礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

無条件降伏不可避論と商議和平論

2016-09-28 20:42:09 | コラムと名言

◎無条件降伏不可避論と商議和平論

「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
 本日は、「近衛公の派遣決定」の節の、昨日、紹介した部分に続く部分を紹介する(二一ページ)。

 ここにおいて鈴木内閣の最高使命はハツキリと決まつた。またその対ソ工作のすべては再出発を必要とした。
 大御心を体して開かれた爾後の最高戦争指導会議におかて決定されたことは、またしても四度の「大物の対ソ派遣」案であり、これがために選ばれたのは元首相近衛文麿公爵であつた。
 しかし今度の大物特使派遣は従来考へられたそれとは些か異つて、はつきりした目的を持つてゐる。しかも勅旨に基くものである。特使はスターリン首相に宛てられた天皇陛下の親書を携行することに内定した。.
 ところが、ここではたと行き詰つた問題は、親書の内容および、これに関連してソ連に斡旋を依頼することにしても、当方から提示すべき和平の条件をいかにするかといふ難問であつた。
 当時、関係者間に二つの意見が鋭く対立して相譲らなかつた。一は、諸般の情勢から判断して、この戦争を終結せしめるためには、かねて米・英がカサブランカ会談以来その鉄則として宣伝してゐるいはゆる無条件降伏を受諾する以外に可能性はないこと、従つてソ連をして和平斡旋の役を引受けしめるためにも、わが方から進んで無条件降伏受諾の意思表示をすることが必要であらうとする無条件降伏不可避論で、これは東郷外相によつて代表された。他は、いかなることがあつても無条件降伏など絶対に受諾できないとする商議和平論で、これは阿南陸相によつて代表された軍部の主張であつた。
 この両論は会議の都度、激しく火花を散らした。しかし、対立する両論とも、無条件降伏にせよ商議和平にせよ、事苟も〈イヤシクモ〉国体に関する限り完全に意見を一〈イツ〉にしてゐた。即ち国体に些かの変革でも要求されるがごとき場合は和平自体が既に問題になり得ないとする点では悉く一致してゐたのである。【以下、次回】

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