2011年3月11日「東日本大震災」が発生しました。
目を疑うような映像ばかりが飛び込んできます。
同じ日本で起こっているこの大惨事は壮絶で悲惨過ぎます。
被災された多くの方々、非難を余儀なくされている方々、心からお見舞い申し上げます。
そして、一人でも多くの方の無事を祈っております。
一瞬でこの世の全てを地獄に変える自然の猛威、震度8.8という途方もない力・・・
しかしこの目を疑うような惨事は前に1度見ています、というよりその真っ只中で運良く、生き延びてきました。
1995年(平成7年)1月17日火曜日午前5時46分52秒突然の大きな音とともに破壊され尽くした地獄の日、阪神淡路大震災。
その中で私は運が全てだということを学びました、我が家も天井が抜け落ちいて・・・あとで見てみたらよくこれで助かったなと感心するような有様でした。
太い柱が枕のすぐそば5cmの場所に落ちていましたもし運悪く当っていれば脳しょうをまきちらして死んでいたと思います。
長男と嫁の枕元には大きなテレビが落ちてきていましたがこの二人は寝相が悪いため間一髪で無傷でした。
次男の寝ている上を冷蔵庫が飛んで反対側の壁にめり込んでいました、しかし彼も無傷でした。
こうして我が家は「運良く」誰一人かすり傷もなく生き延びれました。
しかし3件隣の老夫婦の家は悲惨でした、大きな柱がたまたま朝早く起きてコタツでお茶を飲んでいた場所を直撃し二人とも帰らぬ人となってしまいました。
私の友人宅は落ちてきた天井を大きな天井を身体で防ぎ下の嫁と生後8ヶ月の子を守りました。
しかし子は重みで圧死し友人は瓦礫の中かで1日半救助を待ちました助け出されましたが背骨を複雑骨折、一生涯車椅子の生活になってしまいました。
いのちをかけて守り抜いた嫁からはその翌年三行半を突きつけられ・・・・
その隣の家は・・・・もうやめましょう、すべては神仏の意思か気まぐれです、運がすべてでした。
生き残った人も死んだ人も・・・ほんの少しの気まぐれが左右しただけでした。
ただ、阪神淡路大震災ではほとんどの死者が、建物の崩壊による一瞬の圧死であり苦しまなかったであろうことだけが幸いでした、今回は多くの方が大津波による溺死だろう、生きたまま意思のあるまま濁流に飲み込まれて大海原にさらわれていく恐怖は考えようもないほどの恐ろしさです。
死ななかった私がどんなに悔やみを言ったところで何のお悔やみにもなりませんが、心からお悔やみを申し上げます、生き延びた人たち家族を失った人たちはこれから未来永劫、悲しさ、悔しさ、理不尽さを引きずって生きていかねばいけないでしょうでもそれが生き残った者の勤めです私もそうでしたから。
運良く生・き・延・び・れ・た・人たちは寒いですから風邪を引かないように気をつけてお過ごしください。
出来ません、残念です。
色々な物資を送る手伝いをします。