ACC-J [Alpine Climbing Club of Japan]

東京の山岳会『ACC-J』のページです。

松原社長の思い出

2007年10月27日 15時25分46秒 | 山岳会
岩手の木村です。松原社長には強烈な思い出があります。あれは私が現役バリバリの頃、ACC-J茨城とACC-J東京が合同で谷川岳一ノ倉沢集中クライミングをしたときです。一ノ倉沢テールリッジを登り、本谷バンドで休憩した時に松原社長が奥様の愛妻弁当を広げて食べようとした時に、松原社長の後ろから私と金沢の清チャンが手を伸ばして愛妻弁当の中の卵焼きを数個分捕りましたが、これがその後の悲劇の始まりでした。私は一ノ倉沢の二ルンゼをトップで登攀中に吐き気を感じて、ハーケンに縋りながら嘔吐を繰り返しました。下からは『キタナーイ』とか『ばーか』とかの罵声を浴びせられながら、何とか二ルンゼを登り切り、国境稜線にたどり着くと同時にズボンとパンツを脱ぎ捨てて草薮の中に駆け込みました。上と下から毒素を出したので何とか落ち着きを取り戻し、自力で歩いて下山可能な状況になりましたが、松原社長と清チャンは四ルンゼ登攀中に行動不能に陥り、やっとの思いで国境稜線に這い上がりフラフラの状態でした。3人が本谷バンドで食べた卵焼きに当たってしまったみたいです。松原社長と清チャンの2人はフラフラの状態なので、他の会員が2人に付き添いながら芝倉沢を下り、一ノ倉沢出合に戻ったのは夕方でした。普段の行いが悪かった3人に天罰が下った1日でした。
写真は剣岳八ッ峰6峰登攀後の松原社長、名雪隊長、金沢の清チャン


松原丈夫の永眠

2007年10月25日 12時01分40秒 | 山岳会
こちら連合艦隊です、2007年平成17年10月19日11時07分松原丈夫は息を引き取りました、
通夜、23日18時~19時
告別式、24日10時~11時曹洞宗で執り行われました、戒名 峰譽丈観信士でした、ACC-Jの多くの方の参列、弔電などを戴きました、高桑氏本人のご弔問も戴きました。
 4年前の11月、神谷バーにおいて高桑氏の出版記念祝賀パーティーに出席した何日か後の仕事で事故に合い意識不明のまま4年弱が過ぎようとする時でした、この間奥様の献身的な看護は並大抵のことではありません、奇跡的な回復を祈り続けましたが、本人の頑張りと奥様ご家族の頑張りとで4年間持ちこたえ、安らかな永眠を得ました、シブタイのトキワドウを通ってミッタンから登った、の松原語録はわれわれACC-J会員の胸に永遠に残るでしょう、アホの清しに続き松原語録をわれわれは失いました、山もだんだん寂しくなって行きそうです、が
(有)松原工業は次男の稜次が後をついで、立派にやっています、男4人兄弟は物凄い力強さガ有ります、ご安心下さい、これからは矢張り若い人の時代です、又賑やかになりそうです、松原を何時までもわすれづに居てやって下さい,合掌。

定例集会

2007年10月16日 23時59分47秒 | 山岳会
本日16日の集会は新小岩の『魚三』 

今回まずはちょっとした重要事の
”木村氏の発表”から始まり、
いつも通りの最近の山行報告とその反省点等の話。

それから各自のこれからの予定や抱負(?)を話す事に

まず会の予定というか要望的のひとつとして『なーげる祭』の
久しぶりの開催はどうだろうか?という一案が出る。
できれば茨城の方たちにも相談し忘年会的なかたちでどうだろうという案が出された。
(本図さんすみません勝手に盛り上がりました)

今年の残り後半へ向けてとして、
名雪さんの山形特別(特殊?)山行
僕(あら家)からの予定として、
小川山への短期クライミング合宿、

12月に再度タイはクラビーのライレイへ の4週間のクライミング合宿(?ほとんど遊びかも
その合宿への木村氏勧誘  木村さんすみませんm(_ _)m


来年の目標(抱負)として、
名雪艦長から 『谷川岳 中央カンテ』(夏期)をやろうと

それから以前から出されていた
水島会長と『北岳バットレス 中央稜ノーマルルート』(夏期)(木村氏案)の再確認

僕から 『錫杖岳 前衛壁 左方カンテ』
伊豆雲見崎 『海金剛 直上裏参道』  『海金剛 スーパーレイン』等の目標を話す。

今回は木村氏の発表もあってか、かなり話が盛り上がり
閉店までいたのにもかかわらず、
注文した食事おつまみが珍しく食べ残されるくらいでした。
(のち会計のぎりぎりに僕が平らげました

次の店の2次会まで盛り上がり、
酒ばかりでおつまみ注文忘れ激安会計になり、
お店の店主さんにはご迷惑?だったかも
次回はもっとちゃんと注文しますという感じで11時頃終了

いじょ

ACCJ沢キャンプ

2007年10月09日 22時32分39秒 | キャンプ&アウトドア
K沢に行きました。

メンバー、名雪艦長、仲川氏、荒井(貞、郁)4名

6日夜11時半名雪邸集合後出発
現地近くの駐車スペースに3時過ぎ到着すぐテントを張り小宴会。

その後名雪艦長と仲川さんがテントで、
僕ら2人が車でそれぞれ仮眠。

翌朝6時くらいから出発!登攀&遡行開始
途中郁が竿を出し釣りに挑戦、お手本に仲川さんがかなり大型2匹ゲット
その後艦長が手違いの放流リリース(逃がしちゃった

定着地(キャンプ地)までには9時くらいに到着。
今回郁手作りの傑作タープを素早く張りキャンプ地設営後
艦長と仲川さんが先行して釣りへ!
僕らは焚き木を拾い集め後に合流することに。
1時くらいまでに焚き木を満載にし、釣りをしながら遡行開始。
3時くらいに合流。
釣果は短時間と、きのこ取りをしながらもあり、
全部で10匹少ほどでしたが、

型がかなり良く夜の宴会の時刺身にしてぜんぜんOKの大きさで、
名雪艦長名誉挽回
脂がのっていて、すごく んまかったです

今回の沢ではたったの1泊でしたのでちょっと物足りませんでしたが、
午前1時半頃から雨が降り始めたので、ま仕方ないかと納得?し
早朝早めに下山する事に。

朝9時頃には車まで戻りゆっくりと帰宅の徒につく。
途中に入り『えびす食堂』で4人ともカツ定食を食べて帰りました。

ほか成果として、ナラタケ、ヌメリスギタケ、ブナハリタケ等を収穫。

いじょ