新・エンゲル係数

肥満と痛風に悩まされながらも新鮮な食ネタを捜し求めて・・・

次期朝ドラのヒロイン、広岡浅子

2015年09月06日 | 気になるネタ

次期朝ドラのヒロイン、広岡浅子の生涯を追った。

 浅子は明治期の大阪で活躍した実業家。女傑として鳴らし、日本女子大学創立に貢献し、大阪YWCAの設立に関わるなど多彩な活躍をした。しかしいま、浅子の名前を知る人はほとんどいない。取材を重ねるにつけ、ダイナミックで波乱に満ちた浅子の生涯に魅了された。同時になぜこんな人が忘れられてしまったのだろうと不思議に思えた。

 大阪ってなんて忘れやすいんだろう、とも感じた。これが東京なら誰かがどこかで顕彰し書き残している。もっと地方だったら貴重な人材として記念館のひとつもできたかもしれない。いや、やはり浅子は大阪でこそ生まれた人材だった。だからこそ、大阪はこの人をもっと大事にしてもいいのではないか。

豪商を支えたお嬢様

 もともとは京都の出身。幕末の嘉永2年10月18日、三井一族のお嬢様として生まれた。17歳のとき大阪の豪商加島屋一族の広岡信五郎と結婚。20歳のとき明治維新に遭遇する。

 お嬢様ではあったが、お茶やお琴などの習い事より読書や算術がしたい一風変わったお嬢様。さらに風雲急を告げる都で時代の空気を敏感に感じていたから、婚家の商売にいち早く危機感を抱いた。

 加島屋は鴻池と並ぶ金融取引業者。大名貸しも多く、政変はそのまま商売に直結する。事あらば自分も商売にかかわり家を守らなくてはいけない。自ら商売に参画し、事態打開に駆け回った。夫の信五郎は大名暮らしに慣れたお坊ちゃま。このあたり、頼りない夫にしっかり女房という構図で、織田作之助の「夫婦善哉」か。

 大阪の豪商の多くが維新で倒れたのを尻目に、加島屋が生き残ったのは浅子の働きが大きかったといわれる。さらには新興産業だった炭鉱に目をつけ、失敗を重ねつつも自らピストルを懐に炭鉱に乗り込み指揮したというから並の経営者を超越している。ここらあたりから、大阪に広岡女史ありと東京にも聞こえる存在になる。家業も加島銀行設立、大同生命保険創立と大いに繁栄した。

女性教育のリーダー

 このままではやり手の実業家の一人で終わったかもしれない。浅子の輝きが増すのはここからだ。

 浅子はかねて教育に多大な関心を寄せていた。加島屋一家の子弟はもちろん、銀行や商店の従業員たちを集めて教育の場を設けた。さらに男女に能力の差はないとの持論から、女性行員を採用したりしていた。このため、教育者の成瀬仁蔵が「女性にはもっと専門的な高等教育機関が必要」という信念をもって女子大学成立に協力を求めてきたとき、誰よりも早く支援者となり、強力な推進力となった。

 日本女子大学(当時は日本女子大学校)の設立には、浅子の力が大いに役立った。浅子は尽力しただけでなく、自らも機会を見つけては上京し、若い女生徒とともに勉強をした。すでに50代の半ば。夫が亡くなってからは娘婿に家業を託し、自身はすっぱり実業の世界から足を洗い、社会活動家の道を歩み始める。

 社会的リーダーとして講演や執筆の機会も増える。押し出し十分、叱咤(しった)激励調の浅子の話はときに威圧感を増しただろう。後に「青鞜」を発刊して時代の花形となる平塚らいてうは「不愉快な演説」と酷評を残しているし、成瀬仁蔵には「困ったばあさん」呼ばわりされている。

大阪の「おなご」の系譜

 自分の信じるところを突き進む。浅子は言論の人でなくつくづく実業の人だったと思う。だからこそ商売に実績を残したし、直接関係をもった人には大きな影響力を与え得た。しかし、活動の場が広がり、距離が遠くなり、時代をへていくと影響力が減る。忘れられてしまう。

「私は遺言はしない。平常言うことが皆遺言である」

 浅子はそんな言葉を残して大正8(1919)年1月14日に69歳で没している。やったこと、言ったことがすべて。この潔さは、理屈よりも行動を重視する大阪的といえないだろうか。

 経済史学者の宮本又次氏は「大阪文化史論」(昭和54=1979=年)に収めた「大阪女傑論」で浅子を取り上げ、こう書いている。

 「大阪の商家の妻は武家社会に比べて発言権は大であった。御寮人さんとして隠然たる勢力を持っていた」

 大阪のおなごのド根性には、その伝統に育成されたシンの強い何物かが温存されており、その中から女傑が生まれる。広岡浅子も与謝野晶子も住友登久も奥田ふみも吉本せいも。さらに殿村恵津、和田あい、林蝶子も。みんなそんな女だった。どれだけの人がその名を記憶しているか。「忘恩は現代社会の一般的風潮だが、そんなことではよりよい社会は生まれないと思う」とも。

 商売の町大阪は名よりも実をとる。そしてあくまで裏方である御寮人さんは忘れられる運命にある。

 浅子の再発見は事件である。

 


もずくの五目ナムル “ヌメヌメ”が胃を修復する

2015年09月06日 | おいしんぼうネタ

突然ですが「フコイダン」という成分を知っていますか? これはワカメやコンブ、もずくなどの海藻類に含まれているいわゆる“ヌメヌメ成分”のこと。近年、とても注目されていて、がん細胞を自己消滅に導く作用、ピロリ菌の胃表面への定着を防ぐ作用をはじめ、抗コレステロール作用、血液の凝固阻止作用、血圧上昇の抑制作用など、体内環境を改善するさまざまなパワーを宿しているといわれています。

 今回ご紹介するのは、そんなフコイダンのパワーを最大限に引き出すもずくのレシピ。抗がん作用の強いニンジン、免疫機能を強化するにんにくを併せて使い、彩りもきれいに、毎日食べても飽きることのないおかずに仕上げました。

 また、もずくは加熱することでフコイダンが体内で使われやすくなり、弱った胃を修復する効果が上がります。さらに野菜を蒸すとかさが減るので生野菜より量を多く取ることができるのです。

 栄養成分を逃さないのは電子レンジ活用のポイントです。もちろん“超時短”で完成するので食卓を豊かにする「もう一品」としてもご活用ください。

【材料・2人分】
ニンジン 20g
ほうれん草 40g
もやし 100g
生もずく 80g
[A]鶏ガラ(顆粒だし) 小さじ1
   しょうゆ 小さじ1/2
   ごま油 小さじ1
   おろしにんにく 1片
[仕上げ]いりごま(白) 小さじ1

【作り方】
1 もずくは洗って水気を切り、2~3cmの長さに切る。ニンジンは皮をむき、薄い千切りにする。ほうれん草はよく洗い4cm幅に切る。もやしはさっと洗い、ざるにあげ、水気を切っておく。にんにくはすりおろす。
2 耐熱皿にニンジン、ほうれん草、もやし、もずくの順に入れ、軽くラップをかけて電子レンジで600wで3分加熱する。
3 熱々のうちに[A]を合わせる。
4 器に盛り付け、いりごまをふる。