札幌でワインを飲もう スープカレーを食べよう

時々、ワインにまつわるお話,
札幌 スープカレー 食べ歩き ブログ
築地のこと のらのこと 東京カレー

2023年

2023年01月01日 | 読んだもの

2023年 良い年でありますように
そして このブログもどうぞよろしくお願いいたします。

昨年の読書からピックアップ
平田オリザ『わかりあえないことから』『22世紀を見る君たちへ』時に未来のことも考える。
寺地はるな『ビオレタ』寺地作品で一番笑えます。『今日のハチミツ、あしたの私』も良い。
ヨシタケシンスケ『みえるとかみえないとか』 『手の倫理』を書いた伊藤亜紗と「そうだん」して作られた本。
夏川草介『本を守ろうとする猫の話』古式ゆかしい文章と古本屋とファンタジー。
原田マハ『旅屋おかえり』原田ひ香『三千円の使いかた』どちらの原田さんも良かった。
金間大介『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』今の大学生への共感とエール。
宮田珠己『日本全国津々うりゃうりゃ』デビューの頃の椎名誠をやや斜めにしたような味わい。
『だいたい四国八十八カ所』を読んでお遍路さんへの憧れが募る。
堀江敏幸『オールドレンズの神のもとで』堀江さんの本を読むと眠くなるという人がいるが、これは短篇集なので心配ない。
森見登美彦『四畳半タイムマシンブルース』森見さんのお話は、事件が起こらないと不満をもらす人がいるが、
  この作品は、上田誠の戯曲『サマータイムマシン・ブルース』とのコラボになっており、ちゃんと事件が起こるので心配ない。
短歌が豊作でありました。
斉藤斎藤『渡辺のわたし』責任ある地位の男と呼び出して詰め寄っても詰め寄っても支店長
本多真弓『猫は踏まずに』ぶらんこの真下の土は削られる運命だけどあきらめちゃだめ
木下龍也『オールアラウンドユー』『あなたのための短歌集』 雪だったころつけられた足跡を忘れられないひとひらの水

 

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2021年 良かった本たち

2022年01月02日 | 読んだもの

2022年 良い年でありますように

2021年 私が楽しく興味深く読んだ本です。
「新章 神様のカルテ」夏川草介  医師としてお忙しい中、新しい作品を紡いでくれたことに感謝です。
「春情蛸の足」田辺聖子 食べ物を上手に書くことへの憧れ。小川糸の解説がまたいい。
「エール!3」伊坂幸太郎他 働く女性のオムニバス。三部作。
  この本に出てきた「リーダーを目指す人の心得」コリン・パウエル(米国務長官だった人)の本も読んでしまった。こうやって読書がつながるのはとても楽しい。
「和食の歴史」原田信男 相変わらず食べ物の本ばかり読んでいますが、これは中々ためになる本でした。
「蕎麦湯が来ない」せきしろ×又吉直樹 おなじみの二人の自由律「授業の時はやさしい顧問」なんにもすることがない昼下がりに。
「松尾芭蕉 おくのほそ道」長谷川櫂 この本を読んでから3年生の授業がしたかった。まだチャンスはあるかな。
「なずな」堀江敏幸 この人の本をよむと眠くなる人は多いが、この本はいけるかも。子育て日記。
「居酒屋ぜんや」坂井希久子 江戸のおいしいもの。
「水を縫う」寺地はるな 去年の高校入試に頻出した1冊。「大人は泣かないと思っていた」「夜が暗いとはかぎらない」もいい。入試に出したくなる文章。
 ちなみに説明文では「知的創造の条件」吉見俊哉がたくさん出題された。関係者はびっくりしたろうな。
「烏に単は似合わない」阿部智里 横浜の先生のオススメ。子どもたちにも薦めたい。
「天涯の海」車浮代 お寿司を支えたミツカンのお話。又左衛門が大河にならないかな。

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春情蛸の足 田辺聖子 解説 小川糸

2021年02月06日 | 読んだもの

食べ物のうまいまずいをとやかく言う人の少ない時代に、
とやかく言う人の話。

小川糸の解説がいい。

自分で料理を作るのも楽しいけれど、やっぱりこういう時は、誰かに作ってもらった方が嬉しい。
作ってくれる人が親しい人なら、そこには愛情がたっぷり入るから、それが心の栄養にもなる。

本当に美味しい物をいただくと、体中の細胞が一つ残らずバンザイをするのだ。
自分は今生きているのだ、ということを百パーセント実感できる。
今すぐ、そんな生きる喜びを味わいたい。

食べるという営みを大事にするということを
作家は掬い取って文章にする。素晴らしい。

 

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内田百閒 『御馳走帖』

2021年01月14日 | 読んだもの

内田百閒の『御馳走帖』を読む。

 蕎麦屋は近所の中村屋で、別にうまいも、まづいもない、ただ普通の盛りである。続けて食ってゐる内に、段段味がきまり、盛りを盛る釜前の手もきまってゐる為に、箸に縺れる事もなく、日がたつに従って、益うまくなる様であった。うまいから、うまいのではなく、うまい、まづいは別として、うまいのである。

 たかが盛りの一杯や二杯の為に、何もそんな事をしなくても、ここいらには、名代の砂場があるとか、つい向うの通に麻布の更科の支店があるではないかなどど云われても、そんなうまい蕎麦は、ふだんの盛りと味の違ふ点で、まづい。八銭の蕎麦の為に五十銭の車代を払って、あわてて帰る事を私は悔いない。

おいしい をしみじみと考える。
文章が私を思わぬところへ連れていってくれるときに、私はまだ大丈夫だと思う。
本を読むという功徳が、私に近しくあることが私を安堵させるからだ。

うまい、まづいは別として、うまいのである。

百閒先生には、まだまだ遙か遠いけれど。

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2020年 よい年をお迎えください

2019年12月30日 | 読んだもの

2020年 良い年でありますように
「神様のカルテ」夏川草介 今年一番の出会い。ご自身も医師である作者の病院を めぐるお話。いつか舞台の信州へ行きたい。
  森見登美彦の香りもあって。無印.2.3.0という順番で刊行されています。
「このあいだに なにがあった?」佐藤雅彦 今年の小学校教科書に載ります。子どもが喜びます。
「れんげ野原のまんなかで」森谷明子 穏やかな図書館のお話。俳句甲子園を題材とした「春や春」もいいです。
「なつみはなんにでもなれる」ヨシタケシンスケ 今年一番の絵本。保育士を目指す学生に読み聞かせました。
「日本の同時代小説」斎藤美奈子 現代小説の歴史を読みます。青春の読書が蘇ります。「文庫解説ワンダーランド」もふざけていて楽しい。
「悩ましい国語辞典」神永曉 辞書編集者の苦悩が胸を打ちます。
「配色アイデア手帳 日本の美しい色と言葉」桜井輝子 時間にゆとりがあるときにぼんやりと眺めるのにいい本です。
「人工知能の核心」羽生善治 羽生さんはとても熱心にAIのことを研究されています。心の通ったAIの本としてぜひ。
「カーヴの隅の本棚」鴻巣友季子 ワインと翻訳のお話。大人の文章。同じ時代にワインを飲んできた人の心を揺さぶります。続編「熟成する物語たち」も。
「高校生と考える21世紀の論点」穂村弘 土井善晴ほか 教科書とは違った魅力の教科書のような本。古川日出男の文章も久方ぶりに堪能。
「とにかくおうちに帰ります」津村記久子 冒険小説もあり。この人の力の脱けた感じが好き。

この1年、本ブログをご愛顧頂き、まことにありがとうございます。
昔には考えられなかったほど、たくさんの方がご覧くださっていて嬉しいです。
来年もカレーを食べながら、東京に通います。
今年同様、良いご縁に恵まれますように。

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よいお年をお迎えください。札幌でワインを飲もうより

2018年12月31日 | 読んだもの

2019年 良い年でありますように
昨年読んで、良かったと思う本です。

「算法少女」遠藤寛子 背筋がしゃんとする本。数学の先生はぜひ。
「BAR追分」伊吹有喜 近頃はこういう温かい本がいいんだなあ。
「勇者たちへの伝言」増山実 阪急ブレーブスを覚えていますか。砂川のいわた書店で教えていただいた一冊です。
「具体と抽象」細谷功 物事の道理がわかる一冊。
「おいしそうなしろくま」柴田ケイコ 今年一番笑った絵本。家族でゆっくり読みましょう。
「バー・リバーサイド」吉村喜彦 こういうBARでお酒を飲みたい。
「夏井いつきの世界一わかりやすい俳句の授業」
もしあなたが俳句を指導する立場の人ならば必読です。もと中学校の国語の先生。親近感。
「桜前線開架宣言」山田航 穂村弘以降の歌人が満載。近代短歌を教えてるあなたに。
「ゴールデンカムイ」野田サトル 
停電の時、この漫画を一気読みしました。日が落ちて暗くなり、本が読めなくなっていく。そういえば昔はよく停電したなあ。「いとしいたべもの」森下典子 六十前後の人々はしみじみと読めますよ。
「ダイオウイカは知らないでしょう」西加奈子&せきしろ 穂村さんも登場して得した気分。千乃さんのお薦め。
「ヤッさんⅢ」原宏一 場内は豊洲に移って立派になりました。でもヤッさんの舞台は今も築地です。また築地で飲みましょう。

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桜前線開架宣言

2018年08月24日 | 読んだもの

 

1970年以降に生まれた歌人の短歌集。
大松達知 松木秀 しんくわ 岡崎裕美子

見えますか 食べ物を出しっぱなしのテーブル あれが北海道です 雪舟えま

信長の愛用の茶器壊したるほどのピンチと言えばわかるか 笹公人

面白い人がたくさん。

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私の酒

2018年04月21日 | 読んだもの

もう一つアタマがほしい二日酔い  三太郎

日本酒だって、葡萄酒に負けないぞ

昭和30年代に遡って お酒飲みたし

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2018年。皆様にとって良い年でありますように

2018年01月01日 | 読んだもの

2018年 良い年でありますように
「蚊がいる」穂村弘 新聞の連載で穂村さんを見かけたという人もいるかも。
    あの時代に同じ札幌の空気を吸っていたと考えると、思い入れも一入。
「羊と鋼の森」宮下奈都 羊と鋼はある楽器を表しています。北国の味わいも。あとは読んでのお楽しみ。
「台所のラジオ」「電球交換士の憂鬱」吉田篤弘 この人と同じ時代に生きている幸福。しっくりくる日本語。
「絵巻じたて ひろがるえほん かわ」加古里子(かこさとし、は男性)昨年のリンドバーグに続く値の張る絵本。
   一度目は普通に読みます。いつかは広い部屋で、全部広げて読みたい本です。
「閉店屋五郎」原宏一は築地を舞台にした「ヤッさん」の著者。男の哀愁感じます。
「食卓一期一会」長田弘 筆頭の「言葉のダシのとりかた」に始まって料理好きがワクワクするような詩がいっぱいです。
「都市と野生の思考」鷲田清一 山極寿一 日本の頭脳といえる二人の対談。
   難しいことを易しい言葉で述べるってこういうことなんだろう。
「長くなるのでまたにする。」宮沢章夫 この人の文庫本を少しずつ読んで笑いを噛みしめる。
   周りにあんまり人がいないときに。
「アンソロジー カレーライス!!」池波正太郎ほか 著名な作家がカレーにみせる執着が頼もしい。本の紙までカレー色。

本年も当ブログをご贔屓に。

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学ぶということ 内田樹

2016年05月26日 | 読んだもの

 長い引用になりますが、私が敬愛する内田樹さんは、

「私は10年前から「ネット上に公開した情報は公共物」という方針を貫いている。
コピーフリー、盗用フリーである。
繰り返し言うように、私がネット上に公開したテクストはどなたがどのような仕方で使われてもご自由である。」
と言ってくださっているので、以下に引用します。

学ぶ、という言葉の説明で、今私が一番しっくりするものです。

 「学ぶ力が伸びる」ための第一の条件は、自分には「まだまだ学ばなければならないことがたくさんある」という「学び足りなさ」の自覚があること。無知の自覚といってもよい。これが第一です。
「私はもう知るべきことはみな知っているので、これ以上学ぶことはない」と思っている人には「学ぶ力」がありません。こう人が、本来の意味での「学力がな い人」だとわたしは思います。ものごとに興味や関心を示さず、人の話に耳を傾けないような人は、どんなに社会的な地位が高くても、有名な人であっても「学 力のない人」です。
 第二の条件は、教えてくれる「師(先生)」を自ら見つけようとすること。
 学ぶべきことがあるのはわかっているのだけれど、だれに教わったらいいのかわからない、という人は残念ながら「学力がない」人です。いくら意欲があっても、これができないと学びは始まりません。
 ここでいう「師」とは、別に学校の先生である必要はありません。書物を読んで、「あ、この人を師匠と呼ぼう」と思って、会ったことのない人を「師」に見 立てることも可能です(だから、会っても言葉が通じない外国の人だって、亡くなった人だって、「師」にしていいのです)。街行く人の中に、ふとそのたたず まいに「何か光るもの」があると思われた人を、瞬間的に「師」に見立てて、その人から学ぶということでももちろん構いません。生きて暮らしていれば、至る 所に師あり、ということになります。ただし、そのためには日頃からいつもアンテナの感度を上げて、「師を求めるセンサー」を機能させていることが必要で す。
 第三の条件、それは「教えてくれる人を『その気』にさせること」です。
 こちらには学ぶ気がある。師には「教えるべき何か」があるとします。条件が二つ揃いました。しかし、それだけでは学びは起動しません。もう一つ、師が「教える気」になる必要があります。
 昔から、師弟関係を描いた物語には、必ず「入門」をめぐるエピソードがあります。何か(武芸の奥義など)を学びたいと思っていた者が、達人に弟子入りし ようとするのですが、「だめだ」とすげなく断られる。それでもあきらめずについていって、様々な試練の末に、それでもどうしても教わりたいという気持ちが 本気であるということが伝わると、「しかたがない。弟子にしてやろう」ということになる。そのような話は数多くあります。
 では、どのようにしたら人は「大切なことを教えてもいい」という気になるのでしょう。
 例えば「先生、これだけ払うから、その分教えてください」といって札束を積み上げるような者は、ふつう弟子にしてもらえません。師を利益誘導したり、お だてたりしてもだめです。だいたい、金銭で態度が変わったり、ちやほやされると舞い上がったりするような人間は「師」として尊敬する気にこちらの方がなれ ません。
 師を教える気にさせるのは、「お願いします」という弟子のまっすぐな気持ち、師を見上げる真剣なまなざしだけです。これはあらゆる「弟子入り物語」に共 通するパターンです。このとき、弟子の側の才能や経験などは、問題になりません。なまじ経験があって、「わたしはこのようなことを、こういうふうな方法で 習いたい」というような注文を師に向かってつけるようなことをしたら、これもやはり弟子にはしてもらえません。それよりは、真っ白な状態がいい。まだ何も 書いてないところに、白い紙に黒々と墨のあとを残すように、どんなこともどんどん吸収するような、学ぶ側の「無垢さ」、師の教えることはなんでも吸収しま すという「開放性」、それが「師をその気にさせる」ための力であり、弟子の構えです。たとえ、書物の中の実際に会うことができない師に対しても、この関係 は同様です。同じ本を読んでいても、教えてもらえる人と、もらえない人がいるのです。
 「学ぶ(ことができる)力」に必要なのは、この三つです。繰り返します。
 第一に、「自分は学ばなければならない」という己の無知についての痛切な自覚があること。
 第二に、「あ、この人が私の師だ」と直感できること。
 第三に、その「師」を教える気にさせるひろびろとした開放性。
 この三つの条件をひとことで言い表すと、「わたしは学びたいのです。先生、どうか教えてください」というセンテンスになります。数値で表せる成績や点数 などの問題ではなく、たったこれだけの言葉。これがわたしの考える「学力」です。このセンテンスを素直に、はっきりと口に出せる人は、もうその段階で「学 力のある人」です。
 逆に、どれほど知識があろうと、技術があろうと、このひとことを口にできない人は「学力がない人」です。それは英語ができないとか、数式を知らないと か、そういうことではありません。「学びたいのです。先生、教えてください。」という簡単な言葉を口にしようとしない。その言葉を口にすると、とても「損 をした」ような気分になるので、できることなら、一生そんな台詞は言わずに済ませたい。だれかにものを頼むなんて「借り」ができるみたいで嫌だ。そういう ふうに思う自分を「プライドが高い」とか「気骨がある」と思っている。それが「学力低下」という事態の本質だろうとわたしは思っています。
 自分の「学ぶ力」をどう伸ばすか、その答えはもうお示ししました。みなさんの健闘を祈ります。

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