礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

明日、広島がなくなる(1945・8・5)

2016-08-05 02:19:19 | コラムと名言

◎明日、広島がなくなる(1945・8・5)

 昨日の続きである。黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)から、八月五日の日誌を紹介する(二五〇~二五二ページ)。

 八月五日 (日) 晴
 八月になって第一日曜日。今日は休日の番で先ほど下番した田原は、もうぐっすりと眠り込んでいる。ひとり内務班で正座して目を閉じる。自分の中にあった広島が明日なくなる。そして広島の家族みんなが、明日殺される。家族の者だけではない、広島のみんなが殺される。
 殺される。殺される。大人も子供も。そして犬や猫も。裏庭の無花果【いちじく】も楓も松も。ああ二中のポプラ並木も。大手町小学校の楠も。
 だれか時計を止めてくれ。八月五日で。あれほどニューディリー放送が一昨日【おととい】から一日三回も朝、昼、晩と放送するのに、だれも答えてくれないのだろうか。南支では本当にほかに受信装置はないのだろうか。日本内地には電波は届かないのだろうか。汗が体から吹き出ているが、正座してあれこれ思っていると、どうしたことか暑いということは忘れている。
 午後から気分一新のつもりで洗濯をする。午後三時ごろ、田原が起きて昼食を食べている。田原の顔を見て急に気がついたが、田原は今朝の一勤と午後四時からの三勤だ。俺が三勤を替わってやろう。八月五日のその後の広島を取り巻く動きも変わるかも知れない。そうだと決め、
「おい田原、貴様が今日の三勤だが、おれに変わってくれないか」というと、
「はッ、結構であります。自分は一勤でありますか」と聞く。
「いや、おれが三勤から一勤と連続勤務する。貴様は明日の三勤から予定通りに勤務したらよい」
「それでは班長殿の勤務が多すぎます」
「また、マラリアでも出たときには貴様たちに面倒を見てもらうよ」
 内務班であれこれ思うより、情報室勤務の方が、心も落ち着き、思いつめることもない。
 午後四時、上番する。下番者田中候補生より、
「午前九時と正午、今日も二回、昨日の放送とまったく同文で、明八月六日に広島に投下予定の原爆予告がありました」という。また自分の連続勤務について心配して、
「班長殿、あんまり無理されませんように。無理しすぎると、せっかく治ったマラリアがまた起きて来ますよ」と心配していってくれる。多謝多謝。
 今日は隊長は情報室には来られていない。連隊長の許【もと】に行かれているのであろうか。上山中尉は午前中からずっと勤務、現在もおられる。
 午後七時、NHKのニュースが流れてくる。
 ――(一)米内海相は船舶救難戦闘隊の編成を関係業者を集め下令〈カレイ〉しました。横浜、大阪、門司、伏木〈フシギ〉、函館に、それぞれ本部をおき、本部ごとに自主的運営を期するようにと要望をしました。昨四日、東京都経済局は農商省の応援で靴修理班を都内三十八ヵ所に臨時に設け、五百人で一日七千足近い靴の修理をした――というもので、広島のことなど何もいわない。NHKは海外の日本語放送などはキャッチしていないのだろうか。
 午後九時、今日三回目のニューディリー放送が流れてくる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ぜられるところの情報によりますと、米軍は明八月六日、原子爆弾投下第一号として広島に投下する予定でございます。原子爆弾とは原子核が核分裂し、核分裂にともなう高熱高温で、すべてのものは焼土化し、生物は住むことは不可能で、草木も三十年間は生えることは困難となるでしょう。繰り返し申しあげます。…………。――
 その八月六日も、後三時間でやって来る。それにしても、この三日間、警告のように一日三回も放送して来るとは、米側自体己れの後ろめたさを感じて予告するのであろうか。
 その八月六日も、後二時間でやって来る。午後十時、またしてもニューディリー放送が流れてくる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、本日(八月五日)、米軍B29約四百機は関東の前橋と関西の西宮〈ニシノミヤ〉および瀬戸内の今治〈イマバリ〉、宇部を空襲し、爆弾、焼夷弾の投下を致しました。繰り返し申しあげます。…………。――
 珍しく上山中尉から声がかかった。
「黒木、広島はどこだ?」
「はッ、広島市大手町九丁目一五〇番地であります」
「広島の市内か」
「はッ、そうであります」
「御家族は?」
「はッ、祖母が一人います」
「御両親は?」
「父、母共に早く去り、祖母に連れられ、祖母の二女の叔母のところにお世話になりました。叔父は数年前に亡くなりました」
「それでは君のお祖母【ばあ】さんは、叔母さんと二人で広島に住まれているのか」
「いいえ、叔父叔母には子供が多く、長男はすでに戦死され、次男、三男、四男、五男と各地の戦場に出ておられます。下が女の子ばかり四人で、その四人の娘と叔母祖母の六人暮らしです」
「お祖母さん、そりゃあ一人暮らしより遥かによいよ。広島原爆投下ということで、貴様もだいぶ気になるかも知れんが、禍福は糾【あざな】える縄のごとしということもあるから、絶対に悪い方ばかりにはならない。きっとみんなに守られておられるよ。おれからも皆様方の安全を御祈り申しあげるよ」といいながら席を立っていかれた。
 上山中尉は本当に博学多識で、自分らに声をかけて下さる身分ではないのに、広島に原爆が落ちるその前夜に声をかけてもらったことは、昨日、いや一昨日以来、だれかと話をしてみたいと思っていたので、救われたような気がした。

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