あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

代理出産

2006-10-24 11:35:29 | つらつら思うこと
代理出産で、高齢の母が娘の子を産んだ。
自身の体が病気のため、子が産めなくなったから、
是非にと、自分の母親のお腹を使って、
我が子を産んでもらった。
娘の母は、娘の思いを達成させるためには何でもするのか?

そんなにも強欲になる必要があるのかと、私はとても不安に思った。
生まれてきた子は、どう思って育っていくのか?

芸能人にもいる。
やはり病気となって、子が産めなくなった。
ご主人に是非父親となって欲しかったと。
他人のお腹を借りて、契約して、そして我が子だと。
今は、その子を自分の子としての認知をお役所に迫る戦い中だ。

私は、そんなことをしてまでも我が子が欲しい人の気持ちがわからないから、
こんな余計な心配をしているのだろう。

しかし、
お金で契約したお腹を貸した人の人生は、どうなのだろう??
一生、あの人達の子供を私がこのお腹で育てて、産んだのだと思いながら
生きていくのだ。
10月(とつき)自分のお腹が段々膨らんでいく経験をしたのだ。
お金で、契約したのだ。
自分のお乳も膨らんできただろうに。
この子のために膨らんできたお乳や、お腹を他人のために使っている。
母になることを感じなかったのだろうか?

娘の母親が、あなたは私から生まれたのよと娘の子供に言うのだろうか?
子供は、どう思うだろうか?
孫ではないのだ。
ノーマルに夫婦の営みができない、子が生まれない。
できないことを受け入れることは難しいのだろうか?

必死で生まれるために何もかも注ぎ込んで生まれた子供は
その期待に潰れないだろうか?
親も、こんな思いをして獲得した子供に対して、
親となったことに潰れないだろうか?
あなたは大変な思いをして生まれてきたのよ。
親の思いは、子にどのくらい通じるのだろうか?
自らのお腹を使っていないのだ。

密通で、母親が違う父親の子を産んだとしても、
それは、罪深い間違いで終わる。
父親はよく知らない女に子を産ませてきた。
それは寧ろ、ノーマルな間違いだ。
お家騒動の骨肉の戦いとは、別次元だ。

人間は罪深い。

マドンナが養子縁組みをしたのとは、問題が違う。

人が触れては行けない聖域という物があるのだとしたら、
そこに踏み入ってしまったのではないかと恐れる。

母親になれない人が、その弱さを嵩に他人を巻き込んで、
思いを達成させる。
それで、いいのだろうか?

国は、しっかり、基本ガイドラインを決めて、ダメな物はダメなんだと、
きっちり決めてかかる必要もあるのではないだろうか?
そうしないと、産科学会など患者さんの要望というのではなく、
ニーズがあって、経済効果がある物には、何でも手を出してしまいそうで、
そっちの方が怖いのだ。

後々、後悔をする人達が増えないように、よくよく考えて頂きたい。

慈しむ、と言う言葉を大切にしたい。

後書
今日、10月25日の朝日新聞にこのことの記事が掲載されてます。
代理出産は、反対です。
子供の命は、天からの授かりもの。
人の手が下しては行けない、境界線を守らなくては、
欲望をかなえる為に何でもしていいことになってしまうし、
世界中、子供達は幸せか、恵まれない環境の子供達、病気の子供達、親がいても
虐待されて育っている子供達。
代理出産にかかる莫大なお金と、心労と、夫婦以外の体と心も巻き込む家族作りに胸騒ぎがするのです。

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