年」の写真が
     物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》、
     《このタイミングでローマ法王が反戦、反核のメッセージを向けた
     相手は、誰がどう考えても、対北朝鮮でイケイケドンドンに
     なっているトランプ大統領と安倍首相だろう》。…《原爆投下後の
     長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を印刷したカードを
     作り、「これが戦争の結末」》…アベ様や与党自公、癒党キトお維の
     支持者の皆さんにそれが伝わるのかどうか…。」

 ローマ法王の来日に際して、再び注目された一枚の写真。
 ツイッターで、この写真の少年のことがNHKのニュースで8月に取り上げられていたことを知りました。《写真を詳しく見てみると、鼻には詰め物をしています。このことからも、出血しやすい状態にあったとうかがえます。少年は、一定量の放射線を浴びたことで、骨髄が傷つき、体中が出血しやすくなっていた可能性があるといいます。少年がなんらかの形で被爆した可能性が浮かび上がってきました》。少年も《被爆》…考えもしませんでした。

 関連して…青木理さん。ローマ法王来日に関して、もう一つの注目点は「死刑制度」。明日のミサに袴田巌さんを呼ばれているらしい。事実上の廃止も含めて国連加盟国の7割…死刑廃止が世界の潮流。存置派は、先進国でアメリカの一部の州とニッポンのみ。昨年も13人のオウム幹部を死刑…。死刑制度を考えるきっかけに(サンデーモーニング 2019年11月24日)。

   『●《袴田巌さんは、いまも、死刑囚のまま》だ…政権や検察に
           忖度した東京高裁、そして、絶望的な最「低」裁
   『●《死刑を忠実に実行している》のはニッポンだけ…
       飯塚事件でも、《十三人の死刑執行》でも揺るがず…

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https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/08/0809.html

けさのクローズアップ
2019年8月9日(金)
“焼き場に立つ少年”をさがして

原爆が投下されてから74年となる長崎で、改めて注目されている写真があります。

被爆後の長崎で、アメリカの従軍カメラマンが撮影したモノクロ写真「焼き場に立つ少年」です。少年が背負っているのは亡くなった弟。その火葬の順番を待つ姿を捉えたものです。

ことし11月に来日予定のローマ法王が「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて、おととし、世界中に発信。改めて注目されているのです。


長崎投下から74年 “焼き場に立つ少年”をさがして

少年は誰なのか、74年たった今もわかっていません。その後、少年はどんな人生を歩んだのか。あの少年に会ったことがあると、今もさがし続ける男性がいます。

長崎市に住む、村岡正則さん(85歳)です。この1年半あまり、写真の少年につながる手がかりをさがし続けています。ローマ法王の発言をきっかけに、被爆当時の記憶が呼び覚まされたからです。

74年前のきょう。当時、小学6年生だった村岡さんは、爆心地から1.5キロ離れた自宅で母親とともに被爆しました。やけどを負った母親を支え、命からがら逃げ惑いました。ようやくたどり着いた避難先で出会ったのが、赤子を背負った、あの写真の少年だったといいます。

少年はその後、母親を見つけることができたのか。自分と同じ年ごろだったあの少年が、忘れられません。

村岡さんは「母親と一緒に私も逃げて、難民生活をしていったけれど、そんな苦労を(少年も)しただろうなと思うんですね。自分もそうだから、ひしひしと感じるんです。そういうことで、どうしても捜したい」と言います。

自らの記憶を頼りに、少年をさがす村岡さん。有力な手がかりがない中、ようやく少年の同級生だったという男性に会うことが出来ました。

男性によると、少年の名前は「あきひろ」くん。戦後、母親の実家がある諌早市に移住した可能性があるといいます。

新たな手がかりを得て、諌早市内で調査を始めた村岡さん。市内の小学校を探し回る中、ある学校にたどり着きました。

村岡さんと同い年にあたる、昭和21年の卒業生の中に、「あきひろ」という名前の子どもが見つかったのです。

学校には、昔の卒業写真も残されていることがわかりました。写真の少年と見比べることができれば、大きな手がかりとなります。

期待をいだき、写真集をめくる村岡さん。しかし、被爆直後の混乱からか、昭和21年の卒業写真はありませんでした。

被爆から74年。当時を知る人が少なくなる中、写真そのものから、少年に近づく情報を得ることはできないか。私たちが取り組んだのが、写真のカラー化です。

これまでNHKでは、最新のデジタル技術を使い、数多くのモノクロ映像のカラー化を行ってきました。カラー化するために画像を分析していくと、少年の体に、ある異変が起きていたことがわかりました。

黒い瞳の部分の横に、さらにグレーのかかった部分があることが分かったのです。これが何を意味しているのか。

48年にわたり広島などで被爆者医療に携わってきた、医師の齋藤紀さんは、目のグレーの部分は、出血したあとだと考えられると言います。

写真を詳しく見てみると、鼻には詰め物をしています。このことからも、出血しやすい状態にあったとうかがえます

少年は、一定量の放射線を浴びたことで、骨髄が傷つき、体中が出血しやすくなっていた可能性があるといいます。少年がなんらかの形で被爆した可能性が浮かび上がってきました。

74年たった今もなお、私たちに戦争の悲劇を訴えかけている焼き場に立つ少年。当時の体験を語れる被爆者が少なくなっているからこそ、村岡さんは、この写真への思いを強くしています。「(少年は)写真で平和を訴えてくれている。立派だ。あっぱれだ。と呼びかけたい」といいます。

残念ながら、村岡さんが出会った少年が「焼き場に立つ少年」だという確かな証拠は、まだありません。写真の少年は誰なのか、謎は残されたままです。

しかし、74年前、長崎市民の多くが、写真の少年と同じように悲惨な経験をしたことは確かです。

だからこそ、多くの人たちが、この写真の少年に思いを寄せ、平和への祈りを新たにしているのだと思います。
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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190814/k10012033921000.html

WEB特集
お母さんに会えたのかい 原爆の地に立つ少年
2019年8月14日 12時37分

原爆が投下された日、避難先で出会ったその少年は幼い子どもを背中にしょって、必死に母親を捜していました。少年はその後、お母さんに会えたのか。戦後をどう生きたのか。

ある事をきっかけに、その少年を捜し始めた一人の被爆者が長崎にいます。なぜ、つらい被爆の記憶をたどってまで少年を捜すのか。知りたくて取材を始めました。

(長崎放送局記者 富田良)


「地獄」の中の出会い

長崎市に住む村岡正則さん(85)は、74年前、爆心地から1.5キロ離れた自宅で被爆し、やけどを負いました。同じくやけどを負って歩くのが困難だった母親を支えながら、戦禍の中を避難しました。

     (当時の村岡さんと母親)



村岡正則さん:

「とにかくけがをした人、人を探す人、ほんとパニック状態です。ほんとにこれは地獄だなと思いましたね」



その少年に会ったのは、まさにその最中でした。


村岡正則さん:


「一歳くらいの子どもをおぶった少年がやってきたんですね。『何ばしよっとね』と聞いたら、『かあちゃんば、さがしよると。かあちゃんばおらんとさ』というので『かあちゃんもあんたをさがしよるかもしれんよ。早く、もう一回家ばさがしてみらんね?』と私が聞くと、『うん』と言いましたね」


「あの少年だ!」

村岡さんは戦後、小学校の先生となり、校長まで務めました。ある日「焼き場に立つ少年」の写真を目撃したとき、被爆当時の記憶が一気によみがえったといいます。



村岡正則さん:

「あの少年だと直感しましたね。あのときのままですよね。私は年取っとるけれども、私の見たこの少年はそのときのまま、写真は年を取らないから、そのままなんですよ。それで瞬間的に思ったんですね」

「少年の顔そのもの。それから、おぶっていた子ども。後ろに頭をだらりとした姿、これもそのまま。子どもを少しのぞき込んでみたんですよ、少年と話をするとき。その顔と、このおぶってる子どもの顔は全く同じです。それから、帯もよく似ている」


「焼き場に立つ少年」の写真は、アメリカの従軍カメラマンのジョー・オダネル氏が、原爆が投下された後の長崎で撮影し、その後、世界中で公開されました。

オダネル氏自身も生前、来日して少年の行方を捜しましたが見つけることができず、原爆から70年以上たつ現在も、この少年が誰なのか、撮影された詳しい場所はどこか、分かっていません。

少年はその後、母親と無事に会うことができたのだろうか。村岡さんは、原爆投下直後の混乱の中、母親と命がけで避難した自らの記憶の中に、たびたびあの日の少年の姿が浮かび上がり、気にかけてきたと話しました。


村岡正則さん:

「お母さんをさがしていたからね。お母さんに会ったかなあということを思いましたね。苦労しているんですよ。母親に対する気持ちは、この焼き場に立つ少年と同じ感じなんですね。そういうことで、どうしてもさがしたい」


ローマ法王が世界に発信

2017年、この「焼き場に立つ少年」が再び世界の注目を集める出来事がありました。

核兵器廃絶に強い関心を示すローマ・カトリック教会のフランシスコ法王が、写真に「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて世界に発信したのです。

注目が集まる一方で、村岡さんは危機感を募らせました。写真の背景が被爆地としては不自然だという指摘から、「爆心地で撮影されたものではないのではないか」、さらには「長崎とは別の場所で撮影されたものなのではないか」と指摘する声もあがりはじめていたのです


村岡正則さん:

「ローマ法王も長崎の少年だとして添え書きをして世界に発信しようという、そのときに、長崎の少年じゃないんじゃなかろうかというような、そういう疑いさえ持ってるという人がたくさん出てるという。
私は小学校で一緒に遊んだことあるよ、会って会話もしたよと。長崎の少年じゃないということはないはずだ、ということを強く訴えたいんです。これは黙っちゃおられんばい、そういう気持ちになりました」


わずかな手がかり

自分の記憶は確かだが、その記憶と写真の少年とを結びつける証拠がない。村岡さんは実家や小学校、当時の国民学校があった地域を中心に、少年を捜し始めました。

その過程は、自分のつらい過去を再び思い出すことにもなりました。それでも記憶をたどり、少年について書かれた本や資料などにもあたりました。少年と出会った場所に足を運び、地域の人に会って話を聞いて回りました。

70年あまりの時間の経過で当時のことを証言できる人は少なく、歯がゆい気持ちになることもありましたが、捜し始めて1年ほどたったころ、ようやく少年の同級生だったという男性にたどり着きます。

男性によると、少年の名前は「あきひろ」くん。戦後、母親の実家がある長崎県諌早市に移り住んだ可能性があるとのことでした。

その証言をもとに、村岡さんが諌早市内にある小学校をひとつひとつ聞いて回ったところ、ある小学校に、村岡さんと同じ昭和21年の卒業生で「あきひろ」という名前の子どもが在籍していたことが分かりました。

当時の卒業写真があれば、少年と見比べることができるかもしれないという思いを胸に、村岡さんは過去の卒業写真を見せてもらいました。

はやる心を抑えながら村岡さんは1年ずつさかのぼってページをめくり、自分と同じ卒業の年にあたる昭和21年の写真を探しました。

しかし戦時中の混乱もあって、探していた卒業写真は残されていなかったのです。


■原点の写真を見つめ直す

村岡さんとは別に、写真そのものから少年に結びつく情報を得ようと検証を重ねてきた人がいます。

長崎市の被爆継承課で長年資料の研究にあたってきた、松尾隆さんです。世界的に知られたこの写真に注目し、独自に調査を続けてきました。

 

その中で松尾さんは、「焼き場に立つ少年」の写真が左右反転している可能性に気付きました。

松尾さんが指摘する根拠は2つ。まず、上着の前合わせが男性用に見えないこと。さらに戦時中は左胸に縫い付けるよう指導されていた名札が、少年の右胸についていることでした。

これにより写真が「裏焼き」されて左右反転している可能性が高いと結論づけました。

被爆2世でもある松尾さんは、被爆者と次の世代をつなぐ役割が自分にはあると感じていると話します。松尾さんは「裏焼き」の可能性を否定的に捉えるのではなく、少年にたどりつく助けになるという思いで、独自の調査結果にたどりついたのです。


松尾隆さん:

「オリジナルの原点がやっぱり違うということなので、原点をちょっと修正する必要があるんじゃないかと。修正してそこから改めて調査をスタートさせる必要があるんじゃないかなって考えました」


■独自のカラー化でわかった「異変」

一方NHKでは、この「焼き場に立つ少年」の写真のカラー化に取り組みました。当時の時代背景をもとに、最新のデジタル技術を使って当時の色彩に近づけました。

その中で、少年の体にある異変が起こっていた可能性があることが分かりました。黒目だと思われる瞳の横に、グレーがかった部分があったのです。

これは何を意味しているのか。48年にわたり広島などで被爆者医療に携わってきた、医師の齋藤紀さんを訪ねました。

齋藤医師は、目のグレーの部分は出血したあとだと考えられるといいます。

さらに写真を詳しく見ていくと、少年の鼻に詰め物のようなものがあることがわかり、鼻の出血を抑えるために入れられていた可能性があると指摘しました。

これらは、一定量の放射線を浴びたことで骨髄が傷つき、体中が出血しやすくなっていたことを示すことになりうるといいます。少年がなんらかの形で被爆した可能性が浮かび上がってきました。


■「君」が訴えかけること

原爆投下から74年がたち、写真の少年に関する新たな発見や可能性が見えたものの、少年に結びつく確かな情報は得られませんでした。

今回の取材の過程で、村岡さんを含む多くの被爆者や専門家の方々に話を聞き、改めてこの写真が持つ訴える力の強さがわかりました。

「少年がその後、どんな人生を歩んだのか」。多くの被爆者が、戦後を生きてきた自分と少年を重ね、思いを寄せてきたのだと感じました。

約1年半、少年を捜し続けてきた村岡さんに「もし少年に会えたら、どんなことばをかけたいか」聞きました。


村岡正則さん:

「『君は写真で平和を訴えてくれている』『立派だ、あっぱれだ』と呼びかけたいですね」
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●《「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》

2018年01月14日 00時00分04秒 | Weblog

[※ 自公選挙公約「子育て…」小躍りするアベ様日刊ゲンダイ(2017年12月19日)↑]



日刊ゲンダイの記事【ローマ法王 長崎原爆後の写真に込めた日米へのメッセージ】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/220553)。

 《写真は長崎に原爆が投下された1945年、米軍の従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影。…写真に写った少年が原爆で亡くなった弟を背負って火葬場で順番を待つ姿…「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ

   『●ささやかな核兵器廃絶の願い…高校生の言論封殺: 
        アベ様のメンツを守るための外務省の横やりという大愚
   『●「核兵器禁止条約」…「核なき世界」への 
     その先頭を走るべきアベ様やニッポン政府は一体何をしていたの?
   『●「核保有国とみられる一部の加盟国が、
      高校生にスピーチをさせないよう日本政府に圧力をかけていた…」
   『●「核の傘」の下のニッポン…オーストリア軍縮大使
        「世界で唯一の被爆国として特別な役割がある」
   『●ニッポンの様に核の傘に頼る国々は「共犯者」…
        「核兵器は必要悪ではなく絶対悪だ」(サーロー節子さん)
    《「核兵器は必要悪ではなく絶対悪だ」と強調。「世界の全ての国の
     大統領と首相に懇願する。条約に参加し、核による滅亡の脅威を
     永久に絶ってほしい」と訴えた…核の傘に頼る国々を「共犯者」と呼び、
     条約に署名しない日本政府を暗に批判した》

 「ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本』(小学館)は手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても印象に残るものの一つ」。その《「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身》、《このタイミングでローマ法王が反戦、反核のメッセージを向けた相手は、誰がどう考えても、対北朝鮮でイケイケドンドンになっているトランプ大統領と安倍首相だろう》。
 「核なき世界」へのその先頭を走るべきアベ様やニッポン政府は一体何をしていたの?…その責任の一旦は、この国のマスコミの情けなさにもある…《日本メディアは「核兵器廃絶を訴える法王が改めて平和を訴えた」などとステレオタイプで報じているが、果たしてそうなのか》。
 《原爆投下後の長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を印刷したカードを作り、「これが戦争の結末」》…アベ様や与党自公、癒党キトお維の支持者の皆さんにそれが伝わるのかどうか…。

   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
           アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
    「ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本』(小学館)は
     手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても印象に
     残るものの一つ。
       《▼「希望」も「未来志向」も抱くには程遠い状況だ。これが
     沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年が望んだ
     であろう日本の未来の姿であるはずがない》…内政・外交の全てが
     「ろくでもないアベ様の「政」。」

   『●「記憶をつなぐ」、「伝え続けるには、多くの記憶が力となる」、
                       「ただ『忘れない』ということが大切」
    「アサヒコムの記事【「焼き場に立つ少年」血にじむ唇 米写真家の被爆地記録】
     …には、《原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う
     「焼き場に立つ少年」。撮影した米国の従軍カメラマン、
     故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に
     著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた
     足跡を写真と共に追っている…原爆正当化論が根強い米国で批判に耐え、
     2007年、8月9日に85歳で亡くなるまで各地で写真展を開き、
     戦争反対を訴えた。…妻で米在住の坂井貴美子さん…そして核廃絶への
     メッセージとして、こう語った。「ただ忘れないということが大切と思う》…と。
       《ただ『忘れない』ということが大切》。忘れない、そして、問題にし、
     言い続けよう。」

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https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/220553

ローマ法王 長崎原爆後の写真に込めた日米へのメッセージ
2018年1月4日

     (フランシスコ・ローマ法王(左)がメッセージを込めた
      「焼き場に立つ少年」/(C)バチカン提供・共同)

 「オレの机の上にも核ミサイルのボタンがあるゾ」「いやいや、オレが持っている核ミサイルの方が強いゾ」――。いい加減、こんなガキのケンカを見ているのも限界だったのだろう。フランシスコ・ローマ法王が、原爆投下後の長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を印刷したカードを作り、「これが戦争の結末」として配布、広めるよう指示していた、と報じられた。

 写真は長崎に原爆が投下された1945年、米軍の従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影。ローマ法王庁(バチカン)は、写真に写った少年が原爆で亡くなった弟を背負って火葬場で順番を待つ姿、と解説。日本メディアは「核兵器廃絶を訴える法王が改めて平和を訴えた」などとステレオタイプで報じているが、果たしてそうなのか。 

 このタイミングでローマ法王が反戦、反核のメッセージを向けた相手は、誰がどう考えても、対北朝鮮でイケイケドンドンになっているトランプ大統領と安倍首相だろう

   「ローマ法王はトランプ大統領が選挙戦で打ち出していたメキシコとの
    国境に壁を建設するとの発言を問題視し、『キリスト教徒ではない』と批判。
    これに対し、トランプ大統領が『宗教指導者が人の信仰を批判するなど
    みっともない』と反論するなど、両者の関係はギクシャクしています。
    加えて、そんなトランプ政権に追従する日本は核兵器禁止条約に
    反対している。さすがに政教分離の原則が根付いている欧州では、
    たとえローマ法王であろうとも真正面からトランプ大統領、安倍首相の
    外交姿勢を批判することはできない。だから、遠回しに両者に自省を
    促すためにカードを作成したのではないか」(外務省担当記者) 

 ローマ法王に対しては、河井克行首相補佐官が昨年3月に訪日を要請。今夏にも実現するのではないか、とみられている。

   「ローマ法王が長崎の少年の被爆写真を用いたのは、おそらく対北朝鮮などで
    カギを握っているのは日本だ、というメッセージが込められているのではないか。
    しかし、今の安倍政権は真逆の方向に進んでいる。仮にローマ法王が
    来日した時、安倍首相は『日本はなぜ、核兵器禁止条約に反対しているのか
    『米国と一緒に再び戦争の惨禍に飛び込もうとしているのはなぜか
    と問われることになる。どう答えるのか注目です」
    (元外交官の天木直人氏)

 「焼き場に立つ少年の写真が物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身
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●「記憶をつなぐ」、「伝え続けるには、多くの記憶が力となる」、「ただ『忘れない』ということが大切」

2017年08月25日 00時00分33秒 | Weblog

[報道特集 (2017年7月8日)↑]



アサヒコム(週刊朝日)のコラム【室井佑月「すっきりしないが…」】(https://dot.asahi.com/wa/2017080800059.html)。

 《安倍首相が、「加計学園の獣医学部新設計画を初めて知ったのは今年1月20日」って答えたよ。いくらなんでもその嘘は無理大胆な嘘つきだな。…だいたい、利害関係者である加計学園理事長に奢(おご)られていたって事実が出てきただけで、アウトな話ではないか?…なので、マジで本気で、民進党にお願い。もっと、しっかりしてくださいよ仙台市長選は野党陣営が勝ったが、横浜市長選は野党陣営がバラバラになって負けた今、この状況で、それはないやろ》。

   『●国家戦略特区諮問会議議長・アベ様は、 
      2017年1月20日まで、オトモダチの関与を知らなかった?
    《決定権者である安倍首相が加計理事長とゴルフや会食をともに
     しているだけでも常識的に考えて大問題だ。しかも、安倍首相は…
     食事代については「加計氏にごちそうになることもある」と
     饗応を受けたことを、平然と認める発言までした》

   『●国家戦略特区諮問会議議長・アベ様、そりゃぁ~ないでしょ!
                        質問主意書による「急な質問」?
   『●「日本におけるゴルフのイメージ向上に 

       今年最も貢献した」アベ様、「GIGI(ギギ)」から感謝される?
   『●「周到な罠」を仕掛けていたのかな、アベ様の「腹心の友」…
                 「学校教育の事業主体にふさわしい」人物?

   『●「“ぼくたちの友情は潔白”などとよくもまあ言えたものだ」…
                    ズブズブでダークなオトモダチとの友情

 《新しい嘘が発覚すれば、マスコミが取り上げると信じて。そうならなきゃ、忘れっぽいあたしたちは、選挙の前に忘れてしまう》から、問題にし続けること、忘れないこと…それが重要。
 アベ様の大見得・啖呵「議員辞職」を決して忘れない。

 沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]「壁はなくなったけど、米軍基地はなくならない」…】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/125591)には、《「事故があったことは県外では知らなかった」-。2004年8月13日に起きた沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落事故。黒焦げた校舎の「壁」の記憶をつなぐ写真展「私の見た壁」が那覇市民ギャラリーで開かれている…オスプレイが墜落した。日本政府の自粛要請もおかまいなしで沖縄の上空を飛ぶ。写真展を訪れた人は墜落に触れ「恐ろしい現状は変わっていない」と感想を寄せた ▼実行委員会の新川美千代さんは、事故を知らない世代に知ってもらうために、親子で見てほしいと訴える。理不尽な状況を伝え続けるには、多くの記憶が力となる》…と。
 これも、記憶し、言い続けることの重要性…《米軍機は沖国大墜落など「なかったこと」のように、今も県民の頭上をかすめ飛んでいる》。

   『●消された放射能汚染: 米軍ヘリ墜落ストロンチウム消失事件
   『●普天間「番犬様」基地: 「毎日頭上を飛ぶヘリの機体に
            ストロンチウム」…墜落により放射性物質が飛散
   『●「沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事件」でも
        「沖縄は放ったらかし」……アベ様らは、今も、沖縄差別継続中
   『●12年経っても「米軍機は沖国大墜落など
     「なかったこと」のように、今も県民の頭上をかすめ飛んでいる」

 アサヒコムの記事【「焼き場に立つ少年」血にじむ唇 米写真家の被爆地記録】(http://www.asahi.com/articles/ASK877VJMK87PITB00V.html?iref=comtop_photo)には、《原爆投下後の長崎で、亡くなった幼子を背負う「焼き場に立つ少年」。撮影した米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんの妻が夫の生涯をたどり、長崎原爆の日の9日に著書が出版された。「投下した側」でありながら、投下は過ちと訴え続けた足跡を写真と共に追っている…原爆正当化論が根強い米国で批判に耐え、2007年、8月9日に85歳で亡くなるまで各地で写真展を開き、戦争反対を訴えた。…妻で米在住の坂井貴美子さん…そして核廃絶へのメッセージとして、こう語った。「ただ忘れないということが大切と思う》…と。
 《ただ忘れないということが大切》。忘れない、そして、問題にし、言い続けよう。

   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
           アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
    「ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本』(小学館)は
     手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても印象に
     残るものの一つ。
       《▼「希望」も「未来志向」も抱くには程遠い状況だ。これが
     沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年が望んだ
     であろう日本の未来の姿であるはずがない》…内政・外交の全てが
     「ろくでもないアベ様の「政」。」

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https://dot.asahi.com/wa/2017080800059.html

室井佑月「すっきりしないが…」
2017.8.9 07:00 週刊朝日 #加計学園 #室井佑月

     ’もっと、しっかりしてくださいよ(※写真はイメージ))

 いまだ続く加計学園問題。作家の室井佑月氏は「むしろ、この問題を追及しつづけるべき」だと主張する。

*  *  *

 7月24、25日の衆参両院の閉会中審査を見て思った。加計学園の問題は、黒に近いグレーのまま、すっきりしない感じでズルズルいきそう。

 だって、丁寧に説明するといいながら、記録を破棄し、「記憶にございません」、そうのうのうといってのける安倍さんとそのお仲間たち

 しかも、過去の国会での発言をなんとか取り繕おうとするものの、細かい嘘がポロポロ出てくる

 安倍首相が、「加計学園の獣医学部新設計画を初めて知ったのは今年1月20日」って答えたよ。

 いくらなんでもその嘘は無理大胆な嘘つきだな

 その前から、腹心の友である加計学園理事長と、何度もご飯食べにいったり、ゴルフにいったりしてるじゃないさ。てか、安倍首相は過去に野党からおなじ質問をされ、「特区申請時に承知していた」と答えておった。

 野党に過去の答弁との矛盾について指摘されると、

 「知ったのではなく、知りうる立場にあった」だって。

 はあ? この期に及んで言葉遊び? 知りうる立場にあったのは自分なんだから、1月20日以前から知ってたってこと? だったら「嘘ついた。ごめん」じゃないの?

 だいたい、利害関係者である加計学園理事長に奢(おご)られていたって事実が出てきただけで、アウトな話ではないか?

 安倍辞典には、真摯に」「丁寧にというのは、「いつものカライバリや勇ましさを引っ込めちょっぴり元気なく、落ち込んでいるふうに装うこと」と載っているのかもしれん。

 野党側は、加計学園理事長と、前川前文部科学事務次官と、和泉首相補佐官の証人喚問を求めている。加計さんにはダイレクトに総理との関係を聞きたい。前川さんと和泉さんには、二人の証言がまったく食い違うから(「総理の口からいえないから、私がいう」と和泉さんが前川さんにいったとすることなど)、そこの部分をはっきりさせたいのだろう。

 だが、嘘をつけば罰せられる証人喚問であろうが、現在の国会には重みも威厳もなく、嘘つきは平気で嘘をつくと思われる。「記憶にございません」という便利な言葉もあるしさぁ。

 もうこっから先は、国会中継を見ている人の判断でいいかもしれない。もちろん、野党は加計学園に対する追及を止めろ、という話ではない。むしろ、この問題を追及しつづけるべき

 新しい嘘が発覚すれば、マスコミが取り上げると信じて。そうならなきゃ、忘れっぽいあたしたちは、選挙の前に忘れてしまう。微力であるが、あたしもしつこく新たな嘘が発覚した場合、それについて拡散することを止めない

 なので、マジで本気で、民進党にお願い。もっと、しっかりしてくださいよ

 仙台市長選は野党陣営が勝ったが、横浜市長選は野党陣営がバラバラになって負けた今、この状況で、それはないやろ

※週刊朝日  2017年8月18-25号
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