あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

信長の印が楕円なワケ

2006-10-16 12:48:17 | 
その日、いつものように本屋さんで、何か面白いものはないかと物色していた目に止まったのが、
 「信長と十字架」 立花京子 著 集英社新書 

これは、相当な奥深い本の用に思えた。なんとなくそんな気がした。
そして、歴史を知らない者にとって、理解するには、まだまだ他の本で、解説や、ガイドを求めながら、読み進めなければ、胃の腑にストンと落ちてはこない。

なにしろ、信長の後ろで本能寺の変を動かしていたのは、当時のイエズス会だというのだから、驚きだ。しかし、ぞくぞくする。
明智光秀の娘、細川ガラシャ。利休の弟子達にキリシタンが多かったこと。
織田有楽も、キリシタンだった。

時の公家や、将軍もイエズス会との接触が思いの外沢山あること。
九州の大友宗麟が深くポルトガルと手をつなげていたこと。
鉄砲が、南蛮の品々が、宗麟の手元に沢山入ってきたことで、宗麟が力をつけていったこと。

本能寺のすぐ近くに南蛮寺があったし、信長が何故、イエズス会を介して、消される計画となったのか、しっかり読み込んでいきたい。

そんな中に、信長の天下布武の印、について述べているところに目が止まった。
今、東京博物館で、特別公開されている「古文書」に、
信長の印が展示されているのだ。
この目で確かめたいと思った。

信長の印が何故、楕円形をしているのか、それは、イエズス会と交流のあった、大友宗麟の影響があるだろうと言うのだ。
図解で、明白だった。

かつて、日本には、楕円という形が根付いていなかったこと。
大友宗麟、イエズス会、その印がそっくりで、楕円形。

楕円は、ヨーロッパでは古代エジプトのスカラベの形として、珍重されてきた歴史がある。その楕円が、日本に渡って、時の信長の印として使われた。
それも、天下布武。

おお~~~~~

叫ばすにはいられない。

何とも難しい本ではあるが、何としても読み解いていきたい。

東京国立博物館の特別1室。11月5日まで。
本物が目の前に。秀吉や、家康の古文書もお見逃し無きように。

この新書が、安土桃山の裏に追いやられてしまったキリシタンの生き様と、イエズス会が相当深く関わって、政治にまとわりついていたことを、ひたひたと解き明かす、絶好の日本版ダン・ブラウンキリシタン・コードとなることを夢見て。

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2 コメント

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細川ガラシャ (雪月花)
2006-10-16 16:42:00
あべまつさん、こんにちは。

先週のNHKの「その時歴史が動いた」もガラシャでしたし、来週の大河ドラマもガラシャがヒロインですね。当時の政治(まつりごと)とキリスト教との関係は実に複雑なのですね。初夏にオーストリアを旅しましたけれども、音楽の都にまでガラシャの悲話が伝えられ、オペラにまでなっていたことに驚きます。宗教は芸術と切り離せないけれど、日本の政治もかつては宗教と切り離しては考えられなかったことを思うと、宗教のことをおざなりにして、芸術の美や歴史を深く理解することはできないのかも‥ とつくづく考えさせられます。
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雪月花さま (あべまつ)
2006-10-17 10:43:18
おはようございます。

堅いお話に乗って頂いて、感謝です。

何故か、キリシタン、と言う言葉に怪しい空気を感じていました。

美しい珍しいものに眼がないストイックな信長にとって、キリスト教はとっても興味そそる流行最先端の文化だったんじゃないでしょうか?

宗教史が、美術史であることも充分納得です。しばらくこの本とつきあうことにします。

著者もスゴイですよ。朝カルの古文書講座に9年通って、研究を深め、お茶大の博士号を取った、パワフルな女性です。
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