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●《沖縄の人にとって春は心がザワザワする季節…県民の4人に1人が犠牲に…。そんな地が悲劇を忘れたかのように再び、戦場として想定されている》

2024年04月27日 00時00分53秒 | Weblog

[↑ 三上智恵監督「軽んじられている命があるのでは」 【こちら特報部/多少の犠牲は仕方ない…その多少って誰のこと? 映画「戦雲」が問いかける「軽んじられる命」】(東京新聞 2024年03月14日、https://www.tokyo-np.co.jp/article/315046?rct=tokuhou)]


(20240410[])
軍隊は住民を守らない》という教訓。《沖縄の人にとって春は心がザワザワする季節だ。第2次大戦末期の1945年3月、慶良間諸島から米軍の大部隊が上陸し、住民を巻き込む地上戦で県民の4人に1人が犠牲になったそんな地が悲劇を忘れたかのように再び、戦場として想定されている》…、そして、《武装ばかりで島は守れない》(佐藤直子東京新聞論説委員)。
 戦闘機の輸出を可能にし、死の商人国家に成り下がることを閣議決定で進めるキシダメ政権。国会での審議など一切なく。どう見ても憲法違反。違憲に破憲。一体どんな独裁国家なのか? 武器輸出でゼニ儲け、どこまで卑しい国に堕ちていくのか。

   『●三上智恵監督『戦雲 (いくさふむ)』…《多少の犠牲は仕方ない…
     その多少って誰のこと?》《「軽んじられている命」があるのでは》

 このしわ寄せが最も顕著なのが沖縄。最早、沖縄差別、沖縄イジメ。《米軍が現場を占拠し、警察は蚊帳の外墜落であらわになった不条理さ》の記憶、そして、《軍隊は人を守らない》《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる》という教訓は一体どこに行ってしまったのか。
 米潜水艦魚雷攻撃で沈没した学童疎開船対馬丸生存者・平良啓子さん「あの戦争が頭から離れないもう二度とごめんだ」…体験通し戦争否定貫く。《「戦時下になれば安全な場所はないという教訓》。《いったん始まってしまえば非戦闘員であろうが、避難の最中であろうが、惨禍を免れることはできないという「戦争の実相」を伝え》続けなければ。

   『●横浜米軍機墜落事件: 「米軍が現場を占拠し、
       警察は蚊帳の外。被害者のための救急車は一番最後に…」
    《▼墜落前に脱出し、傷一つない米兵救出のためだけ自衛隊ヘリは出動した。
     米軍が現場を占拠し、警察は蚊帳の外被害者のための救急車は
     一番最後に来たという石川・宮森小沖国大安部墜落であらわに
     なった不条理さと変わらない》。
    「《不条理の連鎖》は、今もなお沖縄では続く。《米軍機は沖国大墜落など
     「なかったこと」のように、今も県民の頭上をかすめ飛んでいる》。
       「在日米軍特権」も、「日米共犯」も、何も変わらない沖縄。
     《沖縄の人たちは逃げられない》《墜落であらわになった不条理さ》…
     今もなお、何も変わらない」

   『●《住民を守ってくれると信じていた日本軍は、住民を壕から追い出し、食
     料を奪い、投降しようとした兵士を背後から射殺し、住民をスパイと…》
   『●沖縄イジメ…《米軍が現場を占拠し、警察は蚊帳の外…墜落であらわに
     なった不条理さ》の記憶、そして、《軍隊は住民を守らない》という教訓

 佐藤直子論説委員による、東京新聞のコラム【〈視点〉沖縄、高校教員の思い 武装で島は守れない 論説委員・佐藤直子】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/320070?rct=shiten)。《だが、その山の隣は目下、陸自の訓練場整備計画で揺れている。政府がゴルフ場跡地を用地として取得する計画を進めていると、昨年末に地元の琉球新報が報じた。地元には寝耳に水。周辺は幼稚園児の散歩道や、青少年が自然と触れ合う教育施設もある。保革党派を超えて白紙撤回を求める事態となった問題はこの訓練場だけではない》。


   『●「従わぬ者には容赦ない、国家の暴力性が作品を貫く」…
            松下竜一さん「豆腐屋の四季」の舞台が取り壊し
    「東京新聞の佐藤直子記者のコラム【【私説・論説室から】
     竜一の愛した書斎】…。毎日新聞の大漉実知朗記者の記事
     【松下竜一さん 自宅取り壊し 「豆腐屋の四季」舞台消える】」

   『●東電核発電人災、「だれひとり刑事罰を問われなくて
           いいのか」? 「市民の正義」無き国ニッポン
    《長い困難な裁判になるのだろうが、みんな裁判にかけている。
     団長の前いわき市議佐藤和良さんは「有罪に持ち込むため、
     スクラムを組もう」と訴えた。副団長の武藤類子さんも
     「最悪の事故を経験した大人として、未来に対して何ができるか」
     と問うた。私も、市民の正義を求める人びととともに
     「われらゆるがず」の歌声に連なりたい。(佐藤直子)》

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/320070?rct=shiten

〈視点〉沖縄、高校教員の思い 武装で島は守れない 論説委員・佐藤直子
2024年4月9日 06時00分

     (春の日、伊波さんの父と娘が並んで歩く山道は、
      新緑が芽吹いていた=伊波さん撮影)

 沖縄で高校教員をしている伊波園子さんから久しぶりにメールが届いた。時間割の作成など新学期の準備に忙しい合間に、4歳の娘と父と3人、地元うるま市の山をハイキングしたそうだ。新緑が芽吹く山を歩く。添えられた家族写真はみんな笑顔だった。

 だが、その山の隣は目下、陸自の訓練場整備計画で揺れている。政府がゴルフ場跡地を用地として取得する計画を進めていると、昨年末に地元の琉球新報が報じた。地元には寝耳に水。周辺は幼稚園児の散歩道や、青少年が自然と触れ合う教育施設もある。保革党派を超えて白紙撤回を求める事態となった

 問題はこの訓練場だけではない。同市では先月、陸自の勝連分屯地地対艦ミサイル連隊が始動した。宮古島駐屯地石垣駐屯地など八重山諸島から、鹿児島の奄美群島までに築かれた地対艦部隊の司令部で、侵攻する艦艇を迎撃する力を持つ。すべては「台湾有事」という名の戦争を想定しての体制であり、同時に敵の標的となるリスクを抱え込むことでもある

 私が国語教員の伊波さんと出会ったのは2年前。生徒たちとの日々を魅力的に語る彼女に取材を申し込んだのが始まりだったが、当時に比べても沖縄はさらに軍事化が進み、伊波さんは「無力感にさいなまれるばかり」と嘆く。

 沖縄の人にとって春は心がザワザワする季節だ。第2次大戦末期の1945年3月、慶良間諸島から米軍の大部隊が上陸し、住民を巻き込む地上戦で県民の4人に1人が犠牲になったそんな地が悲劇を忘れたかのように再び、戦場として想定されている

 うるま市には訓練場の計画地から1・5キロに宮森小がある。米軍統治下の59年6月、米軍のジェット戦闘機の墜落事故に巻き込まれ、児童や周辺住民18人が死亡、200人以上がけがを負った現場だ。当時同小の1年だった伊波さんのお父さんは大惨事を目の前で見たという。

 取材の日、私を同小に案内してくれた伊波さんは、事故犠牲者を悼む碑の前で目を閉じた。何を思っていたのか。それは、沖縄の子どもたちの未来に戦のない世を、という祈りしかなかったと思う。

 想像したい自分の街で戦争が想定されるとはどういうことか。夜間のヘリ訓練も空砲を使った訓練も、装甲車が走ることも、政府が言うところの沖縄のため。沖縄の声を無視して米国の戦略に従い、計画を押し付ける政治に道理はないはず。沖縄の痛みを黙認してきた大多数の国民の想像力が問われている。

 伊波さんの娘さんは朗らかに歌い、踊る。時に「まーま(母さん)」と甘えながら、伸びやかに育っている。

 武装ばかりで島は守れない。「若い世代に希望を届けるために草の根で粘りたい」。この伊波さんの思いを共有したい。少数派である沖縄の人たちに問題解決を押し付けないためにも。(論説委員


【関連記事】<あしたの島 沖縄復帰50年>(1)本土に響け琉球箏 川崎沖縄芸能研究会
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コメント
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●大矢英代さん《沖縄の状況がいかに理不尽かということも、今回のアメリカ大統領選から日本人は学ぶべきなのではないでしょうか》!

2021年01月20日 00時00分29秒 | Weblog

(2020年12月28日[月])
マガジン9のインタビュー記事【この人に聞きたい 大矢英代さんに聞いた:アメリカ大統領選から見えたこと】(https://maga9.jp/201202-2/)。

 《10年にわたって沖縄・八重山諸島を取材し、映画『沖縄スパイ戦史』を共同監督した大矢英代さんは、2年前、ジャーナリストとしての拠点をアメリカに移しました。11月初めのアメリカ大統領選を取材して見えてきたこと、感じたことは何だったのか。オンラインでお話をうかがいました》。
 《大矢 ただ、日本のマスコミの取材を受けたときにも、「今回の大統領選挙のキーワードは分断ではないか」と言われましたが、こちらではそうした見方はそれほど強くなかったと思います。というのも、アメリカ社会の分断はもうずっと前からあることで、今に始まったことではないと人々は認識しているからです。ただ、トランプがそれを助長させたのは事実だと思います》。

   『●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が
     風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》
   『●沖縄イジメ、辺野古は破壊「損」の張本人が元最低の官房長官。
     そして今、さらなるデタラメ・ヒトデナシをやろうとしているオジサン
   『●《自民党右派の議員秘書にトランプの評価を問うと「戦争をしなかった
       大統領」と胸を張った。米国は分断という内戦を戦っていたのだ》
   『●「自衛隊派遣によって治安はかえって悪化する」、政府の政策に
     逆らえば…衆院テロ対策特別委員会委員は国会参考人の発言を打ち切り…
   『●《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに…

 以前も引用させていただいたが、コラム『政界地獄耳』の〆、《自民党右派の議員秘書にトランプの評価を問うと「戦争をしなかった大統領」と胸を張った。米国は分断という内戦を戦っていたのだ》と。一方、《分断という内戦》はニッポンではまだ続いている。7年8カ月にも及ぶアベ様の地獄のような政、それを全て《継承》する陰湿・悪質・強権化した大惨事アベ様政権の違法・違憲オジサン、スカスカオジサン。いつまで《分断という内戦》は続くのか…。利権漁りカースーオジサンの政、3カ月ほどが経過したが、COVID19対策にしろ、第2波高止まりの中、GoToで10月以降感染拡大をもたらし、市民には《自助》を求めるばかり。《勝負の3週間》でも、当然、感染拡大し、12・28まで《勝負》を続ける愚策。第3波のピークは見えず…。故意か、無意識か知らないが、社会の分断を煽っているとしか思えない。大矢さんの最後の御言葉、《「トランプひどい」と言うのなら、日本政府だって同じなのではないかということを自分自身に問い直してほしい。沖縄の状況がいかに理不尽かということも、今回のアメリカ大統領選から日本人は学ぶべきなのではないでしょうか》。

   『●「戦争のためにカメラを回しません。
      戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」
    「マガジン9…【マガ9備忘録/その145)「沖縄のマスコミは“民”のもの」
     高江で語ったQAB大矢記者の心】」
    《沖縄のマスコミは、皆さん県民のものです。
     たみのものです。
     私たちには武器もありませんし、権力もありません。
     でも、伝え続けることはできます。抗い続けることはできます。
     その一歩一歩が、沖縄の歴史、そして本当の意味で
     この国の、この日本の民主主義を勝ち得る手段と信じて、
     これからも一生懸命、伝え続けていきたいと思っています。》

   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ
      狂気性」(高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
    《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの
     三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した
     映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…
     「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
              …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
               「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」②
   『●『沖縄スパイ戦史』: 「それまで『先生』と島の人たちに
           慕われていた山下が抜刀した」…「軍隊の本性」
   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
               …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』
   『●《「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして
     我が手足の如く之を活用する」…住民同士を監視させ…批判している…》
   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                 「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…
   『●《戦争体験の継承はどうして必要》? 大矢英代さん《二度と同じ手段で
      国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》
   『●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。
     沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)

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https://maga9.jp/201202-2/

この人に聞きたい
大矢英代さんに聞いた:アメリカ大統領選から見えたこと
By マガジン9編集部 2020年12月2日

10年にわたって沖縄・八重山諸島を取材し、映画『沖縄スパイ戦史』を共同監督した大矢英代さんは、2年前、ジャーナリストとしての拠点をアメリカに移しました。11月初めのアメリカ大統領選を取材して見えてきたこと、感じたことは何だったのか。オンラインでお話をうかがいました。
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大統領選を取材して

──大矢さんは2018年から、アメリカ・カリフォルニア州北部のバークレーに拠点を置いて活動されていますね。今回のアメリカ大統領選は現地で取材されていたのですか?

大矢 大統領選の直前までは仕事で日本にいたのですが、投票締め切り日の数日前にアメリカに戻り、締め切り日の当日、11月3日はバークレーの投票所で取材していました。バイデンの当選確実が伝えられた7日は、バークレーに隣接するオークランドにいたのですが、あちこちから人々が道路に出てきてあふれ返り、次々に集まってきた車からも歓声が上がって、お祝いムードに満ちていたのが印象的でした。


──もともと、民主党支持者の多い地域なのですか。

大矢 バークレー、オークランド、サンフランシスコを含むカリフォルニア州北部のベイエリアは、アメリカでももっともリベラルといわれる地域ですね。この地域でトランプ支持者を見つけるのはかなり難しいと思います。CNNの報道によれば、トランプ得票率はバークレーとオークランドがあるアラメダ地域で17.7%。サンフランシスコ地域では12.7%。また、AppleやFacebookなどの巨大テック企業が本社を置くシリコンバレーを含むサン・ホセ地域やサン・マテオ地域は、トランプの減税政策の恩恵を受けてきたと指摘されている富裕層が暮らしていますが、この地域でさえもトランプ得票率は20.2%〜25.2%にとどまり、現職大統領は見事な惨敗を喫しました。
 アメリカって政治的にも社会的にも同じ価値観を持つ人同士が小さな「泡」の中に住んでいて、その泡が集まって一つの地域が構成されているという感じがします。テレビのニュースなどで選挙結果を見ていると、カリフォルニア州は青(民主党)一色で、赤(共和党)は存在しないように見えますが、よく見るとそこにも小さな青赤の泡が混在していて、全体を遠くから眺めたら青に見えるだけに過ぎない。実際、ベイエリアから車で1時間半〜2時間ほど内陸に行けば、トランプ得票率が50%〜60%の地域が南北に帯状に並んでいます。中でもネバダ州との州境にあるラッセン地域やモドック地域では、トランプ得票率は70%を超えました。それでも、それぞれの泡の中では皆同じような政治的主張を持っていて、反対意見に出合うことがないので、疑問も生じない。そんな印象を受けます。


──投票所で取材されたときも、トランプに投票したという人には出会いませんでしたか。

大矢 会いませんでしたね。日本では、マスメディアの出口調査は別にして、だれに投票したか聞かれても答えない人が多いですが、こちらでは皆胸を張って「バイデンに入れた」と答えてくれます。


──実はトランプ支持者なんだけれど表だってはそれを言わない、「隠れトランプ」といわれる人たちも一定数いると言われますが……。

大矢 それらしき人が一人だけいました。台湾出身の大学生で、誰に入れたかは答えたくない、と言っていました。でも、トランプ政権の4年間をどう評価するか聞いたら、トランプが移民規制を強化したことに触れて「移民政策は国防問題でもあるので、一般市民があれこれ口を出す問題ではない。トランプは国の責任として、しっかりやっていた」。それを聞いて「隠れトランプ」かな、と思いました。バークレーでは、トランプ支持だとはちょっと口に出せない雰囲気がありますから。


──他に印象的だったことはありますか。

大矢 バイデンに投票した人も、今後のアメリカに希望を抱いているといった明るい印象は感じられませんでした。バイデンが大統領になったからといって、アメリカが抱えている問題は簡単には解決しないだろう、トランプよりはましだけど……という感じの人が目立ちましたね。


──「問題」とは、たとえばどういうことでしょう。

大矢 特に黒人の場合は、警察による暴力を挙げる人が多かったですね。オークランドはもともと黒人コミュニティが多く、1960年代に急進的な黒人解放闘争組織であるブラックパンサー党が立ち上がった街なんですよ。これももともとは貧しい黒人たちのゲットーを警察の暴力から守ろうということで生まれたものでした。いわば、そのころからBLM(Black Lives Matter運動があったわけで、にもかかわらず今でも警察による暴力事件はなくなっていない。私がバークレーでインタビューをした大学生の黒人女性は「オバマ政権下でさえ警察による暴力、殺人事件はなくならなかった。たった一回の選挙で魔法のように社会が改善するなんて、そんなことは絶対にないと思う」と冷静に話していました。大統領が代わったからといって、簡単に解決する問題ではないことを、皆よく知っているのです。同時に、彼らにとっては最も切迫した命の問題なのだということを、あらためて知らされました。


分断を正当化したトランプ

──「トランプよりはましだけど」という言葉が出ましたが、今回の選挙そのものが、トランプ対バイデンというよりトランプ対反トランプの戦いに見えました。「バイデン当確」のお祭り騒ぎも、バイデンが当選してうれしいというよりも、とにかくトランプがやめることになってよかったという印象でしたね。

大矢 その通りです。「バイデン勝った!」より「トランプをやっつけたぞ!」という声のほうが断然大きかった。選挙期間中も「バイデン好き!」よりも、「くそ食らえトランプ!」といった、トランプに対する激しい罵倒表現のほうをもっぱら耳にしました。
 とにかくトランプを政権からおろしたいという「アンチ・トランプ」を理由に人々がつながって、それが大きなうねりになり、バイデンの勝利につながった。いわばトランプに対する怒りや憎しみという負のエネルギーがひとつになって勝ったと言えるでしょう。ですからトランプが政権から降りた後、反トランプという旗印を失った今後はどうなっていくのだろうという懸念もあります。
 バイデンは11月7日の勝利宣言で「分断から融和へ」というメッセージを発しましたが、その中で「アメリカのデモナイゼーション(悪魔化)した時代を終わりにしよう」と述べました。しかし実際、今回の選挙でトランプは7,389万票を取得しています。前回2016年の選挙での自身の得票数よりも1,000万票も増加しているのです。人々はなぜトランプを支持し続けるのか、その根源的な原因を理解することなしに、トランプの時代を「悪魔化の時代」と呼ぶのであれば、結局は新たな分断をつくり出していることにならないかトランプがやってきたことと変わらないのではないかと、ちょっと気になりました。


──アメリカの分断はそれほど深いということでしょうか。

大矢 ただ、日本のマスコミの取材を受けたときにも、「今回の大統領選挙のキーワードは分断ではないか」と言われましたが、こちらではそうした見方はそれほど強くなかったと思います。
 というのも、アメリカ社会の分断はもうずっと前からあることで、今に始まったことではないと人々は認識しているからです。ただ、トランプがそれを助長させたのは事実だと思います。
 「アメリカ社会には根深い分断がある。それはよくないことだからなんとか克服して国民的な融和をめざそうという共通認識を、トランプはひっくり返してしまった社会に勝者と敗者がいるのは当たり前、分断や格差があって当然、それで何が悪いと開き直ってしまった大統領権限を使って分断を正当化したことが、トランプ政権が残した最大の禍根だと思います。


トランプはなぜ支持されるのか

──バイデンが、というか「反トランプ」が勝利した最大の理由は何でしょうか。

大矢 2020年は、アメリカの全国民が当事者にならざるを得ない大きな問題が二つ起きました。一つは新型コロナウイルスの感染拡大、もう一つが警察による暴力に注目が集まったことです。この二つにトランプがうまく対応できなかったという認識が、反トランプに人々が結集する原動力になったのだと思います。逆に言えば、もしトランプがコロナ対策に成功していたら、勝っていたかもしれません。


──日本から見ていると、トランプはツイッターなどで平気でフェイクやデマを飛ばしたり、政敵を罵倒したりと、めちゃくちゃなことをやっているように思えます。そのトランプが、それでも一定の支持を集めるのはどうしてなのでしょう。

大矢 彼は悪の権化みたいに言われることがありますが、それでも一応は民主的選挙で選ばれた大統領です。先ほども触れたように、今回も決してバイデン圧勝でなく、有権者の半分近くがトランプに投票しています。なぜ彼がそこまで支持されるのか、その社会的背景を精査することこそが大事だと痛感しています。
 私は、テクノロジーの発展と共に、人々が自分の欲しい情報だけを見て、判断して行動するのが当たり前の社会になってしまったことが、トランプという政治家を生み出したのではないかと思っています。インターネットが発達して、検索サイトに知りたいキーワードを入れればいくらでも情報が出てくるけれど、それを全部見ることはなく、最初に出てきた記事だけを読んで、それを信じてしまう。これだけじゃわからない、ほかの意見も調べてみようという視点を持たない傾向が加速している気がします。
 そこからさらに進んで、トランプは自分に批判的なメディアをフェイクニュースだと言って、「敵」に認定するということを繰り返してきました。そういった大統領の態度を見て、国民もまた「自分の好きなものだけを見て信じて行動してもいいんだ」と思うようになってしまったのではないでしょうか。
 私たちジャーナリストにとっては、事実に基づいた報道というのが大前提だったのに、この先のアメリカは、嘘でもフェイクでも、事実かどうかなんてどうでもいいという社会になってしまうのではないかと危惧しています。


──同じような傾向は、日本にもあると感じます。

大矢 日本でも、沖縄の基地建設反対運動について中国の手先だ」「お金をもらっている」といったフェイクが飛び交っていますよね。それを言い立てる人にとっては、事実かどうかなんてどうでもいいのだと思いますそのフェイクを信じることで、自分の沖縄に対する無関心を免罪しているとしか思えません
 同時に、そうした沖縄ヘイト」の背景には、いじめられる側には入りたくない、自分は「強い側」にいるという高揚感を持っていたいという、集団いじめのような心理も働いているのではないかという気がします。これも世界中で起きていることだといえるのではないでしょうか。


──また、バイデンの大統領就任が確実になったことで、非白人で女性のカマラ・ハリスが副大統領になるであろうことも注目されています。非常に画期的なことだと思うのですが、大矢さんはどう受け止められていますか。

大矢 おっしゃるとおり、女性であり有色人種であるハリスが副大統領になるのは、新たな歴史の第一歩です。私が取材した人々からも、初めての女性副大統領誕生に期待するという声が、特に白人女性から聞かれました。
 彼女は勝利スピーチで、「私は、最初の女性副大統領かもしれないが、最後ではない」と、少女たちに自らの可能性を追求するよう励ましました。アメリカは可能性に満ちた国で誰でも夢を叶えることができるというメッセージが、アメリカ人の魂に訴える力には計り知れないものがあります。
 その上で私があえて言いたいのは、女性だから、有色人種だからというだけで無条件に応援するのは違うだろうということです。
 たとえば近年、アメリカでは女も軍隊に入って国を支えよう、強い国を作ろうといった、女性ミリタリズムともいうべき新しい潮流も出てきています。昨年新設されたアメリカ宇宙軍は、コマーシャルで若い女性を主人公として「私が歴史をつくる、それが未来へと繋がる」というメッセージを発しており、このコマーシャルはオンライン動画配信サイトなどで頻繁に流れています。女性だからいいというのではなくハリスの政策がどういうものなのかしっかり見極める必要があるでしょう。彼女が、世界中に軍隊を送って戦争することで強い国を目指すというアメリカの伝統的価値観を持った女性ないことをひたすら願っています
 そして日本に対しても、これまでの対米追従の軍事政策を見直してもらいたい少しでも沖縄の負担を減らし、日本が主権国家として独立できるような政策をとって欲しいと願っています


私たちが考えるべきことは

──すべての州で開票が終了した後も、トランプは「不正選挙」を言いつのり、現時点でいまだ「敗北宣言」をしていません。平和的な政権移行ができるのかどうか、危ぶむ声もありますが……。

大矢 万が一、このまま「敗北宣言」が行われないままであれば、トランプ退陣を求める大規模なデモが起こり、そのカウンターとしてトランプを支持する武装勢力が乗り込んでくる……といったことはあり得ると思います。民主的な選挙で決まった結果なのに、スムースに政権移行出来なくて暴動が起きるのではと不安が広がっているなんて、民主主義先進国とは思えませんよね


──「不正選挙だ」という主張に対しては、一般の人々はどう見ているのでしょう? 

大矢 どのメディアを見ているか、どの情報を信じているかによってかなり異なります。バイデン支持者は、何言ってるんだ、いい加減にしろという反応ですし、トランプ支持者は、証拠はなくとも裏に何かある、誰かが操作していると言いつのっています。ただ、いずれトランプが引き下がるとしても、ずっと不正選挙だとかだまされたと言い続けることで、支持者はそれを真実として信じ込んでしまうことになるでしょう。バイデンが大統領になってもその思い込みは消えず、影響は長引くと思います。
 一方、反トランプの側からは、トランプを「国家冒涜罪で逮捕しろ」といった声もあがっています。ただこれは、法的根拠に基づいてというよりは、とにかくトランプが悪い、嫌いだから逮捕しろ、と言っているように聞こえます。
 選挙前、バイデンとトランプのテレビ討論がありましたが、まるで小学生のけんかでしたよね。お互いを罵倒するばかりで、ディスカッションになっていない。本来アメリカには多様な意見を受け入れる土壌があったはずなのに、相手の意見を聞く耳をまったく持たない者同士のののしりあいに終始していました。
 トランプを逮捕しろという声もそれと同じように、単なる「好き嫌い」の世界になっているようで、気にかかっています。


──その他、今後予測されることはありますか。

大矢 トランプ大統領が残された任期の中で、やけくそになってとんでもない大統領令を出すのではないかということも心配です。たとえば中東のどこかを空爆して、「悪党をやっつけてやったぜ」と力を見せつける、それだけのために軍事行動を起こすようなことはあり得るかもしれない、と思います。
 トランプが怖いのは、何をやるかその瞬間まで全く読めないことです。たとえば9・11後のブッシュのイラク攻撃は、そこに至る過程がカウントダウンで読めました。1週間後には戦争が始まるだろうと、誰の目にも明らかだった。けれどトランプは半径2メートルくらいの側近とだけ相談して、いきなりミサイル打ち込むとか、唐突に実行して国民には事後報告、というパターンなんですよ。それが怖い。
 日本人が考えなければいけないのは、万が一そうなった時に日本はこれまでのように無条件にアメリカに付き従うのかということです。自分たちはどうするべきなのか、責任を持って判断しなければならない。トランプの無謀ぶりを語る時には、常に「じゃあ日本はどうする」ということを、主権国家として考えなければならないと思います。


──日本の私たちがアメリカ大統領選を受けて考えるべきは、そこでしょうか。

大矢 もう一つ、トランプの「不正投票」という主張に対し、民主党支持者が「開票結果がすべて」だというプラカードを出しているのを見て、思ったことがあります。
 日本でも、同じように「選挙結果に従え」といってトランプを批判する声がありますよね。でも、そう主張するのであれば沖縄はどうなのだろう、と思ったのです。
 沖縄の人々はこれまで、辺野古に新基地はいらないという意思を、何回も選挙で示してきましたよね選挙結果がすべてというのが民主主義の基本だというのなら、それを無視し続ける日本政府とはいったいなんなのでしょう。「トランプひどい」と言うのなら、日本政府だって同じなのではないかということを自分自身に問い直してほしい。沖縄の状況がいかに理不尽かということも、今回のアメリカ大統領選から日本人は学ぶべきなのではないでしょうか

(構成・写真/マガジン9編集部)



おおや・はなよ 1987年、千葉県出身。琉球朝日放送記者を経て、フリージャーナリスト、映画監督。ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』(2018年・三上智恵との共同監督)で文化庁映画賞優秀賞、第92回キネマ旬報ベスト・テン文化映画部門1位など多数受賞。2020年2月、沖縄・八重山諸島の知られざる沖縄戦「戦争マラリア」を追った10年間の取材記録・ルポ『沖縄「戦争マラリア」-強制疎開死3600人の真相に迫る』(あけび書房)を出版。本作で第7回山本美香記念国際ジャーナリスト賞・奨励賞受賞。2018年フルブライト 奨学金制度で渡米。以降、米国を拠点に軍隊・国家の構造的暴力をテーマに取材を続ける。早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース修士課程修了(2012年)。現在、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員。ツイッター:@oya_hanayo ウェブサイト:https://hanayooya.themedia.jp/
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●《8月ジャーナリズム》と《沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない。沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》(大矢英代さん)

2020年09月14日 00時00分57秒 | Weblog


『論座』の記事【「6・23」で終わらぬ沖縄戦 絶えぬマラリア死、実態追う/大矢英代】(https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2020082500003.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter)。

 《「8月ジャーナリズム」と呼ばれるものが存在することなど、私は知らなかったのだ。…そして、被害を受けた土地というだけでなく、戦争のために使われ続ける沖縄の姿がある。これまで沖縄からベトナムイラクアフガン戦場へと米軍が出撃したように。沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている》。

   『●斎藤貴男さんの不安…《財界人や自民党の政治家たちが、いつか近場で、
       またああいう戦争を始めてほしい…と願っているのではないか、と》
    《休戦までの3年余で死者300万人を出した戦闘そのものについても、
     すでに憲法9条が施行されていた当時の日本は、占領者としての
     米軍の出撃基地となり、数千人が戦場に出動して、輸送や上陸作戦に
     備えた掃海作業などに従事した》

 『報道特集』(2020年8月29日)にて金平茂紀さんの言葉、「…あとは、沖縄ですよね。歴代の政権の中で沖縄に対して最も冷淡な政権だった」。アベ様や最低の官房長官、その取り巻き連中による沖縄イジメ沖縄差別な7年8カ月。

 さて、『論座』に掲載されていた、映画『沖縄スパイ戦史』(2018年、三上智恵さんとの共同監督)の監督で、「沖縄『戦争マラリア』 強制疎開死3600人の真相に迫る」(あけび書房)の著者・大矢英代さんによる長文の論考。

   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
               …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』
   『●《「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして
     我が手足の如く之を活用する」…住民同士を監視させ…批判している…》
   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                 「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…
   『●《戦争体験の継承はどうして必要》? 大矢英代さん《二度と同じ手段で
      国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》

 「戦争や軍隊の本質」の記憶。沖縄での番犬様の居座りや、嬉々として沖縄を差し出すアベ様や最低の官房長官ら。一方、島嶼部では自衛隊が〝防波堤〟や〝標的〟に。《軍隊は人を守らない大田昌秀さん)》、《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる島袋文子さん)》、《軍隊は同じことをするし、住民も協力するし、軍隊は住民をまた殺すことになる三上智恵さん)》…。
 《戦争体験の継承はどうして必要》なのか? 大矢英代さんは、《二度と同じ手段で国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》。《「負の歴史こそが、本物の、騙されない強い未来を引き寄せてくれる力につながるということを、この人たちが私に信じさせてくれた」と著者三上智恵は書いている》。

 この長い論考の結びの言葉《軍隊はなぜ住民を守らなかったのか果たして住民の命を守れる軍隊など存在するのか。何が山下のような軍人を作り出したのか。住民はどのように戦争に巻き込まれ、命令に従ったのか。今こそ、戦争マラリアの歴史から学び、現代社会との共通点をあぶり出さねばならない。それが戦後75年の戦争報道の使命だ。理由はひとつ。二度と同じ手段で騙されないよう知恵をつけるためだ。それこそが本当の意味で、戦争を語り継ぐということだと思う》。

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https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2020082500003.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

「6・23」で終わらぬ沖縄戦
絶えぬマラリア死、実態追う

大矢英代 ジャーナリスト、ドキュメンタリー監督
2020年08月28日
沖縄スパイ戦史|沖縄戦|8月ジャーナリズム


■今も戦争の延長線上に

 「大矢さん、あなたの番組企画案は沖縄戦についてですよね? なんで今回の会議に持ってきたんですか?」

 2015年11月、テレビ朝日で開かれたドキュメンタリー番組会議でのこと。プロデューサーは、意味が分からないという表情で私に問いかけた。当時、沖縄の系列局で報道記者をしていた私は、かねて構想を温めていた番組の全国放送枠を求め、渾身の企画書を抱えて会議に望んでいた。記者4年目の私にとって、初めてとなる番組企画。主人公は沖縄戦に従軍した96歳の元日本兵だ。番組内容を説明した直後、プロデューサーから開口一番に問われたのが冒頭の質問だった。私は質問の趣旨が分からず困惑した。企画案のねらいが不明瞭だったのかもしれない。改めて、体験者の高齢化が叫ばれる今、どうしても証言を伝え残したいと強調した。

 「いや、それは分かるんですけど……」とプロデューサーは言った。

 「今回の会議では冬季の番組ラインナップを決めるんですよ。戦争の番組なら夏ですよね?」

 企画案はあえなくボツになった。内容に懸念があるならまだしも、季節がずれているという理由で不採用になるとは想像もしていなかった。「8月ジャーナリズム」と呼ばれるものが存在することなど、私は知らなかったのだ。

 それは、沖縄メディアと本土メディアの間に横たわる戦争への意識の違いを露骨に表していた。沖縄メディアにとって、戦争は避けることのできない永久のテーマだからだ。

 例えば、米軍基地問題の取材のためには、原点である沖縄戦の歴史を学ばねばならない。沖縄の子どもの貧困率は29.9%(沖縄県・2016年)で、全国平均の約2倍といわれているが、深刻な貧困や社会格差の取材をすれば、県民の生活を破壊し尽くした沖縄戦と米軍統治からの社会保障の遅れの問題に行き着く。戦後70年以上が経って戦争トラウマ(PTSD)を発症し、苦しんでいる戦争体験者たちの取材では、彼らにとって「終戦」など決して訪れないのだということを知った。

 今年4月には那覇空港の滑走路近くで不発弾3発が見つかった。沖縄が日本に復帰した1972年から2018年までに処理された不発弾は、3万8003件(沖縄県・平成30年版消防防災年報)に上り、1年間で平均約800件もの不発弾処理が行われていることになる。そして、被害を受けた土地というだけでなく、戦争のために使われ続ける沖縄の姿がある。これまで沖縄からベトナムイラクアフガン戦場へと米軍が出撃したように。

 沖縄にとって戦争は遠い昔話ではない沖縄は、今も一年中、戦争の延長線上を生きている

 その上で指摘したい。沖縄にも本土の「8月ジャーナリズム」なるものが確かに存在するということだ。6月23日の慰霊の日である。毎年6月が近づくと慰霊の日に向けた特集が組まれ、6月23日には県内メディアは総力をあげて取材にあたる。早朝、糸満市摩文仁の平和祈念公園の朝日から始まり、戦争体験者や遺族たちによる平和行進の取材、式典の中継と、報道は沖縄戦一色になる。

 私は5年間、毎年慰霊の日の取材に全力を投じながらも、心のどこかで一抹の疑問を抱いていた。それは私が記者になる以前の学生時代、「6月23日では終わらなかった沖縄戦」を取材してきたからだろう。「もうひとつの沖縄戦」とも呼ばれる八重山諸島の「戦争マラリア」である。


■地上戦なき島々で、なぜ

 その朝、私は手に取った新聞に聞きなれない言葉を見つけた。「戦争マラリア」。初めて聞く言葉だった。

 今から11年前の09年8月。終戦記念日の翌朝、私は石垣島の地元新聞社・八重山毎日新聞社の編集部にいた。将来のジャーナリストを目指して早稲田大学ジャーナリズム大学院で学んでいた私は、夏休みの間、新聞記者のインターンシップをしていた。

 千葉県で生まれ育った私にとって、終戦記念日は広島・長崎など戦争の犠牲者を追悼する日であり、当然、地元メディアも同様のニュースを伝えるものだと思っていた。ところが、実際に伝えていたのは、戦争マラリア犠牲者の慰霊祭だった。

 戦争マラリアは、沖縄戦最中の八重山諸島(波照間島、石垣島、黒島などの離島からなる日本最南端の地域)で起きた。当時、八重山諸島に駐留していた日本軍は、「米軍上陸」を口実に、軍命により一般住民たちを山間部のジャングル地帯へ強制的に移住させた。熱病・マラリアの有病地として、昔から住民たちに恐れられてきた場所だった。粗末な丸太小屋をたてて2~5カ月間の移住生活を続けた住民たちだったが、医療も食糧も乏しい中で、次々とマラリア蚊の犠牲になり、3600人以上が死亡した。

 戦争マラリアを初めて知った当時の私は衝撃を受けた。米軍の上陸も地上戦もなかった島々で、大勢の一般住民が犠牲になったこと。なによりも、相手国の軍隊ではなく、自国軍によって犠牲がもたらされたこと。そして、これほど重大な歴史を22歳になるまで知らなかった自分自身の無知を恥じた。体験者から直接、真実を聞きたいと思った。彼らの肉声を伝え残せるのは、今が最後の機会だ。私は証言をドキュメンタリー映像として記録することに決め、ビデオカメラを抱えて石垣島で取材をはじめた。無論、家族が犠牲になったつらい体験を、突然やってきた若僧に気軽に話してくれる体験者などいなかった。口を開いてくれた体験者たちも「本当は言いたくないんだけど……」と苦しみながら、ときに涙しながら、強制移住の記憶を語ってくれた。取材は体験者たちの傷口を開くことなのだと知ったとき、本土と八重山を短期間で行き来する「パラシュート取材」を続けてきた自分を反省した。本腰を入れて取材をしようと決意し、大学院に休学届を出した。向かったのは日本最南端の島・波照間。戦争マラリアで人口の3分の1(552人)が死亡し、最も大きな被害を受けた島だ

 ここで私は8カ月間を過ごした。自宅に受け入れてくれたのは、サトウキビ農家の浦仲浩さん、孝子さん夫妻だった。孝子さんは13歳で戦争マラリアを体験し、家族11人のうち9人を失った。唯一、共に生き残った妹(当時9歳)と2人で力を合わせて戦後を生きてきた。体験者と共同生活をしながら、一緒にサトウキビ畑で働き、少しずつ心を開いてくれる姿をカメラに記録した。

 「戦争体験者」「証言者」と呼んでいた人たちを、やがて「おじい、おばあ」と呼ぶようになり、さらに島の言葉「ベスマムニ」で「ブヤー(おじい)」「パー(おばあ)」と呼ぶようになった頃、「ウランゲーヌアマンタマ(浦仲家の女の子)」と、私は島の人たちから呼ばれるようになった。


■「慰霊の日」報道に疑問

 11年6月、波照間にきて半年が過ぎた頃、慰霊の日がやってきた。私は朝からビデオカメラを回した。孝子おばあは、いつも通り朝6時過ぎに起きて、庭の草むしりをしていた。昼には好物の氷ぜんざいを頬張る。いつもと何も変わらない淡々とした日常があった。

 孝子おばあは、慰霊祭に一度しか参列したことがないという。考えてみれば、当然のことである。戦時中の6月23日、住民たちはまだ強制移住先のジャングルの中にいた。猛威をふるうマラリアで次々と絶命し、終戦後の9月になっても死者は後を絶たなかった。沖縄本島で牛島満司令官らが自決しても、それは住民たちにはなんら関係のないことだった。

 戦争マラリアの取材で私が見つめたのは、6月23日で終止符が打たれた沖縄戦とは全く異なる戦争の実態だった。沖縄戦=沖縄本島での地上戦という一般的なイメージからこぼれ落ちてきた戦争マラリアの歴史は、「もうひとつの」「第二の」などと呼ばれることで、沖縄戦と区別されてきた。単なる戦病死と勘違いされることも多かった。多くの体験者たちが「自分たちはつらかったけど、それでも沖縄本島の人たちよりは、まだよかったんだ。つらいなんて言っちゃいけない」と心に鍵をかけ、苦しみを語れずに戦後を生きてきた。そんな体験者たちに出会うたびに、学生時代の私は、慰霊の日を戦争・平和報道のピークとする沖縄の報道のあり方に疑問を抱いた。地上戦がなかった島々で、自国軍によって甚大な被害を受けた一般住民の存在こそ、沖縄戦の最暗部の歴史だからだ

 17年、私はフリーランスに転身し、翌年7月、ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」(三上智恵氏との共同監督)を公開した。テーマは沖縄戦の「裏の戦争」だ。地上戦の背後で活動していた日本軍のスパイ・陸軍中野学校卒業生たちによる作戦の実態を描いた。陸軍中野学校とは、ゲリラ戦や情報戦を専門とする特殊教育をおこなっていた極秘機関である。

 彼らによって訓練され、銃を持って米軍と戦わせられた少年兵・護郷隊。「米軍のスパイではないか」と疑心暗鬼になり、互いを監視し、傷つけあった住民たち。そして日本軍に故郷を追われてマラリアで絶命した八重山の人々日本軍がどのように住民たちを作戦に利用し、時に武器を持って戦わせ、そして住民たちが軍にとって「不都合な存在」となった時、一体何が起きたのか。戦後これまで語られてこなかった沖縄戦の最も深い闇を「スパイ」というキーワードで描いた。

 なぜ今、私は沖縄戦を取材するのか。それは他でもない、現代社会を読み解くための鍵が埋もれているからである。私にとって、それはある男の姿を追うことで明確になっていった。波照間の強制移住を指揮した山下虎雄である。


■優しい顔で死を強いた

 「とっても優しい人だったよ。子どもたちはみんな『先生! 先生!』と呼んで親しんでいた。おもちゃの飛行機も作ってくれたよ。教えるのも上手だったさ」

 「非常にユーモアのある人でね、フラダンスとかいって、僕らが見たこともないような面白い踊りをして笑わせてくれたよ」

 波照間島の体験者の多くは、幼い頃に山下虎雄と過ごした楽しい日々を今もはっきりと覚えている。

     (映画「沖縄スパイ戦史」から ©2018「沖縄スパイ戦史」製作委員会)

 山下が青年学校指導員として島にやってきたのは、沖縄戦が始まる約3カ月前だった。教員になりたての若者で、身長180センチほどのがっしりとした体格。色白の顔。住民たちは、遠路遥々やってきた「ヤマトゥーピトゥー(大和人=日本人)」の青年を盛大な歓迎会を開いてもてなし、手厚く世話をした。

 山下先生の来島から2カ月後、沖縄本島で地上戦が始まった頃、山下先生が豹変する。住民たちに「西表島へ移住せよ」と迫ったのだ。波照間と海を隔てた対岸約20キロにある西表島は、全土がマラリアの有病地だった。移住を拒む住民たちに対し、山下先生は軍刀を振りかざし、「これは天皇陛下の命令だ。聞かない奴はぶった切る」と脅した。故郷を追い出された住民たちはマラリアに斃れ、仮埋葬地となった砂浜は足の踏み場もないほど遺体であふれ返った。

 青年学校指導員・山下虎雄の正体は、陸軍中野学校の卒業生だった。

 「殺してやりたいくらい憎い。あの人のせいで、みんな死んでしまったのに……」

 波照間の戦争体験者たちは、戦後75年となる今も、山下への怒りを抱えていた。家族を失った当事者ならば当然のことだろう。

 戦争マラリア取材を始めた頃の私は23歳。波照間に潜伏していた頃の山下と皮肉にも同じ年頃だった。果たして、彼は狂気の軍人だったのだろうか。彼を強制移住に駆り立てたのは、何だったのか。


■なぜ残虐行為ができるのか

 私たちは幼少期から「人を傷つけてはいけない」と倫理観を教わり育つ。にもかかわらず、なぜ軍人になると残虐行為ができるようになるのか。軍隊は人間をどう変えるのか

 疑問を抱えて、米国ドレクセル大学のエリック・ジルマー教授を取材した。軍隊における人間心理を研究するジルマー教授は、「人間を殺人や破壊行為ができる『マシーン』に作り替えるためのキーワード」として三つの指摘をした。

 ①命令の存在。「たとえどんなに残虐な行為だとしても、命令があればできてしまう」とジルマー教授は言う。

 ②残虐行為を集団で行うこと。初年兵訓練では「私=I」という主語が禁止されているという。個を奪い、命令にだけ従うロボットに変えることで、一人前の兵士が出来上がる。

 ③行為を細分化すること。例えば殺人という目的を果たすために、兵士Aは弾を用意し、兵士Bは弾を銃に詰め、兵士Cは引き金を引く。残虐行為を細分化することで個々人の倫理は薄れる。

 山下の行為は、これらにぴたりと当てはまる。

 まず命令の存在について、強制移住は山下の単独行動ではなく、日本軍の作戦計画に基づくものだった。

 沖縄戦開戦の4カ月前、1944年11月、陸軍省と海軍省は、全国の沿岸警備の方針を定めた「沿岸警備計画設定上ノ基準」を沖縄をはじめ全国の軍司令官らに通達した。その中で八重山地域は「主要警備ノ島嶼」と位置づけられ、「在住民の総力を結集して直接戦力化し、軍と一体となり国土防衛にあたるべき組織態勢を確立強化する」とされた。これに基づき、軍事作戦の円滑化のための官民の協力体制づくりと、非常事態における住民の移住を含めた住民対策が計画された。最前線に住民がいては戦闘の邪魔である。ましてや住民が敵の捕虜となれば日本軍の配置や軍施設の情報などが敵に漏洩してしまう。そう懸念した日本軍は、基地建設や食糧生産、戦闘に住民を利用すると同時に、情報漏洩を恐れて住民を監視下におくという矛盾に陥っていく

 45年1月1日付で作成された日本軍の作戦計画書「南西諸島守備大綱」では、住民の移住についてこう取り決められた。

 「直接的戦闘に参加できない老人や子どもなどは、事前に近くの島、もしくは島内の適切な場所に移住させること。これは日本軍の作戦を容易に遂行するため、また混乱を防止し、被害を少なくするためである」

 住民の移住先は「日本軍が配備されている島に限る」とされた。波照間から最も近い島は、マラリア有病地の西表島だった。


■山下が担った秘密作戦

 ジルマー教授が指摘した集団と細分化についても、山下の行動に当てはまる。実は、沖縄戦に送り込まれた陸軍中野学校卒業生は、山下だけではない。総勢42人にも上っていた。彼らの任務は遊撃戦(ゲリラ戦)の展開。沖縄の正規軍である第32軍が壊滅したあと、山間部にこもり、「皇土防衛のために、一日でも長く沖縄で米軍を足止めせよ」という大本営の「沖縄捨て石作戦」を遂行することだった。

 45年6月23日は、牛島司令官らの自決日であり、沖縄戦の組織的終結日とされている。しかし、正規軍壊滅後の作戦遂行を任務とする中野学校卒業生たちにとって、この日は本来の任務開始日に過ぎず、最後の一兵に至るまで戦い抜くという終わりなき沖縄戦の幕開けだった。そのために地元の少年たちでゲリラ部隊「護郷隊」を組織し、米軍との戦闘や、米軍戦車に爆弾を背負って体当たりする自爆作戦を取らせるなど、子どもたちを酷い作戦へと巻き込んでいった。

 その中で「離島残置諜者」と呼ばれていた山下の任務は、「民間人の立場で情報を収集し、万が一、米軍が上陸してきた場合、それまで訓練していた住民を戦闘員と仕立て上げ、遊撃戦を行うことだった。第32軍は、そのために県知事島田叡と交渉し、彼らに正式な国民学校指導員と青年学校指導員の辞令書を出させ、偽名を使い、各島々へ潜伏させたのである」(『陸軍中野学校と沖縄戦』川満彰著、吉川弘文館、2018年)

 山下が優しい先生を演じて、住民の信頼を得たのは、作戦遂行のために住民を懐柔する必要があったからである。

 山下は、波照間の子どもたちで「挺身隊」を組織し、手榴弾の使い方を指導した。しかし、それは「米軍との戦闘のためだけではなかった」と、元挺身隊員の銘苅進さん(取材当時87歳)は語った。

 「自決。手榴弾で死ねなかった時のために、『喉元刺しなさい』と山下から短刀を持たされていた。住民が米軍に捕まったらスパイになるからですよ。山下は結局、日本軍のことを米軍に聞き取りされると思ったんじゃないか」

 取材を進めるごとに見えてきたのは、徹底的に軍の作戦と命令に従い、与えられた任務を着実に遂行したエリート軍人の姿だった。

 しかし、疑問は残る。人間は本当にロボットになりきれるのだろうか。一抹の罪悪感も疑問も抱かなかったのだろうか。


■嘘で固められた正義

 私は2018年秋から取材拠点を米国に移した。プロジェクトのひとつとして元米兵たちの取材を続けている。

 「突然『イラクへ行け』と命令が下った。なぜイラクに攻め込むのか、分からなかった」

 そう語ったのは、元海兵隊員のカイル・ロジャースさん(36)だ。04年、沖縄のキャンプ・ハンセンからイラク・ファルージャに出撃した。

 「世界地図で米軍の配置図を見ると、中東には米軍基地がほとんどない。米軍が行かなければ、どこかの国が基地を造ってしまう。ならば世界一優秀な僕らが行くべきだ。そんな理由づけを自分なりに考えて、納得しようとした」

     (イラク・ファルージャで、米軍の発砲で14人が死亡した事件に
      抗議する市民を監視する米兵=2003年4月)

 出撃前、沖縄ではマシンガンやハンヴィー(軍用車両)などの準備に追われた。「生きては帰れない」「どうせ死ぬんだから」と浴びるように酒を飲んだ。イラクでは、米軍司令部から受信した情報や命令をチームに伝えるラジオ・オペレーターとしての任務についた。

 「ハンヴィーで街中を巡回中、僕らを狙って砲撃が始まったら、敵が逃げ込んだ民家に乗り込んで殺した。怪しい人物は拘束して尋問部隊に引き渡す。でも大抵は容赦なく殺した。僕らはまるで『リトル・ブルドッグ』だった。暴れまくって、たくさんの犯罪をやった。たばこがなくなったら、近くの商店を襲撃した。米軍ヘリは、民間地上空を低空飛行しながらヘビーメタルを大音量で流していた。なんのためって? ただ、イラク人を怖がらせるためさ」

 退役後、PTSDを発症し、退役軍人病院に1年間入院した。今も銃撃事件のニュースが流れるたびに、「次は自分がやってしまうのではないか」という恐怖に苛まれるという。

 カイルさんをはじめ、これまで30人ほどの元兵士たちを取材した。気がついたのは、全ての米兵たちが米国の正義を信じて戦場に向かった訳ではなかったということだ。むしろ多くの兵士たちが、対テロ戦争に疑問を持っていたにもかかわらず、様々な理由づけを考えて、なんとか自分を納得させようとしていた。そして自分が信じた正義が嘘で塗り固められたものだったと気がついたとき、彼らは心を病み、PTSDを発症していく。ジルマー教授が指摘した「命令」「集団」「細分化」がそろってもなお、兵士たちには捨て去ることのできない人間性が残されているように私には思えた。


■民衆の弱さを問う

 「戦争になると、国家は『国』というものを大事にして『民』を犠牲にする。でも『国』は『民』があって初めて成り立つものでしょう? 戦争になるとね、そんなことも国民は忘れてしまうんですよ

 12歳で強制移住を経験した石垣島の潮平正道さんは、私に何度もこう語り、民衆の弱さを問い掛けた。

 「八重山の人たちも、『お国のため』『天皇のため』と言って、マラリアで死ぬと分かっていながら軍の命令に従ったんだから」

 また、波照間島の強制移住について、当時の島のリーダーであり元村議会議員の仲本信幸さんは、戦後のインタビュー取材でこう回想した。

 「慶良間に米軍が上陸し、島人がスパイになったから、沖縄本島が上陸された。だから、波照間でも同様のことが起こりかねないから、日本全体のため、八重山全体のために、波照間島民は犠牲になっても構わないと(山下が言っていた)。(私は)それなら仕方がないということで……」

 強制移住を「仕方がない」と言った仲本さん。国家のために命を捨てることが正しいとする価値観と、軍命に逆らうことなどできない環境の中で、住民は死を覚悟で軍命に従った。それは75年前の昔話なのだろうか。日本軍からの「命令」であれ、現在の国会が次々と生み出す「法律」であれ、行政や警察、自衛隊から求められる「協力」であれ、権力は様々なかたちを変えて私たちを取り巻いている。もしも、それに従うことが私たちの命を危険にさらすことになるとしても、絶対的な権力を振りかざされた時、私たち―あなた、私―は、果たして、どこまで抗うことができるのか

 私たちは、いつでも次の犠牲者にも、次の「山下」にもなり得る。無意識のうちに、あるいは「正義」の名の下に率先して、残虐行為の片棒を担ぎかねない。私たちの中にある普遍的な弱さを、今、ひとりひとりが問わねばならない。


■「尊い犠牲」からの脱却

 「戦争体験者の高齢化による戦争の風化」。日本のテレビや新聞がこう叫びはじめて何年が経つだろうか。体験者がいなくなれば、証言を直接聞く機会が失われ、戦争体験の継承が不可能になるという。しかし、本当にそうだろうか

 対テロ戦争が20年目に突入した米国では、毎年、若い戦争体験者が増え続けている。もし、戦争体験者が増えることで、戦争の恐ろしさが市民に伝わり、平和な社会が実現するならば、米国はとっくに戦争のない国になっているはずである

 〝Thank you for your service.(従軍に感謝します)〟。米国では、軍関係者に感謝の言葉をかける文化がある。serviceをsacrificeに言い換えて、「犠牲を払ってくれて感謝します」という人も多い。今年5月には、毎年恒例の「米軍感謝月間」と戦没将兵記念日「メモリアルデー」が祝われた。戦争と軍隊を賛美する価値観が、文化の根底にある。「米国の自由と民主主義を守ったヒーロー」の名声と共に一生を過ごす元兵士たちが大多数だが、私が取材をした元兵士たちの多くは、「感謝されるのが一番つらい」と胸の内を明かした。「自分が戦場で何をしてきたのか、何も知らないくせに……」と。

 元兵士たちの声を聞く中で気づかされたのは、戦争体験の継承において、体験者の減少は本質的な問題ではないということだ。問題は、戦争体験をどう評価するのかである。米国市民が、元兵士や戦没者を「尊い犠牲」と見なす価値観から脱却することなしに米国政府がいう「正義の戦争」の殻を破ることは不可能だ

 これは日本も他人事ではない。私自身、子どもの頃から受けてきた平和教育では、「戦没者たちの尊い犠牲の上に、今の平和な日本がある」と繰り返し教えられてきた。しかし、戦争の歴史をひもとけば、自国軍の存在ゆえに死亡した3600人以上の八重山の住民たちがいる。彼らを「尊い犠牲」と呼ぶことで、放免されるのは国家と軍隊の責任であり、命令や集団に従う人間の普遍的弱さは学ばれないまま、個人の命を切り捨てることによって国体を守ろうとした歴史は忘却されていく

 軍隊はなぜ住民を守らなかったのか果たして住民の命を守れる軍隊など存在するのか。何が山下のような軍人を作り出したのか。住民はどのように戦争に巻き込まれ、命令に従ったのか。今こそ、戦争マラリアの歴史から学び、現代社会との共通点をあぶり出さねばならない。それが戦後75年の戦争報道の使命だ。理由はひとつ。二度と同じ手段で騙されないよう知恵をつけるためだ。それこそが本当の意味で、戦争を語り継ぐということだと思う。


※本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』8月号から収録しています。同号の特集は「8月ジャーナリズム」です。
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●《戦争体験の継承はどうして必要》? 大矢英代さん《二度と同じ手段で国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》

2020年08月14日 00時00分48秒 | Weblog


永田健記者による、西日本新聞のコラム【時代ななめ読み/「戦争体験」というバトン】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/625471/)。
志真秀弘氏による、レイバーネットの書評【〔週刊 本の発見〕三上智恵『証言 沖縄スパイ戦史』/過ちの記録こそ次の過ちを防ぐ地図になる】(http://www.labornetjp.org/news/2020/hon165

 《ジャーナリストの大矢英代(はなよ)さんが今年2月「沖縄『戦争マラリア』 強制疎開死3600人の真相に迫る」(あけび書房)を出版した。悲劇の裏に隠された軍隊の非人間性に切り込んだ労作で、優れた国際報道を顕彰する賞も受賞した。千葉県出身、1987年生まれの大矢さんはなぜ、この問題に取り組んだのか》。
 《映画『沖縄スパイ戦史』(2018年、三上智恵大矢英代共同監督)は埋もれていたこのもう一つの沖縄戦を証言によって描き、大きな衝撃をあたえた。本書は、これに新たな少年兵の証言、軍が全国に遊撃隊を展開しようとしていたことを明かす証言、さらにその後判明した住民虐殺の真相なども加わり、読むものの魂を揺さぶる》。

   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…

 「戦争や軍隊の本質」の記憶。沖縄での番犬様の居座りや、嬉々として沖縄を差し出すアベ様や最低の官房長官ら。一方、島嶼部では自衛隊が〝防波堤〟や〝標的〟に。《軍隊は人を守らない大田昌秀さん)》、《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる島袋文子さん)》、《軍隊は同じことをするし、住民も協力するし、軍隊は住民をまた殺すことになる三上智恵さん)》…。
 《戦争体験の継承はどうして必要》なのか? 大矢英代さんは、《二度と同じ手段で国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけること》。《「負の歴史こそが、本物の、騙されない強い未来を引き寄せてくれる力につながるということを、この人たちが私に信じさせてくれた」と著者三上智恵は書いている》。

   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ
      狂気性」(高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
    《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの
     三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した
     映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…
     「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
              …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
               「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
               私たちが何を学ぶのかが今、問われている」②
   『●『沖縄スパイ戦史』: 「それまで『先生』と島の人たちに
           慕われていた山下が抜刀した」…「軍隊の本性」
   『●2019年度文化庁映画賞《文化記録映画部門の優秀賞》を受賞
               …三上智恵・大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』
   『●《「遊撃戦遂行の為特に住民の懐柔利用は重要なる一手段にして
     我が手足の如く之を活用する」…住民同士を監視させ…批判している…》
   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
     伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》

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https://www.nishinippon.co.jp/item/n/625471/

時代ななめ読み
「戦争体験」というバトン
2020/7/12 11:00
西日本新聞 オピニオン面 永田健


 「戦争マラリア」という言葉をご存じだろうか。

 先の大戦で沖縄戦中、八重山諸島波照間島石垣島などの住民が日本軍の命令でマラリアの蔓延(まんえん)する地域に移動させられ、感染して死亡した惨事のことだ。米軍上陸のなかった八重山諸島で、どれほど必要性があったかも不明な強制疎開により、人口の1割強に当たる3千人超がマラリアで亡くなったとされる。

 現在コロナ禍に見舞われている私たちなら「感染症で10人に1人が死ぬ」という状況のすさまじさが少しは想像できるだろうか。例えるなら東京で100万人が死ぬようなものなのだ。

 ジャーナリストの大矢英代(はなよ)さんが今年2月「沖縄『戦争マラリア』 強制疎開死3600人の真相に迫る」(あけび書房)を出版した。悲劇の裏に隠された軍隊の非人間性に切り込んだ労作で、優れた国際報道を顕彰する賞も受賞した。千葉県出身、1987年生まれの大矢さんはなぜ、この問題に取り組んだのか。

   ◇    ◇

 大矢さんは2009年、大学のインターンシップ(就業体験)で八重山の新聞社に行き、初めてこの問題の存在を知った。波照間島に移住して住民の家に下宿し、8カ月間農作業を手伝いながら戦争マラリアの体験談を集めた。その後も沖縄のテレビ局に就職するなどして、断続的にほぼ10年にわたり取材を続けた。

 現在、米カリフォルニア州を拠点に活動する大矢さんにメールで話を聞いた。

 -なぜこの問題を?

 「こんな重大な歴史をどうして22歳になるまで知らなかったのか、自分の無知を恥じました。学校で誰も教えてくれなかったのなら自分で調べたい。それがスタートでした」

 「実際に取材してみると、簡単に証言してくれる人はいませんでした。思い出したくもない体験なので、当たり前ですよね。家の前でチャイムが押せず30分ぐらいうろうろしたり…」

 「『自分が生きているこの時間は、体験者にとって最後の時かも知れない』という危機感がありました。今聞いて映像に残しておかないと遅れになってしまう。そんな思いでした」

   ◇    ◇

 私も記者として戦争体験者に話を聞くことがある。長年自問自答していることを大矢さんにも聞いた。

 -そもそも、戦争体験の継承はどうして必要なのでしょうか?

 「二度と同じ手段でだまされないように。これ以外にないと思います」

 「戦争の歴史は、国家と住民の関係性、軍隊の構造的暴力性、そして命令や集団に従う住民の弱さといった、いつの時代にも当てはまる普遍的問題を伝えています。負の歴史を学ぶことは、二度と同じ手段で国家に殺されないように、生活を奪われないように、知恵をつけることです

 「取材するたび、バトンを受け取る気持ちがします。相手から受け取ったバトンを持って、一生懸命走って書いて)、ゴール社会に伝える。私の記事や作品を見た人がまた誰かにバトンを渡す。そのリレーが続いていくことが継承なのかなと思っています」

 大矢さんが取材した住民のうち、すでに3人が亡くなり、3人が証言するのが困難になったという。

 日本の夏は、バトンの重みを感じる季節である。

 (特別論説委員・永田健
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http://www.labornetjp.org/news/2020/hon165

赤白抜き〔週刊 本の発見〕三上智恵『証言 沖縄スパイ戦史』

毎木曜掲載・第165回(2020/7/16)
過ちの記録こそ次の過ちを防ぐ地図になる
証言 沖縄スパイ戦史』(三上智恵、集英社新書、2020年2月刊、1700円)評者:志真秀弘

 1945年3月26日、米軍は慶良間諸島に、さらに4月1日沖縄本島に上陸し、陸軍第32軍との間で凄惨な地上戦が繰り返される。その結果民間人を含む20万人余りが亡くなり、6月23日牛島満司令官の自決によって沖縄を「本土決戦の捨て石」とする作戦は実際上終わる。が、本島北部にはすでに前年9月、スパイ養成を目的とする陸軍中野学校出身者が大本営より配属されていた。第32軍壊滅後も米軍を撹乱するために、徴兵前の15歳から17歳の地元の少年たちを主力に遊撃隊を組織する任務がかれらに与えられた。第一護郷隊(正式名称は第三遊撃隊、村上治夫隊長)は今帰仁村、名護町などの出身者610名、第二護郷隊(第四遊撃隊、岩波壽隊長)は国頭村、大宜味村などの出身者388名からなった。

 映画『沖縄スパイ戦史』(2018年、三上智恵大矢英代共同監督)は埋もれていたこのもう一つの沖縄戦を証言によって描き、大きな衝撃をあたえた。

 本書は、これに新たな少年兵の証言、軍が全国に遊撃隊を展開しようとしていたことを明かす証言、さらにその後判明した住民虐殺の真相なども加わり、読むものの魂を揺さぶる。

 本書は「少年ゲリラ兵たち」の証言から始まる。

 彼ら21人の証言のどれからも戦場となった村の空気、そこで生活する人たちの呼吸、そして一人ひとりの戦後の人生が伝わってくる。

     (*映画『沖縄スパイ戦史』より)

 たとえば1929年生まれの「リョーコー二等兵」こと端慶山良光(ずけやま・よしみつ)さんの証言。戦場で頬に手榴弾の破片を受け傷病兵になる。同じ傷病兵の友人は足手纏いになるからと軍医が射殺する。彼も逃げる途中殺して置いていくと仲間に言われるが、半死半生で生まれた村にたどり着く。が、村に帰ったあと戦争PTSDを発症。村内で暴れ回るために座敷牢に閉じ込められるなど「兵隊幽霊」と呼ばれ苦しむ。が、五十歳を超えてキリスト教の洗礼を受け、信仰に助けられPTSDを克服する。いま彼は一人で暮らす。「沖縄戦のこと忘れたら、また地獄がきますよって。僕は…桜の木を七十歳から植えはじめたんですよ。緋寒桜七十本あまり、…英霊ですね、沖縄戦でなくなった若い人たちの。…これを見てみんなに沖縄戦思い出してもらって。」が、かれに国による補償は何もない。護郷隊は秘密組織だから兵歴とみなさないという「理屈」のようだ。

 当時22、3歳だった村上、そして岩波二人の隊長への敬愛の念を隊員たちは異口同音に語っている。二人とも隊員には暴力を振るわず、生き延びることを指示した。それがゲリラ部隊の基本とも言えるが、それは二人がマニュアル通りに努めたというのとは違う。隊員の誰にとってもかれらは優しく、そして人格者であった。が、同時に戦闘のプロつまり敵を殺すプロだった。その両面が彼らにはあった。

 戦後、村上は沖縄へ家族共々慰霊のために毎年のように足を運んだ。そして最後は車椅子に乗って参列し、「もうわんわん、子供のようにね、顔を崩して」人前も構わず泣きじゃくったという。かれが抱えた戦場の闇はそれほど深かったのだろうと著者は書いている。村上は勇猛なゲリラ隊長であって、91人もの部下を死なせた末に生き延びた。その罪を抱えてかれも戦後を生きなければならなかった。そこに浮かび上がるのは沖縄戦の、ひいては戦争そのものの罪深さだ。

 後半の「スパイ虐殺の証言」「虐殺者たちの肖像」の二つの章が、複雑極まりない過程を丹念に捉えて明らかにしているのも、沖縄の地上戦が強いた戦場犯罪の構造と言える。だからこそこれらのことは、不問に付していいことでは決してない。

 「負の歴史こそが、本物の、騙されない強い未来を引き寄せてくれる力につながるということを、この人たちが私に信じさせてくれた」と著者三上智恵は書いている。

 著者の執念がこの本の力を産んだ。本書こそ2020年ベストワンと言い切っておきたい。一人でも多くの人がぜひとも本書を手にとってほしい。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、ほかです。
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●『沖縄スパイ戦史』: 「それまで『先生』と島の人たちに慕われていた山下が抜刀した」…「軍隊の本性」

2018年12月15日 00時00分59秒 | Weblog

[※ 『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代共同監督) (LOFT)↑]

 
(『沖縄スパイ戦史』劇場予告編)

http://www.spy-senshi.com
https://youtu.be/Tsk9ggz-BoY



週刊朝日の朝山実氏の記事【島民の3分の1が死亡…封印された沖縄「秘密戦」の実態】(https://dot.asahi.com/wa/2018082200061.html)。

 《太平洋戦争末期、軍の命令でマラリアの島に送られ、住民の3分の1が亡くなった波照間島の話を知っていますか? 先月末ミニシアターで公開されたドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」が立ち見が出るほどの反響だ》。

 《軍隊というものが持つ狂気性》、《軍隊の本性》。それを繰り返そうとしているニッポン。

   『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
              加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」
    「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
     《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
     …心の奥底にまるで「」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
     その両方が存在しました》」

   『●「戦争のためにカメラを回しません。
      戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」
   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

   『●中山きくさん「戦争は体験してからでは遅い」、
       城山三郎さん「平和の有難さは失ってみないとわからない」

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ
      狂気性」(高野孟さん)と、いまも続く沖縄での不条理の連鎖
    《マガジン9連載コラム「沖縄〈辺野古・高江〉撮影日誌」でおなじみの
     三上智恵さんが、大矢英代さんとの共同監督で制作した
     映画『沖縄スパイ戦史』が7月下旬からいよいよ公開…
     「軍隊は住民を守らない」…「戦争や軍隊の本質を伝えたい」》。

   『●「安倍政権が旗をふる「極右プロパガンダ映画」が 
      世界中に発信されるという恥ずかしい事態が現実に」!?
   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
               …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
                    「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
                  私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①
   『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…
                  私たちが何を学ぶのかが今、問われている」②

 2018年9月沖縄県知事選挙で、万が一、玉城デニーさんが敗れ、「#バリタカ日本会議系自公お維沖縄県知事」候補者が勝てば、辺野古は破壊「損」となり、普天間移設どころか、死した「美ら海」に新たな巨大基地が新設され、恒久化する…玉城さんは勝利したものの、アベ様や最低の官房長官らは「沖縄市民の民意」完全に無視。「森」は殺され、「美ら海」も殺され、基地から出撃した番犬様らは「人」を…。そして、番犬様は格好の攻撃のターゲット。出撃基地として「人殺し」「侵略」の恨みを買い、基地周辺も攻撃に巻き込まれる。「本土」のアベ様や最低の官房長官らのおかげで、「加害者性」と「被害者性」を強いられる沖縄の人々。「本土」の民は、見てみぬふり。
 《軍隊は人を守らない大田昌秀さん)》《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる島袋文子さん)》《軍隊は同じことをするし、住民も協力するし、軍隊は住民をまた殺すことになる三上智恵さん)》…。「本土」の民や、沖縄の自公お維支持者は、何を過剰に番犬様やその基地に期待しているのか?

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https://dot.asahi.com/wa/2018082200061.html

島民の3分の1が死亡…封印された沖縄「秘密戦」の実態
朝山実 2018.8.24 07:00週刊朝日

     (米軍に投降した少年兵(ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」から。
      映画は東京・ポレポレ東中野、大阪・第七藝術劇場、
      名古屋シネマテークなど順次公開中)

     (陸軍中野学校が作成した文書(ドキュメンタリー映画
      「沖縄スパイ戦史」から))

     (「護郷隊」の記念写真(ドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」から))

     (大矢英代監督)

 太平洋戦争末期、軍の命令でマラリアの島に送られ、住民の3分の1が亡くなった波照間島の話を知っていますか? 先月末ミニシアターで公開されたドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」が立ち見が出るほどの反響だ。長期にわたる綿密な取材で貴重な証言を掘り起こし、封印されてきた沖縄「秘密戦」の実態を明らかにしていく。

     (【写真】陸軍中野学校が作成した文書)


*  *  *

 監督したのは三上智恵大矢英代の女性ふたり。

 スパイの養成機関だった「陸軍中野学校」出身者が米軍上陸を想定し、離島も含めた沖縄の各地に配置された。映画は、彼らが及ぼした戦争の痕跡を追うものだ。

 1944年秋、本土決戦をも視野に入れた「大本営」は、沖縄で徴兵年齢の17歳に達しない、14~16歳の少年約千人を召集し「護郷隊」と名づけた。割り当てられた銃は170センチ。「銃が(身長より)高い」と16歳で入隊した瑞慶山良光さんが映画の中で語る。ある日学校に行くと志願を求められた

 短期育成に当たったのは、陸軍中野学校を出たばかりの若い将校たちだ。少年をも兵員としなければならないほど日本軍は追い込まれていたとともに、「こんな子供たちが」と敵の油断を誘う効果もあった。

 闇に紛れての攻撃や爆弾を背負い戦車隊に突っ込むなど、その存在は米軍を驚愕させたといわれる。160人が戦死した

 撤退戦の中、足手まといとなった傷病兵が軍医や同郷の仲間によって「射殺される現場を見た」など、戦後70余年を経て得られた元少年兵の証言から、表に出てこなかった戦争の現実が浮き彫りになってくる。

 当時15歳だった玉城秀昭さんは、一度米軍の捕虜になってから家族を捜しに来た男性がスパイだとののしられ、殺されかけた現場にいたという。

 大矢さんが言う。

「聞き手は三上さんですが、読谷村で目撃者を探していくうちに、たまたま訪ねていった家で、質問がスパイの話になったとたん、顔つきが変わった」

 三上さんが「今考えればスパイじゃないという彼の言い分は正しいわけですよね」と尋ねると、玉城さんは「あの時代、敵と通じたら大変」「感覚が全然違う。僕も(スパイは)殺しに行くよ、当たり前」と体を震わせた。

 長い間「住民虐殺」が明るみに出ることがなかったのは、スパイ摘発に住民が関与し、戦後もそこで暮らさねばならなかった事情が絡みあっているのだろう。ある「スパイリスト」には、軍の施設で勤労奉仕していた少女の名前まで挙がっていたという。

「施設の配置を敵に知られることを恐れた口封じのためだったみたいですが、軍隊は誰を守ろうとしていたのか」(大矢さん)

 ふたりの監督の丁寧な聞き取りの積み重ねから、戦後も沈黙を強いてきたものの正体があぶりだされていく。後半では、さらに驚くべき出来事が伝えられる。

 地上戦のなかった八重山諸島で3600人余りの命が、日本軍の強制移住によって失われた。島の住民たちは「戦争マラリア」と呼ぶ。

「わたしが『戦争マラリア』のことを知ったのは学生だった9年前」と大矢さん。

 最も被害が大きかった波照間島では、住民の3分の1にあたる約500人が亡くなった。当時マラリアの発生地帯だった西表島に、軍が強制移住を命じた。食糧難と医療も不十分なままに次々と発病。遺体の埋葬も追いつかず「浜一面が遺体だらけ」になったという。

 当時13歳、カメラの前で語る浦仲孝子さんは、家族11人のうち妹と彼女だけが生き残った。父親をみとるくだりは衝撃的だ。

「なんでそんなことになったのか。誰でも知りたいと思いますよね」と大矢さん。

 米軍は平坦(へいたん)な土地が多い波照間島を占領、飛行場を造るだろう。戦闘が起きれば、住民は足手まといとなるだけでなく、機密情報が漏れる恐れがある。強制移住は住民保護と称し軍の監視下に置こうとしたのだと考えられている。

 同時に、島には2千頭余りの牛馬や豚がいた。米軍に渡れば食料となると食肉処理を命じ、肉は島のカツオ工場で薫製にされ、日本軍が持ち出したという。

 映画にも登場する川満彰さん(沖縄県名護市教育委員会文化課市史編さん係嘱託職員)は、著書『陸軍中野学校と沖縄戦』(吉川弘文館)の中で、強制疎開は「住民の証言を見ると、石垣島に駐屯していた約一万人の日本兵の食糧を確保するため、黒島と波照間島の豊富な食糧を奪うことが目的だった、という真相が見え隠れする」として、「米軍上陸の可能性」をも疑問視する兵隊の証言も挙げている。

 もちろん何の反対もなく住民が移住したわけではない。大矢さんが言う。

「疎開の命令が出たのは45年2月ごろ。マラリアを怖がり、反対する人も出た。すると、それまで『先生』と島の人たちに慕われていた山下が抜刀したんです

 山下とは「山下虎雄」の偽名を使い、前年暮れに青年学校に赴任してきた臨時教員。じつは陸軍中野学校出身の軍曹で、昼間は「かっこいい先生」として子供たちから好かれていた青年だったが、夜になると島を巡って調査をしていた

「結局、軍刀を前にしたら誰も反対できない。家族を失ったオバアやオジイに話を聞くと、憎んでいる人はものすごく憎んでいる。でも一方で、『やさしい人だったよ』という人もいる」

 山下が残していった軍刀を戦後、こっそり廃棄したと証言する人が登場する。思いだしたくもないという顔つきで、「首をはねた」といううわさを口にする。

 山下虎雄とは一体何者だったのか? ある日、豹変(ひょうへん)した男をめぐる証言の数々はミステリー色さえ感じさせるものだ。

 山下だけではない。八重山諸島の各島に1人ないし2人の「偽名」兵士が送り込まれていた。24歳の山下もそのひとりだった。

「わたしが取材を始めたのが、当時の山下とほぼ同年齢。やさしい先生の顔と、豹変した後の顔。自分がその立場にいたら、と山下のことを何度も考えました」

 学校で教わったという人たちを取材する中で、印象深い証言があったという。

「島にアダンという実があるんですが、山下がやってきたばかりのころ校庭に実を集め『どれだけあるかわかるか』と聞かれ、『たくさんで、わからない』というと、この小さな四角の中に何個あるかを数え、この何倍の広さか計算したらいいと教えられ、頭のいい人だと思ったと言うんです」

 その山下先生が後に、その子の家を訪れ「ここは島の南端にある。米軍が上陸すれば一番にやられるんだぞ」と怒鳴り、子供の眼前で父親をぶん殴ったという。

「その人はオジイチャンになっても昨日のことのように語るんですよね。子供の目として見た豹変ぶりを」

 軍隊の本性をさらしたということなのだろうが、大矢さんは、若者にそのように二つの顔をもたせた戦争」「軍隊というものに問題意識を持ち、この映画を撮ったという。(朝山実)

※週刊朝日  2018年8月31日号
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●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①

2018年10月03日 00時00分20秒 | Weblog

[※ 『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代共同監督) (LOFT)↑]



マガジン9http://maga9.jp/)の仲藤里美氏によるインタビュー記事【この人に聞きたい/大矢英代さんに聞いた:戦後73年。今こそ「沖縄戦」から学ぶべきことがある】(http://maga9.jp/180808-2/)。

(その②はコチラ

 《8月15日といえば、結びつくワードは「終戦」、そしてヒロシマ・ナガサキです。でも、石垣島の一面トップは「戦争マラリアの犠牲者に黙祷を捧げる」というものでした。「戦争マラリアって何?」と思って読んでみると、沖縄戦のとき八重山諸島では地上戦がなかったのに、軍の命令で強制疎開させられた結果、風土病のマラリアで3600人もの人が亡くなった、と書いてあった。まったく知らない話でした。そもそもなぜ米軍が上陸しなかった島々で強制疎開」なのか》。

(『沖縄スパイ戦史』劇場予告編)

http://www.spy-senshi.com
https://youtu.be/Tsk9ggz-BoY


 三上智恵さんとともに、ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』の共同監督の大矢英代さん。コラム【マガ9備忘録/その145)「沖縄のマスコミは“民”のもの」高江で語ったQAB大矢記者の心】(http://www.magazine9.jp/article/biboroku/30180/)で初めて、大矢英代元QAB記者を知りました。その時のスピーチにとても感動しました。

   『●「戦争のためにカメラを回しません。
      戦争のためにペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」
    《私たち(沖縄)マスコミ労協は、
     あらゆる戦争につながる原稿は1本たりとも書かないことを約束します
     戦争のためにカメラを回しません
     戦争のためにペンを持ちません
     戦争のために輪転機を回しません
     ……
     そして、それを支えているのは沖縄の皆さんです。
     沖縄のマスコミは、皆さん県民のものです。
     “民(たみ)”のものです。
     私たちには武器もありませんし、権力もありません。
     でも、伝え続けることはできます。抗い続けることはできます。
     その一歩一歩が、沖縄の歴史、そして本当の意味で
     この国の、この日本の民主主義を勝ち得る手段と信じて、
     これからも一生懸命、伝え続けていきたいと思っています。》

 「本土」ではほとんど知られていない戦争マラリアが修論のテーマであり、今回のドキュメンタリーの大矢さんの主な担当部分。いま、先島諸島などでの自衛隊配備を受け、島々の市民の皆さんは分断されつつある…《戦争や軍隊の本質》を「本土」の皆さんも考えてみるべきだ。

   『●『銃を持つ権利は子どもが生きる権利より重い』?
        普天間で起きている、辺野古で起きようとしていること
    「辺野古で、今現在まで、ずっと起き続けていること、そして、辺野古で
     確実に起きること、起きつつあること。普天間飛行場の撤収か、
     辺野古移設か、という二者択一を迫るアベ様や最低の官房長官ら。
     普天間を撤収し、番犬様に本国へお引き取り頂けば、
     「森」を殺すこともなく、辺野古の「美ら海」を殺すこともない
     沖縄の人々を分断することもないし、基地から出撃したん番犬様が
     「人殺し」することもない。沖縄の大幅な「負担削減」が実現できる
     というのに。「本土」では大騒ぎされないが、沖縄の人々があれ程の
     反対運動をしている辺野古では、生物多様性の破壊が引き返せない
     ところまで来てしまいつつある。
       「在日米軍特権」を放置する「日米共犯」。「子どもを園庭で遊ばせたい
     「当然の日常がほしいだけ」、そんな極当たり前のことなのに…
     《愛僕者》達のやることときたら。何が愛国者か! ヘイト者・ヘイト屋や
     デマ者・デマ屋らに支えられた、トンだ《愛僕者》達」

   『●「武力によって平和を創造することはできない」…
         「真の平和をつくっていく…「憲法宣言」を採択」
    「《石垣島宮古島への陸上自衛隊配備などを念頭に
     「沖縄の基地負担への影響が大きい」》…壊憲が及ぼす影響は、
     沖縄では計り知れない。「森」を殺し、「美ら海」を殺し続け、沖縄の
     市民を分断、基地から出撃する番犬様は「人」を…。
       沖縄の地で、《「武力によって平和を創造することはできない」とし、
     日本国憲法の精神米軍基地のない平和を求める沖縄の心
     大切にし、真の平和をつくっていくことを掲げた「憲法宣言」を採択》
     にも肯ける」

 《「ボランティアに行って戦争で傷ついた人を助けたい」と思っていながら、紛争地に爆弾を落としている軍隊の飛行機が自分の国にある基地から飛び立っているという事実についてはまったく意識していなかったことにも気付かされました。海外で人を助ける前に、まず自分の国のことと向き合わないといけないんじゃないか、と感じましたね》…「森」を殺し、「美ら海」を殺し続け、沖縄の市民を分断、基地から出撃する番犬様は「人」を…。「本土」の自公支持者が考えようともしない、新たな《記憶の澱》を生み出し続けている。
 《私たちは、過去の歴史からしか学べません。その歴史を語れる人がいなくなりつつある中で、私たちが何を学ぶのかが今、問われていると思います》…そして、《学んだ者としての責任がある》と。

   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
    《先島諸島と呼ばれる沖縄県南西部の島々が自衛隊配備で揺れて
     います。蘇るのは戦争による悲劇の記憶です…宮古島には
     七百人規模、石垣島には六百人規模のミサイル部隊と警備部隊を
     配備する計画です。地元では…住民の意見は割れているのが実情です。
     …有事には自衛隊が標的にされ、周辺住民が巻き込まれると心配する
     声が聞こえてきます。底流にあるのは先の戦争の悲惨な記憶です。
     大戦末期、米軍の攻撃を避けるため、この地域の住民はマラリア発生
     地帯への疎開を軍部によって強制され、多くの人が罹患して亡くなり
     ました。患者数は当時の人口の約半数とも言われています。同じく
     大戦末期には、軍命により石垣島から台湾に疎開する際、船が米軍に
     攻撃され、多くの犠牲者が出ました。
     自衛隊配備でこうした戦争の記憶が蘇るのです》

   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」
               …米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その1)
    《とくに石垣島の場合は地上戦がなく、空襲で178人が亡くなっている
     のですが、一方で、日本軍の命令によって住民たちがマラリアが
     蔓延する山奥に押し込められ、しかも日本軍は特効薬を大量に持って
     いたにもかかわらず住民に使うことはなく、結果3647人も亡くなって
     います。これは米軍が上陸してきたときに住民が捕虜となり、情報が
     筒抜けになることを避けるため、ゆるやかな集団自決を住民に強制した、
     ということでしょう。じつは沖縄でも、この一件は「たまたま疎開した先に
     マラリア蚊がいて、マラリアが蔓延してしまった」というくらいにしか
     捉えていない人が多い。映画のなかで山奥に押し込められた体験を
     証言してくださった方が出てきますが、この映画での新証言なんです。
     この部分は、どうしても映画のなかに残しておきたかった。
     軍隊がいたから、石垣島ではマラリア地獄が起きた。軍隊の論理で
     死ななきゃいけない人が出てきてしまった、ということですから》

   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
    《今回は、そこに大矢監督の静かな怒りが加味された
     日本軍の命令による、マラリア地獄への住民強制移住という事実の
     掘り起こしである。1944年暮れのある日突然…波照間島民たちの
     西表島への「疎開という名の強制移住」だった。西表島は今でこそ
     明るい観光地になってはいるが、当時は「マラリア地獄」と呼ばれる
     ような死病の蔓延する島だった。強制された移住先で何が起こったか》

   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

    《「戦争や軍隊の本質を伝えたい」…戦争中に多くの住民が罹患した
     「戦争マラリア」について大矢さんは、「陸軍中野学校出身者の命令に
     よって、波照間島の住民が当時マラリアが蔓延していた西表島
     移住を強いられた。米軍ではなく、日本軍の命令によってあれだけの
     被害がでた。そこに軍隊の本質が見えるんじゃないかと思って取材を
     しました。苦しみを抱えて語りたがらない体験者に、頭を下げて話を
     聞きました」と話します》

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ狂気性」(高野孟さん)と、
                     いまも続く沖縄での不条理の連鎖
   『●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、
                     「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…

   『●『沖縄スパイ戦史』と《記憶の澱》…
     「護郷隊…中高生の年頃の少年たち…スパイと疑われた仲間の処刑…」

    《▼日本軍第32軍の周辺で起きた本島中南部の激戦を「表の沖縄戦」と
     すれば、映画が描くのは北部の少年ゲリラ兵部隊護郷隊」や八重山
     戦争マラリアなどの「裏の沖縄戦」。綿密な取材による証言と資料映像で、
     6月23日以降も続いた遊撃戦の実相をつづる》

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…
     『沖縄スパイ戦史』「自衛隊…昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露

   『●沖縄デマによる市民の分断: 『沖縄スパイ戦史』の両監督…
                    「反基地運動は中国のスパイ」デマも同根

インタビュー本編②へ】

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●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません…私たちが何を学ぶのかが今、問われている」②

2018年10月03日 00時00分10秒 | Weblog

[※ 『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代共同監督) (LOFT)↑]



マガジン9http://maga9.jp/)の仲藤里美氏によるインタビュー記事【この人に聞きたい/大矢英代さんに聞いた:戦後73年。今こそ「沖縄戦」から学ぶべきことがある】(http://maga9.jp/180808-2/)。

その①に戻る)

 《8月15日といえば、結びつくワードは「終戦」、そしてヒロシマ・ナガサキです。でも、石垣島の一面トップは「戦争マラリアの犠牲者に黙祷を捧げる」というものでした。「戦争マラリアって何?」と思って読んでみると、沖縄戦のとき八重山諸島では地上戦がなかったのに、軍の命令で強制疎開させられた結果、風土病のマラリアで3600人もの人が亡くなった、と書いてあった。まったく知らない話でした。そもそもなぜ米軍が上陸しなかった島々で強制疎開」なのか》。

(『沖縄スパイ戦史』劇場予告編)

http://www.spy-senshi.com
https://youtu.be/Tsk9ggz-BoY


==================================================================================
http://maga9.jp/180808-2/

この人に聞きたい
大矢英代さんに聞いた:戦後73年。今こそ「沖縄戦」から学ぶべきことがある
By マガジン9編集部  2018年8月8日

現在、全国で公開中の映画『沖縄スパイ戦史』。住民を動員して行われた「スパイ戦」、強制移住によって多くの住民が犠牲になった「戦争マラリア」など、これまでほとんど知られていなかった沖縄戦の側面を、多くの人たちの証言で描き出すドキュメンタリーです。この映画を、マガ9でもおなじみのジャーナリスト・三上智恵さんとともに監督したのは、三上さんの琉球朝日放送での後輩でもある大矢英代さん。弱冠31歳という若い世代の彼女が、なぜ今「沖縄戦」を取り上げたのか。沖縄との出会い、取材の中で感じたことなど、お話をうかがいました。


責任感と悔しさ。留学先のアメリカで出会った「沖縄」

──三上智恵さんと共同監督された、沖縄戦がテーマの映画『沖縄スパイ戦史』が公開中です。大矢さんはもともと千葉のご出身ですが、沖縄とのかかわりはどこから始まったのですか。

大矢 大学3年生のとき、アメリカのカリフォルニア大学に留学したんです。そこで、アメリカ人外交官が特別講師を務めるあるワークショップに参加したのがきっかけでした。彼は対日政策を専門にしている外交官だったのですが、私を見て「今日は日本人留学生がいるから」といって、沖縄にある米軍基地についての話を始めたんですね。
 それまで私は沖縄に行ったこともなかったし、正直なところ基地の問題にもそれほど関心があったわけではありません。国連職員や難民キャンプでのボランティアにあこがれたりと、国内よりも海外にばかり目が向いていた時期でした。それでも、その外交官の話には、「おかしい」と感じることがたくさんあったんです。

──どんなことですか?

大矢 「米軍基地があることで、沖縄は経済的に助けられている」とか「米軍は沖縄の人々とフレンドリーな関係を築いていて、住民はみんな米軍に対してウェルカムだ」とか……。沖縄で米兵による事件が多発していることや、基地建設に反対する県民大会が開かれていることは知っていましたから、それはおかしいんじゃないかと思って、授業が終わった後に講師のところへ行ってそう伝えたんです。
 そうしたら、彼は鼻で笑って「いいかい、沖縄に米軍基地があることはグッド・ディール(いい取引)なんだよ」。北朝鮮や中国のような「クレイジーなやつら」が攻めてきたときに、日本人のかわりに米兵が死んでくれるんだから、というんです。
 それに対して、私はうまく言い返すことができませんでした。

──おかしい、とは思っても……。

大矢 そうです。沖縄に行ったこともなければ、そこに住む人たちの声を自分の耳で聞いたこともない。地元の人たちの抱える不条理を、自分の言葉で伝えることができなかった。そのことがとても悔しかったんです。
 同時に、「ボランティアに行って戦争で傷ついた人を助けたい」と思っていながら、紛争地に爆弾を落としている軍隊の飛行機が自分の国にある基地から飛び立っているという事実についてはまったく意識していなかったことにも気付かされました。海外で人を助ける前に、まず自分の国のことと向き合わないといけないんじゃないか、と感じましたね。そういう責任感と、うまく言い返せなかった悔しさと、二つの思いを抱えたまま留学生活を終えることになりました。


「戦争マラリア」って何? 「知りたい」思いに突き動かされて

──初めて沖縄に行かれたのは、その後ですか。

大矢 大学院に進学してからです。留学からの帰国後、どうしたら私は一番人の役に立てるだろうと考えた末に、もともと話したり書いたりするのが好きだったこともあって、ジャーナリストを目指そうと思うようになりました。それで、まずはスキルを身に付けるために東京の大学院に進学して。もちろん、ずっと「沖縄」は頭の中にあったので、1年生の夏のインターンシップ先に八重山毎日新聞を選んだんです。

──石垣島に本社のある地域新聞社ですね。

大矢 そうなんです。実は私、本当に沖縄のことを知らなくて……最初に社に行ったときに、「どんな記事を書きたいですか」と聞かれたので、「米軍基地の取材がしたいです」と答えてしまって。周りの方たちに大笑いされました(笑)。

──そうですよね。石垣島には、というか八重山諸島には米軍基地が……

大矢 そう、ないんです(笑)。「何しに来たの」、って笑われるところからインターンシップがスタートしました。

──でも、そこで「戦争マラリア」の問題に出会われた。

大矢 ちょうど、8月15日を向こうで迎えたのですが、朝刊の一面を見てびっくりしたんです。千葉で生まれ育った私にしてみれば、8月15日といえば、結びつくワードは「終戦」、そしてヒロシマ・ナガサキです。でも、石垣島の一面トップは戦争マラリアの犠牲者に黙祷を捧げるというものでした。
 「戦争マラリアって何?」と思って読んでみると、沖縄戦のとき八重山諸島では地上戦がなかったのに、軍の命令で強制疎開させられた結果、風土病のマラリアで3600人もの人が亡くなった、と書いてあった。まったく知らない話でした。そもそもなぜ米軍が上陸しなかった島々で強制疎開なのか。住民たちがどんな体験をしたのか。記事を読んで「もっと知りたい」と思って。そこから、戦争マラリアの体験者を訪ね歩く取材を始めたんです。

──いかがでしたか。

大矢 お会いすることはできても、なかなか話していただけないことが多かったです。「もう終わったことだから」「なんでいまさら話さなきゃいけないの」という感じで。それでも何人もお話をお聞きすることはできたし、「疎開」先の土地にいっしょに行かせてもらったりもしました。でも、それぞれの人の人生そのものに迫るといったような、深い取材ができたわけではなかった。
 それもあって、インターンシップが終わって東京に帰ってからも「戦争マラリア」のことはずっと心に引っかかっていました。「インターンシップどうだった?」と誰かに聞かれて「戦争マラリアの取材をね……」という話をしても、「何それ?」となってしまう。
 あれだけたくさんの人たちが亡くなった、八重山の人たちにとってものすごく大きな出来事だったのに、東京ではまったく知られていない。考えてみれば1カ月前までの私もそうだった。この、「見えない壁」みたいなものはなんだろうと思いました。単なる私たちの無知なのか、それとも誰かが意図的に「知らさない」ようにしてきた結果なのか……。
 そういうことをずっと考えた末に、この「戦争マラリア」を私の大学院生活のテーマにしよう、そのドキュメンタリー映像を卒業制作にしよう、と決めたんです。

──そのときには、文章ではなくて映像をやりたい、と思われていたのですか。

大矢 3週間新聞記者をやってみて文才の無さに気が付いたというのもありますが(笑)、これからいついなくなってしまうか分からない戦争体験者の肉声を伝え残すには、映像という手段が一番いいと思いました。
 それに、映像って、作り手自身の姿もそこに投影されると思っていて。私は、戦争マラリアの問題を見つめる23歳の自分自身を問う手段として、映像を選んだということだと思います。

     (映画『沖縄スパイ戦史』より
      (c)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会)


波照間で見えた「ジャーナリストとしての原点」

──それで、また沖縄に行って取材を?

大矢 もっと取材をしよう、と思ったときに考えたのが、東京と沖縄を行ったり来たりする形ではやれないな、ということでした。私自身がもし体験者だったら、遠くから突然来た人に自分の傷口を開いて話をしたのに、その人はすぐ帰ってしまってその後自分が話したことがどうなったのかもわからない……というのはつらいだろうな、と思ったんです。
 それで、ちょうど学生で時間もあったし、1年間休学して、現地に住み込んでしっかり人間関係をつくりながら取材しよう、と決めたんです。それで、向かった先が波照間島でした。

──石垣島からも高速船で約1時間の、「日本最南端の有人島」ですね。インターンシップ先は石垣島だったのに、どうしてまた波照間へ?

大矢 戦争マラリアの被害が一番大きかった島だというのが一つ。そして、こちらが本当の理由なんですが、インターンシップ中に波照間に遊びに行ったときに出会った、あるおばあちゃんに惚れ込んでしまったんです。
 たまたま島を散策していたときに知り合って、家におじゃまして夕飯をごちそうになったりしたんですが、実はそのおばあちゃんもまた戦争マラリアの被害者だったんですね。家族11人のうち、彼女と妹を除く9人が犠牲になったという人でした。

──『沖縄スパイ戦史』にも証言者の一人として登場されていますね。

大矢 そうです。浦仲のおばあというんですが、彼女の話を聞いているうちに、顔に刻まれた皺とか、澄んだ瞳とか、その何もかもにすっかり惚れてしまって。彼女のいる波照間に住みたい、と思ったんですね。
 それで、事前におばあに手紙を出して「家に泊まらせてもらえないか」とお願いしたら、浦仲のおじいのほうから「いいよ、おいで」という返事が来たので、意気揚々と向かいました。でも、浦仲の家の門を開けて「来たよー」と声をかけたら、出てきたおばあが私を見て言った言葉は「あんた誰ねー」でした……。

──え?

大矢 夏に会ったことも、一緒に夕食を食べたことも、もう完全に忘れ去られていて。じゃあ、おじいの手紙は? と聞いたら「誰か分からなかったけど、どこかの子どもが波照間に来たいっていうから、いいよって書いたんだよー。ああ、あれがあんたねー」……。改めて「はじめまして」から始めて、無事に泊まらせてもらいました(笑)。

──大変な出だしですね(笑)。じゃあ、その浦仲家に泊めてもらいながら取材を?

大矢 そうです。でも行ったのが12月だったので、最初の3〜4カ月は毎日サトウキビ刈りを手伝っていました。1日8時間、ひたすら体を動かすんですけど、すっごくつらかったです(笑)。
 ただ、そうやって浦仲のおじいおばあや島の人たちと一緒に働いて、話をする中で、見えてきたことがあります。戦争マラリアって、蔓延したのは1945年の3月から夏にかけてなんですが、それで「終わった」わけではないんですよね。マラリアで家族を亡くしたために学校に行かずに働かなくてはならなくなったとか、目指していた夢が叶わなかったとか、一人ひとりの人生に後々まで影響しているんです。

──「戦争マラリア」があったことによって、命が助かった人たちのその後の人生もまた大きく変わってしまったわけですね。

大矢 そうです。島に行く前は、戦争マラリアばかりを見ていたんですが、1年間島で過ごしたことで、そこから続いてきた人々の人生が見えるようになったというか。単に「戦争体験者」という枠でくくるのでなく、まずは島に生きてきた一人の人間としての人生を描きたい、と思うようになりました。その分、撮った映像も豊かになった気がしています。

──波照間の言葉も学ばれたとか。

大矢 波照間のじいちゃんばあちゃん世代は、普段「ベスマムニ(“私たちの島の言葉”という意味)」という波照間島でのみ話されている言葉で会話しています。いわゆる「日本語」は日常会話ではほとんど使わない。同時に、学校で「方言札」(※)を掛けられ、苦しみながら「日本語」を習得してきた人たちです。さらに戦争マラリアのために、学校で学ぶ機会すら奪われてしまった。
 浦仲のおばあも「私は日本語がうまくできない」って今でも悲しそうに言います。最初にインタビューしたときも、一生懸命「日本語」で話そうとしてくれるんですけど、何度も「ああ、これはヤマトの言葉で何て言ったかー?」みたいになって、どうにも苦しそうなんですね。言葉に感情や記憶が乗ってこないんです。私は大学で第二外国語として韓国語を選択したのですが、もし「自分の思いを韓国語で答えろ」と言われ続けたらすごく苦しいな、それを私はおじいおばあたちに強いているんだな、と思いました。
 そのことに気付いてからは、「じゃあ、私が波照間の言葉を覚えればいいや」と思って、ばあちゃんたちの会話をひたすら聞いて、書き取って勉強しました。あと、三線と一緒に民謡を習って、歌いながら覚えたり。そういうことも、私にとって人間関係構築のための大事な時間でした。

   ※方言札…いわゆる「標準語」の使用を徹底させるため、学校で方言を
     使った生徒に罰として首から掛けさせた札のこと。東北、北海道などでも
     用いられたが、沖縄では特に厳しく、明治時代終わりから
     第二次世界大戦後まで使われていた。


──サトウキビ刈りといい、まさに生活の中で取材をした、という感じですね。話し手との距離感も違ってくるような。

大矢 そうですね。最初は、浦仲のおばあにも戦争マラリアのことは「話したくない」と言われました。「自分の家族があれだけ亡くなったのに、誰がそんなことしゃべりたいか」と。
 私自身も、そうやってつらい記憶を語ってもらうという、その人のかさぶたをはがしていくような──もしかしたら、まだかさぶたにさえなっていないのかもしれない傷口をこじ開けるような作業を、何のためにやらなきゃいけないんだろうと、ずっと悩みながらの取材でした。
 ただ、おばあや島の人たちと一緒に時間を過ごす中で、話を聞いたからには伝えるんだ、一緒にこの傷を背負って、二度と同じことが起きないための教訓にしていくんだ、と感じるようになりました。その意味で、自分のドキュメンタリストとして、ジャーナリストとしての原点をつくってくれたのは波照間島だと思っています。


つくられた「分断」を目にして、涙が止まらなかった

──その後、東京に戻られてからは?

大矢 しばらくは、ずっと編集作業をしていました。修士論文と一緒に、卒業制作として作品を出さなくてはならなかったので。周囲では就職活動の話も聞こえてきましたが、私にとっては編集作業のほうが重要だったし、「卒業してから考えればいいか」と。無事に作品は完成して卒業できたものの、進路は何も決まらないままでした(笑)。

──それが、三上智恵さんのいらした琉球朝日放送(QAB)で、記者として働くことになるわけですが……。

大矢 卒業が決まった後、ひとまず波照間の人たちに「無事に卒業できました」と報告に行こうと思って、沖縄に向かったんです。それで、那覇の空港で乗り継ぎ待ちをしていたときに、「仕事どうしようかなあ」と思いながら、スマホをいじっていて。ドキュメンタリーを、それも沖縄でつくりたいという思いはずっとあったので、「沖縄 映像 仕事」で検索してみたら、琉球朝日放送の「契約記者募集」が出てきたんですよ。三上さんとは以前、あるイベントでお会いしていましたし、「あ、これ三上さんのところだ!」と。しかも、条件が「すぐ来れる人」だったので、「これ私のことじゃん!」と思いましたね(笑)。
 それで、波照間に着いてからすぐ履歴書を出しました。ちなみに、原稿用紙2枚の作文を書かなきゃいけなかったんですが、波照間島には原稿用紙を売っているところがなくて。浦仲のおじいが出してきてくれた、古くて黄色くなったぼろぼろの原稿用紙に、「2枚しかないんだから失敗するなよ」って言われながら書いて、出しました(笑)。
 面接のときも波照間からそのまま行きましたから、背中にリュック背負って……でしたし、落とされてもしょうがないと思うんですが、無事に入社が決まったんです。QABの懐の深さには本当に、感謝ですね。

──QABでの5年間で、特に印象に残っている取材はありますか。

大矢 たくさんありますが、中でも忘れられないのは、2012年の7月19日、三上さんと一緒に行った高江取材です。その日、ヘリパッド建設に反対する人たちが座り込みを続ける中で、工事資材の搬入が強行されて。私はまだ入社して2カ月で、基地がつくられようとしている現場に立つのは初めてのことでした。
 撮影していて何より悔しかったのは、資材を搬入している業者も、それを身を呈してでも止めようとする人たちも、沖縄県民同士だということです。抗議する人が「あんたもウチナンチューなのに、なんで戦争のための基地をつくるのに協力するの」と言えば、業者は「俺たちも仕事だから」という。でも、やりとりを続けるうちに、互いの言葉のイントネーションから「あれ、あんた宮古島の出身なの、俺もだよ」みたいな話も出てきたりする。基地さえなければ、分断されなくて済んだ人たちなんですよね。
 それを見ながら、なぜ同じ県民同士が、日本とアメリカという二つの政府の取り決めで沖縄に集中的につくられた米軍基地の存在によってこんなふうに分断され、踏みつけられて傷つかなくてはならないのかと、悔しくてなりませんでした。しかも、刃を振るってその「分断」を生み出しているはずの当事者たちは、誰もその現場にはいないわけで。そういう状況を初めて目の当たりにして、泣けて仕方ありませんでした。


今だからこそ、戦争体験から学ばなくてはならない

──昨年春には、QABを退社してフリーになられました。

大矢 ハードな仕事で肉体的に疲れていたというのもあるんですが……ローカル放送であるQABにいて、年々悔しさが増していたということもありました。人々が分断されているこんなひどい状況を生んでいるのは「沖縄県民」ではなくて「国民」なのに、沖縄で起こっていることを知らなくてはならないのは「沖縄県民」よりも「国民」のほうなのに、という葛藤をずっと抱いていたんです。沖縄の報道現場で学んだ者として、沖縄を離れて、より多くの無関心な人たちに伝える仕事をしなければ、という思いがありました。

──そして今回の『沖縄スパイ戦史』につながるわけですね。

大矢 もともとは三上さんに、「テレビで沖縄戦の番組をやろう」と誘っていただいたんです。ただ、結局その企画は通らなかったので、せっかくだから映画としてつくろうということになって。最初は「予算もあまりかけず、1時間くらいの短いドキュメンタリーに」と言っていたはずが、結果的にはその倍の長さになってしまいましたが(笑)。

──共同監督という形ですが、取材や編集はどのように進めたのですか。

大矢 沖縄本島の取材は主に三上さんが、波照間のほか与那国島、石垣島、あとアメリカの取材は私が担当しました。取材中はLINEなどで時々報告し合って、それぞれの自分の撮影分を粗編集したものを持ち寄ってつなげる、という形で。最初につなげてみたときは5時間くらいあったので、それを少しずつ削って今の形にしていきました。

──完成・公開した今、どんな気持ちでいますか。

大矢 波照間にいたときから「やらなきゃいけない」と思いながらもやりきれなかったことが、やっとできたという思いですね。八重山での強制移住の真相や、その背景にあった陸軍中野学校卒業生たちによる作戦、そこから見えてくる沖縄戦の知られざる秘密戦の実態……。それも自分だけの力ではなくて、誘ってくださった三上さん、製作費カンパに協力してくださった方々はじめ、いろんなご縁が積み重なってできたものだと感じています。
 そう考えると、今これをつくりなさい、と誰かに言われてできたような映画のような気がします。戦後73年経って、なんでいまさら沖縄戦の話なの、と言う人もいるでしょうが、73年経ったからこそ伝えなきゃいけないんだ、という思いをこの映画に込めたつもりです。

     (映画『沖縄スパイ戦史』より

      (c)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会)


──73年経ったからこそ体験を話せるという方もいるでしょうし、私たちにとっても、戦争体験についての証言を直接聞ける、本当に最後の機会にもなりつつあります。

大矢 私たちは、過去の歴史からしか学べません。その歴史を語れる人がいなくなりつつある中で、私たちが何を学ぶのかが今、問われていると思います。
 「戦争体験者がいなくなる」というニュースを時々見かけますが、私はそれ自体は社会現象ではあってもニュースではないと思っています。本当に「ニュース」にすべき問題は、私たちがたくさんの人たちが語ってくれた戦争体験を、ただの「かわいそうな、つらかった記憶」にしてしまって、民衆がどんなふうに国家に利用され、捨てられてしまったのかという大事なところを学び取ってこなかったこと。だからこそ、安保法制が成立したり、沖縄に新しい基地がつくられるような、そんな状況になってしまっているのではないでしょうか。73年目を生きる私たちは、もしかしたらもう「戦前●年」を生きているかもしれない。今こそあの戦争から学ばなくてはいけないんだと思います。

──今後、取材したいテーマなどはありますか。

大矢 今年の秋からアメリカに行く予定で、最低1年は滞在したいと思っています。QAB記者時代に『テロリストは僕だった』という、イラク戦争で戦い、沖縄での基地反対運動に身を投じた元米兵を追ったドキュメンタリーをつくったので、その取材を続けたい。経済的理由から入隊した若者、ホームレス生活になってしまったり、PTSDで苦しんだりしている元兵士、軍で性暴力を受けた女性兵士……そうした人たちを、もっと丁寧に取材してきたいと思っています。

──『沖縄スパイ戦史』もそうですが、軍隊というものの本質が見えてくる内容になりそうですね。

大矢 そうですね。軍隊というものが「国防」の名の下にいかに兵士の人間性を破壊して機械化していくかかかわった民衆を利用して捨てていくか、それはおそらくどこの国でも同じで。その部分を、もっと追及したいと思っています。
 波照間にいたとき、浦仲のおじい──昨年に亡くなられたのですが──にこんなことを言われたことがあります。「英代には、学んだ者としての責任があるんだ」。おじいやおばあの世代は、学校に行きたくても行けなかったし、行っても「国のために死ね」という軍国主義教育しか受けられなかった。本当の教育というものを自由に受けられなかった悔しさを、今も背負って生きているんだ、と。
 それに対して、私たちの世代は「自由に学ぶ」ことができる。その中で、沖縄戦を、戦争マラリアを学ぶということを決めたからには、ただ興味本位の学びで終わらせるのではなくて、学んだ者の責任を果たせるようにしっかりやりなさい、と言ってくれたんです。『沖縄スパイ戦史』をつくっている間、いつも心に抱いていた言葉ですが、これからもずっと心にあり続けると思います。

(構成/仲藤里美・写真/マガジン9)


『沖縄スパイ戦史』
那覇・桜坂劇場、東京・ポレポレ東中野、大阪・第七藝術劇場、京都シネマなどにて公開中。ほか全国順次公開
公式ホームページ http://www.spy-senshi.com/


(おおや・はなよ) 1987年生まれ、千葉県出身。ジャーナリスト、ドキュメンタリスト、早稲田大学ジャーナリズム研究所招聘研究員。2012年、琉球朝日放送入社。2016年に制作した「この道の先に〜元日本兵と沖縄戦を知らない私たちを繋ぐもの〜」でPROGRESS賞優秀賞、同年制作「テロリストは僕だった〜沖縄基地建設反対に立ち上がった元米兵たち〜」でテレメンタリー年間優秀賞などを受賞。2017年にフリー転身後は、「戦争・軍隊と人間」「米兵のPTSD」「沖縄と戦争」「国家と暴力」をテーマに取材活動を続ける。共著に『市民とつくる調査報道ジャーナリズム』(彩流社)。『沖縄スパイ戦史』が初映画監督作品。
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●「戦争マラリア」…いま再び自衛隊配備で先島諸島住民を分断し、「戦争や軍隊の本質」の記憶を蘇らせる…

2018年08月14日 00時00分40秒 | Weblog

[※ 『沖縄スパイ戦史』(三上智恵大矢英代共同監督) (LOFT)↑]



東京新聞の吉原康和記者による「戦争マラリヤ」に関するルポ。
【<「餓死」の島 戦争マラリアの悲劇> (上)飢えと病の地獄があった】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080502000123.html)と、
【<「餓死」の島 戦争マラリアの悲劇> (中)消えた集落 補償もなく】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080602000118.html)と、
【<「餓死」の島 戦争マラリアの悲劇> (下)人口急増で被害拡大】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080802000142.html)。

 《島中央部では、陸上自衛隊宮古島駐屯地(仮称)の隊舎などの工事も始まり、近い将来、警備部隊やミサイル部隊などが配備される。「島では軍隊と『カジノ』がやってくるとささやかれています」…沖縄戦が始まると、日本軍の命令でマラリアにかかる恐れの大きい地域に強制疎開させられた住民の間で犠牲者が急増し、戦争マラリアと呼ばれた》。
 《同じマラリアで死亡しても、軍人・軍属の遺族には国から遺族年金などが支給されていることを知る島民は少ない。…海軍飛行場建設で運命が暗転、厳しい戦後を生き抜いた久貝さんが言う。「好んで住み慣れた集落から出て行ったわけではない。マラリアの危険と隣り合わせの湿地帯での生活に追いやられ、軍人と同じようにマラリアで死亡しても、われわれには何の補償もない。今にして思えば、不公平だという気持ちでいっぱいです」》。
 《石垣島を中心とする八重山諸島では戦中・戦後(一九四五年)、日本軍の命令で住民の多くがマラリア有病地へ強制疎開させられたことなどから、マラリアで三千六百人以上の住民が亡くなった》。

 『沖縄スパイ戦史』で、三上智恵大矢英代 共同監督は《戦争や軍隊の本質を伝えたい》と云う。でも、本土にはほとんど伝わらないし、知ろうともしていないようだ。アベ様や最低の官房長官は、やりたい放題。それを許す「本土」の自公支持者。
 「戦争マラリア」と「戦争や軍隊の本質」。いま再び、先島諸島への自衛隊配備で住民を分断し、「戦争や軍隊の本質」の記憶・悪夢を蘇らせようとしている。《沖縄の戦後は終わらない》ままだ。

   『●現在進行形の「身代わり」: 「反省と不戦の誓いを…
             沖縄を二度と、身代わりにしてはならない」
    《先島諸島と呼ばれる沖縄県南西部の島々が自衛隊配備で揺れて
     います。蘇るのは戦争による悲劇の記憶です…宮古島には
     七百人規模、石垣島には六百人規模のミサイル部隊と警備部隊を
     配備する計画です。地元では…住民の意見は割れているのが実情です。
     …有事には自衛隊が標的にされ、周辺住民が巻き込まれると心配する
     声が聞こえてきます。底流にあるのは先の戦争の悲惨な記憶です。
     大戦末期、米軍の攻撃を避けるため、この地域の住民はマラリア発生
     地帯への疎開を軍部によって強制され、多くの人が罹患して亡くなり
     ました。患者数は当時の人口の約半数とも言われています。同じく
     大戦末期には、軍命により石垣島から台湾に疎開する際、船が米軍に
     攻撃され、多くの犠牲者が出ました。
     自衛隊配備でこうした戦争の記憶が蘇るのです》

   『●「防波堤」としての全ての「日本全土がアメリカの「風かたか」」
               …米中の「新たな戦争の「防波堤」に」(その1)
    《とくに石垣島の場合は地上戦がなく、空襲で178人が亡くなっている
     のですが、一方で、日本軍の命令によって住民たちがマラリアが
     蔓延する山奥に押し込められ、しかも日本軍は特効薬を大量に持って
     いたにもかかわらず住民に使うことはなく、結果3647人も亡くなって
     います。これは米軍が上陸してきたときに住民が捕虜となり、情報が
     筒抜けになることを避けるため、ゆるやかな集団自決を住民に強制した、
     ということでしょう。じつは沖縄でも、この一件は「たまたま疎開した先に
     マラリア蚊がいて、マラリアが蔓延してしまった」というくらいにしか
     捉えていない人が多い。映画のなかで山奥に押し込められた体験を
     証言してくださった方が出てきますが、この映画での新証言なんです。
     この部分は、どうしても映画のなかに残しておきたかった。
     軍隊がいたから、石垣島ではマラリア地獄が起きた。軍隊の論理で
     死ななきゃいけない人が出てきてしまった、ということですから》

   『●『沖縄スパイ戦史』(三上智恵・大矢英代共同監督): 
           「「スパイリスト」…歪んだ論理が生み出す殺人」
    《今回は、そこに大矢監督の静かな怒りが加味された
     日本軍の命令による、マラリア地獄への住民強制移住という事実の
     掘り起こしである。1944年暮れのある日突然…波照間島民たちの
     西表島への「疎開という名の強制移住」だった。西表島は今でこそ
     明るい観光地になってはいるが、当時は「マラリア地獄」と呼ばれる
     ような死病の蔓延する島だった。強制された移住先で何が起こったか》

   『●三上智恵・大矢英代監督映画『沖縄スパイ戦史』…
       「戦争というシステムに巻き込まれていった人たちの姿」

    《「戦争や軍隊の本質を伝えたい」…戦争中に多くの住民が罹患した
     「戦争マラリア」について大矢さんは、「陸軍中野学校出身者の命令に
     よって、波照間島の住民が当時マラリアが蔓延していた西表島
     移住を強いられた。米軍ではなく、日本軍の命令によってあれだけの
     被害がでた。そこに軍隊の本質が見えるんじゃないかと思って取材を
     しました。苦しみを抱えて語りたがらない体験者に、頭を下げて話を
     聞きました」と話します》

   『●「改めて身に迫るのは、軍隊というものが持つ狂気性」(高野孟さん)と、
                            いまも続く沖縄での不条理の連鎖

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080502000123.html

<「餓死」の島 戦争マラリアの悲劇> (上)飢えと病の地獄があった
2018年8月5日 朝刊

     (「宮古ブルー」と呼ばれる美しい海に引かれ多くの観光客が訪れる。
      後方は無料で渡れる橋としては日本最長の伊良部大橋=沖縄県
      宮古島市で(潟沼義樹撮影))

 「宮古ブルー」と呼ばれる透き通る青い海とサンゴ礁に囲まれた沖縄県・宮古島は今、建設バブルの真っただ中にある。沖縄本島から南西に約二百九十キロ。宮古、伊良部、下地など六つの島からなる宮古島市は、さいたま市とほぼ同じ面積(約二百平方キロ)に約五万五千人が暮らす。あちこちで高級リゾートホテルやアパートの建設が進み、人手不足のため島外からも建設作業員が集まる。
 宮古島と伊良部島とを海上でつなぐ全長三・五キロの伊良部大橋は三年前に開通し、絶景スポットとして人気を集める。大型クルーズ船の就航数は急増し、伊良部島に隣接する下地島(しもじしま)空港は来春、国際空港化される。二〇一五年度に約五十万人だった観光客数は本年度百万人を突破する勢いだ。
 島中央部では、陸上自衛隊宮古島駐屯地(仮称)の隊舎などの工事も始まり、近い将来、警備部隊やミサイル部隊などが配備される。「島では軍隊と『カジノ』がやってくるとささやかれています」。駐屯地前で毎朝、抗議活動をしている上里清美さん(62)が皮肉交じりに語る。
 急速に変貌する宮古島では、沖縄戦の記憶が風化しつつある。戦時中、そこには三万の日本兵がいた。旧平良(ひらら)市などで構成した「宮古市町村会」が戦後五十年の一九九五年に発刊した『太平洋戦争における宮古島戦没者名簿』には、この島で戦没した約二千人の軍人・軍属の名前が都道府県別に記されている。その大半は、東京や神奈川、愛知など島外出身者だ。
 沖縄本島のような地上戦がなかったにもかかわらず、島で一体、何が起きていたのか。島内の歌碑に、七十三年前の光景が刻まれていた。

   「補充兵われも飢えつつ餓死兵の骸(むくろ)焼きし宮古(しま)よ
    八月は地獄」 (編集委員・吉原康和)

     (高沢義人さんが詠んだ短歌を記した歌碑に手をつく
      宮古郷土史研究会顧問の仲宗根将二さん=沖縄県宮古島市で)


◆孤立、食料も薬も絶たれ

 宮古島の中央に位置する野原岳(標高一一〇メートル)には、航空自衛隊の宮古島分屯基地があり、南西空域を監視している。戦時中、ここには陸軍第二十八師団が司令部を構えていた。<補充兵われも飢えつつ餓死兵の骸(むくろ)焼きし宮古(しま)よ八月は地獄>。島の悲劇が刻まれた歌碑は野原岳の麓にある。
 この短歌は一九八一年、朝日新聞に投稿され、高い評価を得た。作者は四四年秋から一年半、衛生兵として島に駐留した高沢義人さん(故人)だ。復員後、教員や千葉県松戸市議を務める傍ら、島での経験を詠み、歌集を出版。込められた反戦の思いに心を打たれた、歴史教育者協議会宮古支部の仲宗根将二(まさじ)さん(83)と交流が始まった。
 高沢さんは仲宗根さん宛ての手紙に「毎日、飢えながら、栄養失調とマラリアで亡くなった兵士を荼毘(だび)に付していました」と当時の惨状を記し、「兵隊は現地で悪いことをしていたので、私はもう宮古島へは行けません」と伝えた。
 「悪いこと」とは、住民の食料を盗み食いしていたことだという。仲宗根さんの説得で、高沢さんが島を訪れたのは終戦翌年に島を離れてから五十二年を経た九八年。歌碑は二〇〇五年に仲宗根さんら島の有志が建立した。
 サンゴ礁が隆起してできた小さな島に四三年秋から日本兵約三万人が駐留し、海軍と陸軍の飛行場が三つ建設された。島は軍人と住民の雑居状態だった。
 島で新聞を発行していた瀬名波栄さんが出版した「先島群島作戦(宮古編)」では、戦病死した日本兵は二千五百六十九人とされ、九割はマラリアと栄養失調が原因としている。

     (「飢餓とマラリア感染による複合的要因」と軍人の死因を語る医師の
      伊志嶺亮さん=沖縄県宮古島市で)

 沖縄戦が本格化した四五年四月以降に限っても、島で戦病死して靖国神社に合祀(ごうし)された軍人・軍属は九百人以上で、空襲や艦砲射撃などによる戦死者の三倍にのぼることが本紙の調査で判明している。
 戦病死者が多かった理由を、島の医師、伊志嶺亮さん(85)は「疎開者を除き人口約四万人の島に三万の兵が来たのだから、食料不足が一番大きい。死因は飢餓とマラリア感染による複合的要因だ」と指摘する。
 終戦直後に弟をマラリアで亡くした元沖縄県畜産会事務局長の久貝(くがい)徳三さん(84)は「自宅近くの陸軍病院前で、焼却場に運ばれる兵隊の遺体を毎日のように見た。兵隊たちが話す『マラリア』という言葉をよく耳にした」と語った。
 仲宗根さんは歌碑を前に、当時軍が置かれた絶望的な状況を指摘した。

   「制海権と制空権を米軍に奪われ、内地からの輸送は途絶えた。
    武器弾薬はおろか、食料も医薬品も届かない。マラリアに侵されても、
    医薬品がないから、百二十人の軍医を擁しても、なすすべもなかった」 

(編集委員・吉原康和)

戦争マラリア> マラリアは熱帯から亜熱帯に分布する原虫感染症で、宮古島や八重山諸島などを含む先島諸島には戦前から存在した。沖縄戦が始まると、日本軍の命令でマラリアにかかる恐れの大きい地域に強制疎開させられた住民の間で犠牲者が急増し、戦争マラリアと呼ばれた
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080602000118.html

<「餓死」の島 戦争マラリアの悲劇> (中)消えた集落 補償もなく
2018年8月6日 朝刊

     (終戦後、マラリアで廃虚と化した袖山集落の惨状を語る
      久貝義雄さん=沖縄県宮古島市で)

   「戦争は終わったのに、毎日のようにマラリアで死んでいった…」

 一九四三年秋、沖縄県・宮古島に海軍飛行場(現宮古空港)を建設するため、北へ約二・五キロ離れた袖山集落に強制移住させられた元小学校校長の久貝(くがい)義雄さん(87)は、マラリアまん延の恐ろしさを淡々と語った。「葬式の連続。ここにいたら命が助からないと、四十戸余りあった集落の人たちは次々と逃げ出し、最後まで残ったのは私と兄だけでした」
 地元の宮古タイムス紙は四六年十一月に、袖山集落の惨状を伝えている。総戸数四十一戸、住民三百六十人のうち、マラリアに罹患(りかん)したのは三十九戸、三百五十人(97%)で、死亡者三十八人、夫婦死亡七組、一家全滅一戸(五人)…。

     (かつて袖山集落があったとみられる宮古空港の北部=沖縄県宮古島市で)

 久貝さんもマラリアに感染した。終戦で少年兵部隊「鉄血勤皇隊」を除隊となり、自宅に戻って間もない四五年十一月ごろ、突然ガタガタという震えに襲われた。高熱を発し、意識がもうろうとして約一カ月、生死をさまよった。

   「耳元でかすかな声がし、はっと気づいた時に、枕元で母が泣いて
    いました。私が治った後、その母も交代するように発病して一週間後に
    死に、父親も後を追うように死んだ」

 袖山には井戸水も畑もなかった。住民は毎日、デコボコの山道を約二キロ下った隣の集落に水くみに行き、沖縄製糖工場の土地を借りてイモや粟(あわ)などを栽培して生活していた。
 久貝さんは、マラリア大流行の要因を「水をくむのも、畑仕事をするのもマラリアの巣窟の湿地帯だった。そこで、住民が蚊にさされて猛烈な勢いでマラリアが広まったのではないか」と推測する。
 久貝さん兄弟がこの地を去り、袖山集落は廃村となった。袖山と同じように、海軍飛行場建設に伴って立ち退きを迫られた住民の強制移住先だった七原、富名腰(ふなこし)、腰原(こしばる)の三地区には、二〇一〇、一一年に公民館が建設された。各地の旧軍飛行場建設で立ち退きを迫られた地権者に対する戦後処理の一環だが、廃村となった旧袖山集落の人々の声は届かないままだ
 また、同じマラリアで死亡しても、軍人・軍属の遺族には国から遺族年金などが支給されていることを知る島民は少ない
 海軍飛行場建設で運命が暗転、厳しい戦後を生き抜いた久貝さんが言う。「好んで住み慣れた集落から出て行ったわけではない。マラリアの危険と隣り合わせの湿地帯での生活に追いやられ、軍人と同じようにマラリアで死亡しても、われわれには何の補償もない。今にして思えば、不公平だという気持ちでいっぱいです」

(編集委員・吉原康和)
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080802000142.html

<「餓死」の島 戦争マラリアの悲劇> (下)人口急増で被害拡大
2018年8月8日 朝刊

     (宮古島のマラリア有病地域が描かれた地図=
      沖縄県宮古島市で(宮古保健所所蔵))

   「終戦翌年に台湾から帰ってきた時、宮古島は『八万郡民』と呼ばれるほど、
    台湾や外地からの引き揚げ者などであふれ返っていた。米軍が
    本格的にマラリア撲滅に乗り出すのは一九四七年で、終戦直後の
    対策空白期に住民の被害は集中した」

 一九四六年春、台湾から米軍の船で、沖縄県・宮古島に帰郷した医師の伊志嶺亮さん(85)は、島内で一万人以上が罹患(りかん)し、死亡者数四百二十八人を記録した四七年のマラリア流行を振り返った。
 四六年二月に宮古島に駐留した日本軍の引き揚げが完了。それに代わる形で、マラリアに感染しやすいマラリア有病地域の台湾に居住・疎開していた一万人以上の住民が島に戻った。ほかの外地の引き揚げ者や帰還兵も含めると、島の人口は四六年十二月現在で、日本兵の駐留当時と変わらぬ七万人を突破していた。
 元琉球大教授の川平成雄さん(68)は「台湾からのマラリア感染者を含む大量の引き揚げ者などを抱え、宮古島の食料不足が継続し、マラリアが猛威を振るうに至った」と分析する。
 宮古島から南西へ約百十キロの石垣島を中心とする八重山諸島では戦中・戦後(一九四五年)、日本軍の命令で住民の多くがマラリア有病地へ強制疎開させられたことなどから、マラリアで三千六百人以上の住民が亡くなった。
 一方で、戦時中、マラリアが原因で亡くなった宮古島住民の被害実態は今もって判然としていない。宮古保健所の保存資料では、四四~四六年の島民のマラリア死者数は不明のまま。戦後、マラリア撲滅業務に従事した元同保健所職員の下里泰徳氏(故人)はその理由について、沖縄戦で担当の「(マラリア)防圧所の業務は中断され」と記していた。
 宮古島では終戦前後、多くの地域で住民がマラリアで命を落とした。住民三十人余が死亡、廃村となった袖山集落をはじめ、九十戸余りの島尻集落でも四五年夏、「百人以上の死者が出た」との証言が保健所に残されている。
 島の東海岸側の島尻、城辺や下地などは戦前から、マラリアの発生源となる水田やため池などの湿地帯が存在。マラリア有病地も島内で十四カ所に上ったが、マラリアに関するデータや研究蓄積は少ない。
 川平さんは「八重山の歴史は、マラリアによる廃村や強制移住による村建てなど、マラリアに極めて敏感だった。これに対し、宮古島では、マラリアの恐ろしさについて認識不足があったのではないか」と指摘。
 その上で、宮古保健所に記録が残る四七年のマラリア患者数「一万二千百三十一人」をベースに死亡率を5%として、四四~四六年までの年間死者数「六百七人」と試算し、こう断言する。「長期に及ぶ戦争の影響がもたらす住民被害の実相をきちんと解明しない限り、沖縄の戦後は終わらない」 

(編集委員・吉原康和)
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●「ぼくらは差別が見えていない」 『週刊金曜日』(2014年5月9日、990号)

2014年05月12日 00時00分09秒 | Weblog


週刊金曜日』(2014年5月9日、990号)について、最近のつぶやきから、AS@ActSludge。

 今週のブログ主のお薦めは、矢崎泰久さん【発言2014】「平和を口にしながら武器商人になりきっているリ-ダーたちはオバマだろうとプーチンだろうと習だろうと信用ならない。世界一のタワケ者は安倍一味だが・・・・・・」と、高田健さん【国民不在のスピード審議 7党共同翼賛体制で改憲手続法改定強行へ】。

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■①『週刊金曜日』(2014年5月9日、990号) / 「ぼくらは差別が見えていない/浦和レッズの無観客試合から考える」。福田優美氏【木村元彦氏が語るサッカー界の民族差別】、能川元一氏×辛淑玉氏【安倍首相も在特会も差別の論理は同じ】。戦争の端緒(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/e4fff2e56d3ac71449d6db42a0892483

■②『週刊金曜日』(2014年5月9日、990号) / 横田一さん【沖縄市長戦と鹿児島2区補選 基地、原発かけて自公が辛勝】、「「基地」外して自公結果・・・・・・これで本当に「世界一厳しい基準」といえるのか」。「ずかしいー! 「安定的で安いエネルギー」なんてまだ言ってるし!!」(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/92f78f5911b3bc9fe496a85ed415a0fc

■③『週刊金曜日』(2014年5月9日、990号) / 渡辺仁氏【日弁連、FC法制化で公開討論 米代表「日本のセブン酷い」】、「セブンーイレブン・・・・・・アメリカで25年やっているがそんな理由は聞いたことがない」。『セブン-イレブンの正体』(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/7e309ae417490bc5365050e446161ce6

■④『週刊金曜日』(2014年5月9日、990号) / 三宅勝久さん【「たちかぜ」事件で賠償命令 海自の隠蔽関与認定】、「鈴木健太裁判長は・・・・・・海自が「破棄した」と偽りの回答をし、艦長の落修司1佐も文章の存在を知っていたとして断罪」。第2のイジメの監視も(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/5a64c50bab6de3a4a19e5e6a973f51b0)

■⑥『週刊金曜日』(2014年5月9日、990号) / 本多勝一さん【風速計/生命の満ちたこの星で】、「自分の住む星を核による自爆で破壊することさえやりかねない生物(人類)。そんな生物が、真に目ざめるときは、来るものでしょうか」。その(生物)の中でも日本人・・・・・・

■⑦『週刊金曜日』(2014年5月9日、990号) / 【黒島美奈子の政治時評/「尖閣防衛」よりも共存を 漁民の願いかき乱す共同声明 安倍首相したり顔の裏には・・・】、「共存・・八重山諸島の住民により強い」。なのにアベ様達は火遊びがお好きだ(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/a0c924d299949bcf9f743cffd53354ce

■⑧『週刊金曜日』(2014年5月9日、990号) / 高田健さん【国民不在のスピード審議 7党共同翼賛体制で改憲手続法改定強行へ】、「共産・社民を除く、事実上の翼賛体制ともいうべき衆院与野党・・・・・・世論調査をめぐる船田委員のウソ」。立憲主義崩壊(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/08e4b176dd9a9e274deb5b34a1b9512a

■⑨『週刊金曜日』(2014年5月9日、990号) / 北原みのり氏【上野千鶴子さんの講演に横やり入れた山梨市長の妄想は安倍首相そっくり!】、「山梨市長・・山積みだというのに。彼が意欲的に取り組んでるのは、図書館の予算削減とフェミニストの講演つぶし・・・・・・過剰防衛が、もはや幻想の域

■⑩『週刊金曜日』(2014年5月9日、990号) / 松元ヒロさん【写日記その30】、「ドキュメンタリー映画『ザ・思いやり予算』・・バクレーさんが「」ヒロさん、ギャラなんですが・・・・・・」「大丈夫、『予算』がないんでしょ? 私の『思いやり』!」。さすが「憲法くん」(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/9cf92a972ac07b0d0538d9f8b4167b3a

■⑪『週刊金曜日』(2014年5月9日、990号) / 矢崎泰久さん【発言2014】、「平和を口にしながら武器商人になりきっているリ-ダーたちはオバマだろうとプーチンだろうと習だろうと信用ならない。世界一のタワケ者は安倍一味だが・・・・・・」。死の商人http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/08e4b176dd9a9e274deb5b34a1b9512a
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