あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

2018年アート鑑賞 あべまつベストテン

2019-01-04 18:49:23 | 美術展
 
 2018年は圧倒的に分母が少なくなった一年となりましたが、
 逃したくない、近隣の展覧会にはなんとか駆け付けることができました。

 入場者数を記録したビッグ展覧会や、美術記事とは
 レベルが違い過ぎてお恥ずかしいのですが、
 あべまつ主観のベストテン、上げてみようと思います。
 

 10 ルーベンス展ーバロックの誕生  国立西洋美術館



   あの、ルーベンスが日本にやってきた、それだけでも大事件でした。
   西美の会場のなかで首が痛くなりそうになりながら、
   大大大作の前で絶大を体感しました。
   求める頂上の違いたるや、圧倒的肉弾に降参するしかないのでした。
   平面で有りながらも3D、立体彫刻を感じるなんて、圧倒すぎました。
   西洋美の気迫せまる展示に肉体美をまざまざと仰ぎ見るまれにみる
   展覧会でした。
   それにしても、アジア人と身体が違いすぎる!
   建築物が豪奢剛健すぎる!
   壮大さに降伏でした。
   

 9 マルセル・デュシャンと日本美術  東京国立博物館


  
   そもそもなぜ東博でデュシャンなのか?という疑問はかのダ・ヴィンチだって
   堂々と開催しているのだから、問題はないのですが、
   茶の湯の利休とタグを組む、という大胆な企画に驚き、ドギマギしました。
   利休とデュシャンは時々見立ての視線に共通項を見ると聞いたことがありますが
   どんな捌きをするのだろうと楽しみに行ってきました。
   会場はここが東博かと思うほど、展示デザインがデュシャン色となって
   一気に心を掴まれました。
   デュシャンの油絵、いいです、気に入りました。
   時代の流れと戦争の波乱のなかで
   クールな美紳士が美術常識をぶちこわす、斬新な発見、
   シュールな作品発表し続け、ダダイスト、マン・レイたちと活躍し
   写真の芸術性とナンセンスオブジェなど都会的知的オシャレジャンルを
   まざまざと見せつけられたのでした。
   美紳士は何をしてもカッコイイのだから、仕方がないと諦めもするのでした。
   それにしても後段の利休ゾーン、日本の美術への繫がりには唐突感が否めなかったのは
   残念でした。便器と竹の花器キャラクター効果はあったのでしょうか?
   デュシャンと利休のお眼鏡にかなう鑑賞力が問われたのか、貴方次第、なのでしょうか。
   尿瓶の花生け、あたり、突っ込んで欲しかったものです。
   その悶々はさておき、このユニークな企画とデュシャン漬けに高ポイントとしました。
    

 8 藤田嗣治展  東京都美術館



   都美での展覧会開催前に目黒区美で「藤田嗣治 本のしごと」展が
   4/14~6/10まで開催され、大変丁寧な展示に藤田嗣治という人の
   細やかな視線を感じました。
   その流れで、本展、という格付けのような没後50年記念の大展覧会。
   2006年、近代美術館で生誕120年記念として、18年ぶりに藤田嗣治展を開催されたことが
   とても印象深かったことを改めて思い出します。
   藤田の美しく繊細な作品からはうかがい知れない
   戦争が落とした大きな影によって、日本国籍を捨て、
   フランスに移住し仏国籍を取得するあたり、
   深い哀しみを禁じ得ません。
   とはいえ、彼の持ち前の明るさ、軽やかな筆致の挿絵や、
   手作りの様々なものをみつめると、一世一代の大作、なども
   絵を描くことで彼の人生が輝いたことに安堵もするのでした。
   今回の都美での展覧でもエネルギッシュに絵を描き続けた
   作品群から英気をもらうのでした。
   軽やかな絵を描いてもオシャレで品性があってうまいなぁと思いました。
   なんといっても線描きの人、そう確信しました。
   生まれ育った日本を心の底から愛していたことも忘れたくありません。
   久しぶりに藤田の仕事を総覧したように思いました。
   関連書籍として、
   「藤田嗣治 本のしごと」林 洋子著 集英社新書ヴィジュアル版
   林さんの丁寧な仕事に感銘しました。


 7 モネ・それからの100年 横浜美術館



   モネの作品とモネの作品に影響を受けた現代の作家作品が
   展示会場に並ぶという、珍しい企画展でした。
   画家の誰もが少なからず影響を受けていることに感銘しました。
   光を画面に表すと、それが必然的にモネに繋がっていきます。
   代表作からインスパイアされた現代の作家作品の中でも
   福田美蘭作品は飛び抜けて秀逸で、さすがだとうなってしまったのでした。
   また、横浜美術館の常設が半端なく気合いを入れてくるので、
   セットで見て回るとどっと疲労感も押し寄せてきます。
   このような企画に拍手を送りたいと思いました。
   常設にも、福田美蘭作品と遭遇できたのも、ラッキーでした。


 6 琉球 美の宝庫 展  サントリー美術館



   サントリー美の得意ジャンル、日本の美、その中でも琉球美術コレクションは
   日本屈指のものだと思いますが、今回は絵画にすばらしい作品があったこと、
   大変驚きました。
   ちょうどNHK大河ドラマ西郷どんが沖縄との深い関係を取り上げていたこととも重なり、
   沖縄の美術に注目が集まる好機となったように思います。
   中国と日本の影響を憧れともに受け入れてきた琉球の美。
   沖縄の自然と共鳴し独自の色彩文化を持っていた琉球。  
   紅型や漆器だけではなく、絵画作品をこれだけ展覧したことはありませんでした。
   花鳥図、山水図、肖像画、などなど、色鮮やかな作品群に感嘆しました。
   なかでも、佐渡山安健、絵手本を作成した孫億、の作品に目がとまりました。
   また、「貝擦奉行所」なる、王立の工芸部署があったことを初めて知りました。
   色彩豊かな漆器の螺鈿細工の微細な技術は、この貝摺奉行所の存在が
   後押ししていたとしても、その素晴らしさに目を奪われました。
   これらの琉球工芸の研究に一躍を担った鎌倉芳太郎氏の功績にも
   驚かされました。
   まだまだ琉球の美は研究が進められていくのだろうと思います。
   会場の作りも毎回工夫が見られ、
   その中にいることで自然とテンションが上がってきます。
   年末から「扇の国 日本」展が開催されています。
   この展覧会もまた実に素晴らしい企画で、
   さすが、サントリー美と唸っているところで展示替えのあと、再訪します。
     

 5 没後200年大名茶人 松平不昧展 三井記念美術館


 
   正しくは、没後200年特別展 
   大名茶人松平不昧 ーお殿さまの審美眼ー
   というタイトルで、不昧さんはお殿さまだとわかります。
   不昧公は(1751〜1818)松江藩主で藩主の仕事の他、
   文化的活動も力を注いできました。中でも美術品収集は名品揃いで仰天するのです。
   展覧会には8点の国宝、10点の重文品が展示されました。
   それだけでも大変なコレクションだったと納得できますが、
   そのコレクションを「御茶器帳(雲州蔵帳)」として
   詳細に描き残します。その資料の正確さ、確実さ、丁寧さに
   不昧公の人柄が表れています。
   牧谿の瀟湘八景図から「遠浦帰帆図」が京都国立博物館から出品された他
   東博からは梁楷の「李白」
   所蔵先が島根松江お膝元から、九州、京都、東京の国立博物館、
   出光、根津、静嘉堂、野村、湯木、MOA、
   弧篷庵、相国寺、などなど、茶道具所蔵の頂上から届きました。
   こうしたことからも、不昧公がただ者ではないことが伝わります。
   茶道具の威厳は殿様たちのハートを虜にしてきましたが、
   不昧公は茶器を制作する側の職人たちも擁護してきました。
   同時期に畠山記念館でも
   「没後200年 大名茶人 松平不昧と天下の名物
      ー「雲州蔵帳」の世界」4/7~6/17
   という企画展が開催されました。
   茶の名器を存分に拝見できる好機に合わせて、不昧公のお菓子、
   蓮羊羹を頂ける情報を得ていそいそと出かけたのでした。
   畠山記念館で頂けるお茶碗は、細川護煕殿のお茶碗の師匠
   辻村史朗さんのお茶碗でお抹茶を頂けることも嬉しいポイントです。
   茶道の超初心者のまま、袱紗もさわっていない状況であっても、
   お茶室で頂くお抹茶は一段と格別なものでした。
   三井の図録には「雲州蔵帳」が合わせて付いてきたことも、
   貴重な資料を頂けて、喜びました。
   
  
 4 信長とクワトロ・ラガッツイ 桃山の夢と幻
   杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ   MOA美術館





   MOA美術館がリニューアルされてから、
   北斎と広重冨嶽三六景、岩佐又兵衛の浄瑠璃物語絵巻、千宗屋氏監修の茶の湯の美
   等に通いました。美しい環境に誘われて極上空間での鑑賞は
   何度行ってもテンションが上がります。
   なかでもこの展覧は信長のいた桃山の茶道具の頂上が集合した奇跡的なものでした。
   信長をはじめ戦乱の大名たちが狂気的な茶の湯に傾倒していたころに
   ザビエルが持ち込んだキリスト教を巡って悲劇が始まります。
   布教のためにイエズス会から宣教師が来日し、苦労を重ねても
   なかなか日本文化に浸透しないことから13,14歳のうら若き少年たちが
   キリシタン大名の名代となって遣欧する事となるのです。
   杉本博司氏がたまたま写真を撮ってきた中に偶然彼らの足跡を見つけたことから、
   改めて、天正少年使節がたどった場所を撮影してきたモノクロの写真が
   展示されました。
   その場所と同じ所を過去の私も行って写真にしたことがあったのも、
   偶然の発見でした。
   日本の長崎一帯の潜伏キリシタンの世界遺産が決定したこともあって、
   あちこちでキリシタン関連の展覧が開催されていました。
   トーハクでも踏み絵、ロザリオ、聖母子像、などが展示されました。
   それらの資料には強烈な迫害があってもゆるがない信仰が滲んで、
   ひたすらの信仰というものに、ひれ伏すしかないのですが、
   それは、人間にとって、真実の救済となったのだろうかと
   遠藤周作の「沈黙」同名タイトルのスコセッシ監督の映画、を思わざるをえないのです。
   信長の茶の湯の頂上と、遣欧した少年たちの視線は重なるものではないと思うけれど
   この桃山時代の狂乱を淡々と並べた、そのシーンにぐさり、きたのでした。
   そして、若桑みどりさんの
   「天正少年使節と世界帝国 クアトロ・ラガッツイ」を読み始め
   改めて彼らの時代に狂乱と、登場人物の複雑さになかなか読み進めることができなく
   苦戦しているところです。何という時代だったことでしょう。
   2018年の記念碑的な展覧会でした。
   ブログ記事にもアップしました。
     

 3 名作誕生 つながる日本美術 東京国立博物館



   「國華」創刊130年・朝日新聞140周年の特別展として企画された
   日本美術とはどんなものかを総監できるような、超ビッグな作品群リストに
   目眩の展覧会でした。何回でも通いたくなりました。
   また、ニコニコ動画でみどころを展覧担当者による、とっておきガイドを
   視聴するとか、さまざまな展覧へのナビ、ガイドが試された展覧会でもあったように思います。  
   それにしても、圧巻でした。
   最初のコーナーでは10体の仏様たちがトーハクの空間を寺院に変え
   仏教伝来の初期奈良時代から平安時代までの流れを体感できるように展示。
   息をのむ空間でした。
   そして描かれた普賢菩薩さまたちの変化から聖徳太子絵伝へ。
   次に国宝の絵師、雪舟と中国絵画の関係をたどり、展覧会期前に発見された
   雪舟作倣夏珪山水図もタイムリーに展示。渋くカッコイイ墨絵の世界。
   四季花鳥図にはあの呂紀筆が4幅!その中に狩野元信が加わります。
   ここでクライマックスと思ったら
   なんと、次に現れるのが宗達による扇面貼交屏風。
   宗達が古典とした平治物語、西行物語が続きました。
   そして、江戸の絵師若冲の白鶴図とその源流である中国の文正、陳伯冲、探幽が
   連作かと思われるような作品が並びため息。
   満を持しての琳派大御所の光琳、乾山、の登場。
   源氏物語、伊勢物語の変遷。
   長谷川等伯の国宝、松林図屏風も出品。
   山雪、蕭白、もしっかり。
   蓮池水禽図の作例が並んだところも見所の一つでした。
   屏風群が現れると一段とテンションが上がります。
   その中に岩佐又兵衛。屏風絵から抜け出した浮世絵から
   寒山拾得の岸田劉生の麗子像、ではなく、野童女図。
   この圧倒的作品群にぐうの音も出なかったのでした。
   「國華」この値段に躊躇のない美術専門誌が創刊されて130年という
   記録もさることながら、取り上げてきた日本の美術の研究を
   いまもなお刊行されていることにひたすらの敬意を捧げるものでした。
        

 2 ムンク展 東京都美術館



   ムンク、悩ましい画家です。
   さけびくんが展覧会のナビ、キャラクターとなって大活躍です。
   そもそも、ムンクの作品と出会ったのは、遠い昔の青春期。
   どんよりと重たい空気感の中、マドンナの虚ろな眼差しと、
   お姉さんである病める子のベッドまわり、全体にどろどろとした色の混ざり。
   対象物をリアルに描く絵画とは異次元の悩ましさ、
   感情のかたまりがうごめいている、そんな強烈な印象が
   胸にへばりついたものです。
   以来、ムンクの人生がひっかかっています。
   時代がムンクを待っていた成功の仕事と、
   常に不安と、孤独につきまとわれながら、不幸な家族の死、
   報われない恋愛の数々。
   安定した家庭を持たず、持てずか、
   情熱が故に破綻していく中で、彼に絵画という表現があって
   どんなに救われただろうと余計なことを思います。
   オセロという土地柄がもたらした新しい思想、とニーチェの存在。
   すこし、大人になって、ムンクの言葉が若い時よりも
   近づけるような気がして、展覧会場に行きましたが、
   やはり、とてつもなく激情の魂の塊が押し寄せてきて
   かなわない、降参だ、そんなことを改めて思ったのでした。
   ゴッホより、ずっと激烈。
   ゴッホにはまだ癒やしや哀しみが配分されていると思ったのでした。
   ムンク自身が「自己告白」と言っている画業、
   それはこちら側として強烈な私小説を見せつけられるような、
   痛みを共有させられるような、迷惑にも近い圧を感じるのです。
   敬虔な家庭、教育熱心な家庭、宗教信仰の圧力、
   そこから解放されたいと想った人は少なからず、
   突破口を求めていたに違いないし、そんな人のためにも
   ムンクの存在は救済となったのかも知れません。
   油絵よりも、油分が抜けたリトグラフ、版画も素晴らしいのです。
   落ち込んだ時、気分を変えたい時、毒をもって制すの劇薬としても
   多いに役立つ、ムンクなのでした。
     

 1 縄文展 東京国立博物館



   やってくれました、トーハク。
   縄文の勇姿がこれだけ集まり、壮観な会場を作ってくれたことに
   ひたすら敬意と感謝を捧げたいと思います。
   日本中、こんなややこしい造形をつくり
   一万年余りの時を暮らしてきた、およそ30年の人生を繰り返してきたという
   縄文人の心の純朴さを底に、溢れんばかりの炎を巻き上げたのでした。
   縄文期の前期までの造形が、案外シンプルなのが驚きです。
   例の、あのうねうね奇態な造形は中期、晩期に炸裂するのです。
   会場は1万年期を時代に渡って陳列されました。
   そのどれをとっても宇宙サイズのパワーに満ちていて、
   平成最後の夏に縄文の夢を届けてくれた、それだけで感激したのでした。
   なかでも「赤彩鉢形土器」これには本当に虚を突かれました。
   楽茶碗の原型じゃないですか!それも、赤色顔料!
   縄文ポシェットもよくぞこの形をとどめていたことと、驚嘆しました。
   松戸から出土した縄文土器の一群、関山式土器、細やかな装飾端正です。
   おなじみ、新潟十日町の火炎土器一群、ひたすらカッコイイです。
   一番驚かされたのは、群馬渋川の焼町土器の一群
   大迫力、たまげました。
   そして、土偶のスターたち。
   縄文のビーナス、女神、合掌、中空、ハート、遮光器土偶たちの
   宇宙感あふれる飛び抜けぶり。
   他、愛らしくも親しみのある動物たち。
   それらの美を発見した人物として、岡本太郎が代表的ですが、
   民藝活動で知られた、柳宗悦も岩偶に感嘆しています。
   その門下、芹沢銈介、濱田庄司、島岡達三、も縄文に注目しています。
   他の芸術家はどう感じていたのでしょうか。
   私的な事ですが、私の恩師、宗左近氏の縄文への熱情を目の当たりにしてきました。
   宗左近氏も岡本太郎の「みずゑ」の縄文の寄稿文で衝撃を得て、
   それ以来大変な愛情と執着を注ぎ、蒐集し、沢山の詩作を発表しました。
   そんなこともあって、縄文と聞くだけで、ピクッと反応してしまいます。
   トーハクも気合い満載で、サイトでも色々楽しめる工夫がされました。
   グッズも努めて買わないようにしていますが、ついつい手を伸ばしてしまいました。
   これを2018年の頂上としないで、どうするか、という展覧会でした。
   縄文展、最高でした!!

 ということで、2018年、あべまつ展覧会ベストテンをあげてみました。
 他にも秀逸な展覧会が沢山ありました。
 トーハクは不滅です。そして、上野が近くで良かったと思います。
 今年も、トーハク、西美、都美、芸大美、は当然、
 三井、出光、東京駅ギャラ、三菱、根津、畠山、サントリー美、
 山種、などは外さずに、心の赴くまま、小さな所でも、  
 あちこちと出かけてゆきたいと思います。
 ブログ記事アップがなかなか更新できないことは心苦しいのですが、
 それでも、どこかにでかけているあべまつを
 今後とも宜しくお願い致します。

 みなさんはどんな2018年でしたか?
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