礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

村中・磯部等の怪文書が相沢の興奮にあずかった

2024-06-10 01:50:50 | コラムと名言

◎村中・磯部等の怪文書が相沢の興奮にあずかった

 木下半治『日本国家主義運動史』の戦後版、福村出版刊行『日本国家主義運動史』の「Ⅱ巻」を見ると、その第六章「二・二六事件を中心として」の第一節「陸軍内部の激動」に、「四 永田事件」という項がある。
 本日以降、これを前後二回に分けて紹介してみたい。なお、Ⅱ巻のページ付けは、Ⅰ巻からの通しになっている。

     四 永 田 事 件

 陸相林の就任以来の皇道派「粛正」は、主として大将渡辺錠太郎の支援によったものらしいが、渡辺はその地位上、表面には立たず、表向きには軍務局長永田の策謀らしく受け取られた。そこで、皇道派は攻撃の矢を永田に集中した(皇道派が、敵は渡辺にありと気づいたのは、前述七月十八日の論戦以来といわれる)。永田の才幹、その自信のほどは、皇道派の攻撃に価いするものであった。かれは林を支持して、どしどしその「粛軍」方針を実行させた。ことに永田が、後藤文夫等の「新官僚」と組んで、国維会=朝飯会をつくって政治的な動きを示していたことは(もっとも、国維会には荒木〔貞夫〕も発起人および理事に名をつらねていた)、永田攻撃の大きな理由となった。特に真崎交迭後は、皇道派は躍起となって、永田攻撃の怪文書を飛ばし、七月十八日には、前述のように三月事件計画書を証拠として、永田討滅をはかったのであった。かれらの攻撃があまりに執拗をきわめたので、林も転出をすすめたほどであったが、永田は聞かなかった。
 果然、一九三五年(昭和十年)八月十二日の号外は、永田の暗殺を報じた。
 犯人中佐相沢三郎は仙台の産で、士官学校在学時代から剣道をよくした。頭脳はきわめて単純であり、その相貌をみてもわかるように、その性は剽悍〈ヒョウカン〉であった。早くから皇道派青年将校と交わり、ことに大蔵栄一・村中孝次〈タカジ〉・磯部浅一〈アサイチ〉・大岸頼好〈ヨリヨシ〉およびことに西田税〈ミツギ〉と親交があり、その陳述によれば桜会にも属していた。林=永田の粛軍人事が始まると、かれはその中枢とみられる永田を深くにくんだ。村中・磯部等の「怪文書」が、相沢の興奮にあずかって大いに力があったことはいうまでもない。ことに相沢を刺激したのは、大将真崎交迭問題であって、かれはかかる「大権干犯〈カンパン〉」をあえてした元兇は永田にありとし、直接永田に会って辞職を迫ったが、永田は一笑に付してみなかった。のみならず、相沢は、福山から台湾に転任を命ぜられた。これも相沢としては永田のせいとしたであろう。また相沢は、真崎問題については、真崎にも会ったといわれる。八月十一日、事件決行の前夜には、かれは、西田税の家に一泊している。ここに、かれが永田刺殺を決行するについて、各方面の支持を期待し、自信があったことがうかがわれる。
 八月十二日午前九時、軍務局長永田が、その自室において東京憲兵隊長大佐新見英夫〈ニイミ・ヒデオ〉および兵務課長大佐山田長三郎〈チョウザブロウ〉と会談中、突然、相沢が白刃を振って〈フルッテ〉室内におどり込み、永田を刺殺し、新見を傷つけた。それ以前にも相沢は永田を訪ねたことがあるので、軍務局の給仕は怪しみもせず、かれに永田の在室を教えたのであった。また山田は相沢の見幕に恐れをなして軍事課長室へ逃げ出した。この机上軍人は永田をかばうことも、相沢を押えることもなし得なかった。そのため山田は世の非難を浴び、耐え得ずして割腹自殺した。
 永田を刺して志を遂げた相沢は、自分も多少手に負傷したので、省内医務室で手当をしてもらい、先輩に挨拶して悠々と陸軍省を引き揚げようとした時、ようやく急報によって憲兵がかけつけた。しかし憲兵は相沢の腕に恐れをなして、あえてこれを捕え得なかった。やっとの思いで、「あれへお乗りください」といって相沢を自動車に誘うと、相沢は案外おとなしく、憲兵隊の自動車に入ったので、ようやくかれを憲兵隊へ連行し得たのであった。〈305~307ページ〉【以下、次回】

 以上が、「四 永田事件」の前半である。戦前版に比べて、凶行の背景等の説明が詳しい。相沢三郎が凶行の前夜、西田税の家に一泊したことや、事件後、兵務課長の山田長三郎が割腹自殺したことは、戦前版には出てこない。
 なお、凶行後、陸軍省内を徘徊していた相沢三郎の身柄を確保したのは、麹町憲兵分隊の萩原弘司曹長(特高主任)、小坂慶助曹長、青柳利之軍曹の三人であった(当ブログ、21・3・13の記事「上官殺人の現行犯人が平気で歩き廻っている」参照)。

*このブログの人気記事 2024・6・10(8位になぜか陸軍パンフレット事件、9位になぜか下山事件)

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