礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ヴァイマール憲法は改定されたのか破棄されたのか

2015-09-25 04:08:16 | コラムと名言

◎ヴァイマール憲法は改定されたのか破棄されたのか

 昨日の続きである。青木茂雄さんの投稿、ケルロイター『ナチス・ドイツ憲法論』の感想、あるいはケルロイター論を紹介する(その二)。

ヴァイマール憲法は「改定」されたのか「破棄」されたのか?  (2)
 ─ケルロイター『ナチス・ドイツ憲法論』を読む─  青木茂雄

【「ドイツ憲法大綱」の内容】
 ケルロイターは「ドイツ憲法論」(『ナチス・ドイツ憲法論』)のほかに、1933年に「一般国家学大綱」(Grundriss der Allgemeinen Staatlehre、 日本語訳なし)、1936年に「ナチス世界観における民族と国家」(Volk und Staat in der Weltanschauungdes Nationalsozialismus、日本語訳なし)を書いている。
「ドイツ憲法論」は憲法論というよりはむしろ、歴史論であり運動論であり、“憲法大綱”としての一貫性には乏しく、一見すると恣意的な事項の羅列に終始している。まさに「噴飯物」の印象である。目次の章立てと内容のタイトルをまず列記する。

第1章 政治的基礎
「政治的なるものの本質」「ドイツの自由主義的民主政とマルクス主義」
「ナチスの世界観的・政治的基礎」「ナチス法治国家」「ドイツ憲法の本質と構成」
「ドイツ国法学の任務と方法」
第2章 歴史的基礎
「旧ドイツ帝国」「ドイツ連合」「ドイツ地方国家に於ける憲法的発展」
「フランクフルト国民会議」「北ドイツ連合と帝国建設」「ビスマルク憲法の根本思想」
「ワイマール憲法の成立」「ワイマール憲法の政党的連邦国家」
第3章 法源と標章
「法源」「標章と旗」
第4章民族と国民
「民族と国民」「ライヒ国籍と公民権」「基本権と基本義務」「ライヒ国土」
「国民的民族集団」
第5章ドイツの政治的統一の形成
「ドイツ支邦の独立国家性」「ライヒ、ラント及び自治団体の政治的均制」
「1933年4月7日の第二均制法」「1934年1月31日の新構成法」
「ライヒ建設の進展」
第6章ドイツ指導者国家の構成
「指導の基礎」「ライヒ宰相とライヒ政府」「ドイツ国家の元首」「民族と指導」
「ドイツ指導者層」「ナチス党(運動)」「官吏」「国防軍」
第7章指導の形式
「権力分立」「立法」「公けの行政」「司法」
第8章経済的、宗教的、及び文化的民族力の国法的編成
「国家と経済」「職能的団体構成」国家と教会「国家と文化」「教育と学問」

 以上が目次とタイトルである。1、2章は「ナチス憲法」体制成立の歴史的前提、3章以下が「ナチス憲法」体制の説明となっているが、それでは「ナチス憲法」とは具体的に何を指すのか。
 ケルロイターによれば、1933年から1935年までの間に「指導者国家」として制定された10の法令がすなわち憲法である。彼は成文憲法を持たなかったイギリスの例を引き合いに出しながら、次のように述べる(礫川ブログではすでに1941年「日本国家科学体系6法律2」所収の大谷美隆「ナチス憲法の特質」の中に引用されていた10(引用では「11」)の法令を指摘されているが、煩を厭わず以下に列記する。[ ]内は私の補いである)。

「この[イギリスのように成文憲法のない]様な憲法規定は、ドイツ指導者国家の国法的発展の中にもまた見られる。それをナチス国家の基本法と称することを得る。それはその憲法的生活の基礎をなし、且新しい国家建設の大綱をなすものである。今日の発展段階に於ては、この意味に於て次の諸法律を、指導者国家の憲法規定とすることができる。即ち─
1.1933年3月24日の国民及び国家の艱難を除去するための法律(所謂授権法)。更に1937年3月24日の国民及び国家の艱難を除去するための法律の有効期間延長のための法律。
2.1933年7月14日の国民投票法。
3.1933年12月1日の党と国家の一体を保障するための法律。
4.1934年1月30日のライヒ新構成法。
5.1934年8月1日のドイツ・ライヒの元首に関する法律。
6.1935年1月30日のライヒ代官法。
7.1935年3月16日の国防軍構成法。
9.1935年9月15日のニュルンベルク法。即ち国旗法、公民法、ドイツの血とドイツの名誉との保護のための法律(血の保護法)。
10.1937年1月26日のドイツ官吏法。
これらの法律から、如何に民族と結合せる指導の意思により、憲法が民族的及び国家的必要の中から有機的に生成し、そして古い国家組織が排除せられたかを知り得るのである。」(『ナチス・ドイツ憲法論』27ページ)

 この「憲法」もどきは、指導者(フューラー)の「指導」によって「民族的及び国家的必要」によって不断に変更され、「発展」していく、とされるのである。

「『そして終わりに、今や国家的に養成されたわが民族の現実生活を、一つの憲法によって不断にそして永久に確定し、それを全ドイツ人の不滅の基本法にまで高めることが、将来の課題となるのである』(アドルフ・ヒットラー、1937年1月30日)。ここで問題となるのは、有機的な憲法発展の形式的完成ということである。(略)指導者国家に於ける憲法の構成及び完成の態様と方法に対しては、フューラーによって確定される、ドイツの民族・及び国家生活の政治的必要だけが、決定力を持ち得るのである。」(28ページ)

「一つの憲法によって不断にそして永久に確定し」(原文は不知)などとはおよそ無理無体な要求である。「不断にそして永久に」とは「確定」しない、「確定」できないことの謂である。このようなヒットラーの演説用の無理無体なレトリックの理論化を請け負ったのがこのケルロイターである。そして、さしあたって先述した10の「法律」を「憲法」と称したのである。フューラーの「指導」によって永久に「発展」していくものなどはいかなる意味でも「憲法」ではないのである。
 次回は、1933年3月24日の「国民及び国家の艱難を除去するための法律(所謂授権法)」を以て「ドイツ新憲法」と最初に断じたカール・シュミットについて書く。

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