撮影したのは1994年6月、コスフォードでのレストア作業を終えた
ばかりです。
この機体は戦後マレー半島でイギリス軍に接収され、イギリスお決まり
の戦利品としてイギリス本国に搬送されたものだそうで、RAFセント・
ァサン基地で保管・展示され、1980年代にコスフォードに移送され、
1992年にレストァが開始されたそうです。
空力性能を追求した機首からの流麗な段なし風防はⅢ型の特徴
尾翼のマークは南方に展開した81戦隊
後に5式戦が写っていますが、2011年にはヘンドンのRAF博物館
で展示されていました。。
集合排気管から短排気管に変更したのが後期型
これにより速度も若干向上したそうです。
Ⅱ型ではスピンナの先端に始動フックがついていますが、
このⅢ型では廃止されています。
しかし、慣性手動始動、外部始動機を必要としたそうです。
上昇限度は1万mを超えるのに与圧キャビンではないのです。
最高速度は630km/hと当時のどの戦闘機を凌駕する高速なのですが、
武装はなし、高速性能を追求した故というのもなるほどです。
後部風防はⅡ型では横開きでしたが、Ⅲ型では後方スライド式に変更
なお、100式司令の資料本としては、
1975年8月 航空ファン別冊 世界の傑作機 No,64
1982年3月 〃 No.130
1993年1月 〃 新世界の傑作機 No.38
1978年11月 丸メカニック No.13
この中で、丸メカは当時実際に開発に携わった方々が執筆され
エピソードとしては一見の価値があり、また昭和18年4月
陸軍航空総監部 100式式司令部偵察機操縦法 も大変興味深いものです。
オイラはマルサンの1/50とAIRFIXの1/72を50年ほどに作りましたが
もはや遠い記憶です。
ばかりです。
この機体は戦後マレー半島でイギリス軍に接収され、イギリスお決まり
の戦利品としてイギリス本国に搬送されたものだそうで、RAFセント・
ァサン基地で保管・展示され、1980年代にコスフォードに移送され、
1992年にレストァが開始されたそうです。
空力性能を追求した機首からの流麗な段なし風防はⅢ型の特徴
尾翼のマークは南方に展開した81戦隊
後に5式戦が写っていますが、2011年にはヘンドンのRAF博物館
で展示されていました。。
集合排気管から短排気管に変更したのが後期型
これにより速度も若干向上したそうです。
Ⅱ型ではスピンナの先端に始動フックがついていますが、
このⅢ型では廃止されています。
しかし、慣性手動始動、外部始動機を必要としたそうです。
上昇限度は1万mを超えるのに与圧キャビンではないのです。
最高速度は630km/hと当時のどの戦闘機を凌駕する高速なのですが、
武装はなし、高速性能を追求した故というのもなるほどです。
後部風防はⅡ型では横開きでしたが、Ⅲ型では後方スライド式に変更
なお、100式司令の資料本としては、
1975年8月 航空ファン別冊 世界の傑作機 No,64
1982年3月 〃 No.130
1993年1月 〃 新世界の傑作機 No.38
1978年11月 丸メカニック No.13
この中で、丸メカは当時実際に開発に携わった方々が執筆され
エピソードとしては一見の価値があり、また昭和18年4月
陸軍航空総監部 100式式司令部偵察機操縦法 も大変興味深いものです。
オイラはマルサンの1/50とAIRFIXの1/72を50年ほどに作りましたが
もはや遠い記憶です。
英駆逐艦に仕留められた羽黒の末裔。その画像でも。
http://imepic.jp/0mLVq517
やはり船仕立てでの写激はいいですね~、
帰りの日はやはり用があって出撃できません、
まあそのうちにでもと思っておりますので。
視程がよろしくありません。出撃すべきかどうか迷ったのですが、雨上がりの翌日、南航では距離も遠いので、
これまでの戦訓から出撃を取り止めました。
こんな素晴らしい画像の添付ありがとうございます。
「あたご」、「みょうこう」、「あしがら」、「まや」、「はぐろ」、
であれば、次は「なち」ですかね?
残念ながらシーホーネットはみたことがありません。
飛行するモスキートはカメラに収めていますので、ご用意いたします。