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kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

北野天満宮

2016-02-26 12:41:39 | 京都

 

2月21日、マラソンが終わってから北野天満宮を参拝しました

 

この日は参道に露店が2つくらいしか出ていませんでした

 

なるほど、21日は東寺の弘法さんの日でした

 

参拝者もお店もそちらに行ってるのでしょうね

 

25日は天神さんの日、縁日が立ちます

 

2月25日は菅原道真の亡くなられた日で、

梅花祭と野点大茶の湯が行われます

 

 

まずは、一の鳥居 をくぐって

 

 

本殿(国宝)  

右近の梅                左近の松

 

 

紅和魂梅 (べにわこんばい)  樹齢三百年とか

 

本殿前の右近の梅ですが、ご神木で 

  菅原道真を慕って太宰府に飛んで行った「飛梅」と同じ種と伝わる梅です

 

去年初夏、太宰府天満宮に行ったのですが、その時の写真 ↓

  

飛梅      (2015.6.24)

 

 

飛梅        (2015.6.24)

 

太宰府天満宮 本殿      (2015.6.24)

 

本殿前、向かって右が飛梅です

 

 

”  忘れたのかい   飛梅~♪  ”

 

忘れてません  

 

北野天満宮は 右近の梅、 左近の松

 

太宰府天満宮は左右ともに、梅でした

 右近は皇后の梅、左近が飛梅でした

 御所の紫宸殿は、右近の橘、左近の桜で

 

いろいろあるのですね

 

さて、ここでクエスチョン!

「飛梅」 の立札を見てください

何かが隠れています

 

探してくださいね~

(皆さん、ご存じですよね)

 

さて、天神さんと言えば、「牛」 も忘れてはならないので

 

 

 

 

 

 

 

 べこの子 牛の子 まだらの子~♪

ではなくて黒光りした子牛さんでした

 

”  天神の牛も見上げる梅日和  ”

 

まだ満開ではなかったですが、紅梅白梅きれいでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宝物殿

 

 時間がなくて入ることが出来ませんでした

 

柱にどなたか立っておられました、誰??

 

アニメかゲームのキャラクターでしょうか?

 

 

 

”  東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ  ”

菅原道真

 

春が来て梅の花も忘れることなく咲きました

 

でも、まだまださむい

 

 

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時代祭、京都ゆかりの中世の婦人

2015-11-01 17:42:14 | 京都

中世と呼ばれる平安時代後半から桃山時代に至る時代

京都で多くの女性が活躍しました

歴史上の人物だけでなく、職業集団もありました

 

室町時代の洛中風俗

風流傘を中心に風流踊りを再現、この踊りはのちの盆踊りの原型となったと

伝わる

 

大原女

洛北大原から薪や炭を京の町に売りに出ていた

 

桂女

洛西の桂から鮎や飴を売りに来たり、中には

婚礼、出産に祝詞を唱える巫女もいた

 

淀君

秀吉の側室で、桃山時代の最高の技術を生かした衣装を着ている

写真が小さく、ごめんなさい

 

静御前

平安末期から女人の舞装束として用いられた水干を着けた白拍子姿

悲劇の女性ですが、目映い!

 

~平安時代~ 

 

巴御前

木曽義仲の愛した女性

武勇の誉れも高く、

ハンサム~

 

横笛

出家した齋藤時頼のあとを追って嵯峨往生院に向かう旅姿

 

常盤御前

今若、乙若を連れ、懐には牛若が、

雪の中六原に向かう姿

 

紫式部と清少納言

紫式部は小袿衣(こうちぎぬ)の略装

清少納言は女官の正装の十二単、見えにくいのですが…

 

小野小町

女流歌人で才色兼備

唐風の残る女官の礼服姿

 

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに

 

和気広虫

和気清麻呂の姉で、わが国孤児院の起源をなした女性

 

百済王明信(くだらおうみょうしん)

藤原継縄の妻、女官の正装

 百済王氏の出で、女官長として桓武天皇を陰から支えた

 

白川女

比叡山に源を発する白川流域から、京の町に来て花を売り歩く

その歴史はたいへん古く、平安中期から御所に花を届けていた

といわれる

 

時代祭の締めくくりに、神幸列が行きます

 

  

 赤は迦陵頻伽~かりょうびんが 背に鳥の羽根    緑は胡蝶、背には蝶の羽根

神幸列の前列を行く

 

神幸列

 

 

 

御鳳輦~ごほうれん

前には孝明天皇、後ろに桓武天皇の御神霊が鎮まり宮司以下神職

平安講社総長、列奉行らが随従します

菅蓋           錦蓋

 

平安講社総長

 

 

Do You Kyoto ?

最後尾に位置するこの車、毎年やって来ます

 

 

2000人に及ぶ行列が2時間に渡り巡行する時代祭、

かなり端折ってしまいましたが、平安時代から明治までの、

京都の町を行きかった人々の姿を垣間見て頂けたなら幸いです

 

お蔵入りレベルの逆光のヘボ写真を恥じらいもなく

お見せいたしまして、申し訳ございません

実は、この写真ではあかんなあと思いつつも、

開けたが最後、もう抜き差しならぬ事と相成り

こういう幕引きとなりました

 

来年また、挑んでみたいと思います

その折には、よう考えて、ブログアップ致します

では。

 

 

 

 

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時代祭のあと、岡崎公園で

2015-11-01 00:48:05 | 京都

お祭りが済んだあと、平安神宮界隈をちょっと歩いてみました

 

平安神宮~應天門

 

振り向くと大鳥居が見えます

 

大役を果たしたお馬さん達、専用車が待っていました

それぞれの住まいに帰るのですね

お疲れさんでした

 

 

 

ここは疎水です

琵琶湖から流れてきて京都の街中を流れています

今日は無風のせいか、まるで流れていないようです

 

 

 

疎水沿いに京都会館があったのですが、「ロームシアター京都」

という名前に変わっていました

建物もだいぶお色直ししたようです

 

真向いは「みやこめっせ」様々な催しをして京都の文化を発信してます

お巡りさんも、お祭りの警備を終えてご帰還です

 

岡崎公園にはまだ沢山の人が帰らずにおられました

 

東山連峰の「大文字山」

山肌の見えている所に、「大」の字の火床があります

 

京都市美術館

一部、工事中でした

 

美術館の後ろにお池がありました

外人さんの親子連れ

また、周りの庭を利用して、「京都フィールドアートプロジェクト2015」

という名の催しの作品が展示されてました

 

ニャイケル        遭遇       生命のこけし   

Soil art(Labyrinth)

 

コイコイ ベンチ

ほんとの小鳥に見えます

 

「透明な私はやわらかいあなた」 

 

という題名がついていました…意味難しい

作者が手直しされてました

「写真撮っていいですか?」

『どうぞ~』

 

 

The tribe~フェイスブックアイコンの集積

 

 

 

異才を放ってますね~なんてね(^_^;)

それにしても、やる気、根気、元気の賜物ですね

 

京都市美術館の裏側なんて、初めてです

新発見。

 

 

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時代祭(安土桃山時代)

2015-10-31 12:25:40 | 京都

 

 京都三大祭のひとつ時代祭は、総勢2000名、総延長2キロ、2時間に及ぶ大行列です

 

安土桃山時代の豊公参朝列には牛車(ぎっしゃ)が登場します

 

赤い着物の子供は牛童(うしわらわ)

牛童は牛車に付き添って牛の世話をする者で、「牛飼」ともいう。

成人後も老齢になっても童の髪型のままでいるために、

童名で呼ぶのが通例であった。

 

檳榔毛唐庇車(びんろうげからひさしぐるま) 

最高の様式の牛車

 

後ろからですみません。

いいお天気はいいのですが、私の立ち位置が悪かったので、

今回すべて逆光になりました。

後ろから撮ると北にカメラが向くので、いささか明るい様な…

 

 

 

織田信長ののぼり

家紋の「織田木瓜~おだもっこう」と「揚羽蝶紋」

どちらも子孫繁栄を示す

白馬で堂々の織田信長公

信長…?

 

滝川一益~たきがわかずます

銀水牛脇立兜~ぎんすいぎゅうわきだちかぶと

 

 

柴田勝家

銀瓦形脇立兜~ぎんがわらがたわきだちかぶと

 

 

羽柴秀吉

馬印千成瓢箪が立派

 

戦国武将が兜や馬印にもしのぎを削って派手なものにし

相手を射すくめた様子が感じられます

 

 

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時代祭(徳川城使上洛列)

2015-10-30 21:37:36 | 京都

江戸幕府は朝廷の重要な儀式のある時、将軍の名代として

親藩、または譜代大名を城使として上洛させた

その時の行列は大変盛大なもので、大礼の時には1700人にも及んだと言われる

 

先頭に、奴、毛槍を振ったり独特の所作を披露しながら進む

 

 

 

 

 

奴さんの足の動きが独特で興味深いものでした

この時代の奴さんの所作だそうです

 

 

毛槍 

毛槍を高く投げ上げ相手が受け取る、

沿道は大拍手でした

 

長槍 

 

白馬に乗っているのが城使

本来駕籠に乗るが、時代祭では騎馬で進む

 

 

城使のための駕籠

 

 

徳川城使具足櫃(ぐそくひつ)

 

大名行列の奴さんを見ていますと、

童謡の  「鞠と殿様」  を思い出します

 

作詞西條八十  作曲中山晋平

 

てんてん てんまり てんてまり
てんてん てまりの てがそれて
どこから どこまで とんでった
かきねをこえて やねこえて
おもての とおりへ とんでった とんでった

おもての ぎょうれつ なんじゃいな
きしゅうの とのさま おくにいり
きんもん さきばこ ともぞろい
おかごの そばには ひげやっこ
けやりを ふりふり やっこらさの やっこらさ


今の小さな子供たちは知ってるかなあ~


 

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時代祭~(江戸時代婦人列)

2015-10-29 11:20:21 | 京都

 

時代祭は先頭の明治維新時代に続き、

江戸時代に京都で活躍をした女性が登場します 

 

和宮さん

十四代将軍 徳川家茂に降嫁される前の姿(十二単)

 

” 惜しまじな 国と民のためならば 身は武蔵野の 露と消ゆとも ”

和宮さんの和歌です

 

京から江戸へ行かれる時、近江の草津宿に泊まっておられまして、

「草津宿本陣」には、その時の宿帳が残っています。

つらい旅になったんだろうなあ~と

 

ここから蛇足ですが、 

” 長旅の 姫のかたわら 宿の梅 ” 

二月に、俳句入門講座で初めて詠んだ俳句です

 

太田垣蓮月

江戸末期の女流歌人で陶芸家、のちに尼となり「蓮月」と称した

文人画家幼少期の富岡鉄斎に大きな影響を与えている

 

この着物は娘時代を偲ぶもの

 

 

玉蘭~画家の池大雅の妻 

和歌に秀でていた

 

中村内蔵助の妻

中村内蔵助とは京都銀座で巨万の富を築いた人物 

後ろの赤い着物の女性は腰元

 

 更にその後ろの朱色の前掛の女性は、「梶」

元禄時代の歌人、祇園で茶店を営んでいた

 

吉野太夫

京都の芸妓で、のちに豪商灰屋紹益(はいやしょうえき)の妻となる

男衆と禿(かむろ)二人と

で、ありんす~~

 

 

 出雲阿国

四条河原で念仏踊りを演じ、これが歌舞伎の起源とされる。

阿国の銅像が南座近くの鴨川ほとりにあります

京阪電車で来られたら、「祗園四条駅」で降りて下さい

 

 

こうしてみると、歌人が多いですね。

 

個性豊かな着物が美しく華やかな列でした。

 

江戸時代は、この前に「徳川城使上洛列」が行きます

 

このあと、ご紹介したいと思います

 

 

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時代祭 (明治維新時代)

2015-10-27 14:57:19 | 京都

10月22日、京都三大祭のひとつ「時代祭」を、

平安神宮前で見ました。

 

時代祭は、明治時代から平安時代へとさかのぼって、

その時代の衣装をまとった行列が時代絵巻を繰り広げます。

 

一番最初は明治時代の維新勤王隊列

 

鼓笛隊(軍楽隊)

笛の音が聞こえてくると、来たッと気持ちが高まります。

私は時代祭の中で、勤王隊が一番好きです♪

 

錦の御旗~日月旗

 

天皇から官軍に下賜されるもの

赤地に金色の刺繍で「日」が、片方は銀色の刺繍で「月」が

 

 

鉄砲隊

 

前を行く鼓笛隊の笛太鼓の

ピーヒャ―ラ ラッタッタッ♪という軽快なリズムに合わせて歩きます。

普通に歩くよりちょっと間が長いので、前に進めた方の足を長めに

上げて歩く形になります。それがまたカッコイイんです。

隣国のあの行進ほどの硬さはないんですよ。

 

次は維新の志士列です

  

坂本龍馬        西郷吉之助        桂小五郎

 

  

  中岡慎太郎      高杉晋作       橋本左内

 

 

 吉田松陰             近衛忠熈(このえただひろ)

 

勤王の志士たちは20~30歳代の青年だったこともあり、

京都青年会議所が担っておられます

 

今、平成の維新が騒然としていますが、

身を削ってでも、という覚悟は感じられますでしょうか。

 

 

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梅小路蒸気機関車館内のお召し列車

2015-09-03 15:58:31 | 京都

お召列車の印しをつけて梅小路蒸気機関車館に保存されている汽車もありました

            

                

             

ここでは、C581のようですが、その時その時で状態の良い汽車を用いたとのことです。

お召し列車はもちろん天皇、皇后、皇太后の乗られるものですが

三原則があるとか、

一、他の列車と並んで走ってはならない

二、追い抜かれてはならない

三、立体交差では上の線路を他の列車が走ってはならない

     

また、お召し列車の10分程前に先導列車が運行される場合があり

鉄道ファンはこの列車を「露払い列車」と呼ぶそうです。

また、担当する運転士は運転区間を管轄する車両基地内で

技術、勤務態度、人間性の優れた人が選ばれるそうです。

 

様々な事に細心の注意が払われているのが分かりました。

また、列車運行に関する経費は宮内庁の支払いなのだそうです

現在は、今の天皇陛下の意向やその他の事情から

専用列車を用いることは減っていて、定期列車、臨時列車の一部、

または航空機を使うことが多くなっているそうです

           

インターネットで見ていて気付いたのが

「サロンカーなにわ」という車両がよく使用されたこと

          

  サロンカーなにわ

         

それから、

 

山田線 漕代駅 - 斎宮駅間

近鉄50000系(しまかぜ)

2014年、鉄道友の会からブルーリボン賞を受賞

 

2014年3月、式年遷宮を終えた後の参拝で

近鉄名古屋駅~山田線宇治山田駅間、お召し列車として運行し、

三種の神器の草薙剣と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が

動座したとのことです

JR以外の列車もお召し列車の役目を担うことがあるのですね

         

ちょっと気になるのを見つけたもので

      

2016年春、これら53両

蒸気機関車から新幹線まで、興味深いラインナップで登場です

待ち遠しいですね

               


 

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大阪の交通科学博物館の車両はどこへ…

2015-09-03 12:26:40 | 京都

梅小路蒸気機関車館が閉じて4日

懐かしさが募ります

なんで、いまさら感…

       

さて、先日ブロ友さんのしまそだちさんが、

大阪弁天町駅近くの交通科学博物館にあった車両はどこに行ったのか?

と思ってらっしゃることを知りました

私も新しい施設に収蔵される中にあるのかないのか?

気になりましたので、ネットだけではありますが、調べてみました

            

鉄道素人ですので、誤りを書くかもしれません

その時はぜひご指摘をお願い致します

 

              

それでは、交通科学博物館(大阪環状線弁天町駅高架下)の

閉鎖(2014年)に伴い移動して行った車両一部だけですが

その行先を。

        

          

 

7100型蒸気機関車 7105 義経号 1880年製(鉄道記念物)

弁天町→梅小路蒸気機関車館→京都鉄道博物館(予定) 

             

     

C62型蒸気機関車 26号機(写真は621) 1948年製

弁天町→京都鉄道博物館(予定)

                  

      

C53型蒸気機関車 5345号機 

弁天町→梅小路蒸気機関車館→京都鉄道博物館(予定)

 

1800型 1801号機 1881年製

弁天町→京都鉄道博物館(予定)

                  

230型233号機  1903年製(鉄道記念物)

弁天町→京都鉄道博物館(予定)

 

              

その他、直流電気機関車、直流電車、電動車、ディーゼル、特急気動車、

3等食堂合造車、2等寝台緩急車、0系新幹線など、

たくさんの車両が交通科学博物館(弁天町駅高架下)から京都鉄道博物館へ

やって来ます、或いはもう来てます。

また、岡山県津山市の津山扇形機関車庫にも移されています。

        

大阪の交通科学博物館は、老朽化、手狭が理由で閉館となりましたが、

現在進行中の 『大阪環状線改造プロジェクト』 の一環として

施設の開発が進められる模様です。

          

しまそだちさん、ご安心ください。

殆どの車両は梅小路~京都鉄道博物館へ移って行くようです。

次は、弁天町駅界隈の進展が楽しみになりますね。

そちらも、いずれ行けたらなあと思います、楽しみです♪

鉄道素人がにわか調べで書いたものですから、ほんとに不十分で

ごめんなさい。

これを機に、鉄道にちょっと興味を持ってみようかなと

ミーハーな私は適当な事考えています(^_^;)

          

 

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梅小路蒸気機関車館~京都鉄道博物館へ

2015-09-02 11:02:23 | 京都

発車のベルは鳴ったのに、

列車は未だ、出て行かない…

 

そんな感じですが、

閉館となった梅小路蒸気機関車館の姿をもう少し、

         

 旧二条駅の駅舎、本物を縮小して移築されました

機関車館の玄関口として、展示室として使われました

和風にこだわり、平安神宮を元に設計されたそうです

京都有形文化財

 

 

 

「梅小路蒸気機関車館~旧二条駅舎」 と書かれています

 

          

私の実家は二条駅まで歩いて15分くらい、

子供の頃、夜になると汽笛が聞こえて来てました。

この駅を利用することも多かったし、この姿の駅を覚えています

建物の内部の写真も撮ってきました

               

 天井を支える金具でしょうか、細工がとてもきれいです

            

格天井が

           

扇形車庫の模型

          

            

切符売り場の内部

                  

 13年前のヘッドマークですが、歴史を感じます

         

                  

                 

2014年、お隣に京都水族館が出来たのを記念して

SLスチーム号に付けられたヘッドマークだそうです

 

 様々な列車の車輪

手前の車輪は小さいけど広軌道に乗ってるのがゼロ系新幹線で、

次の大きな車輪で狭軌道は蒸気機関車です

蒸気機関車は何もかも重そうです 

 

              

               

これらは引き込み線?或いは構内の片隅に留まっている車両です

蒸気機関車もあれば、新幹線も見えます

梅小路蒸気機関車館のあとに建つ 「京都鉄道博物館」

2016年春オープン予定ですが、その時にはこれらの車両も

館内に整然と並ぶのだと思います

 

梅小路以外にも、大阪弁天町にあった交通科学博物館や、様々な所から

ここへやって来た蒸気機関車が勢ぞろいするのですね~♪

            

京都鉄道博物館の、完成予想図です

 

扇形車庫と転車台、旧二条駅舎も残るそうです

よかった、

 

おつかれさまでした。

 

 

 

 

     

 

   

 

        

                

 

            

 

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