札幌でワインを飲もう スープカレーを食べよう

時々、ワインにまつわるお話,
札幌 スープカレー 食べ歩き ブログ
築地のこと のらのこと 東京カレー

一段落

2006年11月30日 | つれづれ
今月末の原稿仕事が一応おしまい。
苦しかった。充実感があった。
有料も無料も手を抜かずに書いたつもりだが。

うれしい再会も多くあり。
北都のモリヤくんは機動隊になっていたし。
12月はがんばりますよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カフェバーなんてものが流行ったが、一体あそこで何を飲み何を語らっていたのだろう。(ラーメン興亡11)

2006年11月24日 | 書いたもの
 旭川でラーメンの修行をしていた、息子の未来が帰ってきた。
子どもの頃の坊主頭はそのままで、
けれど背丈はマコトさんを少し超えていた。
いろいろな噂を旭川でも聞いていたのだろう。
それでも、苦しい思いを顔には出さず、
マコトさんの前に手をついて、ぬりかべ屋でラーメンをやりたいと言った。
マコトさんは嬉しかった。
未来の手をとった。
1月後、ぬりかべ屋は未来が中学生だった頃の店に再改装された。
ぬりかべ屋は、ラーメン一本で勝負をしているころの佇まいに戻った。
ユミさんも久しぶりに店の名前の入った前掛けを締めた。
昔の暖簾が引っ張り出された。
安さんの製麺所の名前が入ったものだ。

開店の前日、入口ですこし怯んだマコトさんが、意を決して店にはいると
厨房には、安さんの麺のバットが高く積まれていた。
かつてマコトさんの定位置だった、厨房の真ん中に今は未来が立つ。
その横には、安さんが帰ってきている。
その隣にユミさん。どんぶり洗いの僕も、ここに立つのは何年ぶりだろう。
「いらっしゃい」
未来が、父親と同じ声で父親を迎えた。
「お帰り」とユミさんが言葉をつないだ。
安さんは怒った顔でマコトさんをにらみ、
「未来の味ば、みてやれ」と言った。
マコトさんは言葉が出なかった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ふじつぼ」で飲む。さてど~こだ?むりやり漢字だと藤坪となるでしょうか?

2006年11月22日 | さっぽろ 食べる
正解は藤野のつぼ八でした。
久方ぶりにうかがったつぼ八は、
なかなかに色々な工夫があって楽しめました。
とりかわ煎餅おいしかったよ。
シャーミー、突然にごめんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりに山本さんでワインを購う。3本なり。

2006年11月16日 | 札幌ワイン
1ベルルーシュ
毎年楽しみにしているシャプティエのワイン。
晩酌ワインです。

2キュベミティークブラン。
ヴィオニエ好きの森さんのために下調べ。
これ一緒に飲んでみようか?

3ジャンバルモン
素敵なラベルだったのだが、
葡萄によって5種類くらいのバージョンがあると知って
すこし怯む。選んだのはメルロです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

段ボールのまま、天井まで商品を積み上げるような、新しい形のスーパーができていた頃(ラーメン興亡10)

2006年11月15日 | 書いたもの
ぬりかべ屋の行列が、近所で車の出入りの邪魔になる、
なんて話題が出始めた頃、
始まって間もない全国版の料理対決番組が取材に来た。
新人アナウンサーがやってきて、釜作りの様子や、仕込みの様子を
克明に取材していった。
放送の翌日の金曜日、開店前の行列は100人を越えていた。
周囲に叱られ続けていたマコトさんは、嬉しかった。
強気の攻勢に出た。
当時はやり出した大型スーパーに出店した。
店の名は「釜飯の葵屋」。席数100。
開店には出資者の銀行の幹部も集まり、マコトさんは有頂天だった。
ぬりかべ屋の本店は、近所の抗議もあり、平日週3回の営業となったが、
相変わらず繁盛していた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボンジョレのお誘いいくつか。やはり今年もガブでしょうか?

2006年11月14日 | 札幌ワイン
井上さんは復活したのだろうか?
フライパンはつらいのだろうか?
あの喧噪と勝負できるのだろうか?
年に一度しか会えない人と会える喜びもあるガブ
静内のおいしい豚を作る青年はお元気でしょうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一戸さんと田中さんのお店、トルテュはとても素敵なお店だった。それにしてもトルテュは打ちにくい。

2006年11月13日 | さっぽろ 食べる
懐かしの一戸さん素敵でした。
一国一城の主という感じでしたね。
田中さんがアタアブルに出入りしていたころの私を
覚えていてくださったのも感動でした。
本当にお腹がいっぱい。
次はもっと心して伺います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電車通りの真っ赤な豆屋さん、「蔵人」。そういえば昔聞いたことがあるなあ。

2006年11月12日 | コーヒー


浮気をしてしまった。
コーヒーだけど。
パイン館を筆頭に、宮越、かひさかん、本田、齋藤
そのくらいで抑えていたのだが。
真っ赤な店に惹かれて、入ってしまった。
街場にあったよね、蔵人
30年以上になると気さくなマスター。
お店は西線で、コーヒーとお茶が半々。
なかなかにおいしかったですよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家の近くにクレームブリュレのおいしいケーキ屋ができるとは嬉しいじゃないの。

2006年11月11日 | お菓子、パン、お土産


この10日にオープンしたばかりのケーキ屋さん
ショコラは南17条の西12丁目あたり。
私はクレームブリュレ(注文すると上を焦がしてくれるアレです)
を偏愛しますが、ここのはおいしかったです。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出張帰りのお父さんが持って帰る、駅弁の釜飯の釜が、台所の下に二つ転がっている夕暮れ(ラーメン興亡9)

2006年11月10日 | 書いたもの
「釜飯」。
葵さんが焼く器で釜飯を作る。
マコトさんの結論はこれだった。
器を葵さんが作り、釜飯をマコトさんが作る。
お二人の初めての共同作業だった。
詳しいことはよくわからないけれど、
葵さんの工房にマコトさんが泊まり込むようなこともあったようだ。
釜飯用の十口のコンロがぬりかべ屋に運び込まれた。
久し振りに安さんがぬりかべ屋に現れてマコトさんを叱った。
マコトさんの弁解はこうだ。
――十口のコンロに十個の釜飯を載せて炊く。
開店時間ぴったりに炊きあがるようにだ。
今も開店前には20人ほどの行列ができる。
味には自信がある。一日十食限定、それ以上は作らない。
そうすればラーメン作りにも影響が出ないはずだ。――
安さんが言った。
「あの行列は、ラーメンの行列でないのか?」
すったもんだがあったが、
結局だれもマコトさんの気持ちを変えることができなかった。
釜飯はスタートした。
それはマコトさんの予想通りよく売れた。
そうして安さんの予想通り、一日十食の限定がやがて二十になった。
ラーメンが再び荒れた。
安さんが珍しく酔って店に来た。
「マコトよ、おまえ釜飯取るか、俺の作った麺ば取るか、二つに一つだ」
マコトさんも声をとがらせて応えた。
「そんなやり方、最低でないか、安さん」
「ああ、最低だ。俺は最低の麺屋で、お前は最低のラーメン屋だ」
想像したとおり、マコトさんは釜飯をとり、安さんの麺のかわりに、
大手の製麺所の麺をいれるようになった。
皮肉なことに釜飯は売れに売れて、TVまでやってきた。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする