礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「原子爆弾」の情報は、どこで消えたのか

2016-08-10 03:09:35 | コラムと名言

◎「原子爆弾」の情報は、どこで消えたのか

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、八月一〇日と八月一一日の日誌を紹介する(二六五~二六八ページ)。

 八月十日 (金) 晴
【前略】
 気がついたら、田中が新しい冷たい水を汲んできて水で手拭を冷やして額【ひたい】の上においてくれていた。
「有難う。有難う」と田中に礼をいう。
「班長殿、昨日から食事を全然されてないようですが、少しはいかがですか」
「熱はどのくらいか見てくれ」
「だいぶ下がってます。三十八度二分くらいです」
「いま何時や?」
「先ほど下番したので、午後八時十分くらいです」
「よし。食事を食べて元気を出そう。もう十二時間休んで今度は出勤だ」と起き上がった。【中略】
 食事をしてもまだ熱があったが、「そのほかに変わったことはなかったか」と下番した田中に聞く。田中の報告によると、
「隊長殿が上山中尉殿に話されていた受け売りでありますが、関東軍並びに北支軍、中支軍、南支軍の各派遣軍司令部に対し、六月、七月と戦線を縮小の指示により南支軍は第一次七月一日に縮小し、さらに第二次七月二十二日付で大幅撤退を実施した。北支軍や中支軍も、各地で同様に撤退を実施し、かなり大幅に戦線を縮小していた。
 関東軍については七月五日付で連京線(大連・新京を結ぶ線)以東、京図線(新京・図們を結ぶ線)以南に全軍を撤退するように各部隊に指示が流されていた。つまり朝鮮よりに満州の十分の一に関東軍の守備範囲が狭められ、全軍撤退体制がしかれて、この線で防御するように指示されていた。しかるに関東軍から地元の満州国軍に、残余の地域での警備を充分連絡を取るべきだったのが、遅れていたらしい。
 しかも関東軍の場合、満州国政府・満鉄などへの連絡との関連、日本人による満蒙開拓団などへの連絡の関係で、各部隊とも遅々と進んでいなかった。今回のソ連参戦により関東軍各部隊首脳は、連京線、京図線まで撤退して邀撃〈ヨウゲキ〉するとの考え方が、逆に日本軍の敗走を強くさせたものだとの北支軍からの情報を南支軍司令部を通じ聞いたとの情報を、隊長殿は聞いて帰られた由であります」と。
 それでは北満や中満各地の日本人の満蒙開拓団は、ソ連の熊の餌食になっていなければよいがと心配される。本当に連京線、京図線ということであれば、自分たちのいた牡丹江省寧安県蘭崗なんか完全な圏外だ。
 田中は、自分が目を閉じてじっと考えこんでいたので言葉をおいていたが、
「班長殿、まだ話してよいですか?」と聞く。
「ああかまわないよ」というと
「本日のNHKの放送では、八日の午後の現地時間にソ連政府はモスクワの佐藤大使に対日宣戦布告文を手交されたのを、日本政府は九日、初めてモスクワからの打電により知ったという」
 あまりにもソ連のキタナイキタナイやり方、丸一日宣戦布告の通知を遅らせている。

 八月十一日 (土) 晴
 午前七時、ようやくマラリアの高熱が峠を越す。体温計は七度二分だが、もう下がる一方だ。田中にいって、無理やり午前八時より上番する。今回は、九日の日に一勤をやっており、実質休んだのは昨日の一日だけだった。
 午前九時、NHKの放送によれば、有末精三中将を長とした仁科〔芳雄〕博士の調査団は昨十日、広島に投下された爆弾を「原子爆弾」と認め、政府に報告したと放送する。
 広島に落ちて何日目や。すでに二度目の長崎も受け、広島に落ちる三日も前から、いや六月一日から知らされていたことではないか。とにかく憤懣【ふんまん】やる方なし。情報はすべて報告されたのに、どこで消えたのか。
 午前十一時、ニューディリー放送が突如、臨時ニュースを流しだした。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によれば、日本国政府は昨八月十日、中立国スイス・スウェーデンを通じ、ポツダム宣言を受諾することを連合国側に申し入れました。繰り返し申しあげます。…………。――
 やっぱり来【きた】るべきときが来た。
 自分の心の中には、まだおれ個人は戦えるんだ。南支軍も健全だ。おれは敵と差し違えて死んでも構わないのに。残念だ。残念だという心と、よかった、よかった、隊長のいう本土上陸なしで終わった。南支軍とて持てる弾薬、糧秣にも限界があり時機的によかった。これで一段落だ。もう少し広島や長崎に原爆の落ちる前なら、沖縄決戦の前ならと、欲をいえば切りがない。残念だという心とよかったという心が動いて複雑この上なし。
 正午のNHKニュースは、そんな話は全然なく、「国体を護持、最後の一線を守るため国民も共に努力を」との下村宏情報局総裁の談話を、アナウンサーが読みあげ、ついで「全軍将兵に決戦覚悟を促す」阿南惟幾〈アナミ・コレチカ〉陸相の訓示が、同じくアナウンサーによって読みあげられていく。ああまだ戦いはっづいているのだ。
 今日、昼勤をやったことはよかった。十日のポツダム宣言受諾は、来週の十三日(月)、十四日(火)にどう反応が世界中から帰って来るかだ。そうすると、十五日(水)から十六日(木)に大山となるだろう。来週も自分が二勤の昼勤務をやろう。
 午後四時下番し、田中候補生に引きつぐ。勤務については来週に限り、本日のままを続行することを申し送らせる。

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